「おほぉ……」

 ムーシュは目を真ん丸に開き、その(おごそ)かな叡智がぎゅっと凝縮された魔導書に見惚れた。

 ニヤッと笑う老婆。

「金貨千枚でどうじゃ?」

「千枚!?」

 千枚というのは日本円にしたら一億円くらい。本物だとしても払えるような金額ではない。

「この魔法は役に立つぞえ?」

「そうは言っても千枚は……」

 ムーシュは蒼の顔をのぞきこんでテレパシーを飛ばす。

『主様、これは探索系では最上位の便利な魔法ですよ。普通は覚えられません』

 本来魔法とは低ランクの魔法を繰り返し使うことによって徐々に上位の魔法が使えるようになっていくものだが、最上位となると賢者でもない限り事実上修得は無理だった。それが魔導書を使えば一気に覚えることができるのだ。

『ほう!? とはいえ千枚はなぁ……』

『いくらまでなら出していいですか?』

『うーん……。五百枚まで?』

 蒼は眉間にしわを寄せながら小首をかしげる。さっき受け取った金貨が約七百枚。どんなに便利な魔道具でも今後のためのお金は残しておかねばならない。

 ムーシュはニコッと笑うと、マジックバッグから金貨をつかんで老婆の前にジャラジャラと積み上げていった。

「いくらなんでも千枚は……。三百がいいところ……では?」

 老婆の顔を挑戦的にのぞきこむムーシュ。

「三百ぅ? それじゃこの話は無かった事に……」

 ため息をつき、老婆は箱のふたを閉め、カギをかける。

「ちょっ、ちょっと待って……」

 ムーシュは大きく息をつき店内を見渡す。

 店内は不思議なヒリヒリとするオーラで溢れており、奇怪な品々が隅々まで積み上げられている。そんな中、リザードマンの革で繊細に作られた杖だけが、まるで芸術品のように美しく飾られていた。魔物も生きた状態で皮を少し()いで時間が経てば消えることはなかったのだ。

「ふふっ、じゃあ、これでどう?」

 ムーシュはエメラルドのように深緑に輝く魔石をコトっとテーブルに出した。魔石は机にぶつかった衝撃でパリッとその表面にスパークを走らせる。

「へっ!? こ、この輝き……。ま、まさかこれは……」

 老婆は震える手でそっと魔石をなでる。

 それはルシファーの部下、リザードマンが進化したドラゴニウス・リザードのものだった。

「この世には二つとない逸品よ。金貨千枚以上の価値があると思うわ」

 ドヤ顔で老婆の顔をのぞきこむムーシュ。

「そ、そりゃあそうじゃ。こんな貴重なもの初めて見たぞい……。なぜお前さんがこんなものを?」

「私が倒したのよ」

 ドヤ顔で調子に乗るムーシュ。

『おい! 余計なことは言うなよ!』

 蒼はピシッとムーシュの腕をはたく。

「倒したぁ? あんたが……? どうやって?」

 老婆は疑いの目つきでムーシュの全身をなめるように見た。

「誰でも自由に殺せる力があったら……。おばあさんは誰を殺します?」

 蒼は無言でムーシュの脇腹をつねる。

 つぅ……。

 ムーシュは蒼を抱きかかえなおし、蒼はムッとした顔でムーシュをにらむ。

「誰でも殺せる? あんたそんな夢みたいな力持ってんのかい? はっはっは。こりゃ傑作だ。そうさなぁ、貴族連中みんなぶっ殺してよ。あいつら特権階級で好き放題やりおってからに……」

 老婆は積年の恨みを隠すことなく奥歯をギリッと鳴らした。

「なるほど、貴族ですかぁ」

「あー、それとあいつじゃな。ドラゴン赫焔王(かくえんおう)。あいつが出てきたら世界は終わってしまう。殺せるならそいつじゃな」

「か、赫焔王(かくえんおう)?」

「何じゃ、知らんのか? カーッ! これじゃから若いもんは……。わしが若いころに大暴れしたドラゴンでな、それこそ大陸中火の海になりかけとったんじゃ。それを魔王が極北の氷の山、凍翼山(とうよくざん)に封印したんじゃ」

「あぁ、そう言えば……。うちのおばあちゃんも言ってました。魔王様は偉大だって」

「偉大? まぁ、赫焔王(かくえんおう)について言えばそうじゃろうな。魔王が生きている間は安泰じゃからな。カッカッカ!」

「えっ!? 魔王が死んだら……?」

「そりゃ、封印が解けてまた大陸が火の海に沈みかねんよ。まぁ、魔王はそう簡単に死なんから安心しな。カッカッカ!」

 老婆は楽しそうに笑うが、蒼は真っ青になってムーシュを見る。

『もしかして……、ヤバい?』

 ムーシュは眉をひそめ、黙り込んだ。もう何十年も前に魔王が封印した暴れ龍。そんなことなど魔王城の連中はすっかり忘れているに違いない。

『でも、主様がいれば安泰ですよ!』

 知らぬ間に蒼が開けてしまっていた地獄の釜の蓋。果たしてそれがどういう結果になるのか不安を隠しきれずにいる蒼を、ムーシュが温かい胸で優しく包み込んだ。