「ん……あ、あれ。私、寝ちゃってた?」
三角山の展望台。草むらに敷いたレジャーシートの上。
瞼を開いたサオリンは、ゆっくりと身体を起こした。
「うん。きっと疲れてたんじゃないかな。なんか飲む? 麦茶あるよ」
「ああ、ありがとう……」
サオリンはまだ意識がはっきりとしていない様子のまま、私の差し出したコップを受け取った。きっとイービルに囚われてしまった事も覚えてはいないだろう。
でも、きっとその方がいい。
イービルがいなくなった事で、この場に立ち込めていた暗雲は去り、辺りは陽に満ちている。絶好のピクニック日和だ。
「アリサちゃんもどうぞ」
シートの上にちょん、と座るアリサちゃんに麦茶の入ったコップを手渡す。彼女は無言のまま、それを受け取った。つぶらな瞳は、私ではなく、何もない空間へとぼーっと向けられていた。
得体のしれない存在、イービルを目にした彼女は、泣くでもなく、取り乱すでもなく、ずっと私の側についていてくれた。
こちらが考えている以上に肝が据わった子なのだ。学校を休みがちだ、と聞いていたけれど、きっとこの子は大丈夫だろう。
私はなんとなくそう思った。
麦茶を喉に流し込み、空を仰ぐ。遮蔽物のない山頂の展望台には心地よい風が吹き抜けていた。目を閉じ、肌で感じる。
心地いい。
凝り固まっていた何かが、ゆっくりと解れていくような気分だった。
最後のロリポップはもうこの手にない。
長い間、私を心を支え続けていたお守りは、最後の輝きを放ち、光の粒となって消えた。
けれど、これでいい。
これでよかったのだ。
むしろ、最後のロリポップを大切に持ち続けてきたのはこのためだったのだと、私は不思議と納得ができていた。
展望台からの景色を楽しみながら、私たちはバスケットの中身を広げた。サンドイッチに卵焼き、色とりどりのおかず。お腹が空いていたのか、アリサちゃんはキラキラと目を輝かせて、次々にお弁当を食べてくれた。私とサオリンは、そんなアリサちゃんの姿を目にして、自然に微笑みあっていた。
私たちは他愛もないおしゃべりに花を咲かせた。時間はあっという間に過ぎ、気が付けばバスケットも空になっていた。
「それじゃあそろそろ帰ろっか」
腕の時計を確認し、サオリンが立ち上がる。
広げた食器やレジャーシートを片付けていると、誰かが私の服の裾を引っ張った。
振り返るとそこにはアリサちゃんがいた。
「どうしたの?」
アリサちゃんは少し俯きながら、呟くように小さな声を発した。
「……ありがとう、だって」
「……え?」
初めてアリサちゃんが話しかけてくれた事に小さな感動を覚えながら、私はもう一度聴きなおした。
「忘れないでいてくれてありがとう、だって。伝えてほしいって、言われたから」
「えっと……誰にかな?」
アリサちゃんの指は、何もない空間に向けられていた。そこには何もない。大人の私には何も見えない。
「くるみちゃんが忘れないでいてくれたから、またここに来れたんだ、って。守る事ができたんだって、あの子が言うから」
アリサちゃんの真っ直ぐな瞳が私を見つめている。
私と、その傍にいる「あの子」の事を。
私には、もう見えない。
声も聴こえない。
けれど、ポプリンは確かにそこにいた。
私の頬を、熱い涙が伝っていった。