エステラは残りのサンドイッチを食べ終え両手をはらうと、路地裏に入り、長い藁の箒を取り出した。

 それに跨り、今にも飛び立とうとしたその時。

 背後から聞こえた「にゃ〜」というか細い声に、エステラはぴたりと動きを止めた。振り返ると、そこには一匹の黒猫が、呼び止めるようにこちらを見つめて立っている。


「キミは……そうだ、思い出した」


 月明かりに照らされた艶々の黒毛に、エステラは目を細め。


「確か、三百六十と三日前に、酒屋で夕食をとっていた私に向かって『やっと見つけた、部外者め!』と挨拶もなく飛びかかってきたな。あの時、私の魔力を感じとって、良からぬ者だと勘違いしてしまったと言っていたけれど。今更そんな気まずげな顔をして来ても、過去の事実は変わらないぞ」
「……にゃ〜」
「ああそれから、百七十日前にも、靴屋で品物を見る私の前に現れただろう。あの時は『ごめん』と一言だけ言って咥えた魚を置いて走っていったな。その後に私が、跳ねる魚の前にしゃがみ込んでいるところを靴屋の主人に見つかって、説明を求められたことをキミは知っているのか?」
「……にゃ、」
「だいたい、謝るのに半年も要するとは一体どういう了見なんだ。猫の世界ではそれが普通か? なんて非常識な奴らだ」
「……」



 淡々と捲し立てるエステラに、猫はどんどん小さくなるばかりだった。

 それは側から見ると、まるでエステラが一人で延々と猫に向かって喋りかけている異常者に見える。しかしエステラは魔女。魔女は猫の言葉が理解出来る。

 だから今こうして話している間も、猫が「えっと……それには理由があって……」などとボソボソと言い訳めいた言葉を発していることも、全てわかっていた。


 ちなみに他の、犬や馬の言葉もわかるが、実際に何の構えも無く聞き取れるのは猫だけだった。その理由は、古来からの魔女と猫の結び付きの強さに他ならない。猫が使い魔として選ばれる最もたる理由のひとつだ。

 そして猫もまた、長く生きた者は稀に、魔女の魔力を測り取ることが出来るらしい。



「……まあいい。私は今日でこの町を去る。キミにだけ教えておくよ。この町の番人を買って出ているみたいだから。キミ、名前は?」
「にゃー」
「無いのか……そうだ。良ければ今から少し、私に付き合わないか? 朝を迎える前に、この町をもう一度見ておきたい。一緒に来るなら、特等席を用意しよう」