ニケの涙が引っ込んだころを見計らって、リズレットはロニの隣に座ると彼がまとっている布に触れた。だいぶ使い古されているのか、ゴワゴワと毛羽立った布にはいつのものとも知れないシミがこびりついていた。
ロニがビクリと震え、自身を守るように体を丸め込む。布がギュッときつく握られ、背の形に曲線を描く。
「だ、ダメです! この布は、取ったらダメなんです!」
「どうして?」
「きっと、僕の姿を見たらみんな怖がります。だから、ダメなんです!」
「それは、あなたが獣人だから?」
ひときわ大きく布が震え、ガタガタと震えだす。
「な……な、な……なんで……」
呂律の回っていない舌を無理やりに動かして発せられる言葉は、絡まっていた。
リズレットは掴んでいた布から手を離すと、フレックに目を向けた。勘の良い彼なら、ロニの言葉端から気付いていると思ったのだ。
どうやらその想像は当たっていたらしく、フレックが呆れたような顔で肩をすくめた。
「なんでも何も、俺たちは“人間様”なんて言わないからな。”人間”なんて言いかたをするってことは、“人間”以外のやつってことだろ? 魔女、獣人、言葉を話せる魔獣、もしくは神獣。その中でも、魔女は俺たちのことを人間とは呼ばない。魔女だって、元は人間だからな」
魔力がある一定の基準を超えたとき、人は魔女へと変わる。早い人で二歳くらいから魔女の能力に目覚め、どんなに遅くとも十五までには魔女か否かが決まる。魔力を持つ者自体は、さほど珍しい存在ではない。おそらくだが、ミレリーにもわずかながら魔力があるのだろう。その力が、彼女の不思議な目の源になっているはずだ。
魔力があるからと言って、全ての人が魔女になるわけではない。魔女として目覚める者は、ごくわずかだ。
魔女の子が必ず魔女になるわけではなく、魔力が一切なかった人間から魔女が生まれることもある。どういった人が魔女になるのかは、いまだに分かっていない。
「魔獣は“人”って呼ぶし、神獣は確か“人の子”って呼んでる……んでしたっけ?」
「そうよ。フレック君、魔獣や神獣に会ったことがあるの?」
「ありませんよ。魔獣に会ったら食べられるでしょうし、神獣に会えるほど特別な人間ではないですから」
前半部分に関しては、リズレットも同意せざるを得なかった。
魔獣にとって人間は、食べ物だ。人が豚や鶏を食べるように、魔獣は人を食べる。もっとも、魔獣は神獣以外のすべての生き物を食べるのだが。
しかし、後半部分に関しては多少の疑問があった。
(神獣って、結構そこら辺にいたりするんだけどね)
神々が暮らす天界に住む神聖な獣は、時に神からの言伝を持って地上に降りてくる。彼らは特別な人間の前にしか現れず、その光り輝く姿は一度見ると忘れることができなくなるほどに美しい。
そう伝えられている神獣だったが、実際は神からの言伝がなくとも地上に降り立ち、姿を変え、人に紛れて生活していた。高位の神職者として存在している者が多いが、より人の生活の中に溶け込もうと貴族として存在している者もいる。少数ながらも町民として紛れている者もおり、より変わった考えの持ち主だと、小さな動物として自由気ままに町中を闊歩していることすらある。
リズレットは魔女の祝福により、神獣かそうでないかを見極める能力があった。神獣は人間には干渉しないという原則があるが、曲がりなりにも神の使いとして、姿を見抜き助力を請われれば無碍に断ることができないのだ。
「魔女でもなく魔獣でもなく神獣でもないなら、残るのは獣人しかいない。力の強い奴は魔獣と一緒に人間を襲ったりもしてるけど、そういう奴は人間に様なんてつけないからな」
獣人は、魔獣と人との間に生まれた子供だ。大抵の魔獣は人を食すが、時々人との間に子供を望む者がいる。獣人はごく稀に魔獣をも凌ぐ力を持って生れることがあるからだ。かつてこの世界に存在した魔王も、魔獣と人との間にできた子供だった。
しかし、そんな力を持つ獣人が生まれる確率は低く、そこそこ強い程度では魔獣よりもはるかに弱い。ほとんどの場合は、限りなく人に近い獣が生まれるだけだ。
人に毛が生えた程度の弱い獣人を魔獣は好まない。かと言って、明らかに獣の姿を取る獣人を人は受け入れない。
見た目が優れた獣人ならばコレクターが買い取ることもあるが、それ以外はロニのようにサーカスなどの見世物小屋で働くのがせいぜいだろう。ほとんどの獣人は、魔獣が引き取らない限りは幼いうちに処分されてしまう。育ってしまうと、人よりも強い力をつけて厄介な存在になるからだ。
最近では、財力を誇る一つのアイテムとして、子供の獣人を飼うことが貴族社会でブームになっているらしい。貴族での流行は、財力のある町民にも広がる。豪商や豪農の家でも、まだ幼い獣人を飼い始めていると聞く。
ロニもそういった金持ちにペットとして売るためにこの場にいるのだろう。
「ロニは何の獣人なの?」
「ムーンウルフです。だから、大きな口に鋭い牙があって、爪だって尖ってるんです!」
必死に自身の怖さをアピールするロニだったが、フレックが安堵の息を吐いた。
「なんだ、オオカミか、良かった。ドラゴンとかハエとかヘビとかだったらどうしようかと思った。俺、爬虫類と虫が苦手なんだ。小さいのならまだなんとか耐えられるけど、人間サイズだとちょっと難しい」
「ニケ、ワンちゃん好きだよ!」
「ワンちゃんじゃないです! ムーンウルフですよ、ムーンウルフ! 一口で人間様をパクっと食べちゃうムーンウルフなんですよ!」
「でも、ロニは俺たちのことパクっと食べないだろ? どんなに怖い見た目をしてたって、お前が良い奴なのは分かってるから、怖がんねえよ。良いからその布取れよ、暑苦しい」
フレックが問答無用で布を引っ張る。ムーンウルフの獣人で力が強いとはいえ、フレックも炭鉱で鍛えた力がある。力比べが拮抗していたのはほんの少しの間だけで、すぐにフレックが勝つと布が無情にも取り払われた。
ボロ布の中から現れたのは、限りなく色素の薄い美少年だった。ムーンウルフの白金の毛色と同じ髪は、久しく洗っていないのか汚れてゴワゴワになっていたが、綺麗に整えたら見違えるほど美しくなるだろう。銀に微かな青を混ぜたような色の瞳はオオカミの血を思わせる鋭さがあったが、一目見ただけで引き込まれるほど力強い。
顔立ちは人間そのものだったが、頭の上に乗った髪色と同じ三角の耳と長い尾が、彼が獣人であると主張していた。
ロニがしきりに言っていた口の大きさも、気にならない。普通よりも少しばかり大きい気もするが、このくらいの口の大きさの人はいる。
「わー! 耳と尻尾がワンちゃんだ!」
ニケが歓声を上げて耳に手を伸ばす。ビクリと怯えたようにロニが肩を震わせたが、ニケは気にすることなく耳を触り、ゴワゴワの頭を撫でた。
「ちょ、やめてください! 頭撫でないでください! 僕はムーンウルフの獣人なんですよ! 怖いんですよ! 牙だってほら! 爪だって、ほら!」
必死に牙を見せるが、八重歯が心持ち鋭くなった程度で恐怖感はない。爪は確かに堅そうだが、人間のそれと大差ない。
はしゃぐニケとは違い、フレックは拍子抜けしたように盛大なため息をつくと、目の見えない姉に状況を説明している。
リズレットは一人、彼らのことを眺めながら考えていた。
(おそらく、今回の目玉はロニ君とミレリーちゃん。ロニ君はサーカスが売り払った子だし、ミレリーちゃんも計画的に攫った節がある。フリック君がいるのは想定外だったとして、出品数を稼ぐために追加で攫ったのが私とニケちゃん)
ロニは確かに美しい容姿をしているが、見た目的にミレリーとあまり変わらない年齢だろう。獣人は幼く、より獣に近い見た目のほうが高く売れる。獣人の売値として、ロニは安いほうだ。
ミレリーだって、目が見えていればかなりの高値がつくはずだが、盲目という点から安値で取引されることはわかっている。特殊な目を持っているとしても、買い手には関係がない。
(男の子を積極的に攫っていないあたり、買い手は労働力ではなく観賞用や愛玩用を求めてる。そんなのを欲しがるのは、貴族や金持ちくらいなもの。しかも、そこまで高額にならないムーンウルフのロニ君やマイナスポイントのあるミレリーちゃんが目玉になるのだから、下級貴族や成金の豪商の可能性が高い)
そこそこ名のある貴族や豪商ならば、シュナウザー家の名前を出せば交渉がしやすくなるのだが、今回のように下級貴族や成金が相手ではなかなか骨が折れることになるだろう。
(シュナウザー家の使用人だと言えば私は解放されるだろうけれど、私だけ自由になっても仕方がないのよね)
ちらりと、他の四人を見る。
身体能力は今のところ人とは変わらないとはいえ、ムーンウルフは人間以上に耳と鼻が良い。獣としての本能なのか、危険を感知する力も高いはずだ。
ミレリーの特別な目も唯一無二のものだし、ニケの一度見たものを完ぺきに記憶する能力も素晴らしい。
フレックだって、あの頭の回転の速さや貴族社会に溶け込める物腰は特筆すべきものだ。なにより、炭鉱で鍛え上げた体は引き締まっており、年齢以上にたくましく見える。
(魔女の祝福を打ち破るために、この子たちが欲しい。……ううん、違う。この子たちが必要だからこそ、私はここにいる)
自身にかけられた十二の魔女の祝福のうちの一つが、人生において大切なピースを手繰り寄せる力だ。リズレットが巷で子供が行方不明になる事件が続いているという話を聞き、単身で調査に向かったのも、きっと彼らに出会うための布石だったのだろう。
”十三番目”の魔女から祝福を授けられてから十七年、魔女の尻尾すらつかめずにいたのだ。もう、時間もそれほど残されていない。このチャンスを逃しては、永遠に祝福から解放されることはないかもしれない。
「と、ところで……リズレットお嬢様はこのままここにいて良いんですか? あと数刻もすれば、奴隷市場についてしまいますよ。流石にリズレットお嬢様をあんな場所に行かせるわけには……」
「ロニ君は、ここがどこなのか分かるの?」
「はい。一度南東の奴隷市場に来たことがありますから。その……仲間を、買いに」
サーカスで使う獣人を買い足すために、団長に連れられてきたことがあるのだと言う。きっとそこには、満足な働きが出来なければお前もこうして売られるのだという脅しも含まれていたのだろう。
「そう、ここは南東なのね。確か、マルシェフ男爵の領地ね」
最近妙に羽振りが良いと思ったのだが、いつの間にか奴隷市場を作ってそこで一儲けしていたらしい。少し前は密造酒で小銭を稼いでいたらしいが、粗悪な酒で体調を崩すものが続出した結果、王族が重たい腰を上げて取り締まったと聞いている。密造酒で稼げなくなった変わりが奴隷と言うことだ。悪いうわさが絶えないマルシェフ男爵らしい稼ぎ方ともいえる。
「ど、どうしますか? 馬車を止めてもらって、リズレットお嬢様が手違いで乗っていると言いましょうか?」
「それはダメよ!」
「それはダメだ!」
リズレットとフレックの声が重なる。ダブルでダメ出しをされ、ロニの三角の耳がぺシャンと横に倒れた。
「な……何でですか? マルシェフ男爵だって、リズレットお嬢様を奴隷市場に出すようなことはしないですよね?」
「どんな貴族だって、リズレット様をそんな目に遭わせはしないだろうな。でもそれは、十七歳のリズレット様ならという話だ」
「そうよ。私は……”十三番目”の魔女の祝福によって、七歳の時から成長を止められているの。私がリズレットを名乗ったところで、貴族は誰も信じない。だって、リズレットにそんな祝福がかけられているなんて、一部の人間しか知らないんだから」
シュナウザー家の人間と、グレアム王家の人間、それとごくわずかな由緒ある公爵家の人間だけが知っている秘密だった。
「待ってください、十三番目の魔女の祝福とは何なんですか? 確かに魔女は、高貴な人が生まれたときに祝福を授けることがあると聞いています。でもそれは、”十二人の魔女”による祝福であって、”十三番目の魔女は存在しない”はずでは?」
「そう。確かに、私が生まれたときに祝福を授けに来たのは十二人だった。でも、その十二人が帰った後に、十三番目の魔女が来たのよ。私に、子供のまま成長しない祝福を授けに」
リズレットは険しい表情で俯くと、十三番目の魔女が王子たちにかけた祝福のことを思い出していた。
ロニがビクリと震え、自身を守るように体を丸め込む。布がギュッときつく握られ、背の形に曲線を描く。
「だ、ダメです! この布は、取ったらダメなんです!」
「どうして?」
「きっと、僕の姿を見たらみんな怖がります。だから、ダメなんです!」
「それは、あなたが獣人だから?」
ひときわ大きく布が震え、ガタガタと震えだす。
「な……な、な……なんで……」
呂律の回っていない舌を無理やりに動かして発せられる言葉は、絡まっていた。
リズレットは掴んでいた布から手を離すと、フレックに目を向けた。勘の良い彼なら、ロニの言葉端から気付いていると思ったのだ。
どうやらその想像は当たっていたらしく、フレックが呆れたような顔で肩をすくめた。
「なんでも何も、俺たちは“人間様”なんて言わないからな。”人間”なんて言いかたをするってことは、“人間”以外のやつってことだろ? 魔女、獣人、言葉を話せる魔獣、もしくは神獣。その中でも、魔女は俺たちのことを人間とは呼ばない。魔女だって、元は人間だからな」
魔力がある一定の基準を超えたとき、人は魔女へと変わる。早い人で二歳くらいから魔女の能力に目覚め、どんなに遅くとも十五までには魔女か否かが決まる。魔力を持つ者自体は、さほど珍しい存在ではない。おそらくだが、ミレリーにもわずかながら魔力があるのだろう。その力が、彼女の不思議な目の源になっているはずだ。
魔力があるからと言って、全ての人が魔女になるわけではない。魔女として目覚める者は、ごくわずかだ。
魔女の子が必ず魔女になるわけではなく、魔力が一切なかった人間から魔女が生まれることもある。どういった人が魔女になるのかは、いまだに分かっていない。
「魔獣は“人”って呼ぶし、神獣は確か“人の子”って呼んでる……んでしたっけ?」
「そうよ。フレック君、魔獣や神獣に会ったことがあるの?」
「ありませんよ。魔獣に会ったら食べられるでしょうし、神獣に会えるほど特別な人間ではないですから」
前半部分に関しては、リズレットも同意せざるを得なかった。
魔獣にとって人間は、食べ物だ。人が豚や鶏を食べるように、魔獣は人を食べる。もっとも、魔獣は神獣以外のすべての生き物を食べるのだが。
しかし、後半部分に関しては多少の疑問があった。
(神獣って、結構そこら辺にいたりするんだけどね)
神々が暮らす天界に住む神聖な獣は、時に神からの言伝を持って地上に降りてくる。彼らは特別な人間の前にしか現れず、その光り輝く姿は一度見ると忘れることができなくなるほどに美しい。
そう伝えられている神獣だったが、実際は神からの言伝がなくとも地上に降り立ち、姿を変え、人に紛れて生活していた。高位の神職者として存在している者が多いが、より人の生活の中に溶け込もうと貴族として存在している者もいる。少数ながらも町民として紛れている者もおり、より変わった考えの持ち主だと、小さな動物として自由気ままに町中を闊歩していることすらある。
リズレットは魔女の祝福により、神獣かそうでないかを見極める能力があった。神獣は人間には干渉しないという原則があるが、曲がりなりにも神の使いとして、姿を見抜き助力を請われれば無碍に断ることができないのだ。
「魔女でもなく魔獣でもなく神獣でもないなら、残るのは獣人しかいない。力の強い奴は魔獣と一緒に人間を襲ったりもしてるけど、そういう奴は人間に様なんてつけないからな」
獣人は、魔獣と人との間に生まれた子供だ。大抵の魔獣は人を食すが、時々人との間に子供を望む者がいる。獣人はごく稀に魔獣をも凌ぐ力を持って生れることがあるからだ。かつてこの世界に存在した魔王も、魔獣と人との間にできた子供だった。
しかし、そんな力を持つ獣人が生まれる確率は低く、そこそこ強い程度では魔獣よりもはるかに弱い。ほとんどの場合は、限りなく人に近い獣が生まれるだけだ。
人に毛が生えた程度の弱い獣人を魔獣は好まない。かと言って、明らかに獣の姿を取る獣人を人は受け入れない。
見た目が優れた獣人ならばコレクターが買い取ることもあるが、それ以外はロニのようにサーカスなどの見世物小屋で働くのがせいぜいだろう。ほとんどの獣人は、魔獣が引き取らない限りは幼いうちに処分されてしまう。育ってしまうと、人よりも強い力をつけて厄介な存在になるからだ。
最近では、財力を誇る一つのアイテムとして、子供の獣人を飼うことが貴族社会でブームになっているらしい。貴族での流行は、財力のある町民にも広がる。豪商や豪農の家でも、まだ幼い獣人を飼い始めていると聞く。
ロニもそういった金持ちにペットとして売るためにこの場にいるのだろう。
「ロニは何の獣人なの?」
「ムーンウルフです。だから、大きな口に鋭い牙があって、爪だって尖ってるんです!」
必死に自身の怖さをアピールするロニだったが、フレックが安堵の息を吐いた。
「なんだ、オオカミか、良かった。ドラゴンとかハエとかヘビとかだったらどうしようかと思った。俺、爬虫類と虫が苦手なんだ。小さいのならまだなんとか耐えられるけど、人間サイズだとちょっと難しい」
「ニケ、ワンちゃん好きだよ!」
「ワンちゃんじゃないです! ムーンウルフですよ、ムーンウルフ! 一口で人間様をパクっと食べちゃうムーンウルフなんですよ!」
「でも、ロニは俺たちのことパクっと食べないだろ? どんなに怖い見た目をしてたって、お前が良い奴なのは分かってるから、怖がんねえよ。良いからその布取れよ、暑苦しい」
フレックが問答無用で布を引っ張る。ムーンウルフの獣人で力が強いとはいえ、フレックも炭鉱で鍛えた力がある。力比べが拮抗していたのはほんの少しの間だけで、すぐにフレックが勝つと布が無情にも取り払われた。
ボロ布の中から現れたのは、限りなく色素の薄い美少年だった。ムーンウルフの白金の毛色と同じ髪は、久しく洗っていないのか汚れてゴワゴワになっていたが、綺麗に整えたら見違えるほど美しくなるだろう。銀に微かな青を混ぜたような色の瞳はオオカミの血を思わせる鋭さがあったが、一目見ただけで引き込まれるほど力強い。
顔立ちは人間そのものだったが、頭の上に乗った髪色と同じ三角の耳と長い尾が、彼が獣人であると主張していた。
ロニがしきりに言っていた口の大きさも、気にならない。普通よりも少しばかり大きい気もするが、このくらいの口の大きさの人はいる。
「わー! 耳と尻尾がワンちゃんだ!」
ニケが歓声を上げて耳に手を伸ばす。ビクリと怯えたようにロニが肩を震わせたが、ニケは気にすることなく耳を触り、ゴワゴワの頭を撫でた。
「ちょ、やめてください! 頭撫でないでください! 僕はムーンウルフの獣人なんですよ! 怖いんですよ! 牙だってほら! 爪だって、ほら!」
必死に牙を見せるが、八重歯が心持ち鋭くなった程度で恐怖感はない。爪は確かに堅そうだが、人間のそれと大差ない。
はしゃぐニケとは違い、フレックは拍子抜けしたように盛大なため息をつくと、目の見えない姉に状況を説明している。
リズレットは一人、彼らのことを眺めながら考えていた。
(おそらく、今回の目玉はロニ君とミレリーちゃん。ロニ君はサーカスが売り払った子だし、ミレリーちゃんも計画的に攫った節がある。フリック君がいるのは想定外だったとして、出品数を稼ぐために追加で攫ったのが私とニケちゃん)
ロニは確かに美しい容姿をしているが、見た目的にミレリーとあまり変わらない年齢だろう。獣人は幼く、より獣に近い見た目のほうが高く売れる。獣人の売値として、ロニは安いほうだ。
ミレリーだって、目が見えていればかなりの高値がつくはずだが、盲目という点から安値で取引されることはわかっている。特殊な目を持っているとしても、買い手には関係がない。
(男の子を積極的に攫っていないあたり、買い手は労働力ではなく観賞用や愛玩用を求めてる。そんなのを欲しがるのは、貴族や金持ちくらいなもの。しかも、そこまで高額にならないムーンウルフのロニ君やマイナスポイントのあるミレリーちゃんが目玉になるのだから、下級貴族や成金の豪商の可能性が高い)
そこそこ名のある貴族や豪商ならば、シュナウザー家の名前を出せば交渉がしやすくなるのだが、今回のように下級貴族や成金が相手ではなかなか骨が折れることになるだろう。
(シュナウザー家の使用人だと言えば私は解放されるだろうけれど、私だけ自由になっても仕方がないのよね)
ちらりと、他の四人を見る。
身体能力は今のところ人とは変わらないとはいえ、ムーンウルフは人間以上に耳と鼻が良い。獣としての本能なのか、危険を感知する力も高いはずだ。
ミレリーの特別な目も唯一無二のものだし、ニケの一度見たものを完ぺきに記憶する能力も素晴らしい。
フレックだって、あの頭の回転の速さや貴族社会に溶け込める物腰は特筆すべきものだ。なにより、炭鉱で鍛え上げた体は引き締まっており、年齢以上にたくましく見える。
(魔女の祝福を打ち破るために、この子たちが欲しい。……ううん、違う。この子たちが必要だからこそ、私はここにいる)
自身にかけられた十二の魔女の祝福のうちの一つが、人生において大切なピースを手繰り寄せる力だ。リズレットが巷で子供が行方不明になる事件が続いているという話を聞き、単身で調査に向かったのも、きっと彼らに出会うための布石だったのだろう。
”十三番目”の魔女から祝福を授けられてから十七年、魔女の尻尾すらつかめずにいたのだ。もう、時間もそれほど残されていない。このチャンスを逃しては、永遠に祝福から解放されることはないかもしれない。
「と、ところで……リズレットお嬢様はこのままここにいて良いんですか? あと数刻もすれば、奴隷市場についてしまいますよ。流石にリズレットお嬢様をあんな場所に行かせるわけには……」
「ロニ君は、ここがどこなのか分かるの?」
「はい。一度南東の奴隷市場に来たことがありますから。その……仲間を、買いに」
サーカスで使う獣人を買い足すために、団長に連れられてきたことがあるのだと言う。きっとそこには、満足な働きが出来なければお前もこうして売られるのだという脅しも含まれていたのだろう。
「そう、ここは南東なのね。確か、マルシェフ男爵の領地ね」
最近妙に羽振りが良いと思ったのだが、いつの間にか奴隷市場を作ってそこで一儲けしていたらしい。少し前は密造酒で小銭を稼いでいたらしいが、粗悪な酒で体調を崩すものが続出した結果、王族が重たい腰を上げて取り締まったと聞いている。密造酒で稼げなくなった変わりが奴隷と言うことだ。悪いうわさが絶えないマルシェフ男爵らしい稼ぎ方ともいえる。
「ど、どうしますか? 馬車を止めてもらって、リズレットお嬢様が手違いで乗っていると言いましょうか?」
「それはダメよ!」
「それはダメだ!」
リズレットとフレックの声が重なる。ダブルでダメ出しをされ、ロニの三角の耳がぺシャンと横に倒れた。
「な……何でですか? マルシェフ男爵だって、リズレットお嬢様を奴隷市場に出すようなことはしないですよね?」
「どんな貴族だって、リズレット様をそんな目に遭わせはしないだろうな。でもそれは、十七歳のリズレット様ならという話だ」
「そうよ。私は……”十三番目”の魔女の祝福によって、七歳の時から成長を止められているの。私がリズレットを名乗ったところで、貴族は誰も信じない。だって、リズレットにそんな祝福がかけられているなんて、一部の人間しか知らないんだから」
シュナウザー家の人間と、グレアム王家の人間、それとごくわずかな由緒ある公爵家の人間だけが知っている秘密だった。
「待ってください、十三番目の魔女の祝福とは何なんですか? 確かに魔女は、高貴な人が生まれたときに祝福を授けることがあると聞いています。でもそれは、”十二人の魔女”による祝福であって、”十三番目の魔女は存在しない”はずでは?」
「そう。確かに、私が生まれたときに祝福を授けに来たのは十二人だった。でも、その十二人が帰った後に、十三番目の魔女が来たのよ。私に、子供のまま成長しない祝福を授けに」
リズレットは険しい表情で俯くと、十三番目の魔女が王子たちにかけた祝福のことを思い出していた。