翌朝、蒼は黙々と朝食を口に運びながら、思索に沈んでいた――――。

「ぬ、主様……、お茶要ります?」

 ムーシュが恐る恐る声をかけると、蒼は覚悟を決めた目でムーシュを見あげた。

「おい、魔王城へ行くぞ」

「えっ! ついに魔王になられるんですか?」

 ムーシュは真紅の目をキラキラと輝かせる。

「違う違う、情報収集だ。天使がムーシュの翼を治したってことは『どこかへ飛んで行け』ってことだろ? ムーシュが飛んでいけるところで一番怪しいのは魔王城じゃないか」

「まぁ……、そうですね? でも、せっかく行くなら魔王になりましょうよぉ」

 ムーシュは蒼の手を取って説得にかかる。

「あのな? 僕らには時間が無いの! 日々小さくなってるんだぞ。そんなことやってる時間なんてある訳ないだろ!」

「そ、そうでしたね……」

「食べ終わったらすぐに発つぞ」

「えっ! そんなにすぐ?」

「何か問題でも? あっ、お前魔人に追われているんだっけ?」

 蒼がお茶を飲みながら聞くと、ムーシュはもじもじしながら上目づかいで蒼を見る。

「あ、えーと……。こういうとアレなんですけど、あたしは魔王城だと無能の落ちこぼれ。誰も上級魔人を殺せるなんて思ってないので、すぐに潔白だと分かっちゃうんです……。だからそれは大丈夫」

「じゃあ何だ?」

「人気のお店のアップルパイをまだ食べてなかったので……」

 ムーシュはペロッと舌を出した。

「……。即時出発! いいね?」

 蒼はムーシュをビシッと指さし、鋭い眼差しで(やいば)のように彼女を貫いた。

「アイアイサー!」

 ムーシュはブルっと震えると焦って敬礼した。


      ◇


 魔物狩りを装って荷馬車で近くの森まで乗せてもらった二人は、鬱蒼とした森の中へと入っていく。静寂が二人をやさしく包み込み、蒼は両手を広げると胸いっぱいに森の空気を吸い込んだ。

「ふぅ……。じゃあひとっ飛びヨロシク!」

 蒼はムーシュに両手を伸ばした。

「はいはい、ムーシュは頑張りますよぉ……」

 ムーシュは気乗りのしない声で蒼を抱き上げる。

「なんだ? 魔王城に帰りたくないのか?」

「……。せっかくSランク冒険者になったのに、魔王城に戻ったら無能の役立たず扱いなんですよねぇ」

天声の羅針盤(ホーリーコンパス)覚えたじゃないか」

「いつどうやって覚えたのかとか、また面倒くさいんですよぉ。しばらくは秘密にしておかないと……。はぁ……」

 ムーシュは、翼を広げ、一瞬の静寂の後、力強いはばたきで森の静寂を切り裂く。次の瞬間、ふわっと舞い上がると、森の密集した木々の間を縫うように天へと飛びぬけていった。

 (まぶ)しい青空には美味しそうな白い雲が浮かび、その影が美しいパッチワークを森に描き出す。爽快な風が軽やかに駆け抜け、鳥たちの優雅な舞と共に、自然の調べを奏でている。

「うーん、気持ちいいね」

 蒼はブロンドをキラキラと陽の光に輝かせながら、久しぶりの空を舞う感触を全身で味わう。

「あのー、なんか軽々と飛べちゃうんですケド?」

 ムーシュは翼を元気にはばたかせながら首を傾げる。

「だってお前、かなりレベルあがってるんだよ。FランクがCランクくらいまでには成長してる」

「えっ! そんなに!? じゃあ、どこまで速く飛べるか試してみますね」

 ムーシュは力強く羽ばたき、グッと高度を上げていく。

「うわぁ、長旅なんだから無理しちゃダメだって!」

「大丈夫ですって! いっきますよぉ!」

 ムーシュはキュッと口を結ぶと翼にグッと魔力を込める。直後、翼は紫色の輝きに包まれ速度が一気に上がっていく。

「そいやーっ!」

「うわぁぁぁ!」

 こうして、二人は新しい希望を胸に秘め、一路、霞む地平線の先、魔王城目がけて翼を広げ、飛んでいった。残された時間はもう残り少ない。果たして天使の目論見通り蒼は世界を救えるのだろうか? はるかかなた上空の水瓶宮(アクエリアス)では碧い髪の大天使シアンがそんな二人の様子を追いかけていた。彼女の碧い瞳は神秘と知恵に満ち、その切なくも力強い眼差しは、地上の二人に寄り添うように静かに注がれていた。