手術中のランプを見ながら壁に背を預けていた俺は、ばつの悪そうな顔で近づいてくる美穂の姿に気づいた。

「優一、ほんとごめん」

 目が合うと同時に、美穂はなんの言い訳もすることなく頭を下げてきた。

「いや、美穂が謝る必要はないから。むしろ、優香のわがままにつきあってくれてありがとう。それに、なにも知らずにつらくあたり散らかした俺のほうが謝るべきだよ」

 小さく縮こまる美穂を制し、俺も素直に頭を下げた。美穂のことだから最初は優香を説得したはずだろうし、その上で優香の頼みを聞いたのであれば、俺が文句をいう必要はなかった。

「その顔だと、優香の病気もどうなるかも知ってるよね?」

「もちろん。優香の両親から話を聞いたときにピンときたよ。今回の件は、子供ができなくなってしまうことが原因だったんだろ?」

 俺の問に、美穂がさらに表情を曇らせた。やはりというか、優香の両親から話を聞いたときに思ったことは間違いなさそうだった。

「で、優一はどうするつもりなの?」

「もちろん、どうもしないさ。ただ、優香の首根っこつかまえて連れて帰るだけだから」

 変に気どって勇ましく言うと、ようやく美穂が小さく笑ってくれた。

「今回の件は、俺にも原因があるからな。本当はもっと早く形にしておくべきだった」

 そう説明しながら、ポケットに入れていた小さな箱を取り出して美穂に見せた。

「それって――」

「ああ、結婚指輪だ。本当はサプライズで渡すつもりだったのに、まさか優香からとんでもないサプライズを先制されるとはな。まあ、ある意味遅くなった俺への、神さまの罰かもしれないな」

 手のひらにのせた箱を眺めながら、悠長に考えていた自分の甘さに後悔が押し寄せてくる。子供用の野球グッズを買うふりしてバイトしていたのは、優香にサプライズで結婚指輪を渡すためだった。

 けど、結果的にそれがあだになってしまった。思い悩む優香にとって、目にする子供用のグッズは負担でしかなかったはず。にもかかわらず、サプライズに協力してもらうために友人からのんきに無償でもらっていた俺は、ただの馬鹿でしかないだろう。

 いや、問題の本質はそれ以上にあった。今の生活に甘んじることなく、もっと早く優香と結婚していれば、今回の件は夫婦として二人で受けとめることができたかもしれない。

 そう思うと、優香をひとりにさせすぎた自分が情けなかった。だからこそ、今後はきちんとけじめをつけて優香と二人で生きることを決意した。

「そっか、優一がそういうつもりなら、なんかほっとしたよ。で、その手にある紙袋はなに?」

「これは、優香が子供ができないことに罪悪感をもたないようにするための秘策かな」

 美穂が興味を示したのは、俺が指輪と同じくらいに大切に手にしている紙袋だった。中身は、優香と二人で作っていこうと決めたホワイトアルバムだ。先日見たときにちょうど使い切っていたから、新たに買っておいたものだった。

「そうなんだ。ねえ優一、私が言うのも変だけど、優香を絶対に幸せにしてよ」

「もちろん。そのためにも、まずはあの頑固者を説得しないとな。そのときは、俺にも協力してくれよ」

「うん、わかった」

 冗談っぽく笑いながら言った俺の言葉に、美穂が笑って返してくれた。もちろん、気持ちは本気だからこそ、美穂もようやく肩の荷がおりたように笑ってくれたのだろう。

 やがて、会話もなくなり再び静寂が手術室前の廊下を包みこんでいく。壁から離れて手術室のドアの前に立った俺は、今この瞬間も病魔と闘っている優香にエールを送り続けた。

 ――優香、気づいてやれなくてごめんな。けど、もう心配いらないからな。たとえ子供ができなくなったとしても、優香は優香だ。子供ができないなら、これから二人でこのアルバムをいっぱいにしていこう。それが俺たち二人が歩む人生なんだから、いまさら嫌とは言わせないからな

 エールを送りながら、今の決意をくり返し心の中で口にする。

 きっと、この先も俺たち二人なら大丈夫だろう。

 なぜなら、二人でまとめたホワイトアルバムには、これまでいろんなことを二人で乗り越えてきた証があるのだから――。

 〜了〜