『最後に一つ、魔女さんに訊いてもいい?』
「何でもどうぞ」
『この黒猫を誘ってくれたのはどうして?』


 黒猫が訊ねたのは、昨晩のことらしかった。
 町を一望する為に夜空の下を飛び回り、時計塔へと向かう。それは本来、エステラ一人で行おうとしてしていたことで、突然の誘いは気まぐれだった。
 強いて言えば、昨日あの路地裏に、猫が現れたから。


「キミを誘った理由か……それは私が魔女だから、というのでは納得しないかな」
『すると思ってるの?』
「ううん、いや……でも、そうだな。キミが猫だから、良かったのかもしれない」
『何それ』


 答えに不満げな黒猫に、エステラは微笑みかけた。


「猫には九つの命があると言うだろう。だからそのしぶとい魂に、せっかく浄化したこの町を守り続けてほしいわけだ。叶うことなら、ずっとね」
『それは迷信だと思うけど』
「わからないよ。それに魔女はよく猫を相棒にして一緒に飛び回ったり、その身体を使わせてもらったりもするんだけど。キミの場合は、それを望まないだろう?」


 エステラが訊ねると、黒猫は息をつくように鳴いた。


『まあ、この町から出る気はないね』
「だろう? だったら、やっぱりキミはこの町の番人だ。番人なら、上から見た町の姿を知っておくのも良いだろうと思ってね」


 黒猫はこの町で生まれ、この町で育った。
 人一倍、それこそ人間よりもこの町の隅々までを知り尽くした黒猫は、余所者を追い払おうとするほどこの町を大切に思っているのだ。


「何よりキミが、この町を心から愛しているから。私の魔法は100年程で溶ける。それまでの間、キミになら、この場所を任せられると思ったからだよ。怖いもの知らずの黒猫さん」


 朝日が町を照らす。
 黒猫はエステラの言葉を聞いて、この町にやってきた魔女がエステラで良かったと心から思った。


「さて。最後に、キミを魔法にかけよう。付き合ってくれたお礼にね」


 取り出したのは、頭の上のとんがり帽子。
 それに巻き付けていた白いリボンの結び目をそっと解き、魔法でその端を細く裂いた。そしてそれを、黒猫の首に結び直す。
 揃いのリボンが、冬の朝の冷たい風に吹かれ小さく揺れる。きらりと星の欠片のような煌めきが黒猫を包んだ。


『今のは何の魔法?』
「おまじないだよ。これでキミは九つの命を余す事なく、この町の為に使えるだろうな。明日は満月だ。月には神秘的な力があるから、その光を浴びれば全て元通り。それで上手くいくよ」
『それってどういう意味? 何のおまじないなの』
「内緒」


 エステラは悪戯っぽく微笑んだ。それはまるで、見た目から予想される歳相応の表情に見えた。とある一人の少女が、何やら楽しげに自分を見下ろしている。
 黒猫は、溜め息の代わりに「にゃ〜」と鳴いた。


「じゃあ、元気で。魚の食べ過ぎにはくれぐれも気を付けて。この町での最後の一夜を、キミと過ごせて良かったよ。ありがとう」


 エステラはその言葉を最後に、今度こそ長い藁の箒に跨り飛び立った。
 ぐんぐんと小さくなっていく黒猫の姿を、今度は振り返らなかった。代わりに目に付いた町の景色を、最後の光景を、その瞼裏にしっかりと焼き付けて──。