涙は勝手に(あふ)れるが、今は泣いている場合ではない。ムーシュの命がかかっているのだ。

 涙でぼやける視界を押しのけ、蒼は思考を巡らせた。きっとムーシュは遠くへはいっていないはずだ。であれば……。

 蒼は大きく息を吸うと水中へと潜り、鑑定スキルをあちこちに乱発してみる。水中に揺らめく微かな濃淡すべてに執念深く鑑定をかけていった。

 しかし表示されるのは倒木や水草ばかり。ムーシュの反応はなかった。

 一旦水面に戻る蒼。

「チクショー!」

 悪態をつくと再度深呼吸をして平泳ぎをしながら探索範囲を広げていく。

『早く見つけないと……』

 早鐘を打つ鼓動を感じながら蒼は目を凝らして探し回る。

 すると水底で一瞬何かがキラリと輝きを放った――――。

『ん? なんだあれ……?』

 蒼は急いで鑑定をかけ、結果に呆然と凍りついた。

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Lv.25 アビス・ピラニア
種族 :魚類魔物
性質 :どう猛な肉食
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 なんと、ここには危険な魔物が潜んでいたのだ。よく見ればさらに奥の方にもキラキラと無数のピラニアの(ウロコ)が煌めいているのが見えた。

 ピラニアが興奮しながら何かを襲っている……。ムーシュだ。ムーシュが襲われているに違いない。

 ムーシュが食べられている悲惨な瞬間をイメージしてしまった蒼は、骨の髄まで冷える恐怖に押しつぶされそうになりながら、あわててスキルを放った。

「ピラニア死ねDeath(デス)!」

 直後、紫色の光が湖底に無数に煌めき、やがて静かに水の色に溶けていった。

 ムーシュは無事だろうか? 蒼ははやる気持ちを押さえながら一旦息を吸いに水面に戻る。

 大きく息を吸って、覚悟を決め、ピラニアが群れていたところへと一気に潜っていった。

『今行くよ! ムーシュぅ!』

 ルシファーの部隊を倒した蒼のスキルはすでに二百を超えており、幼女の身体でも苦も無く潜っていけるようになっていたのだ。

 どんどんと深く潜っていくと、奥の方でピンク色の髪の毛がユラリと揺れた。

『ム、ムーシュぅ……』

 消えていないということはまだ生きている証拠。蒼はホッとしつつも、予断を許さない状況に震える手で必死に水をかいた。

 見ると翼がほとんど食いちぎられてなくなっていたが、身体は無事のようだった。

 蒼はムーシュの腕をつかむと一気に水面まで引き上げる――――。

 しかし、水上に顔を上げてもムーシュはピクリとも動かず、美しい顔立ちは死神が触れたかのように白く霞み、まるで命の炎が消えたかのようだった。

「マズい……マズいぞ……」

 焦る蒼。悪魔と言えど呼吸しなければ死んでしまうだろう。となると人工呼吸だが……。

「うぅっ、ファーストキスが人命救助……」

 テンパる心を抑えるべく、蒼はあえて冗談めいた言葉を放つと、大きく息を吸った。そして覚悟を決めるとムーシュの甘美な唇に自分の唇を重ねた。その柔らかな触感につい赤くなってしまう蒼であったが、雑念を振り払い、唇の間から息を注いでいく――――。

 ゲホッゲホッ!

 何度かの人工呼吸で、息を吹き返すムーシュ。しかし、やけどの方は重傷で、うつろな目で苦しそうにあえぐばかりだった。

 蒼は湖畔までムーシュを運ぶと小石の浜にムーシュを横たえる。何か治療に使えそうなものがないかとマジックバッグの中を漁ったが、雑貨や衣服ばかりで役に立ちそうになかった。

「くぅ! どうしたら……」

 マジックバックを叩きつけ、頭を抱える蒼。

「ぬ、主様……」

 ムーシュの声がして振り返ると、弱り切ったムーシュが苦しそうに蒼に手を伸ばしている。蒼はその痛々しい姿に涙ぐみながらその手を取った。

 刹那、虹色の光がふわっと二人をつつみこむ。

 えっ!?

 驚く間にもキラキラとした黄金の微粒子が体にまとわりついてきて、まるで天使の羽に触れているかのような心地よさをもたらした。

 見ればムーシュのやけどにも黄金の微粒子が集まってきて、徐々に良くなっていっている。きっとこれがムーシュのスキル【(きずな)のヴェール】なのだろう。結界の中では癒しの効果が効いていて、ケガなども治療されていくみたいだった。

 恍惚な表情を浮かべながら癒されていくムーシュを見て、蒼はホッとする。この危険で不確かな世界における唯一の仲間ムーシュ。失いかけた彼女を救えた喜びに、蒼は思わず涙がこぼれ、ムーシュの手を熱く強く握り締めた。

 やがてヴェールは薄れて消えていき、ムーシュはぱたりと浜に倒れ、寝入っていく。

 背中を見ると真っ赤に焼けただれていた肌はかなり改善し、少なくとも命にかかわる状態は脱したようだった。

 蒼は布を張って簡易なテントを作ると自分もムーシュの隣に横たわる。

 スースーと寝息を立てるムーシュの寝顔を眺めながら、こんなひどい目に遭わせた魔王軍の容赦ない仕打ちに蒼はだんだん腹が立ってきた。

 自分一人を殺すため、森全体を焼き払おうとした頭オカシイ魔王軍。放っておいたらまた同じ攻撃をしてこないとも限らないし、なんとしてもやり返さないと気が済まなかった。

 であればどうする……?

 ここで蒼はふと、悪魔的な手段を思いつく。

『【あの攻撃をした奴をDeath】って効くのだろうか?』

 名前も分からない、どこにいるかもわからない、でももしかしたら一意に特定できる相手なら殺せるのかもしれない?

 蒼は目を細め、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。