星々がきらめく宇宙の果て、太陽系の辺境に静かに浮かぶ深い碧の宝石、海王星。それはガスで構成された地球の4倍の大きさの美しい碧色の惑星だった。内部は全てが凍りつく氷点下二百度の世界であり、ダイヤモンド粒の嵐が吹き荒れている。この極寒の深淵に、地球を創造し運命を司る壮大なるシステム【ジグラート】が無数運用されていた。

 その秘密めいた構造物は、一つ一つが一キロメートルもの巨大さで、漆黒の直方体としてそびえ立つ。壁面の継ぎ目からは、幽冥(ゆうめい)の世界の灯火かのように、幻想的な青い光が溢れ出ており、古代の神々が造り上げた神秘に満ちている。

 太陽のそばで生み出された電力は何時間もかけてジグラートにまで送られ、その莫大なエネルギーが奇跡のように無数の光コンピューターを駆動し、夢幻のように命を紡ぎ、街、世界を生み出していた。

 その神秘的な碧い惑星の衛星軌道を優雅に漂うのは女神の神殿、長さ数十キロにも及ぶ、氷の結晶から創られた細長い巨大なひし形の構造物であった。この驚異的な構造物は、一片の気泡も含まず、極限まで透明に磨き上げられた純粋な氷から成り立ち、サファイアのような青のニュアンスをはらんでいる。その面々は繊細に彫り上げられ、無数の切り込みから放たれる光が互いに反射し合い、まるで内側から無数の星が輝くかのような壮麗さを放っていた。

 後方の尖ったところは宇宙港であり、そこには星々を渡る巨大な貨物船がいくつも接舷(せつげん)され、ジグラートの維持に不可欠な資材を満載している。

 巨大な氷結晶の中心部には直径数百メートルの円筒状の空洞があり、それが細長く回転軸に沿って数キロ続いていた。スペースコロニーとも言うべきこの回転する世界には、息をのむような建築美が凝縮された建物が立ち並び、数千の選ばれし者たちがその中で地球を管理しながら生活を営んでいる。

 公園の区画では人工的ながらも美しい森が広がり、手入れされた緑の樹々が生い茂り、清らかな小川が蛇行しながら流れていた。空中を漂う雲のような、柔らかく光る照明が、この空間を神秘的な輝きで満たし、森の中を歩けば、種々様々な植物の香りに包まれ、四季の移ろいさえも感じることができる。それは衛星軌道上にいることを忘れてしまうほどの穏やかで快適な空間だった。

 そんな穏やかな神殿がにわかに騒がしくなる。

 水瓶宮(アクエリアス)からゲートを使って逃げてきた乗組員を追いかけて影も入ってきてしまったからだ。

 影はゲートを抜けると、森の向こうにそびえ立つ御影石でできた壮麗な高層構造物に目を奪われる。

 きゃはっ!

 楽しそうに笑った影は構造物にまで駆けると、分厚いグレーの御影(みかげ)石の壁をすり抜け、構造物へと入っていく。それは、神殿のコアとも言うべき機密区画(クロニクルゾーン)だった。

 機密の聖域とも呼ぶべき《クロニクルゾーン》は、一歩足を踏み入れると、巨大外資IT企業のオフィスを思わせる、ゆったりとしながらも緊張感の漂う空間が広がっていた。パーティションで個室に区切られた空間には、微かな光が幻想的に舞い、神殿のスタッフたちは幻影のような巨大スクリーンを操りながら、無数の地球のリソースを巧みに管理する。

 この壮大なシステムが稼働し始めてから既に六十万年が経過し、その間に管理下にある地球は一万個を超える規模へと膨れ上がった。それぞれの地球は独自の進化を遂げ、壮大で興味深い物語を紡ぎだしていく。だが、一つの地球にそれこそ何十億の人が暮らしているのだ。それらが円滑に動くためには膨大な保守管理が必要である。そのほとんどはAIが自動的に処理しているが、それでもイレギュラーな事態やプロジェクトの本質にかかわる判断には、女神の意向を受けた数百人に及ぶスタッフの手腕が必要だった。

 そんな神殿の中枢部に影は侵入してしまう。

 リフレッシュスペースでコーヒーを飲みながら歓談しているスタッフたちの足元をすり抜け、ものすごい速度で駆け抜けていく影。

 きゃははは!

 影は奇声を上げながらパーティションをなぎ倒し、コーヒーサーバーを粗暴に打ち砕き、観葉植物を乱暴に転がした。

 キャーー! うわぁぁ! な、なんだ!?

 いきなりのアンノウンの侵入にスタッフたちはパニックに陥った。彼らは悲鳴を上げながら逃げ惑い、混沌が機密区画(クロニクルゾーン)を蹂躙した。これまで数十万年にわたって厳重に守られ、侵されることのなかった聖域が、今、未知の脅威に晒されていたのだ。

 影はテーブルの一つの上にトンと跳び乗ると、目の前に広がる巨大な画面に目を奪われる。そこに映し出されているのは、東京の煌びやかな夜景、ニューヨークの休むことを知らない街、ロンドンの霧に濡れた古い石畳、そして北京の古き良き街角の喧騒。それぞれの都市の息吹が画面からあふれ出していた。

 幻惑されたように映像を凝視していた影だったが、くびを傾げ、映像に腕を伸ばすとポツリとつぶやいた。

Death(デス)?」

 刹那、全世界の八十億人の人たちが紫色の光に包まれ、一斉に崩れ落ちる――――。

 それは、一切の傷跡も残さず、全人類がこの世界から抹殺されるという、想像を超えた壮絶な光景であった。

 教室で手を挙げる子供たち、電車の中で揺られる乗客たち、自転車に跨る通勤者たち、全てが糸の切れた操り人形のようにガックリと崩れ落ちる。雑踏が途切れ、人の流れは静かに凍りつき、街の活気が突然、宙に消えた。

 高速道路上で、車が一台、また一台と無慈悲にも壁に叩きつけられる。金属が歪む悲鳴、ガラスの破裂する音、後続車が絶望的な連鎖反応で追突し、炎が天へと舞い上がる。その業火に染まった空の下、着陸進入中の飛行機がコントロールを失い、まるで引き寄せられるように高層ビルに突入。ビルをへし折りながら大爆発を起こす。

 駅や商業施設ではエスカレーターの降り口に死体が積み重なり、電車は死体を乗せたまま駅を通過し続けた。それはまるで悪趣味な現代アートのように悪夢を振りまいていく。

 TVのニュースではキャスターが崩れ落ち、無音のままの放送が続き、サッカーの試合ではピクリとも動かない選手、死体の折り重なる観客席をただ流していた。

 八十億人が躍動していた奇跡の星はこの瞬間、全ての輝きを失ってしまう。

 あんなに活気のあった街はただ警報音と犬やカラスの異常な鳴き声、時折上がる爆発の地獄の空間と化し、まさにアポカリプスがやってきてしまった。