翌朝――――。

 ムーシュの荒々しい寝返りに何度もたたかれて寝不足気味の蒼は、大あくびをしながら食堂に降りてきた。

「おまえさぁ、明日は床で寝ろよ。ふぁーあ」

「え――――っ! 主様、そりゃないですよぉ……」

「じゃあ、手を縛っとけ!」

「あら、主様、そんな趣味が……、くふふふ。はい、お椅子に乗りましょうね」

 ムーシュは蒼をひょいと持ち上げた。

「幼女に趣味も何もないわ!」

 ムッとする蒼だったが、ムーシュは首をかしげながら蒼を空中で揺り動かしている。

「な、なんだよ……?」

「主様……、軽くなってません?」

 蒼の心臓が一瞬、跳ね上がる。彼の頭に浮かんだのは、忌々しい呪い【原点回帰】だった。

「いいから! 朝食にするよ!」

 蒼は早鐘を打つ鼓動を感じながら強引に席に着くと、気持ちを落ち着けようとパンをかじる。しかし、固いパンをうまく噛めないことに気がついた。

 えっ……?

 蒼は慌てて奥歯を触ってみる。しかし、昨日まであった奥歯がそこにはなかった。

 蒼は目の前が真っ暗になる。若返りの呪縛が予想をはるかに超える速さで身体を蝕んでいたのだ。このままでは、季節が変わる前に終わりを迎えるかもしれない。

「ぬ、主様……。だ、大丈夫……ですか?」

 顔をのぞきこんでくるムーシュのまなざしには、言葉にできないほどの心配が浮かんでいる。

 蒼はパンをテーブルに放り出し、冷たく固まった表情で首を振った。

「ムーシュ……。僕が死んだらお前はどうなる?」

「えっえっ!? そんなこと言わないでくださいよぉ。主様死んだら奴隷も死にます。ムーシュも終わりです……」

 悲しみの重さに耐えかねて、ムーシュの頭は自然と下がった。

「なら、解呪を急げ。残された時間は多くはなさそうだ……」

 蒼はモミジのような手で静かに頭を抱え、(まぶた)を重く閉じる。心の闇から湧き上がる死の(ささや)きに耳を(ふさ)ぎながら、繰り返し深呼吸を重ね、ギリギリのところで自分を保っていた。


       ◇ 


 昼過ぎに馬車で迎えが来て、二人はギルドマスターとともに王国の宮殿に(おもむ)いた。

 Sランク冒険者のお祝いに国からもらえる報奨で、何としてでも解呪の魔道具を手に入れねばならない。蒼はキュッと口を結んだ。

 やがて宮殿が見えてくる。街の中心にひときわ高くそびえる大理石造りの豪奢なバロック建築には、城門と同じように魔法仕掛けの動く彫刻が施されていた。勇者が高々と剣を掲げ辺りを睥睨(へいげい)している。

「見事なものだねぇ……」

 ムーシュに抱きかかえられながら馬車を降りた蒼は、その勇壮な彫刻に見入った。

「魔王城の方が立派ですよ!」

 ムーシュは少し不機嫌にキュッと蒼を抱きしめた。


       ◇


「新Sランク冒険者とはお主か?」

 宮殿の壮麗な謁見室、金と宝石で飾られた玉座に座る国王は、ブラウンの見事なあごひげをなでながら、食い入るようにムーシュを見つめていた。

 ムーシュはギルドから借りた白いジャケット、蒼は青いワンピースで正装している。

 十数年ぶりに現れた街の英雄、Sランク冒険者の姿を見ようと謁見室には貴族をはじめ多くの関係者が詰めかけ、期待と興奮が渦巻いていた。

「偉大なる太陽にご挨拶申し上げます。この度、Sランクと評価いただきました」

 ムーシュは蒼を脇に置き、大勢の視線が集まる中うやうやしく挨拶をした。しかし、魔人のムーシュにとって、宿敵である人間界の中枢で注目を浴びることは心中穏やかでない。魔人だとバレれば次の瞬間弓で射殺されていてもおかしくないのだ。

 集まった貴族たちはどう見ても強そうには見えない小娘の登場にどよめく。ムーシュには強者の持つオーラも気迫も何も無かったのだ。

「上級魔人を瞬殺した……と、聞いたが……。その割にはなんかこう……」

 国王はただの町娘にしか見えないムーシュに困惑する。

「陛下、こんな小娘にSランクとは何かの間違いでしょう!」

 横に控えていた騎士団長がたまらず声を上げた。

「うーむ、これはどうしたことじゃ?」

 国王はけげんそうな顔で推薦者のギルドマスターの方を向く。

「失礼ながら申し上げます。私も彼女がSランクだなんてとても信じられませんでした。しかし、私の目の前でSランクの魔人を瞬殺したのです。Sランクを瞬殺できるのはSSランク、実力的にはSSランクと言えます」

 ギルドマスターは胸に手を当て、まっすぐな目で国王に訴えた。

「はっ! それは見間違いでしょう?」

 騎士団長は鼻で笑う。

「失礼な! 現に魔人の攻撃で屋敷が吹き飛んだことは騎士の皆さんも確認済みでしょう? 魔人襲来という街の危機を救ったのは彼女ですよ? 愚弄(ぐろう)するのは止めなさい!」

 騎士団長とギルドマスターはお互い譲らず、にらみ合って火花を飛ばす。

「なら今、模擬試合をすればよいじゃろ? ムーシュとやら、それでいいな?」

 国王は有無を言わせぬ迫力で、ムーシュの顔をのぞきこむように言った。