気が付くと、わたしはなぜだか木の(おり)のなかにいた。
 わたしひとりではない。ほかにも、たくさんのひとたちがひとつの檻のなかにぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
 檻のなかは、異様な気配が立ち込めていた。
 空は晴天、からりとした空気。
 なにかを燃やすにはとてもよい天気だと、だれかがささやいた。
 空を見上げる。檻の狭い隙間から見える空はどこまでも高く、澄んでいた。
 ……そっか。わたしは今日、とうとう消えるんだ。
 なにか予感めいたものを感じ、わたしはそっと目を瞑る。
「わたし、生まれてきた意味あったのかな……」
 すぐ近くで声がして、目を開く。
 となりを見ると、ひとりの少女が膝を抱えるようにしてうずくまっていた。大きな瞳には、ふっくらとした涙が浮かんでいる。
 目が合うと、少女は悲しそうに俯いた。
「どうしてか、身体が重いの……まるで、じぶんのなかのどす黒い感情がとめどなくわたしの身体に溜め込まれていくみたいに。このままだと、じぶんがじぶんでなくなっちゃいそう……」
 少女はじぶんを抱き締めるようにして、こわい、と小さく呟いた。
「感情……か」
 わたしはそっとその小さな手をとる。
「……大丈夫。それは、(のろ)いじゃないよ。(いの)りっていうの」
「祈り……?」
「そう。わたしもあなたと同じだから分かるんだ。わたしは(ゆい)。あなたは?」
「……わたしは、ララ」
「ララ。今からわたしの話をしてあげる」
 そう言って、わたしはララにそっと微笑みかけた。


 ***


 清潔過ぎる部屋に広がっているのは、いつだって薬液の匂いだった。
 病を患い、生まれてからほとんどの時間をわたしは病院のベッドの上で過ごしていた。
 身体は不自由だし、治療は痛いし薬も苦くてだいきらい。楽しいことなんてひとつもない、制限ばかりの入院生活。
 でも、なにより苦しかったのは――。
「結、結。大丈夫か」
「可哀想に……こんなに苦しそうな顔をして」
「結……元気ない? 結、いつになったらここを出れるの? 一緒に遊べるの?」
 目を開けるたび、家族の悲しそうな顔を見るのが、わたしはなにより苦しかった。

 ある日、相談室で泣くお父さんとお母さんを見た。
「残念ですが、わたしたちもこれ以上はどうにも……」
「そんなっ……」
「なにかないんですか。お金ならいくらでも払いますから」
「……お力になれず、申し訳ありません」
「待って……お願いだから、なにもできないなんて言わないでくださいよ。わたしたちには、先生しかいないんですっ……お願いします」
 先生のやるせない表情と両親の涙に、幼いわたしでも話の内容はすぐに察しがついた。
 わたしは急いで病室に戻り、ベッドに潜り込んだ。泣き声が聞こえないように、必死に声を押し殺して泣いた。
 わたしは、生きているだけで家族に暗い顔をさせてしまう。
 じぶんの寿命があとわずかだということよりも、家族を悲しませている事実のほうが胸にきた。
 そのできごとのあとも、両親は何事もなかったかのように、わたしに笑顔を見せた。
「きっと良くなるからね、結」
「諦めちゃダメだぞ、絶対に大丈夫だから」
「頑張って、結」
「……うん」
 懸命にうそをつく家族の姿が痛々しくて、だからわたしは早く、家族を楽にさせてあげたかった。
 それから、わたしの身体はどんどん悪化して、寝たきりの状態が当たり前になった。ベッド脇の千羽鶴(せんばづる)や御守りを眺めながら、いろんなことを考えた。
 わたしは、なんで生まれてきたんだろう。
 なにか意味はあったのかな。
 わたしが生きているかぎり、たくさんのお金がかかってしまう。
 お父さんもお母さんも、保険がきかない薬や治療をどんどん試してくれるけれど、結果はぜんぜんついてこない。
 こんなわたしに、お金をかける価値なんてあるのだろうか……。
 こんなことなら、わたしなんて生まれて来なければよかったのではないか。
 そう思っているうちに半年が過ぎていた。
 わたしの身体は、どんどん重くなっていった。悪いものが全身に回っている感じがびんびんして、もう、目を開けていることも辛かった。
「結、結」
「お父さん……お母さん……」
「結!」
「結ちゃん……っ!」
 とうとう死を覚悟した。
 わたしはこのまま、みんなの願いに答えられずに死ぬんだ。
 お母さん、お父さん。
 こんな身体の弱い娘でごめんなさい。もし生まれ変われるなら、もっと強い身体を持って、またふたりの子として生まれたい。
 お姉ちゃんも、わたしのことをたくさん気にかけてれたのに、応えられなくてごめんね。お姉ちゃんとも、もっとたくさんいろんなところに行きたかったな……。
 最期の言葉を伝える力すらなく、わたしは目を伏せた。


 ***


 ララは、わたしの話を涙ぐみながら聞いていた。
「……それで、あなたはここに来たの?」
「そう。そのあとすぐ、わたしはここに連れて来られた」
 頷くと、ララは悲しそうに俯いた。そんな彼女に、わたしは小さく笑う。
「――でもね、悲しくなんてないよ。だってわたし、ちゃんとみんなの祈りに応えられてたんだ」
「えっ」
 ララが弾かれたように顔を上げる。
「どういうこと?」
 わたしは檻のずっと先へ視線を流した。
「見て。あそこにいる家族はね、わたしの家族なの」
 視線の先には、わたしが大好きなお父さんとお母さん。そしてお姉ちゃんと、わたし――結がいる。
「わたしはあの子――結の身代わり守りだったの」
「身代わり守り……?」
「そう」
 身代わり守りとは、当人の怪我や病気などを身代わりとなって受けるお守りのこと。わたしは、結の身代わり守りだったのだ。
 そして今日、一月七日。
 みんなの祈りを受け、結の病をこの身にうつしたわたしは、役目を終えて天に昇るのだ。
 悔いなんてない。
 だって、ずっと病室に閉じ込められて、苦しそうにしていた結が、あんなに元気な姿で、可愛い晴れ着を着て、楽しそうに笑っているのだから。
 お父さんお母さんと、お姉ちゃんと、笑い合っているのだから……。
 嬉しくてたまらない。
「わたしね、この神社で結のお姉ちゃんに買われたんだ。そして、お姉ちゃんの結を助けたいって気持ちから、わたしの魂は生まれた。病院ではずっとそばで彼女を見守ってきた。そんな毎日を過ごしていたら、いつの間にかわたしはわたしのことを結だと思い込んで……そのおかげで、結を蝕んでた邪気はぜんぶわたしにうつってた」
「そんな……」
「身代わりだなんてって思うかもしれない。けど……わたしはね、結と出会えて……結の家族に出会えて、本当に良かったって思ってる。わたしは、わたしに魂をくれたあの家族が、大好きなんだ」
「……そっか」
 ララは結をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「なんかちょっと……羨ましい」
「羨ましい?」
「あなたは、あの家族にとても感謝されているのね。いらなくなって捨てられたわたしとは、大違い」
「……そうかな?」
 ララを見る。
 ララの身体は、わたが詰め込まれた女の子のかたちをしていた。毛糸の髪の毛に、赤いボタンの目。可愛らしいが、少し古びている。年季もののぬいぐるみのようだ。
「あなたの身体、あちこちほつれてわたが出ちゃってる。相当持ち主に遊んでもらったんじゃない?」
「それは……」
 ララはわたしからさっと目を逸らした。
「…………でも、捨てられた。わたしはもう、いらないと言われたの」
「……そうだとしても、そのひとはちゃんとあなたのことを思ってるよ。だからここにいるんじゃないかな」
「え……?」
「御守りとかと違ってあなたはぬいぐるみ。いらなくなったなら、ゴミの日にでも捨てれば済むはず。でもここにいるってことは……少なくともあなたに感謝してるってこと。ちゃんと供養したいって思ってることの証だと思うよ」
 わたしの言葉に、ララはつと黙り込んだ。しばらく黙り込んだあと、ララはちらりと神社の隅に目をやった。
「……そう……なのかな」
 ララの視線の先には、若夫婦が立っていた。女性のほうは両手を握り合わせ、祈るようなポーズをとっている。
 きっと、彼女がララの持ち主だったのだろう。
「あれは、どうでもいいものを思う姿じゃないよ。あなたを大切に思っていたからこそ、持ち主はここに持ってきたんだと思う」
 すると、ララは小さく震え出した。泣いているのだ。
「……本当は分かってた、わたしも……。でも……彼女、結婚して引っ越すことになったの。この国を出るから、わたしのことはもう連れて行けないって言ってた。だけどわたし、寂しくて……わたしたちはどんなときもずっと一緒だったのに、最期が呆気なく感じて……なんていうか、思い出を否定されてしまったようで悲しかったの」
 泣き出したララを、わたしはそっと抱き上げた。
「泣かないで」
 ララと視線を合わせ、そっと涙を拭う。
「わたしたちは、お互いにちゃんと役目をまっとうした。悲しいけど、これがわたしたちの寿命なの。それにね、わたしたちにはまだ残された役目があるんだから」
「え――?」
 きょとんとした顔をするララに、わたしはにっこりと笑みを向けた。

 ――ほどなくして、神主がやってきた。
 火が点けられ、空に向かって火柱が上がる。
 わたしは最期、結ちゃんの笑顔をしっかりと目に焼き付けてから目を閉じた。
「結ちゃんの人生が、これからも健やかなものでありますように――」
 そう、祈りを炎に込めて。


 ***


 ――お焚き上げの炎が落ち着いてきた頃、結は竹棒を火にそっと近づけた。
「ねぇねぇお父さん、こうでいいのかな?」
 振り向き、無邪気に首を傾げる結を、僕は涙をこらえて見つめる。
「そうそう。そのまま、しっかり焼くんだぞ。あ、火傷しないようにな。それから、袖も燃えないように気を付けて……」
「分かってるよー!」
 結が持った竹棒に付いているのは、三色団子だ。
「結、見て! こっちのお餅も美味しそうだよ」
「ほんとだーっ! お姉ちゃん、一個ちょうだい!」
「仕方ないなぁ」
 楽しそうな姉妹の顔を見て、やはり涙が込み上げる。
「あなた、私たちも行きましょう」
「……あぁ」
 妻に言われ、僕たちも娘たちの元へ歩み寄る。
「結。お焚き上げの炎で焼いたこのお団子を食べると、一年間健康でいられるのよ」
「そうなの?」
「もしかして、御守りのご利益かな? 結の病気、御守りをあげた途端によくなったもんね!」
「きっとそうだな。さ、残さずちゃんと食べるんだぞ。きっと、それがいちばんの供養になる」
「はーい」
 娘たちの華やかな声に、どうしようもない幸福感があふれていく。
 親バカな自分自身にやれやれと苦笑しながら、僕は空を見上げる。
 そして、どこまでも澄んだ空に昇っていく一筋の煙に、小さく「ありがとう」と呟いた。