わたしは、雨の日が好きだ。
もちろん低気圧に伴う頭痛やら気だるさは苦手だし、湿気で髪の毛がうねるのもよろしくない。
だから正確に言うと、わたしは『雨の日に窓から見下ろす景色』が好きなのだ。
わたしの部屋は、道路に面した三階にある。あんまり高いと怖くても、少し高い場所から見下ろす地上というのは、誰しもわくわくするところだろう。
雨の日のキラキラ光る地面も、窓についた水滴も、ガラスを叩く雨音も、わくわくを彩るアクセント。
そして何よりもわたしを楽しませるのが、雨の日に人々が差す、色とりどりの傘だった。
赤、青、緑、黄色、ピンク。星柄に花柄に水玉模様。
十人十色のカラフルな傘は、上からだと丸いお花やお祭りのヨーヨーのようで、見ているだけでテンションが上がる。
スーツ姿の男の人が持った何の変哲もないビニール傘でさえ、透明に覆われた部分が中の人をぼんやりと映すのが楽しいし、水まんじゅうにでも食べられているように見えてなんだか面白い。
当然差している人が居るのだから、傘の下から伸びる足にも注目だ。
傘と合わせたコーディネートのスカートや靴を履いているのを見ると、人知れず満点をあげたくなった。
「あ、あれ可愛い!」
そんな雨の日ウォッチングを楽しんでいる最中、不意に気になる傘を見付けて、わたしは冷たい窓ガラスにぴっとりと額をくっつける。
それは、くらげだった。綺麗な半透明の水色で、傘全体の丸みを利用して、くらげそのものを模している。
そんなくらげの傘は、水滴の付着したガラス越しに見ると、まるで水槽の中を漂う本物のよう。
「……って、あれ?」
うっとりと見惚れていたけれど、ふと、その傘の動きがやけに本物じみているような気がして、わたしは違和感の正体を探るようにじっと目で追う。
ゆらゆら、ふわふわと雨の中を揺れるように進むくらげの傘。
そして気付いた。半透明の傘なのに、他のビニール傘のように中の人の髪色や服の色が気にならない。
そして何より、差している人の足かと思っていた白いスカートのようなひらみは、くらげの足のように長く伸びて揺れている。
「もしかして、本物のくらげ……? いやいや、まさか、そんな」
やがて見えない程遠くに行ってしまったくらげの傘がやけに気になって、わたしはその日一日、ずっと窓に張り付いていた。
*******
「まったく、雨の日は体調を崩しやすいんだから、ちゃんと安静にしてないとだめじゃない」
「うう……だって、雨の窓から見る景色が綺麗なんだもん。それに、くらげが……」
「……くらげ?」
「んん、なんでもない……」
「はあ……晴れた日の青空より雨の日がいいなんて、美雨ちゃんくらいよ。他の患者さんはみんな、気が滅入るって自分からお布団に入るもの」
溜め息混じりの看護師さんの言葉に、わたしは肩を竦める。ひんやりした窓辺にずっと居たわたしは、すっかり熱を出してしまっていた。
入院患者として自由の少ない身だからこそ、窓の外に焦がれる気持ちはわかって欲しい。
けれどまあ、それで体調を悪化させていては世話ないのだが。
「点滴が終わる頃にまた見に来るけど……今日は窓辺に近寄っちゃだめよ」
「はぁい……」
こうして釘を刺されたわたしは、大人しく布団に沈む。毎年楽しみな梅雨の時期、窓禁止令を出されてしまったのは自業自得ながら、熱に火照った身体はひんやりを欲して、ついつい窓辺へと視線を向ける。
「……あ!?」
寝転んだまま見上げた窓ガラスの向こうに、昨日のくらげの傘が見えた。
地面を歩く人が差す傘ではない。三階よりも上の高さ、宙にふわふわ浮いているのだ。
熱による幻覚かも知れない。それでもわたしは飛び起きて、看護師さんの言い付けを秒で破り、数歩の距離の窓辺に駆け寄る。
病院から少し離れてしまったくらげの傘。よくよく見ると、ふわりと浮かんだくらげの下、確かに傘を差すような仕草で、白く長いスカートを靡かせている少女が居た。
昨日本物のようだと感じたくらげの中に人が居たことは、落胆にはならない。だって彼女は傘ごと、まるで水中のような自由さで、空を飛んでいるのだ。
「傘で、飛んでる……すごい!」
現実離れした光景に目を輝かせ、思わず窓にびたりと張り付いて見上げていると、少女はわたしに気付いたようで、ふわりふわりと優雅な動きでわたしの居る窓まで近付いてきた。
「……あなた、私が見えるの?」
「わっ……!? えっと、うん、見える……けど、あなたもしかして、くらげの天使?」
声をかけられた驚きに、興奮してより熱が上がるのを感じる。
ガラスに付いた雨粒とちょうどかかる傘のせいで、少女の顔半分は滲んでよく見えない。
けれど彼女はわたしの言葉に口許を少し緩め微笑んで、小さく頷いた。
「……くらげの天使って何……まあ、似たようなものね」
「わあ……天使! 初めて見た! あれ、でも天使なら羽根は? 白くてぶわってイメージだったんだけど……」
「雨の日は羽根が濡れるから、傘を使って飛ぶのよ」
「へえ……すごい。でも、なんで傘はくらげなの?」
「え。可愛いから」
天使の装備品は個人の好みでいいらしい。当然のようにさらりと告げる様子がなんだか面白くて、わたしは改めて本物に似た透明感と艶のあるくらげを見上げる。
「……うん、すっごく可愛い! 今まで見た傘で一番! ……ねえ、わたし、美雨。あなたは?」
熱に浮かされた雨の昼下がり、ガラス越しのほんの数分の会話。
これがわたしと不思議な少女、レインの出会いだった。
*******
もちろん低気圧に伴う頭痛やら気だるさは苦手だし、湿気で髪の毛がうねるのもよろしくない。
だから正確に言うと、わたしは『雨の日に窓から見下ろす景色』が好きなのだ。
わたしの部屋は、道路に面した三階にある。あんまり高いと怖くても、少し高い場所から見下ろす地上というのは、誰しもわくわくするところだろう。
雨の日のキラキラ光る地面も、窓についた水滴も、ガラスを叩く雨音も、わくわくを彩るアクセント。
そして何よりもわたしを楽しませるのが、雨の日に人々が差す、色とりどりの傘だった。
赤、青、緑、黄色、ピンク。星柄に花柄に水玉模様。
十人十色のカラフルな傘は、上からだと丸いお花やお祭りのヨーヨーのようで、見ているだけでテンションが上がる。
スーツ姿の男の人が持った何の変哲もないビニール傘でさえ、透明に覆われた部分が中の人をぼんやりと映すのが楽しいし、水まんじゅうにでも食べられているように見えてなんだか面白い。
当然差している人が居るのだから、傘の下から伸びる足にも注目だ。
傘と合わせたコーディネートのスカートや靴を履いているのを見ると、人知れず満点をあげたくなった。
「あ、あれ可愛い!」
そんな雨の日ウォッチングを楽しんでいる最中、不意に気になる傘を見付けて、わたしは冷たい窓ガラスにぴっとりと額をくっつける。
それは、くらげだった。綺麗な半透明の水色で、傘全体の丸みを利用して、くらげそのものを模している。
そんなくらげの傘は、水滴の付着したガラス越しに見ると、まるで水槽の中を漂う本物のよう。
「……って、あれ?」
うっとりと見惚れていたけれど、ふと、その傘の動きがやけに本物じみているような気がして、わたしは違和感の正体を探るようにじっと目で追う。
ゆらゆら、ふわふわと雨の中を揺れるように進むくらげの傘。
そして気付いた。半透明の傘なのに、他のビニール傘のように中の人の髪色や服の色が気にならない。
そして何より、差している人の足かと思っていた白いスカートのようなひらみは、くらげの足のように長く伸びて揺れている。
「もしかして、本物のくらげ……? いやいや、まさか、そんな」
やがて見えない程遠くに行ってしまったくらげの傘がやけに気になって、わたしはその日一日、ずっと窓に張り付いていた。
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「まったく、雨の日は体調を崩しやすいんだから、ちゃんと安静にしてないとだめじゃない」
「うう……だって、雨の窓から見る景色が綺麗なんだもん。それに、くらげが……」
「……くらげ?」
「んん、なんでもない……」
「はあ……晴れた日の青空より雨の日がいいなんて、美雨ちゃんくらいよ。他の患者さんはみんな、気が滅入るって自分からお布団に入るもの」
溜め息混じりの看護師さんの言葉に、わたしは肩を竦める。ひんやりした窓辺にずっと居たわたしは、すっかり熱を出してしまっていた。
入院患者として自由の少ない身だからこそ、窓の外に焦がれる気持ちはわかって欲しい。
けれどまあ、それで体調を悪化させていては世話ないのだが。
「点滴が終わる頃にまた見に来るけど……今日は窓辺に近寄っちゃだめよ」
「はぁい……」
こうして釘を刺されたわたしは、大人しく布団に沈む。毎年楽しみな梅雨の時期、窓禁止令を出されてしまったのは自業自得ながら、熱に火照った身体はひんやりを欲して、ついつい窓辺へと視線を向ける。
「……あ!?」
寝転んだまま見上げた窓ガラスの向こうに、昨日のくらげの傘が見えた。
地面を歩く人が差す傘ではない。三階よりも上の高さ、宙にふわふわ浮いているのだ。
熱による幻覚かも知れない。それでもわたしは飛び起きて、看護師さんの言い付けを秒で破り、数歩の距離の窓辺に駆け寄る。
病院から少し離れてしまったくらげの傘。よくよく見ると、ふわりと浮かんだくらげの下、確かに傘を差すような仕草で、白く長いスカートを靡かせている少女が居た。
昨日本物のようだと感じたくらげの中に人が居たことは、落胆にはならない。だって彼女は傘ごと、まるで水中のような自由さで、空を飛んでいるのだ。
「傘で、飛んでる……すごい!」
現実離れした光景に目を輝かせ、思わず窓にびたりと張り付いて見上げていると、少女はわたしに気付いたようで、ふわりふわりと優雅な動きでわたしの居る窓まで近付いてきた。
「……あなた、私が見えるの?」
「わっ……!? えっと、うん、見える……けど、あなたもしかして、くらげの天使?」
声をかけられた驚きに、興奮してより熱が上がるのを感じる。
ガラスに付いた雨粒とちょうどかかる傘のせいで、少女の顔半分は滲んでよく見えない。
けれど彼女はわたしの言葉に口許を少し緩め微笑んで、小さく頷いた。
「……くらげの天使って何……まあ、似たようなものね」
「わあ……天使! 初めて見た! あれ、でも天使なら羽根は? 白くてぶわってイメージだったんだけど……」
「雨の日は羽根が濡れるから、傘を使って飛ぶのよ」
「へえ……すごい。でも、なんで傘はくらげなの?」
「え。可愛いから」
天使の装備品は個人の好みでいいらしい。当然のようにさらりと告げる様子がなんだか面白くて、わたしは改めて本物に似た透明感と艶のあるくらげを見上げる。
「……うん、すっごく可愛い! 今まで見た傘で一番! ……ねえ、わたし、美雨。あなたは?」
熱に浮かされた雨の昼下がり、ガラス越しのほんの数分の会話。
これがわたしと不思議な少女、レインの出会いだった。
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