イ、きみはどこから来たんだい?」
「ここからずっと、遠くの町から」
「一人でここまで?」
「ええ。田舎に憧れていたの」
「はは、確かにここは何にもない田舎だね」
「広々としていて、長閑で、とてもいいと思うわ」
「気に入ってくれたなら何よりだ。……けれどきみのご家族は、きみがこんな田舎に居ることを知っているのかい?」
「……」

 数日と経たず冬を迎え、雪が田畑一面を覆う様は、真新しいキャンバスのようだ。
 僕にとって、冬はしんしんと降り積もる雪の音を聴きながら一人小屋に籠り描く、孤独の季節だった。

「レイ。好きな色はあるかい?」
「好きな……?」
「ああ。絵はね、自由なんだ。きみが今白い服を着ていたとして、絵の中では赤い服を着せることだって出来る」
「……自由……そう、素敵ね」

 彼女とぽつりぽつりと会話をしながら描く時間は、とても新鮮だった。
 彼女は多くを語ろうとはせず、その美しい顔は作り物のように表情を浮かべることも少ない。

 それでも、声をかければ真っ直ぐにこちらを見据えるその瞳は、絵への期待からか少しずつ熱を帯びているように思えた。

「レイ、きみは……この絵が完成したら、どうするんだい?」
「……空に、還るわ」
「えっ」
「……なんてね」

 らしくもない冗談めかした言動に、思わず心臓が跳ねる。
 絵を描きはじめてから既に一週間。毎日数時間、退屈であろう絵のモデルに何の文句も言わず、ただ美しく在り続ける彼女はもしかすると本当に天使で、絵が完成すれば幻のように天へと帰ってしまう気がした。

「……きみは、やっぱり瞳が綺麗だね。森の湖のように凪いでいるのに、その奥には力強い意思を感じる」
「意思……?」
「所作にも品があるし、肌も日焼け知らずの白さだ。きみは育ちも良さそうだし、何か目的があって、こんな片田舎まで来たんだろう?」
「……ええ。わたし、自由が欲しかったの」
「自由……? 今までは、自由ではなかったのかい?」
「そうね……でも、あなたの絵の中では、自由で居させてくれるんでしょう?」
「ああ、勿論」

 自由を求める彼女は、何もない冬のアトリエで過ごす日々をどう感じているのだろうか。
 モデルをしている間以外も、あまり小屋から出ている様子はない。

 夜は僕が持ち込んだ簡素な寝具で過ごし、昼間は時折子供達が遊びに来て、彼女は遠くの町の子供が好むという絵本のような物語の話をする。

 村人達もはじめの数日は外からの客をもてなすように食料を分けてくれたけれど、冬の間の備蓄は限られている。今では僕の用意した質素な食事しか与えられていない。

 朝から夕方の数時間、話をしながら絵のモデルをして、あとはこの埃っぽい小さな部屋で何をするでもなく、僕が昔描いた絵や、窓からただ真っ白な外を見て過ごす。

 ただそれだけの代わり映えのない日々は、彼女にとって鳥籠の中と変わりないのではないか。

 早く絵を完成させて、彼女を本当の意味で自由にさせてあげたい。

 そう思うのに、何もない窓の外に焦がれるような視線を送る彼女が、キャンバス越しの届きそうで届かない距離が、心地好くももどかしく感じるようになった。

「……レイ」
「なに?」
「きみは、今まで見た何よりも完璧で、何よりも欠けている」
「……」
「その全てを描くのに、僕は一生かかるかも知れない」

 何か訳ありなことはわかっていた。ほとんど外に出ないのも、質問に対して核心的な答えを返さないのも、何かを警戒してのことだろう。

 それならば、ずっとここに居ればいい。冬に咲かない花でも、きみが望むなら描いてみせる。好む服も、宝石も、絵の中の自由ならいくらでも僕が与えると、そんな欲が、つい口から溢れる。

 彼女は少し驚いたようにしてから、僅かに眉を下げて笑った。いつも作り物のような美しさを帯びた彼女の、初めて目にする笑顔だった。

「……わたしね。もうすぐ死んでしまうのよ」


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