一 やっと会えた

 僕に家族はいない。
 お母さんもお父さんも、みんな僕を捨てて遠くへ行ってしまった。
 理由はただ一つ。
 僕の瞳の中に小さな翼があるから。
 信じられないかもしれないけれど、僕にとってはこれが普通。
 薄水色の背中まで雑に伸びた髪と前髪。
 そして緑色の瞳。
 名前はつばさ。
 異世界から生まれてきたとかそういうことじゃない。
 ただ生まれた時になにかが起きてこの小さな翼が瞳の中に入ってきたのだと、医者は不気味に思いながら言った。
 それを知ったお母さんとお父さんは僕が中学校を卒業した次の日にいなくなって、高校生になった僕は今、一人で生活をしている。
「洗濯と掃除機もかけたから、そろそろ学校に行こう」
 誰にも頼れない、頼っても受け入れてくれない。
 まだ高校生の僕が誰にも頼ることができないなんて、こんなの、おかしいよ。
 でも、誰かと一緒にいたい。
 家族が無理なら、友達でも恋人でもいい。
 なんでもいいから、僕と一緒にいて。
「一人は、もう、嫌だ」
 毎日涙を流しても、学校は必ず毎日行く。
 少しでも一人の空間を減らしたいから。


 家を出て十五分歩いて学校に着き、教室に入って自分の席に座ると、いつものこいつが来た。
「ねえねえ、今日もその可愛い瞳を見せてくれよ」
 前の席に座っている黒髪の肩まで細く長い髪に変わった橙色の瞳を持つクラスで一番明るい男こうま。
 こいつは毎日僕の瞳を見たがって、僕はその度に授業が始まるまで目を閉じて待つ。
「・・・・・・」
「なんだよ。一回だけでいいから見せてくれよ」
「・・・・・・」
 その一回がどれだけ大きいのか、こいつはなにも分かっていない。
 なんでも
「一回だけでいい」
 と言えば、その次もあると勘違いして期待する。
 僕はそれが嫌いだ。
 一回だけで済むなら、なんでもいいことになる。
 それも嫌だ。
 僕が全く目を開けようとしない姿に、こうまは諦めて前を向いたはず?
 ゆっくり目を開けて前を向いた瞬間、カメラのシャッター音が鳴った。
「あっ!」
「はあ、やっと目を開けた。でも良かった、ちゃんと撮れて」
 撮った写真をメールで送ろうとしたこうまの手を、僕は力強く握って止める。
「やめて!」
「は?」
「その写真を今すぐ消して!」
「なんでだよ? よく撮れてるのに」
「人の写真を勝手に撮ってメールで送るのは良くない! 消して!」
 もしこの写真をみんなに見られたら、僕はどうなってしまうのか。
 一生外に出られなくなってしまうのは絶対に嫌だ。
 なんとかして、写真を消してもらうんだ!
 焦りと不安で立ち上がって僕がこうまのスマホに触れる前に、誰かがスマホを握って床に落とし、踏み潰した。
「お前、誰だよ! 俺のスマホ、どうしてくれ」
「お前のことなんてどうでもいい」
「は?」
「まず俺の好きな人を傷つけたこと、先に謝れ」
 そう言って、力強くこうまを睨みながら僕の手を優しく握って抱きしめたのは。
 黄緑色の肩まで短く美しく整えられた髪に水色の瞳。
 それは中学生の時に、僕に何度も告白していつも喧嘩ばかりして先生によく怒られていたさくだ。
「え、どうして」
「つばさ、久しぶり。やっと会えた」
「うん?」
 この再会が僕の人生を大きく変えていく、のだった?



   二 触れさせて

「さく・・・」
 どうしてここに? 卒業したらもう会わないって言ったのに・・・。
 僕が驚きで唇を震わせて固まっていると、さくは相変わらず、僕にだけ可愛く見せる笑顔で頬を撫でた。
「つばさ、俺、もう喧嘩もしないし先生に怒られてないから、付き合って」
「えっ?」
 久しぶりに会って、自分の悪いところ全部直して僕と付き合いたいなんて、そんなの、違うよ。
 僕が告白を断った理由は・・・。
「おい、なにしてる? 早く席につけ」
 小さな丸眼鏡が特徴でイケメン担任の大橋先生が教室に入ってきた。
 そして、僕たち三人のおかしな様子に気づき、さくの手を掴んで教壇の前に立たせた。
「お前、転校初日に問題を起こすな」
 怖い表情を浮かべる大橋先生に、さくは適当に返事をする。
「はーい、ごめんなさいー」
「はあ、じゃあ、自己紹介」
 大橋先生が何度もため息を吐いても、さくは全く気にせず、満面の笑みで自己紹介をする。
「初めましてー、さくでーす。よろしく」
 すごくチャラい自己紹介に、クラスメイトは困惑した。
「あの人、なんかヤバそう」
「不良っぽい」
「まじめじゃなさそう」
 さく、悪いところが直っても、言葉使いは全く変わっていない。
 まあ、そういうところが僕は好きだけど。
「じゃあ、席はつばさの隣に座って」
「はーい」
 チャラいと言われる軽い笑顔でゆっくり歩いて僕の隣の席に座ったさく。
「つばさ、今日からよろしくね」
「あ、うん」
 少し照れて顔が真っ赤になった僕。
 ようやく自分の気持ちが言えるチャンスがやってきた。


 さくが転校してきてから三日が経った。
「つばさ、今日もつばさの家泊まりたい」
「うん、いいよ」
 さくは僕を一人にさせないように、毎日僕の家に来て泊まって、一緒に学校に行っている。
 今日も学校が終わって僕の家に一緒に帰っている途中。
「今日はなににしよう」
「俺、オムライスがいい」
「昨日食べたよ」
「今日も、毎日オムライスが食べたい」
「毎日食べたら飽きちゃうよ?」
「いいんだよ。飽きても、つばさが作ってくれるオムライスは一番特別で幸せだから」
 そう言って、さくは僕の手を握って楽しそうに走って家に着き、オムライスを作って食べて、お風呂に入ってベッドで横になる。
 でも。
「つばさ、なんで俺のことが好きなのに、俺と付き合ってくれないの?」
「・・・釣り合わないから」
「それはもう何回も聞いた。本当の気持ちを教えてって、何回言えば答えてくれるの?」
「・・・分からない。僕はさくが好き、でも同時に怖い」
「なんで?」
「僕はこの瞳のせいで、さくを傷つけてしまうのが怖い・・・」
 いつこの小さな翼が飛び出して来るか分からない。
 医者はこう言っていた。
「この小さな翼は、君の気持ち次第で飛び出し、命を失う」
 その言葉がずっと僕の中で強く苦しく刻まれて頭から全く離れなくて、僕は人を好きになったらダメだと、さくの告白で思い知ってしまった。
「さく、付き合うことはできなくても、僕の体に触れてほしい。それは大丈夫だから」
 なるべく笑顔でそのことを知られないように、僕は手を伸ばしてさくの頬に触れて、さくも笑って僕たちは毎日お互いの体に触れ合った。
「つばさ、好きだ」
「・・・うん、僕もだよ」
 気持ちは同じなのに、どこか遠くて、寂しい。
 どうしたら、僕は、僕たちは恋人になれるの?
 なんでもいいから教えて。
 もう、分からない。



   三 本当は

 今日もさくと一緒に学校に行き、僕はさくを屋上に呼んで決心した。
「さく」
「なに?」
 満面の笑みで続きを待つさく。
 僕は少し安心して続きを話そうとした、瞬間。
「あああっ!」
 小さな翼が瞳の中からガラスを突き破るような感じで飛び出し、遠くへ羽ばたき、僕は倒れた。
「つばさ!」
(どうしよう、どうすればいい? 俺はつばさが好きだ、好きなのに。恋人に一生なれないなんてそんなの嫌だ!)
 急いでつばさを横に抱えて全力で走って救急車を呼ばずに学校を出たさく。
「つばさ、死なないでくれ。俺には、お前しかいないんだ」
 近くの病院までとにかく走って走って。
 初恋のつばさを大事に守るその理由。


 俺は小さい頃から喧嘩ばかりしていた。
 親は優しかったけど、俺はその優しさに素直になれなくて学校では喧嘩ばかりでその度に先生に怒られて。
 でも、それで親から怒られたことは一度もなかった。
 そう、おかしかった。
 親なら普通怒ってもおかしくないのに、なぜかなかったことにされて普通にする。
 そんなおかしな「普通」が嫌で中庭で授業をサボっていたある日、俺はとても綺麗な瞳を持った男と出会った。
『あれ、君も授業のサボり?』
 瞳の中に小さな翼を持った男の名前はつばさ。
 けど、俺はその瞳と目があった瞬間に恋に落ち、まだなにも分からない中学生の時に告白した。
『俺、お前が好きだ! 俺と付き合ってほしい!』
 俺が嫌いな「普通」をその瞳を持ったつばさが壊してくれた。
 だから、なんでもするから付き合いたいと思った。
 でも。
『ごめん。僕は君と釣り合わないから付き合えない』
 何度も告白する度に聞く
「釣り合わない」
 という逃げた言葉。
 俺にはそれが悲しくて、本当は俺のことが好きなのに、なんで毎回断るのか。
 毎日悩んで考えて、卒業式の日に、最後の告白をした俺に、つばさはこう言った。
『僕は今の君とはもう会わない。さよなら』
 その言葉を聞いた後、俺は自分の悪いところ全部変えた。
 喧嘩も、人付き合いも、なにもかも。
 サボっていた勉強も一からやり直して精一杯頑張って、つばさが通う高校にやっと転校した。
 そうしたら、つばさは恋人じゃなくても、体に触れてもいいと言ってくれた。
 何度も夢見たことがやっとできて嬉しかったけど、今はつばさが死んでしまうことが怖くて涙が止まらない。
「つばさ、死なないでくれ」
 今手当をしてもらってベッドで眠っているつばさ。
 俺は必死に手を握って目が覚めるのを六時間待った。
 けど、手が動くことはない。
「つばさ、俺、お前が好きだ。一生好きだ。だから、目を開けて恋人になってほしい。俺にできること、全部するから。お願い、目を開け」
「う、うん。僕も君を、さくを一生好きでいる。だから、涙を見せないで、笑って」
 目を開けたつばさの瞳は真っ白で色がないけど、俺はつばさが生きてくれたこと、それだけで嬉しかった。
「つばさ、俺と、恋人になってほしい」
 そっと抱きしめた腕の中で、つばさは大きく頷いた。
「うん、本当は僕、ずっとさくと恋人になりたかった。ごめん、こんなに待たせて」
「いや、それはいい。つばさとやっと恋人になれたから、もうなんでもいい」
「さく・・・うん、嬉しい。これからよろしくね」
「ああ」
 涙は悲しみだけじゃない。喜び、楽しみ、嬉しさ。もっとそれ以上に気持ちが高く飛んでいく。
 この小さな翼も、今もどこかで羽ばたいているのかな。