ルナは、日が暮れると町で一番高いその場所に登った。
いつかの日、明けぬ夜を見上げて過ごした時間は、もう過去のもの。けれどその温もりも、匂いも。最後に見せてもらった優しさも全部、ルナは覚えている。
けれど、それが誰だったのかはもう思い出せない。
──あれ、どうして? 私は何を忘れたの?
それは、ある冬の夜のことだった。
自分の首に巻かれているリボンの白が、雪のそれと重なる。何だかとても心地の良い気分だ。
昼間は覚えていたのに、どうしてだろう? 誰かと出会って、誰かと別れた。それもごく最近。それは確かなのに、相手が誰だかわからない。人間だったのか、猫だったのか、それすらも。
だんだんと記憶の中の面影が朧げになっていく。記憶が薄れていく。それは日が沈んでからこの場所に着くまでの間にも、少しずつ進んでいて。
そのうち、ぼんやりと描いていた輪郭さえ見当たらなくなって。そうしてとうとう、時計塔に登った理由さえわからなくなってしまった。
「この町は、きっとキミにとって太陽なんだ。だから、それを月のように見守る役目を負ってくれないか?」
どこからか聞こえた気がした声は、冷めた夜風が聴かせた幻だろうか。
それでもその声に心地良さを感じたルナは、その声の通り、この町に居続けることを誓った。元よりルナにとって大切な場所ではあるけれど、何だか今日はより一層、その思いが強まっている気がする。使命感すら感じる程に。
それはまるで、誰かと約束を交わしたかのような。
「──サヨナラ。町を頼んだよ、ルナ」
気づけば夜は明け、見上げた空には朝焼けが広がっていた。
山々の峰は優しく輝いている。
『わかったよ、"魔女さん"』
思考の外から突然するりと出てきたその言葉に自分自身で驚きつつも、ルナは記憶の彼方にそっと想いを馳せた。瞼裏の残像はぼやけたままだけれど、どうしてか心がとても温かく感じて、きっと忘れてしまったそれはとても大切なものだったのだと教えてくれる。
だから、ルナは殆ど沈みかけたその大きな白い月をじっと見つめて願った。
いつの日か、その思い出の欠片にまた、出会えますようにと。
時計塔から見下ろす町の至る所で、今日もまた活気ある晴れやかな一日が始まる。昨日まで残っていたはずの雪はすっかり溶けきり、芽吹いた木々がもう間もない穏やかな春の訪れを告げようとしていた。
『さて、今日も大切なこの町を守っていこう。私はこの町の番人だから』
それは、サヨナラの魔法にかかったとある町。
冬の朝のことだった。