三月のはじめ。ある晴れた日のマンションの一室。
「ねぇ、優月。今会いたい人っている?」
 引っ越しの荷物を解きながら、光一くんがつぶやいた。
 どっしりとした背中は、まだ二十代だというのにいつ見ても妙にカンロクがある。
「どうしたの? 突然」
「いや、ほら……挙げられなくなっただろ、結婚式。いろいろ落ち着いたら、ささやかだけどさ、親しい人呼んでパーティーできたらなって」
 テレくさそうに話すその表情。大柄な体つきなのに、トロンとやさしく下がっている目元を見ると、ゴールデンレトリバーみたいだなとほほえましくなる。
 2LDKのマンションの床には、まだ封を開けていない段ボールがゴロゴロしてる。
 駅からは少し遠いけど、日当たりも良く、ベランダからは市内を流れる大きな川が見える。近くには大きなスーパーやいい感じのお惣菜屋さんもある。
 ここが、今日から私たちの新しい住まい。
 
 私と光一くんは、この春結婚する。
 ほんとうは結婚式を挙げたかったんだけど、数年前から広がっている世界的な感染症の流行がまだおさまってなくて、光一くんの仕事もバタついているのであきらめることに。
 とりあえず今年は写真だけ撮ってすますことに決めた。
「会いたい人……そうだなぁ、小学生のときの友だちや、中学や高校のクラスメイト、今でもLINEでやりとりしてる子はいるけど、もうずいぶん会ってないな」
 
 今年で二十五歳。今までいろいろなことがあった。受験を乗り越え、大学を卒業して、銀行に就職が決まって、そして職場の同期の光一くんと結婚。これまでそれなりにマジメにやってきたつもりだったけど。
「どーしてお祝いごとのときにかぎって、親しい人と会えなくなっちゃうかなー。もとの日常に戻りつつあるとは言われてるけど、また再流行していつまでもみんなと離ればなれになったりしたら……」
 考えるだけで、やる気がしぼんでく。ヘナヘナッと段ボールに顔をつっぷしていると、
「でも、ほら。世の中そんな暗い話題ばかりでもないよ」
 光一くんが、BGM代わりにつけていたラジオのボリュームを大きくした。
「来月に打ち上げを控えた有人宇宙船ダイアナ。先日の打ち上げテストは無事成功し、いよいよ本格的な宇宙への旅が始まろうとしています」
「すごーい。宇宙旅行かぁー」
 
 このごろ、感染症の影響で海外旅行はまだまだハードルが高いけど、地球の外に出ちゃえば問題ないよね。
 宇宙ってどんなところなんだろう。やっぱり、すっごく広いところなのかな。私が生きてるうちに行けるようになるのかな?
「ね、楽しそうなニュースもあるだろ? 今は大変な状況だけど、きっと落ち着いてまたみんなに会えるときが来るよ」
「そうだね……」

「あのさ、優月。優月はお父さんに会ってみたいって思ったことない?」
「お父さんに?」
 
 私は父の顔を覚えていない。私の両親は私が物心つく前に離婚した。
 母によると、原因は仕事が忙しかった父とのすれ違いらしい。
「ずーっと仕事で家を開けてたと思ったら、ある日突然帰ってきたりして。とにかく自由な人だったのよね。あんまり自由すぎるから、お互いいっしょに暮らさないほうがいいってなっちゃった」
 ずいぶんあっけらかんとした母の言葉が、妙に印象に残っている。
「正直、どんな人かは気になるけど、会うのはちょっと――」
「どうして? 実のお父さんなのに」
 予想外の答えだったのか、光一くんは手に持っていた荷物を思わず床に落としてしまった。
「そうはいっても、まったく覚えてないんだもの。撮影もキライで、父の写真やビデオ、全然残ってないの。ずいぶんシャイな人だったみたい。私もお父さんがいないのが当たり前の生活だったから、さびしいって気持ちもそんなにわいてこなくって。もし突然会えるってなったら、私も向こうもとまどうばかりで、ドラマみたいに父と娘、感動の再会! なんてことにはならないと思う。それに――」
「それに?」
「私には、ちゃんと『お父さん』がいたの。ほんとうのお父さんじゃないけどね」
「え?」
 光一くんがハッと目を見開く。
 驚くのも当然か。
 このことは今まで話したことなかったもんね。
「小さいころから大人になるまでずーっと見守ってくれてたんだよ」

 私は、床に散らばる段ボールの中から『アルバム』と書いてある箱を開けて、取り出してみせた。
 古いアルバムをパラパラとめくった光一くんは、どういうこと? と、口をポカンと開けている。
「ね、いつも私といっしょにいるでしょ?」
 私がほほえむと、光一くんはじっとアルバムを見つめたまま、
「確かにいつも優月といっしょにいるけど、これって、これって……クマのぬいぐるみじゃないか!」
 そう。他の人にとって「彼」はちょっとおもしろい顔のクマのぬいぐるみにしか見えない。
 だけど、私にとって『ドンさん』は、大事な家族の一員なのだ。

「うーん、あともうちょっと……」
 あれは小学一年生の夏休み。母に連れて行ってもらったデパートのゲームコーナーで、私はフワフワの白いネコのぬいぐるみを取ろうとしていた。
 クレーンは、ゆらゆらと目的のネコに近づいていく。ここでつかみボタンを押せば、念願のネコちゃんゲット! 
 胸のドキドキがどんどん高まってきたそのとき。
「へっくしょん!」
 ふいに出たクシャミとともに、私はうっかりボタンを押しまちがえてしまった。
 クレーンはネコちゃんを通りすぎ、ムスッとした顔のクマのぬいぐるみの元へ。
「あっ」
 クレーンは、がっちりとクマのぬいぐるみをつかみ、ぬいぐるみはコロン、と私の元にやって来た。
 極太まゆげに、白目がちの目、への字に曲がった口のクマ。
「あんまりかわいくないなぁ」
 しょげている私とは逆に、母は、あら、とうれしそうな声をあげた。
「なんかこのクマの表情、威厳に満ちてるわね。ぬいぐるみのドンって感じ」
「いげん? ドン?」
「たのもしいボスみたいだってこと。家に飾ったら、もしかしてうちの守り神になってくれるかもしれないわね」
 母は楽しそうに笑った。
「ドンさんかぁ……」
 私はドンさんを抱き上げた。やっぱり顔はムスッとしていてかわいくないけど、見ているとだんだん笑いがこみあげてきた。妙にきまじめな顔つきがおかしかったのだ。

「ほら見て。これドンさんがうちに来たばかりのころ」
 アルバムのなかの一枚の写真を指さすと、光一くんはプッと吹き出した。
「なにこれ、優月とドンさん、おそろいのリボンしてる」
 それもフリフリのレースがついた大きなピンク色のリボン。
「ちょっとでもドンさんをかわいくしたくて、お母さんにリボン作ってもらったの」
 今見ると、ドンさんなんだか恥ずかしそう。
「こっちの写真は? ドンさん頭に包帯巻いてるけど」
「なつかしー。このときはドンさんがポムに耳かじられちゃったの。ポムって昔うちで飼ってたポメラニアン。かわいそうだから包帯巻いてあげたんだよね」
 
 こうやってドンさんを着せ替えて写真を撮るのが楽しくて、いつの間にかどんどん写真が増えていった。遊園地に行ったときは私とおそろいの麦わら帽子をかぶって。
 おじいちゃん、おばあちゃんたちといっしょに温泉に出かけたときは、ドンさんの頭にタオルをのせて、湯上がり記念写真。
 運動会のときは、ドンさんにバトンを持たせて2ショット。出場したリレーの結果はイマイチだったけど、終わってから飲んだオレンジジュースがすごくおいしかったのを覚えてる。
 小学校の修学旅行で広島県の宮島に行ったときには、お土産のしゃもじを持ったドンさんと、友だちのユカリンと美由紀といっしょに厳島神社で写真撮影。
 あの赤い鳥居、ホントに大きかったなぁ。

「うわぁ、これスゴいね。ドンさんメタリックのスーツ着てる」
「そうそう! これ友だちが作ってくれたんだよ」
 中学生になって、人気男性アイドルグループの『MARS』(ルビ・マルス)のファンになったとき、同じく『MARS』ファンの友だち、麗衣(ルビ・レイ)がすごくお裁縫が上手で、よくドンさんに『MARS』と同じデザインの衣装を作ってくれたっけ。ライブ会場前で撮ったこのときのドンさんの表情、心なしかクールだな。
 麗衣、元気にしてるかな。高校卒業してからファッションの専門学校に行ったって聞いたけど、今どうしてるんだろう?
「これおもしろーい! ドンさんが合格ハチマキしてる」
 ブハッとふき出す光一くん。
「それ、高校受験のとき。そのハチマキ、通ってた塾でもらったの」 
 受験の当日。どうか無事に合格できますように! って、でっかく「合格」って書かれたハチマキを巻いたドンさんを拝んで試験会場に出かけて行ったんだった。
 ドンさんにしてみれば、お地蔵さんじゃねーよ! ってツッコミたかったかもしれないけどね。結果は、ドンさんのご利益(?)もあってか見事合格。晴れて入学した高校では、友だちもたくさんできて、毎日とっても楽しかったんだけど……。
「この写真ドンさんがマフラー巻いてるけど、このマフラー妙に長くない? ドンさん首だけじゃなく胴体がすっぽり埋まってる」
 うっ……鋭い、光一くん。そこに気がついちゃったか。
「それにはちょっと苦い思い出があるの」
 
 そのブルーのマフラーは、当時付き合ってた同じクラスの男の子のために編んだもの。
 手作りのプレゼント喜んでくれるかなって思ってバレンタインデーに間に合うよう、夜眠いのをガマンして一生懸命編んだ。
 だけど、肝心のバレンタインデー当日。マフラーを受け取った彼の反応は、
「えーっ、わざわざ手編み? ちょっと重いんだけど、そういうの」
 ショックだった。今までいちばん好きだった相手が、よりによってバレンタインデーの日に、一瞬にしてそうじゃなくなった。
「ご、ゴメンね。よけいなことしちゃって。やだよね、手編みなんて。また今度ちゃんとしたプレゼント渡すから!」
 精いっぱい笑顔を浮かべて、彼のために編んだはずのマフラーを返してもらい、ダッシュで家に帰って大泣きしたのを思い出す。
 そして、そのあとすぐに別れちゃったんだよね……。
「今なら、そのときの彼の気持ちも分からなくはないんだけど、当時は立ち直れないくらい悲しかったの。もうこんなマフラー捨てちゃおうと思ったんだけど、がんばって編んだから、もったいないやら、くやしいやらで、捨てられなくって」
「それでドンさんにあげたのか。でも、なにもこんなにマフラーぐるぐる巻きにすることなかったのに。これじゃドンさん忍者みたい」
「あはは! ホントだ、言われてみれば」
 二人して大笑い。
 不思議だな。あのときは、あんなに泣いてたのに、今はこうして笑えるなんて。
「手編みのマフラー、どうせならオレに編んでくれたらよかったのに。優月、オレには今までマフラーなんてくれたことなかったよな」
「えーっ、なによ急に?」
「いいじゃん、手作りのプレゼントってあこがれてんだ。大事に使うからさ」
「もうやだ、そんな根気ない。めんどくさーい♫」
 
 あれからもう、ずいぶん経つんだな。
 あのとき、よくやったよね。
 結果はズダボロだったけど、えらかったよ、私。

 アルバムの最後のページには高校卒業の日、まだ咲かない桜の木の下で、卒業証書を手にした私、お母さんにおじいちゃん、おばあちゃん。そしてドンさん。家族みんなで撮った写真。これが私とドンさんとの最後の一枚になった。
 それからまもなく私は大学進学のため地元を離れた。
「私が家を出たら、お母さんがさびしくなっちゃうでしょ? だから私の代わりにドンさんのことかわいがってあげてよ」
 なんて冗談ぽく言ったけど、ホントはドンさんを見るとついホームシックになっちゃうから、ドンさんには実家にいてもらうことにした。
 小さいころに、たまたまUFOキャッチャーで取ったちょっとユニークな顔のクマのぬいぐるみ。
 はじめはふわふわだった布地も、もうところどころ毛羽立ってクタクタ。
 縫い目からはちょくちょく糸がはみ出てる。他人から見たらボロボロだって笑われるかもしれないけど、それだけ長い間、ドンさんは『わが家のボス』として見守ってくれていたのだ。
「あぁ、なつかしかった。ドンさんの顔もしばらく見てないなぁ。たぶん今もリビングに飾られてると思うんだけど」
 私は満足してアルバムを閉じた。
 
 ドンさん、元気にしてるかなぁ。
 ぬいぐるみの体調気づかうなんて、おかしいって思われるかもしれないけど、私にとっては、今でもドンさんはずっとずっと家族の一員なんだ。

 引っ越しの片づけや、新生活に必要なもろもろの手続きを終わらせ、バタバタムードが少し落ち着いたころ、実家の母に電話をした。
「あら、電話なんてめずらしいわね。近ごろLINEばっかりだったのに」
「ふふふ、たまには声聞きたかったから」
 いろいろ近況を話し合ったあと、ふと母にたずねてみた。
「ねぇ、ドンさんってどうしてる? ほら、昔UFOキャッチャーで取った――」
「ドンさん? ドンさんなら、いないわよ」
「いない?」
 どういうこと? さすがに古くなってきたから捨てちゃったとか?
 まさか着なくなった服とかといっしょに、フリマアプリに出品されちゃったとか……。
 しかし、母の答えは私の予想をあっさり超えていた。
「ドンさん、今ちょっと旅に出てるのよ」
「旅に?」
 旅って……いったいどこへ?
 まったく事情がのみこめずパニックになっている私を、母はただふふふっと笑うだけ。
「まぁ、あせらずに待ってなさいよ。ずいぶん長旅になるみたいだから」

 それから、さらに月日は流れ、桜が咲きはじめたころ、私と光一くんは入籍の日を迎えた。この日は私の誕生日でもある。
「優月、誕生日おめでとう! そして、これからもどうぞ末永くよろしく!」
 バースデー&入籍祝いをやろう! と、光一くんがケーキを買ってきてくれた。
「わぁ、かわいい!」
 箱から出てきたのは、テディベアの顔をかたどったチョコレートケーキ。
「ちょっとドンさんに似てるだろ?」
 私はクスッと笑って、
「ドンさん、こんなかわいくなかったけどね。だけど、ドンさんホントどこに行っちゃったんだろう。ぬいぐるみが旅に出るなんて」
 すると、光一くんは私の顔をじっと見て、
「どこに行ったと思う?」
 えっ? キョトンとしている私に、光一くんは一枚のDVDを差し出した。
「せっかくだから、自分の目で確かめてみなよ」
 
 え? え? え? 
 私は光一くんに促されるまま、パソコンを起動しDVDを再生した。
「優月、久しぶり!」
 この声は……! 
 画面に映っているのは、ふたりの女性。ひとりは長い髪をひとまとめにくくったジャンパースカートの女の人。手には赤ちゃんをかわいい抱きしめてる。もうひとり、ショートヘアでスーツ姿の女の人が抱えているのは、あれ? あれ?
 ドンさん???
「優月、光一さん結婚おめでとうございまーす! ユカでっす!」
「優月、結婚おめでとう! 美由紀だよー。そしてこの子はひなた。女の子!」
 ユカリンと美由紀! わぁ、顔見るの何年ぶりだろう? 美由紀、子ども生まれたんだ。かわいいなー。
「優月、元気にしてる? あたしたちも地元でそれなりにがんばってるよ。今は忙しいと思うけど、絶対また会おうね!」
 ユカリンがぶんぶんとドンさんの手を振ってみせると、美由紀ちゃんがニコッと笑って言った。
「じゃー、次行ってみよう!」
 えっ、次?
 パッと画面が切り替わる。すると、そこは――うそ、ロンドン? 画面に映ってるのビッグ・ベンだよね?
「ハロー、優月。誰だか分かる?」
 わっ! びっくりした。千鳥格子のロングコートを着て、ショッキングピンクの髪を肩まで伸ばした女の人が、イギリスの兵隊さんのカッコしたドンさんをハグしてる。
 だけど、この人どこかで会ったことあるような――。
「キミだけの♫ ときめきの♫ オンステージ♫」
 女性がピンクの髪をなびかせて踊りはじめた。
 待って、この曲、この振りつけは――。
「MARSの『Your Dream』 ウソ、麗衣? 久しぶり!」
 学生時代から独自のファッションを貫いていたけど、さらに磨きがかかった感じ!
「You got it right! 大当たり~♫ あたし今、イギリスの服飾学校に留学してるの。優月、結婚? Congratulation! もっと早く教えてくれたら、あたしがウェディングドレス作ってあげたのに~」
……気持ちはうれしいけど、麗衣がデザインしたドレスなら、きっとすっごく派手になりそうな気がする。私に似合うかな? かなり心配。
「あたしが日本に帰国したとき、またいっしょに遊びましょ♪ See Ya! 優月、Bon Voyage、ドン♪」
 麗衣がドンさんにキスすると、今度は別のなつかしい顔があらわれた。
 高校のときのクラスメイト、今北海道にいるんだ。うわぁ、ドンさんってば牛の着ぐるみ。 次は、大学のサークルの後輩! へー、大阪で仕事してるの。あはは、ドンさん漫才師みたいな赤いタキシード着てる。
 すごい、すごーい! 
 北から南、西から東、日本から世界にまで飛び出してドンさんが私の友だちのメッセージを届けてくれている。
 そっか、旅に出てるって、そういうこと……!
「このところ感染症流行のせいでいろいろ行き来できない状況だったけど、ぬいぐるみなら大丈夫だろ? だから、ドンさんを見込んで、優月へのお祝いメッセージを集めることにしたんだ」
「これ、光一くんのアイデアだったの? もー、そ知らぬフリして、うちの母とグルになってたのね」
 ジロッと光一くんをにらみつけると、光一くんはたちまちうろたえて、
「ご、ごめんっ。入籍する記念に、サプライズでなにか優月にしてあげられないかって、前からいろいろお義母さんと相談してたんだ。気に入らなかった?」
 と、くりっとした目で私を見つめた。
「ううん! すっごくうれしい。いい記念になったよ」
「それでね、優月。このビデオレターにはもう少し続きがあるんだ」
 続き? でも、会いたかった友だちの顔はもうみんな映ってた気がするけど……。
 不思議に思いながら続きを見ると、銀色のツナギを着たドンさんが映った。
「あれっ?」
 ドンさんを抱えているのは、見知らぬ男の人。年は五十代くらいかな。ちょっと緊張したオ面持ちでカメラに向かってる。肩のところに日本の国旗がついた青いジャケットと、パンツ姿で。このひと、いったい誰だろう?
 でも、最近どこかで観たことがあるような――。
「はじめまして、星野 流司です」
 画面の中の人物が名乗った。星野……星野……聞き覚えのない名前。
「光一くん、そして優月……さん。ご結婚おめでとうございます」
 星野さんは深々とおじぎをした後、静かに語りはじめた。
「優月……空に輝く月のように優しく、おおらかな女性に育つようにと願いをこめて名付けてから、もう二十五年もたったんですね」
 
 えぇっ?
 今……なんて?
「私が自分の夢を追いかけるあまり、君たち親子とは別の人生を歩むようになったこと、さぞ怒っているでしょう」
 心臓がドキン、と大きな音を立てる。
 この人、まさか……! 
「優月、今まで父親らしいこと、なにもしてやれなくてすまない。せめて私が長年夢見た景色を君たちにプレゼントさせてほしい」
「お父さん!」
 そこでメッセージはプツリと切れた。
 うそっ! 伝えたかったこと、たったこれだけ!?
「なによ、一方的にしゃべるだけしゃべって勝手に終わっちゃうなんて!」
 ドラマみたいに感動の再会になんてならないことは分かってたけど、こんなにあっけない再会の仕方ってある?
「優月、テレビつけてみよう」
 突然のことに、頭のなかがごちゃごちゃになっている私の肩を光一くんがたたいた。
「テレビ?」
「時間に遅れが出てなかったら、ちょうど今くらいが出発のはずだ」
 出発って? 私はドキドキしながら、テレビの電源を入れた。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、イグニッション!」
 画面は真夜中。カウントダウンとともに、一機の有人宇宙船が轟音とともに打ち上がった。
「有人宇宙船『ダイアナ』、たった今、星野宇宙飛行士をはじめとするクルー五名を乗せて、宇宙へと飛び立ちました! 星野宇宙飛行士にとってはこれが初の宇宙船搭乗となります」
 星野宇宙飛行士? 
 そうだ、どこかで見たことあると思った。
 お父さん、宇宙飛行士だったんだ!
 
 夢を追いかけてるって言ってたけど、まさかこんなに壮大な夢を実現させたなんて。
 やがて『ダイアナ』は大気圏を突入し、広大な宇宙に到着した。
「わぁ……」
 テレビ画面には、『ダイアナ』から見た宇宙が映し出されている。銀と白のマーブル模様の巨大な月の影。これがお父さんが長年夢見た景色なんだ。
「星野宇宙飛行士、打ち上げ成功おめでとうございます。今、この喜びをどなたに伝えたいですか?」
 女性アナウンサーが質問すると、パッと画面が船内に切り替わった。そこには、お父さんと、仲間の宇宙飛行士、そして、えーっ? 
 そばでフヨフヨ浮いてるのってドンさん?
 ドンさん、宇宙まで行っちゃったの?
「娘です。このごろ入籍したそうで、遠い未来の話になるかもしれませんが、将来娘夫婦をこの宇宙に連れて行ってあげるのが、私の今の夢です」
 少し照れているお父さんのそばに、ドンさんがまるで相棒のように付き添っている。
 なによ……突然あらわれたくせに急にお父さんらしいこと言い出しちゃって。
 だけど不思議。なぜか怒りは湧いてこない。
 
 テレビ越しにはじめて出会った実のお父さん。
 そして、ずっと私のそばにいた父親がわりのドンさんが出会い、今も私のことを見守ってくれている。
 気持ちがふわっとあたたかくなり、いつの間にか画面は涙でにじんでいた。
「ハネムーンが宇宙旅行ってのも悪くないよね」
 光一くんがニヤリと笑った。私はとたんに涙をぬぐう。
「バカね、気が早いんだから! 宇宙に行けるなんて、いつになるか分からないよ? だいたい、そのときには、私おばあちゃんになってるかもしれないし」
 すると、光一くんは私の手をギュッと握った。
「じゃあ、それまでお互い元気に長生きしないとな」
「……そうだね」
 私も光一くんの手をしっかりと握り返した。
 
 この先なにが待ち受けているか分からないけど、いつか家族みんなで宇宙旅行に行けるようになるのかな?
 私と光一くん、それからやがて生まれてくるかもしれない子供たち。それにおたがいの両親。
 もしお父さんと宇宙で再会することができたら、そのときはじっくり話をしよう。
 子どものときのこと、学生時代のこと。お母さんのこと、光一くんのこと、大人になった今の私のこと。
 話したいことがたくさんある。宇宙で流れる時間は地球よりもゆっくりだというから、きっと落ち着いて話すことができると思う。
 再会した家族、新しい家族とともにこれからもたくさん楽しい思い出を作っていくんだ。
 そのときは、もちろん、あなたもいっしょだよ。ドンさん!
 

 おわり