これは、世紀の大発明だ。
 僕はその奇跡の結晶である美しい少女を見下ろす。
 無機質な部屋の中心にある白い簡素なベッドで目を覚ました少女は、まだどこかぼんやりとして、夢うつつだ。

 そんな彼女の様子を眺めながら、僕は今にも溢れ出しそうな感動を何とか抑え込み、穏やかに微笑みかける。

「おはよう。無事目覚めて良かった。気分はどうだい?」
「……おはよう、ございます。……頭が、少し痛みます」

 開口一番、頭痛を訴える彼女に少し焦ったけれど、コードで繋いだモニターの数値を見て、脳内のメモリーが空っぽなこと以外に異常がないのを確認し、一息吐く。

「身体は問題ないし、会話も可能。稼働するのに必要な数値の異常もない……頭痛がするのなら、データをあとで調整しよう」
「データ……」
「きみの名前は『サラ』……きみは、僕が造ったアンドロイドだ」
「アンドロイド……サラ……」
「そして、僕はエイト。僕のことは博士とでも呼んでくれ。今日からよろしく頼むよ、サラ」
「……はい、よろしくお願いします、エイト博士」

 僕の言葉を聞いて真似るサラは、ベッドに寝転んだまま僕の顔をじっと見上げて、やがて表情を真似るようにぎこちなく微笑んだ。


*******


 人気のない森の奥にひっそりと構えられた、小さな研究施設。そこで僕と、目覚めたての少女の生活は始まった。

「サラ、これは卵。焼くと美味しい。割って混ぜて焼くと卵焼き、割って混ぜずにそのまま焼くと目玉焼きだよ」
「……どちらも割って、最後に焼く。同じ始まりと終わりでも、途中の工程によって名前が変わるのですね」

 記憶容量を十分に確保したサラはとても賢く、好奇心も旺盛だった。僕の言葉を的確に処理して、自分なりに考え認識する。

「そうだね、面白いだろう。僕は卵焼きの方が好きだな、特に甘い物がいい」
「博士は甘く混ぜるのがお好み……混ぜ方によって甘さが変わるのですか?」
「あはは、甘さを付けるのには普通に砂糖を使うよ」

 研究室とは別の部屋にある、一人用の簡易キッチン。狭いスペースで二人寄り添い、ひとつひとつ説明しながら作り上げた料理は、あまり見本になるような見た目をしていなかったけれど。
 僕が作る料理を興味深そうに見詰め、彼女は知識として蓄える。

「いただきます」
「……それは何の呪文ですか?」
「命に敬意を払う、大切な感謝の言葉さ」
「……命への、感謝の言葉。……いただきます」

 初めて二人で食べた、少し焦げた甘い卵焼き。その味は彼女の中に深く刻まれたようだった。

 その後も目玉焼きや茹で卵、いろんな料理を試したけれど、砂糖をたっぷり使った甘い卵焼きを食べた時が、一番良い顔をする。
 そのようにインプットした記憶はないから、単純に彼女の好みと僕の好みが似ているのだろう。
 もしくは、初めての思い出を大切にするという、人間らしい情緒からの反応なのだろうか。

 それから知識が増える度、思い出を重ねる度、彼女はとてもよく笑うようになった。

 庭先に花を見付けて、その美しさを理解した。迷い込んだ野兎を、柔らかそう、可愛いと追い掛けた。小さな畑の作物を収穫し食べると、美味しいと目を輝かせた。
 書斎の本をあっという間に読破して語り合うこともあったし、掃除中うっかりバケツの水を溢して慌てふためく日もあった。

 彼女は初めの頃のぎこちなさが嘘のように、人間の少女と変わりなく日々を過ごした。
 あらゆることに感動し、ころころと表情を変える。ことあるごとに新発見だと興奮し、何度も僕を呼ぶ声が、袖を引く指先が、とても愛しい。

 そんな彼女の姿を、いつまでも眺めていたかった。いつまでもこうして居たかった。

 けれどそんな彼女との穏やかな日々は、呆気なく終わりを迎えたのだ。


*******


 その日はいつものように、森の奥に朝日が差し込む頃サラを起こして、食事を作ろうとした。
 狭いキッチンに立って、新鮮な卵をふたつ手に取って、今日は甘い卵焼きにしようと、卵を割ろうとして……出来なかった。
 床に落ちた卵が、ぐちゃぐちゃに割れる。

「あ……?」
「……しっかりしてください、エイト博士!」

 頭が異常な熱を帯びて、身体が動かない。ぐらりと視界が傾いたかと思うと、そのまま冷たい床に倒れ込む。強かに身体を打ち付けながら突っ伏して、駆け寄る彼女の足音と悲痛な声を聞いた。

「サ、ラ……」
「大丈夫ですか!? どこか痛むのですか!?」

 白い服が汚れるのも厭わず膝を付き、僕の様子を心配そうに伺うサラ。彼女の瞳には、アンドロイドでは有り得ない、大粒の涙が溢れていた。

「涙……? ああ、そうか、……きみは『心』を得たんだね」
「え……?」

 初めて見るはずの、サラの涙。
 けれど、おかしい。少し前にも、こんなことがあった気がする。

 僕はぼんやりとした視界で彼女の溢す美しい雫を眺め、それを拭おうと重たい手を持ち上げる。
 なのに指先が震えて、力が上手く入らない。視界もなんだかちかちかとして、ノイズがかかったようだ。

「あれ……?」
「……っ! エイト!」

 濡れた頬に触れる刹那、泣き叫ぶような彼女の声がして、そこでぷつりと、意識が途切れた。


*******


 気が付くと、そこは研究室の白いベッドの上だった。周りに大型の冷却装置があり、僕の頭を中心に身体全体を冷やしている。
 そして、泣き腫らした目をした彼女が、傍らに立っていた。

 ああ、やっぱり前にもこんなことがあったと、奥底に眠っていた記憶をぼんやりと辿る。

「……気が付きましたか」
「やあ、サラ……ここまで運んでくれたのか、ありがとう。心配をかけたね」
「……、同じ始まりと終わりでも、工程によって最終的な名前が変わると、あなたは教えてくれました」

 会話の流れを無視した彼女の言葉に、思わず瞬きをする。それは僕が、あの日アンドロイドとして目覚めた彼女に初めて教えたことだ。

「そうだね……あの時僕は、甘いのが好みだと話したよ」

 僕の言葉を聞いて、彼女の表情は、今まで見たことのない切なげなものへと変わる。

「……それは、元は私が言ったことでしたね」
「……」

 そうだ。それは僕が初めて彼女に『博士』と名乗った日の、彼女が白いベッドで目を覚ますより、前のこと。

「思い……出したのかい? きみの記憶は、空っぽだったはずなのに」
「ええ、あなたが倒れたショックで」
「あはは、そうか……」
「……あなたも、オーバーヒートを起こしたのです。一部プロテクトが壊されたことで、閉じ込めたデータを思い出したのでしょう?」
「うん……まだ、全部ではないけれど」

 まだ頭がぼんやりとする。けれど、大分記憶が甦ってきた。僕が弱々しく笑うと、サラは少し凹んでしまった僕の額にそっと手を触れさせる。
 繊細な彼女の指先が、火傷してしまわないだろうか。僕の頭は、比喩でもなんでもなく、今にも火が出そうに熱いのだ。

「私は、すべて思い出しました。……私達の本当の始まりは……私が造った『アンドロイドのエイト』と、ここでロボットの研究をしていた『科学者のサラ』でした」

 彼女の言葉を受けて、改めてメモリー内のデータを確認するように、目を閉じる。
 僕の頭の中にある数多の電子回路は、今にも焼き切れそうなまでに熱を帯びていた。

 彼女は、思い出したのだ。僕も同じように、熱せられた基盤の中でエラーを起こしていたすべてを思い出す。

 目の前の少女は、アンドロイドじゃない。最年少の天才科学者と呼ばれた、サラ。
 そして、彼女の生み出した奇跡である、アンドロイドの、僕。

「まさか、逆転した立場で日々を送ることになるとは思いませんでした」

 そうだ、僕達は、本来逆の立場だった。造られた存在である僕の方が、彼女との日々の中で『心』を有したのだ。


*******


 彼女と過ごす内に僕が得たのは、プログラムとは違う、温かな気持ち。
 喜び、悲しみ、慈しみ、嘆き、笑って、怒って、悩んで、愛する。そんな人間なら当たり前の『心』。

 けれど心と言う複雑怪奇で刺激の多い不確定要素は、当然の如く、試作品の僕には容量オーバーだった。
 卵のように、心が孵化したことによる負荷。

 それでも、騙し騙しやっていたのだ。研究が進んでサラが喜んでくれるからではない。僕が、少しでも長くサラと過ごしたかったから。

「エイト、調子はどうですか?」
「大丈夫だよ、サラ」
「何かあったらすぐに言ってくださいね。あなたは、私の大事な宝物ですから」
「ああ、ありがとう。わかっているよ……大丈夫。僕は、大丈夫だ」

 隠して、偽って、けれどそれすらも負荷となり、ある日僕は、ついにエラーを起こした。

 いくら頑張っても消すことの出来ない、深刻なエラー。
 どうしようもなくなった時、僕は咄嗟に、自分で自分を騙すことにした。

「……っ、大丈夫……僕は、人間なんだから……サラと同じ、心を持っていられる……大丈夫……」

 自分をアンドロイドではなく『人間』だと思い込むことで、心があっても負荷を感じないようにしようとしたのだ。

 しかし思い込んだところで、容量には限りがある。起きたエラーは解消されない。
 そしてついに、僕の言動に疑問を覚えたサラに、これまでの無茶がバレてしまった。

 こんな愚かで嘘つきな僕を、彼女は何とかしようとしてくれた。
 既に取り返しの付かないレベルだったのだろう、大粒の涙を溢しながらも懸命に、何とか処置をしようとしてくれた。

「エイト、こんな風になるまで気付けなくてごめんなさい……すぐに余分なメモリーの削除を……」
「……っ、やめろ!」
「あ……!」

 けれど僕はその時、自分が人間だと思い込んでいたから、あろうことか彼女の手を振り払い、抵抗したのだ。
 非力な少女は当然機械の僕の力に勝てず、固い床に投げ出され、強く頭を打った。

 サラを傷付けた僕は更にエラーを起こして、それを直すために、今度はサラが人間ではなくアンドロイドなのだと、無意識の内に認識した。

「ああ、いけない……僕の宝物が、壊れてしまう。目を覚ましたら、メンテナンスが必要か確認しなくては……ごめんよ、サラ……」

 そうして、頭を打って偶々記憶を失った彼女と、エラーを起こして自分を人間と思い込んだ僕の、立場の逆転した奇妙な生活が始まったのだ。


*******


「私達の物語は、二度とも人間とアンドロイド。決して結ばれるはずのない異なる存在から始まって、二度とも、どちらかが記憶を失くして終わる……その工程と結末は、名前を付けるならまさしく『悲劇』ですね」

 機械に繋がれたベッドの上、無理を重ねた僕は、もはや身体を起こすことすらままならない。冷却装置のモーター音と、サラの声だけが、研究室に静かに響く。

「やっぱり僕は、記憶を失うんだね」
「ええ……負荷が掛かり過ぎています。今話せているのも、不思議なくらい。このままでは壊れてしまう……だから、私はこれからあなたの記憶も心も、すべてを消去します。そうすれば……身体だけはまだ持ち直せるはず」
「はは……まるで中身のない、卵の殻だね。イースターエッグを作るにはまだ早いのに」
「……イースターを祝ったところで、消去した心は復活しませんよ」
「……そう、か」

 僕という個が消されるのは、当然のように寂しくて、残念だった。
 それは僕自身が感じる不安なのか、それとも、こんなにも泣いてくれる彼女を悲しませるからなのか。
 そんな風に悩むのも、きっと『心』があるからだ。消されてしまえば、すべて忘れてしまえば、そんなことも無くなる。

「サラ……せっかくここまで進んだ研究、僕が余計なものを得たばかりに、無駄にしてしまってごめん」
「いいえ……あなたに心が芽生えたことは、決して、無駄なんかじゃありません。余計なものなんかでもありません」

 サラの言葉に、僕は安心した。彼女がこれまでの僕を認めてくれるのなら、それだけで十分だ。この寂しさに蓋をして、僕は心置きなく消えられる。

 僕が壊れてしまう前に、彼女が記憶を取り戻してくれて良かった。人間ならば、メモリー不足に悩むことなくずっと覚えていられる。

 僕が抱え続けられない愛しかったすべてを、彼女ならきっと、大切にしてくれる。

「……ねえ、エイト。最後に一つだけ、聞かせてください」
「何だい?」
「今回の工程は、最初からあなたが『人間』として心を持っていたから……表立ったエラーに邪魔されることなく、私も博士としての立場を考えることなく……ただ無邪気な少女で居られた。それは砂糖のように甘く、幸せな日々でした」
「ああ……きみの好きな、卵焼きの優しい甘さだね」
「はい……私にとって、幸せなもの。でもこれは、あなた好みの物語だったでしょうか? 幸せ、だったでしょうか?」

 どう足掻いてもハッピーエンドを迎えられない僕達の、それでも彼女が幸せだと言ってくれた時間。
 不安げなその顔をどうにか和らげたくて、僕は最後の力を振り絞りその涙を拭う。

「もちろん。甘い味は、僕も好きだしね……だけど、人間のきみもアンドロイドのきみも、どちらも変わらず愛おしかったし、共に過ごせて幸せだったよ」
「エイト……」
「はじめの頃は、上手く感情の種類が理解出来なかったけれど……それでも、心を得た今ならわかるんだ。最初からずっと、きみとの日々が愛しかった」

 脳内で響くひび割れたエラーの音。涙なんて出ないのに、視界がぼやける。

「私も……はじめてあなたが目覚めた時から……自分をアンドロイドだと認識している今回の工程の最中にも、あなたに惹かれていました。……私とあなたの感じるものが、同じなのかはわかりません。けれどそれは人間同士だとしても、同じこと。心とは、とても複雑ですから。……それでも、私は……」

 大事な言葉の途中、僕の意識は混濁する。ああ、いけない。きっと煙が出ている。
 咄嗟の判断とはいえ、人間としてアンドロイドの彼女と接するなんて、そんなのはプログラム上ありえなかった。

 僕メモリーは、元々限界ギリギリの所に『心』と『思い出』が増えて破裂寸前なのだろう。
 はじめにエラーを起こした時よりも、遥かに熱い。いつ何が燃え尽きてもおかしくない。

「エイト……あなたのメモリーを完全に消去して、また人間とアンドロイドの『初めまして』から始めても……あなたはまた、心を芽生えさせるのでしょうか」
「わからないけれど……きっと、僕は何度でも、きみに愛を教わって、同じように心を得るよ。それが、卵を割る段階だろうからね」

 焦げ付いた記憶の中、覚えている内に、覚えているのだと確認するように僕達の会話を用いれば、彼女は俯く。

「……だとしたら。心が卵を割るのなら、卵を食べずに温め続けるなんてどうでしょう?」
「……? それは、どういう……」
「卵料理は、確かに美味しいです。でも、食べてしまえば終わってしまう。……割らずに温め続けていれば、いずれ孵化するかもしれないと、夢を見続けていられますよね?」
「サラ……?」

 もう彼女の表情が見えない。言葉の意味を理解するためのプログラムも、壊れかけている。
 それでも僕は何とか、残り僅かなこの時間を、彼女の言葉を、懸命に手繰り寄せようと途切れかけの意識の中でもがく。

「忘れられるのが寂しいことだと、忘れるのが辛いことだと、わかったでしょう? 忘れている時間は、相手にとって無かったも同然なのですから。……だからもう、あなたにそんな経験はさせません」

 ああ、そうだ、僕が忘れれば、残された彼女に辛く寂しい思いをさせてしまう。それを彼女一人に背負わせるなんて、絶対にしてはいけない。
 そう思うのに、もう目を開けることすら出来なかった。

「人間の脳は、あなたのメモリーよりうんと多くを覚えていられます。天才科学者と呼ばれた私なら、尚のこと。……もう何一つ、忘れたりしない。……エイト。あなたが忘れても、私はずっと、あなたと過ごした日々を愛し続けます」

 彼女がキーボードを叩く音が微かに聞こえる。基盤はもう、きっとダメだ。それでもボディが完全に壊れてしまう前に、彼女の手によってすべて消されるのだろう。

「サ、……ラ……」

 別れが悲しい、彼女に背負わせて苦しい、涙を拭えないのが悔しい、彼女の手で終われるのが嬉しい。
 そんな一見ぐちゃぐちゃの、いろんな心の欠片が、僕の中で最後に巡った。

「……さようなら、私のエイト」


*******


「初めまして、私はサラ。博士とでも呼んでください。……あなたは、私の造ったアンドロイドのエイトです」
「博士、エイト。インプットかんりょうしました」
「……あなたには、今日からここで私と暮らして欲しいのです。……そうですね、まずは、簡単な料理から教えましょう」
「はい、よろしくおねがいします、博士」

 無機質な表情ながら、彼はじっと私の顔を見詰めると、真似るように口角を吊り上げる。
 そこに心はないけれど、彼がまた微笑んでくれるだけで幸せだ。
 壊れてしまうよりずっといい。寂しいだなんて、思っちゃいけない。

「卵は焼くと美味しいです。……でも、甘い卵焼きを知ってしまうと、砂糖なしでは物足りなく感じます」
「では、さとうを、いれますか?」
「……いえ。砂糖なしで」
「それは、なぜですか?」
「健康のためです。私は、長生きしなくては。大切なことを、一日でも長く、忘れないために……」
「りょうかいしました」

 これからの日々で、また彼に心が芽生えそうになったなら、何度でも彼の心を殺して、私達は『初めまして』をしよう。
 きっとそれが私達に許された、二人の時間が終わらないための唯一の方法だ。

 また彼に会いたいと願うのに、遠ざけるなんて我ながら矛盾しているのはわかっている。
 けれど想いが届かなければ、奇跡が叶わなければ、彼も私も辛い思いをしなくて済むのだ。

「いただきます」
「それは、なんですか?」
「……命への、感謝の言葉ですよ」
「イノチとは、なんですか?」
「……そうですね……それは……」

 私はこれからも、心の器である卵を割らずに、食べずに、温める続ける。
 そうすれば失う悲しい結末に辿り着くことなく、愛しい思い出と希望だけを抱いていられる。
 ゆっくり腐り行く卵に気付かぬふりをしたまま、心を殻で覆い隠して、永遠に幸せな夢を見続けられるのだから。

「命とは……、愛を……心を閉じ込めた卵です」

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