エステラはそう言うと、黒猫を元の路地裏に帰して、再び箒に跨った。ぐんぐんと小さくなる黒猫の姿を視界に映したのを最後に、今度は東の方角へと身体を向ける。
着いたのは、とある一軒の店の前だった。
カーディナルレッドの古びた扉の前には、錆びついた金属板の看板が少し傾いた状態で、静かにぶら下がっている。
それをカシャンと揺らしてから、エステラは扉を開けて賑やかな店内へと足を踏み入れた。
「──やあ、エステラ。今夜は少し遅いね」
「レナトおじさん、こんばんは。少し町の様子を見て回っていたんだ」
「そうかい。それで、町はどうだった?」
「いつもと変わらないよ」
エステラは微笑みながら、カウンターの端の席に腰を下ろした。そこは店内の様子が一度に見渡せる、エステラの指定席だ。初めて来たときに座って以来、とても気に入っている場所だった。
店は酒場だった。
黒猫と出会ったのとは別の酒場で、宿屋を兼ねているこの場所は旅人の出入りもよくあり、町のことを何も知らなかったエステラを快く受け入れてくれた素敵な居場所だ。
そこの店主は一人町にやってきたエステラを心配してよく世話を焼いてくれた。顔を出せばこの通り、埋まらないようにといつもは果物の入った籠を置いているその端の席を素早く片付けては空けてくれるのだった。
いつ来ても、ここで話が出来るように。
「良い魚が入ったんだ。オーブンで焼くと美味いからどうだ? あと、アルバロの奴がソーセージを土産に来たから、それも出そう。多分、この間の懺悔だな」
「相変わらず酔っ払いには手を焼くな」
「本当だよ。エステラも、いつもあいつらを見送ってくれて助かってるよ。それにしても、大の大人の男を引っ張る力があるってのは、凄いもんだな」
「コツがあるんだよ」
エステラはそう言いながら肩をすくめて、差し出されたコップの中身を一気に飲み干した。
小柄なエステラが男たちを強引に店の外に連れ出せるのは、もちろん魔法のおかげだ。だからエステラにかかればそんなことは造作もない。それは絶対に秘密だけれど。
ふと、エステラは自分が去った後のこの町では、誰があの酔っ払いたちを家に帰すのだろうかと余計な心配に駆られた。