それは、甘いバニラの香り


その手には、私が先ほど注文したカモミールシトラスティー。

シトラスの良い香りと、温かな湯気が立ちのぼるそれを「ありがとう」と舞斗から受け取ろうと私が手を伸ばした、その時。

「七彩。俺、15時までバイトだから…終わったら話したい」

小さな私に聞こえるくらいの声で言葉を紡ぐ彼の表情は、私に告白してきた時と同じ真剣な表情で…。

内心ため息をこぼしつつも思わず「…わかった」と頷くことしかできなかった。

ホッとした表情で嬉しそうに「あとでな」と去っていく舞斗。そして、私はヤツから受け取ったシトラスティーを片手に、指示された席へと腰を下ろす。

私ってば、舞斗の真剣な表情に弱いなぁ。

温かいシトラスティーを口に含むと、なんとも言えない柑橘系の良い香りが鼻腔をくすぐった。

…舞斗の匂いに似てる。

机に突っ伏して1人落ち込みつつ、結局私は舞斗バイトが終わるまでこのカフェで時間を潰すことになったのだーー…。


❥❥


「…それで話って?」

15時を少し過ぎた頃、バイト終わりの舞斗と合流した私は駅から自宅に帰る道のりを一緒に歩く。

先に声をかけたのは私から。

だって舞斗、自分から「話したい」なんて言ったくせに話しかけてこないんだもん。

ジッと舞斗の瞳を見つめる私。

そして、とうとう黙りこくるヤツに痺れを切らして…。

「今日、舞斗から知らない香りがしたの。いつものシトラスの匂いじゃなくて…バニラみたいな甘い香り」

ムスッとした表情で、吐き捨てるように口を開く。

「…え」

一瞬、舞斗の瞳が揺らいだのを私は見逃さなかった。

やっぱり、何か思い当たる節があるのね。

「バニラ…?七彩、今はするか!?」

自分の腕に顔を寄せ、慌てた様子で匂いを確認しだす舞斗に私はポカンとした表情を浮かべる。

な、何…?

「今は…しないけど。そもそも香水なんだならそんなに長く香るわけないでしょ。匂いがしたのは朝の講義の時だし」

「そっか…」

もう。何なのさっきから…。

いつもと違う舞斗の行動に戸惑いつつ、私は小さくため息をこぼした。

「あのさ。結局、どういうことなの?バニラの匂いもそうだけど…。私にナイショでバイトしてるし…やっぱり…」

「浮気なの?」と言いかけて私は咄嗟に口をつぐむ。

少し遠くを見つめるような舞斗の寂し気な表情に私は息を呑んだ。

「七彩が言ってたバニラの匂いは…たぶん、俺の母さんだ」

フッと曖昧に微笑んだ舞斗。

「お母さん…」

え、ちょっと待って?
でも、確か舞斗のお母さんって…。

目を丸くする私に向かって。

「命日なんだ、今日が…。母さんの」

そう、舞斗から付き合ってすぐに聞いていた。
数年前に病気でお母さんは亡くなってるって。

「母さん、バニラ系の香水を好んでつけたてんだ。だからたぶん…な。それに、俺の周りだと他に心当たりないから」

「…そう、なんだ」

こういう時、なんと声をかけていいのかわからない。

それに、どうしてだろう。
普段であれば、こんな突拍子もない話、信じないはずなのに…。
妙に納得してしまった自分がいて。

「舞斗、行こう」

気づけば、ギュッと舞斗の手を掴んで私は走り出していた。

「七彩?行くってどこに…」

「舞斗の家」

「俺の…?って、ちょっと待てって」

慌てる舞斗を無視して、私はグイグイとヤツの手を引く。

行かないといけない。

なぜかその時の私は、その気持ちで頭がいっぱいになっていたー…。


❥❥


「はじめまして。舞斗の彼女の浅田七彩です。挨拶が遅れてすみませんでした」

チンと、仏壇の鐘を鳴らし、そう言葉を紡いだ私はソっと手を合わせる。

「七彩、わざわざありがとな。母さん喜んでると思う」

「ううん。私もいつか来ないとと思ってたもの」

フルフルと首を横に振り、私は再度仏壇を見つめた。

仏壇の真ん中に飾られた笑顔の女の人の写真は、舞斗の笑顔によく似ている。

あの後、私は手土産を買って舞斗の家を訪れていた。

「今、何か飲み物取ってくるよ。コーヒーでいいか?」

そう言う舞斗に「ありがとう」と声をかける私。

「ゆっくりしといて」

「うん。お構いなく…」

コーヒーの準備をしに台所へ行ってしまった彼の背中を見送った時、我ながら無理を言ったと反省していた。

さすがに迷惑だったよなぁ…。

優しい舞斗は口には出さないだろうが、急にお仕掛けてしまったわけだし…。

なんだかんだ付き合って舞斗の家を訪れるのは初めてで。

普段、実家ぐらしの舞斗の家よりも、一人暮らしの私の家で会うことが多かったのだ。

舞斗は、現在お父さんと2人暮らし。

5歳上のお姉さんと、2歳上のお兄さん達はそれぞれ家を出て一人暮らしをしているらしい。

会社勤めの舞斗のお父さんは、まだ帰宅しておらず、現在私は舞斗と二人きりという状況。

そう考えると、若干緊張してしまうのは仕方がない。

「悪いな。うち父さんも俺もブラック派だからコーヒー用の砂糖とかミルクとかなくて。七彩、甘い方が好きだろ?」

「ううん。ブラックも飲めるから全然大丈夫だよ」

舞斗はコーヒーと、帰りがけにバイト先で購入したスコーンを持ってきてくれた。

「舞斗のお母さん、優しそうな人だね」

コーヒーを飲みながら、私は側に座る舞斗に声をかけてみる。

「あぁ。そうだな…。厳しい所もあったけど、家族のこといつも1番に考えてくれて。でも、病気のこともギリギリまで俺に隠してたんだぜ?まだ、俺も中学生だったし母さんなりに気を遣ったんだろうけど…。当時は、家族で俺だけ知らなかったことが悲しくて。八つ当たりしたりしてさ」

昔の反抗していた頃を思い出したのか、舞斗は苦笑いを浮かべた。

「そうなんだ…」

きっと、舞斗のお母さんは、末っ子の舞斗のことが可愛くて仕方なかったんだと思う。

かくいう、家の母も私と歳が離れた末妹(現在、中学3年生)にはめっぽう甘いし。

「そういえば、母さんに彼女紹介するのって、七彩が初めてだな」

…ッ。

照れたように、はにかむ舞斗の口から出たそんな言葉に、私は胸がキュッと締め付けられた。


舞斗のお母さん、私、舞斗のこと大好きです。

まだまだ未熟だし、今後も今日みたいにちょっとしたことで不安になったりするかもしれない。

けど、彼のこと支えていけるように頑張ります…!

これからも、どうか舞斗を近くで見守っていてくださいね。


心の中で私が舞斗の母親に対して、そう言葉を紡いだ時。


フワリ


私の横を通り抜けたのは、確かに朝舞斗から香った、甘いバニラの匂いだったー…。






❥❥


「…ハッ!そうだ、忘れてた。そういえば、バイト!なんで教えてくれなかったの??」

「あ〜…。えっと、実はさ」

「…??」

「来月の七彩の誕生日プレゼントに、ペアリング、サプライズで買おうと思って金貯めてたんだよ」

「…!!」


END



「それは、甘いバニラの香り」を最後まで読んでくださってありがとうございました。

作者のbi-ko☆です。

普段は、野いちごの方で主に執筆をしておりまして、ノベマでは、初完結作品になります。

そして、今回、キャラクターコンテストに初参加です…!

10000文字以内とのことで、かなり短編のお話ですが、読者様にもサラッと読めて楽しんでもらえるように意識をして、今回執筆いたしまた。

少しでも皆様に楽しんで頂けたら嬉しいです。


bi-ko☆

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