「あなたは?」
「ミレリーと申します。フレックの姉です」
「お姉さん!」

 確かに言われてみれば、二人とも面持ちが似ていた。
 十歳程度のフレックに対して、ミレリーは十四歳程度に見えた。ところどころに汚れが付き、頬が少しこけているが、顔立ちは美しかった。

「五年程前に母が亡くなり、代わりに私が働ければ良かったのですが……あいにく私は生まれつき目が悪く、お暇を出されてしまいました」

 上品に言っているが、ようは使えない子供を放りだしたということだ。その際に新しい職を紹介しなかったところを見るに、母親が働いた分のお金を渡すこともなかったのだろう。
 ミレリーが目を開ける。瞳は透き通った青色で、宝石のような見事な色をしていたが、視線はどこにも向けられていない。目が悪いというよりは、見えないのだろう。

「弟が炭鉱に行って養ってくれているんです。お陰で、部屋を借りて住むことが出来ています」
「姉ちゃんだって、針仕事してるだろ」
「仕事っていうほどじゃないわ。お隣のおばさんが商店街を回って集めてきた針仕事の一部を、私にもくれているだけよ。取れたボタンをつけなおしたり、破れた箇所にあて布をしたり、簡単なことしかしてないの」
「でも、姉ちゃんが針仕事してくれるから、食べ物をもらえるんだろ」

 かばいあう姉弟の姿を微笑ましく思いながらも、リズレットは疑問に思った。

「それで、部屋もきちんとあって、食べ物にも困っていなかったあなたたちが、どうしてこんな場所にいるの?」

 今までの話を聞いている限り、フレックはとても賢い。リズレットのように、おかしな露店に近づいて攫われたということはないだろう。ミレリーだって、目が見えないという危険を承知であちこち出歩くタイプではなさそうだ。

「それが……私にもよく分からないんです。ノックの音が聞こえたので扉を開けたら、いきなり捕まえられてしまい、遠くでフレックの声が聞こえたと思ったら意識を失ったんです」
「知らない顔の男が姉ちゃんをどこかに連れて行こうとしたから呼び止めたら、近くにいた別の男に殴られて、気づいたら馬車に乗せられてたんだよ」

 どうしてあんなことが起きてしまったのかと不思議な顔をしているミレリーとは違い、フレックは苦虫をかみつぶしたような表情をしている。
 リズレットには、フレックがそんな顔をしている理由が分かっていた。
 おそらく、近所に住む何者かがミレリーを人買いに売ったのだろう。視力に問題があるとはいえ、彼女は美しい。少々痩せすぎている感じはあるが、スタイルも問題ない。高く売れると踏んだ何者かが人身売買を生業としている者に紹介し、そこでもまた、ミレリーなら売れると確信したのだろう。
 誤算は、フレックが帰ってきてしまったことだ。炭鉱夫をしている彼は、帰宅する日も時間もバラバラで、家にいないことのほうが多いはずなのだが、決行日に幸運なのか不運なのか帰ってきてしまった。多勢に無勢、ミレリーの誘拐を止めることは出来ず、ついでとばかりにフレックも連れて来られてしまったというわけだ。

「姉が起きないので心配していたら、そこの小さい子が投げ込まれて、そのあとにリズレット様が連れて来られました」

 フレックに指さされた少女が、大きな目をパチパチとさせるとフニャリと微笑んだ。

「ニケは、ニケだよ。ニケは、食べられるものがないか探してたら、知らない人が食べ物くれるっていうからついて行ったんだ。そしたら、不思議な石を見せられて、色がぐるぐるしてるなって思ったら、ここにいたの」

 どうやらニケも、リズレットと同じような魔法で眠らされて連れて来られたようだ。

「ニケちゃんは、小さいころからお外で暮らしているの?」
「少し前までは、優しいシスターとお友達と一緒に、孤児院で暮らしてたん……暮らしてました。でも、孤児院なんてあっても邪魔だからって、貴族様に取り壊されてしまって」

 リズレットの脳裏に、ニケのいた孤児院を取り壊した貴族の顔が浮かぶ。数年前に我が家で社交界を開いたとき、無駄な寄付を求めてくる孤児院を潰してやったのだと、武勇伝のように語っていた。
 十本全部の指に絡みつく、大きな宝石の付いた指輪。でっぷりと肥えた腹は彼が何かをするたびにブルブルと揺れ、ときおり耐えきれなくなったベストのボタンが飛んでいた。
 顔を合わせたこと自体は、幼いころに数度あるかないかくらいのアルフォンス子爵の姿を思い出す。
 彼と初めて出会ったのは、どこかの伯爵家の社交界だった。両親や兄姉とはぐれ、一人で歩いているリズレットに、どこの貴族の子供だと高圧的に詰問してきたのが最初だ。
 すぐに兄のランスロットが駆け付け、リズレットの名前を呼んだ瞬間の彼の顔は今でも思い出せる。一瞬だけ顔を引きつらせ、すぐに取り繕うような笑顔を浮かべるとリズレットの頭にそっと手を乗せた。

「これはこれは、シュナウザー公爵のリズレット様でしたか。言われてみれば、シュナウザー公爵夫人に似て端正なお顔立ちだ」

 そこからは、ランスロットに向ってひたすらリズレットを褒めちぎっていた。あらん限りの言葉を尽くして三歳のリズレットを褒めたたえるアルフォンス子爵の姿は、いっそのこと滑稽だった。
 リズレットに高圧的な態度を取っていた場面を目撃していたランスロットだったが、この場で事を荒立てることはなかった。ただ、この場を去りたいという気持ちを隠すことなく顔に出し、迷惑だと言いたげに適当な相槌を打っていた。ランスロットの態度はアルフォンス子爵も気づいていただろうが、それを無視して話し続けた。
 結局、姉のヘンリエッタが救いの手を差し伸べるまで、リズレットとランスロットが解放されることはなかった。
 アルフォンス子爵は、強者には弱く弱者には強い、典型的な貴族そのものだった。彼なら、孤児院くらい何の良心の呵責もなく取り潰してしまうだろう。

「小さい子たちはシスターが引き取って、頭の良い子とか、力の強い子とか、見た目の綺麗な子は引き取り先があったんですけど、あたしには何もなかったから」

 自嘲気味に笑うニケだったが、何もないという自己評価にリズレットは首を傾げた。

「ねえニケちゃん、なんであなたは、私がリズレットだってわかったの?」

 ニケがリズレットと同じように魔女から祝福(呪い)を受けていない限り、彼女は見た目通りの年齢なのだろう。
 リズレットは十年前から姿かたちが変わらずにいるため、人前には出ないように気を付けている。屋敷の中では自由に動き回っているが、この姿のリズレットを見ても《《リズレット》》だとわかる人はいないだろう。
 リズレットからの質問に、ニケが委縮したように肩をすくめる。どう言ったら良いものかと視線をさまよわせる姿は、猛禽類に狙われている小動物のようで、リズレットは慌てて詰問したいわけではないのだと付け足した。

「うちの孤児院に昔、ランスロット様が来たことがあるんです。その時、エニナの花で髪飾りを作ってお渡ししたんです」

 ニケのいた孤児院では、庭で咲いた花を髪飾りにして売っていた。寄付金だけでは足りないときや、誰かの誕生日などほんの少しのお祝いがしたいときの補填にしていたのだ。
 孤児たちが作る髪飾りは、職人が作るような繊細さはなかったが、それでもそれなりの見た目だったため、全く売れないということはなかった。四季折々で最も美しく咲いている花を閉じ込めた髪飾りは素朴で、人気があった。

「そう言えば、あの髪飾りは孤児院でもらったと言っていたわね」

 数年前にランスロットから手渡された髪飾りを脳裏に思い描く。鮮やかなオレンジに輝くエニナの花を束ねた髪飾りは、リズレットのお気に入りの一品だった。
 聖なる加護がかけられたエニナの花は、それを授けたシスターが死なない限りは枯れることはない。万が一シスターが死んでも、彼女の行いが天使に認められれば現世に残した加護は永遠のものとなり、さらには神に認められれば遺物となって信仰の対象となる。

「でも、それだけが理由なの? エニナの髪飾りは、そう珍しいものではないわ。エニナの髪飾りをしていたからと言って、私がリズレットである理由にはならないでしょう?」
「でも、リズレット様があの時していた髪飾りは、あたしたちが作ったものです」
「なぜ言い切れるの?」
「だって、お花の数も、配置も、花弁の数も一緒だったので」

 キョトンとした顔で、ニケが首を傾げる。何故そんなことを聞かれているのか分からないと言いたげに、大きな緑色の瞳を瞬かせている。

「ちょっと待ってくれ。ニケは、屋敷に入ってリズレット様と会ったことはないんだよな?」

 たまらずに声を上げたフレックに、ニケがコクンと頷いた。

「ゴミ箱を漁ってたら、優しそうなお姉さんがこっそり残り物を持ってきてくれて、その時に一瞬だけ通り過ぎるリズレット様を見たの」
「一瞬だけ?」
「うん、一瞬だけ。パって扉が開いて、お姉さんがニケに食べ物をくれて、すぐに扉が閉まったから」
「……その一瞬で、リズレット様の髪飾りが見えたのか?」
「見えたよ?」

 フレックが助言を求めるようにミレリーの手のひらに手を重ねたが、ギュっと握り返されただけだった。
 リズレットは姉弟の重なった手を横目で見て考え込むように目を伏せた後で、ニケの顔を覗き込んだ。