二者面談を終えて教室を出た。外はもうオレンジ色に染って、みんなの帰った校舎内は静まり返っていた。
教室にカバンを取りに戻る途中で、雪のクラスを覗いた。今日二者面談ってことは伝えていたから待っててくれてねぇかなぁ、と期待した。期待通り、端っこの机で文庫本を読んでいる彼女がいる。小さくガッツポーズして、ドアを開けた。
「今日暑くね?」
自然に。元から黒髪でしたけど?っていうテンションで、雪に話しかける。
雪はこちらを向いて、少しだけ目を見開いた。いいリアクション。
「帰りアイス食って帰ろうぜ」
雪の前の席に座って、雪の方を向く。彼女の机に肘をついて「な?」と反応を伺った。
雪はまだ驚いているようで、声を発さない。
「そんな驚く?」
「……」
「もしかして俺、似合ってない?」
「……誰?」
固まる。血の温度が冷えていく感覚。
「…あれ?俺、そんな変わりすぎた?」
「……」
「先生が黒にしろってうるせぇから」
「……」
雪の顔が、まるで初対面の人みたいに俺を不思議そうなカオで見つめる。
「…え?」
ザワザワと心が揺らぐ。違和感があった。
冗談なんかじゃない。雪が、俺を、俺だって分かってない。
「雪?」
「…ぇ、」
「俺、聡」
「…ぁ、」
「雪?何、どした?」
冷や汗が垂れそうなのを堪えて、触れようと手を伸ばした。ら、反射的に振り払われて、雪が泣きそうに立ち上がった。
びっくりして、思考能力が停止する。振り払われた手が行き場を失って空中を彷徨う。
なんで…、なんだ、なんだ…これ。
立ち上がった衝撃で落ちてしまった本が切ない。泣きたいのは、俺のほうだ。
「さと、しく…」
「…雪」
「ごめ…っ、ごめんなさ…!」
口を抑えて、雪がバツの悪そうなカオで謝る。謝り続ける。まるで何か悪いことをしたかのような反応。
意味が分からなかった。なんで謝るのか。
「…雪、どういうこと」
「ごめん、なさ…ごめん…っ、」
「いや、だから、なんで謝んの」
「わた、し…聡…、くん…」
「雪、俺見て、顔上げて」
「ヤダ、やだ…!」
「雪!」
思わず大きな声で叫んだ。彼女の顔から手を取って、無理やり視線を俺に向けた。
びくっ、と肩が震えた直後に、ボロボロと大きな粒の涙が彼女の瞳から溢れ出す。
似合ってる、なんて言葉はおろか、あのときの、安心したように笑う姿さえ、そこにはなかった。
雪の大きな瞳の中には、怒りとか悲しみとか、そんなの通り越して、不安に黒く染まった俺が映る。
「…俺が、分かんない?」
「…っ、!」
「雪」
「ごめ…」
「謝んなくていいから!」
「っ…」
「…話して、ちゃんと」
「……ゃ」
「何も、怒ったりしねぇから」
「………たし、…わたし…は、」
怯えながら雪が話しだす。まるで迷子の少女のように。
「人の、顔が…覚えられない……」
ポツリ、聞こえた言葉を理解するのに時間を要した。
人の、顔…。
分からなかった。顔が覚えられない、ということが。
俺の中では、というか俺以外の人も、人の顔は覚えようとして覚えるものじゃないと思う。自然と入ってきて、なんとなく会ったことあるとかないとか、記憶の中で名前と顔を一致させて、一人の人間を認識する。意識しなくても人の顔は覚えられるのが普通じゃないのか。
「…っ黙ってて、ごめん、なさい…っ!」
その当たり前のことが、できない。そう打ち明ける彼女に、かける言葉が見つからない。
「…子どもの頃から…っ、気づいたら、友だちがいなく、なってて…。でも、本当ははずっとそばにいたの…。分からないの…。出来事も何もかも、覚えてるのに…、顔が思い出せない…。特徴で、なんとか把握…っ、してて」
しゃくり上げながらたどたどしく話す雪の涙を拭うことができなかった。
空耳のように聞きながら、それでもちゃんと整理して、理解する。
…ああ、なんで俺、気づかなかったんだろう。ぜんぶ、合点がいった。
「一緒にいるときには、ちゃんと分かるの。でも、一瞬でも目をそらすと、パーツがバラバラになって…顔が完成しない…。私の隣にいた人の顔が、壊れたパズルみたいに…なって」
汗の滲む自分の手を握りしめた。
よく迷子になるのは、一緒にいた人の顔を思い出せないから。俺のことを認識できるのは、金髪という目立った特徴があったから。
今日、俺に気づけなかったのは、俺を"金髪"から"黒髪"になった俺だと認識することができなかったから。
修学旅行のときだってそうだ。同じ高校の制服でも、あの空港には工業科のやつらもいた。誤って他学科のところへ着いていけば混乱するのを考慮して、雪はあの場に留まることを決めたのだ。
あのとき、雪は俺を"瀬名くん"と認知していた。でも俺をそう呼べなかったのは、スプレーで金髪を隠していたからだ。
雪は、人を見つけることができない。だから俺に、"探してくれて"ではなく、"見つけてくれて"ありがとう、と言ったのだ。
雪にとって俺は、金髪の人。最大の特徴がなくなった今、名前の目の前にいる俺は、彼女にとって…知らない人。
「ごめ…なさ…っ!」
それは、何のごめんなさい?覚えられなくてごめんなさい?
わけが分からなかった。責めればいいのか、慰めればいいのか。
俺自身も泣きたかった。
分からなかったけど、ただ一つ、気になったことを聞いた。
「…なんで、俺と付き合ってんの?」
「…ぇ、」
「俺のこと、好き?」
「好き…、好きだよ、う、嘘じゃない…」
「なんで?なんで、好きになれたの?だってそんなんさぁ…」
染めたばかりの髪を握りしめて絞り出した声は震えていた。とにかく俺も不安だった。
覚えられもしない、思い出せもしない顔の人間を好きになることは、たぶん簡単なことじゃない。
好きになってくれた理由は一体何なんだ。雪が誰かを好きになれる可能性は、あまり高くなかったはずなのに。
「…聡くん、は覚えてないかも…しれないけど」
「うん」
「空港で、初めて、話したとき…」
「覚えてるよ」
「…あのとき、聡くんは私を見つけたあと、手を取って、みんなのところに連れて行ってくれたの。今まで、みんな私が迷子になることに呆れて、手を引っ張ってくれた人はいなかった…。嬉しかった、すごく安心して…、目がすごく、綺麗で…」
「…目?」
「笑わないでね。…私、覚えられもしないのに、一目惚れだったんだよ」
「…笑わねぇよ」
「笑った時にすごく、目が優しかったの。告白されたとき、嬉しくて…付き合って、隣にいれば、いつか…、いつかちゃんと、忘れずに聡くんを覚えることができるかもしれない、って…そう思って…。でも…っ好きになって、ごめん、なさい…」
聞いた瞬間、何かが弾けたように、さっきまでどうすればいいのか分からず狼狽えていた体が勝手に動いて、彼女の机に半乗りになりながら、つぶしてしまいそうなほど抱きしめた。雪を、思い切り抱きしめていた。込み上げてくるものを精一杯堪えて、必死で離さないように。
黒髪に戻したことを失敗だと思いたくなかった。謝って欲しくなかった。
「頼むから…っ、好きになってごめんとか、言うな」
「…うっ…っう、ぇ」
「俺から告白したんだよ?なのに、俺フラれたみたいじゃんか」
「ちが…、」
「匂いする?牛乳石鹸のさ」
「ん…っ、うん、…ん」
「なぁ雪、そのままでいいよ」
「…っ」
「これからも俺が絶対見つけるから」
「…でも」
「迷子になったら絶対見つける。俺、だって見つけられたもん、空港で。話したこともねぇのに、雪のこと見つけられたじゃん」
「…うん、っ」
「好きだよ、俺、ちゃんと雪が好き。謝ることなんて何もない」
ぎゅう、と雪が俺の制服を握った。すすり泣く声が俺ら以外誰もいない教室に響く。
「髪の毛、黒にしたらちょっとは安定するかと思ったんだよ。俺、頑張るからさ。頑張って雪と同じ大学行く」
「…へ?」
「さっき二者面談で言ってきた。K大だろ?同じ大学行って、いいとこ就職するから、そしたら俺と…結婚して」
「……う、嘘…」
「嘘じゃねぇよ。これからも雪と一緒にいたい」
体を離し、雪と目と目があった。彼女の瞳に、黒髪の俺が映る。
でも、雪のカオにも俺にも不安はもうなかった。ぐっしょり濡れた彼女の頬を袖で拭う。
俺の言葉を理解したのか、また溢れ出す涙。
「あ、おま、今俺拭いてんのに」
「ごめ…っ」
「ふっ、ぶっさいくな顔」
言って、キスをする。引き寄せて、キスをして。雪が、俺という存在に安心して笑ってくれることが嬉しくて、嬉しくてたまらない。
「嘘、すげぇかわい…」
雪がいる、それだけで十分だ。
「なぁ、プロポーズの返事は?」
「…これから、いっぱいきっと私、迷惑かける、…子どもが産まれても、子どもの顔すら分からないかもしれない」
「だから?」
「……え」
「びっくりしたけど、だからって何も変わんねぇし、そんなんでフラれるとか納得いかない」
「…でも」
「しかも将来の子どものこととか考えてくれるほど、俺と一緒にいたいってことでしょ?」
「そ、れは」
「すげぇ嬉しい」
「…っ、私で、いいの?」
「雪がいい」
「…っはい」
大人は笑うだろうか。こんな経験値も権力もない高校生が一丁前に将来を誓い合うことを。髪の色を変えただけで自信に満ちることを。記憶能力が危ういことを棚に上げて、"大丈夫だ"と未来を過信することを。
笑いたければ笑えばいい。雪が笑ってくれるなら、その他のことなんてどうだっていい。
「結婚して、ちゃんと安定できたらまた、金髪にすっから」
「黒も、似合ってるよ」
「…まじ?」
「うん、すごくかっこいい」
「惚れなおした?」
「うん……、あぁ、そっか」
「なに?」
「ふふ…、私、顔を覚えられないおかげで、何度も、何度でも聡くんに一目惚れできるんだよ。見るたびに聡くんに見惚れちゃうな」
「お前、シャレたこと言うなぁ」
「…聡くん」
「ん?」
雪が笑う。夕日に照らされて光る瞼の涙が綺麗で、また恋に落ちる。
「この世界から、私を、見つけてくれてありがとう」
教室にカバンを取りに戻る途中で、雪のクラスを覗いた。今日二者面談ってことは伝えていたから待っててくれてねぇかなぁ、と期待した。期待通り、端っこの机で文庫本を読んでいる彼女がいる。小さくガッツポーズして、ドアを開けた。
「今日暑くね?」
自然に。元から黒髪でしたけど?っていうテンションで、雪に話しかける。
雪はこちらを向いて、少しだけ目を見開いた。いいリアクション。
「帰りアイス食って帰ろうぜ」
雪の前の席に座って、雪の方を向く。彼女の机に肘をついて「な?」と反応を伺った。
雪はまだ驚いているようで、声を発さない。
「そんな驚く?」
「……」
「もしかして俺、似合ってない?」
「……誰?」
固まる。血の温度が冷えていく感覚。
「…あれ?俺、そんな変わりすぎた?」
「……」
「先生が黒にしろってうるせぇから」
「……」
雪の顔が、まるで初対面の人みたいに俺を不思議そうなカオで見つめる。
「…え?」
ザワザワと心が揺らぐ。違和感があった。
冗談なんかじゃない。雪が、俺を、俺だって分かってない。
「雪?」
「…ぇ、」
「俺、聡」
「…ぁ、」
「雪?何、どした?」
冷や汗が垂れそうなのを堪えて、触れようと手を伸ばした。ら、反射的に振り払われて、雪が泣きそうに立ち上がった。
びっくりして、思考能力が停止する。振り払われた手が行き場を失って空中を彷徨う。
なんで…、なんだ、なんだ…これ。
立ち上がった衝撃で落ちてしまった本が切ない。泣きたいのは、俺のほうだ。
「さと、しく…」
「…雪」
「ごめ…っ、ごめんなさ…!」
口を抑えて、雪がバツの悪そうなカオで謝る。謝り続ける。まるで何か悪いことをしたかのような反応。
意味が分からなかった。なんで謝るのか。
「…雪、どういうこと」
「ごめん、なさ…ごめん…っ、」
「いや、だから、なんで謝んの」
「わた、し…聡…、くん…」
「雪、俺見て、顔上げて」
「ヤダ、やだ…!」
「雪!」
思わず大きな声で叫んだ。彼女の顔から手を取って、無理やり視線を俺に向けた。
びくっ、と肩が震えた直後に、ボロボロと大きな粒の涙が彼女の瞳から溢れ出す。
似合ってる、なんて言葉はおろか、あのときの、安心したように笑う姿さえ、そこにはなかった。
雪の大きな瞳の中には、怒りとか悲しみとか、そんなの通り越して、不安に黒く染まった俺が映る。
「…俺が、分かんない?」
「…っ、!」
「雪」
「ごめ…」
「謝んなくていいから!」
「っ…」
「…話して、ちゃんと」
「……ゃ」
「何も、怒ったりしねぇから」
「………たし、…わたし…は、」
怯えながら雪が話しだす。まるで迷子の少女のように。
「人の、顔が…覚えられない……」
ポツリ、聞こえた言葉を理解するのに時間を要した。
人の、顔…。
分からなかった。顔が覚えられない、ということが。
俺の中では、というか俺以外の人も、人の顔は覚えようとして覚えるものじゃないと思う。自然と入ってきて、なんとなく会ったことあるとかないとか、記憶の中で名前と顔を一致させて、一人の人間を認識する。意識しなくても人の顔は覚えられるのが普通じゃないのか。
「…っ黙ってて、ごめん、なさい…っ!」
その当たり前のことが、できない。そう打ち明ける彼女に、かける言葉が見つからない。
「…子どもの頃から…っ、気づいたら、友だちがいなく、なってて…。でも、本当ははずっとそばにいたの…。分からないの…。出来事も何もかも、覚えてるのに…、顔が思い出せない…。特徴で、なんとか把握…っ、してて」
しゃくり上げながらたどたどしく話す雪の涙を拭うことができなかった。
空耳のように聞きながら、それでもちゃんと整理して、理解する。
…ああ、なんで俺、気づかなかったんだろう。ぜんぶ、合点がいった。
「一緒にいるときには、ちゃんと分かるの。でも、一瞬でも目をそらすと、パーツがバラバラになって…顔が完成しない…。私の隣にいた人の顔が、壊れたパズルみたいに…なって」
汗の滲む自分の手を握りしめた。
よく迷子になるのは、一緒にいた人の顔を思い出せないから。俺のことを認識できるのは、金髪という目立った特徴があったから。
今日、俺に気づけなかったのは、俺を"金髪"から"黒髪"になった俺だと認識することができなかったから。
修学旅行のときだってそうだ。同じ高校の制服でも、あの空港には工業科のやつらもいた。誤って他学科のところへ着いていけば混乱するのを考慮して、雪はあの場に留まることを決めたのだ。
あのとき、雪は俺を"瀬名くん"と認知していた。でも俺をそう呼べなかったのは、スプレーで金髪を隠していたからだ。
雪は、人を見つけることができない。だから俺に、"探してくれて"ではなく、"見つけてくれて"ありがとう、と言ったのだ。
雪にとって俺は、金髪の人。最大の特徴がなくなった今、名前の目の前にいる俺は、彼女にとって…知らない人。
「ごめ…なさ…っ!」
それは、何のごめんなさい?覚えられなくてごめんなさい?
わけが分からなかった。責めればいいのか、慰めればいいのか。
俺自身も泣きたかった。
分からなかったけど、ただ一つ、気になったことを聞いた。
「…なんで、俺と付き合ってんの?」
「…ぇ、」
「俺のこと、好き?」
「好き…、好きだよ、う、嘘じゃない…」
「なんで?なんで、好きになれたの?だってそんなんさぁ…」
染めたばかりの髪を握りしめて絞り出した声は震えていた。とにかく俺も不安だった。
覚えられもしない、思い出せもしない顔の人間を好きになることは、たぶん簡単なことじゃない。
好きになってくれた理由は一体何なんだ。雪が誰かを好きになれる可能性は、あまり高くなかったはずなのに。
「…聡くん、は覚えてないかも…しれないけど」
「うん」
「空港で、初めて、話したとき…」
「覚えてるよ」
「…あのとき、聡くんは私を見つけたあと、手を取って、みんなのところに連れて行ってくれたの。今まで、みんな私が迷子になることに呆れて、手を引っ張ってくれた人はいなかった…。嬉しかった、すごく安心して…、目がすごく、綺麗で…」
「…目?」
「笑わないでね。…私、覚えられもしないのに、一目惚れだったんだよ」
「…笑わねぇよ」
「笑った時にすごく、目が優しかったの。告白されたとき、嬉しくて…付き合って、隣にいれば、いつか…、いつかちゃんと、忘れずに聡くんを覚えることができるかもしれない、って…そう思って…。でも…っ好きになって、ごめん、なさい…」
聞いた瞬間、何かが弾けたように、さっきまでどうすればいいのか分からず狼狽えていた体が勝手に動いて、彼女の机に半乗りになりながら、つぶしてしまいそうなほど抱きしめた。雪を、思い切り抱きしめていた。込み上げてくるものを精一杯堪えて、必死で離さないように。
黒髪に戻したことを失敗だと思いたくなかった。謝って欲しくなかった。
「頼むから…っ、好きになってごめんとか、言うな」
「…うっ…っう、ぇ」
「俺から告白したんだよ?なのに、俺フラれたみたいじゃんか」
「ちが…、」
「匂いする?牛乳石鹸のさ」
「ん…っ、うん、…ん」
「なぁ雪、そのままでいいよ」
「…っ」
「これからも俺が絶対見つけるから」
「…でも」
「迷子になったら絶対見つける。俺、だって見つけられたもん、空港で。話したこともねぇのに、雪のこと見つけられたじゃん」
「…うん、っ」
「好きだよ、俺、ちゃんと雪が好き。謝ることなんて何もない」
ぎゅう、と雪が俺の制服を握った。すすり泣く声が俺ら以外誰もいない教室に響く。
「髪の毛、黒にしたらちょっとは安定するかと思ったんだよ。俺、頑張るからさ。頑張って雪と同じ大学行く」
「…へ?」
「さっき二者面談で言ってきた。K大だろ?同じ大学行って、いいとこ就職するから、そしたら俺と…結婚して」
「……う、嘘…」
「嘘じゃねぇよ。これからも雪と一緒にいたい」
体を離し、雪と目と目があった。彼女の瞳に、黒髪の俺が映る。
でも、雪のカオにも俺にも不安はもうなかった。ぐっしょり濡れた彼女の頬を袖で拭う。
俺の言葉を理解したのか、また溢れ出す涙。
「あ、おま、今俺拭いてんのに」
「ごめ…っ」
「ふっ、ぶっさいくな顔」
言って、キスをする。引き寄せて、キスをして。雪が、俺という存在に安心して笑ってくれることが嬉しくて、嬉しくてたまらない。
「嘘、すげぇかわい…」
雪がいる、それだけで十分だ。
「なぁ、プロポーズの返事は?」
「…これから、いっぱいきっと私、迷惑かける、…子どもが産まれても、子どもの顔すら分からないかもしれない」
「だから?」
「……え」
「びっくりしたけど、だからって何も変わんねぇし、そんなんでフラれるとか納得いかない」
「…でも」
「しかも将来の子どものこととか考えてくれるほど、俺と一緒にいたいってことでしょ?」
「そ、れは」
「すげぇ嬉しい」
「…っ、私で、いいの?」
「雪がいい」
「…っはい」
大人は笑うだろうか。こんな経験値も権力もない高校生が一丁前に将来を誓い合うことを。髪の色を変えただけで自信に満ちることを。記憶能力が危ういことを棚に上げて、"大丈夫だ"と未来を過信することを。
笑いたければ笑えばいい。雪が笑ってくれるなら、その他のことなんてどうだっていい。
「結婚して、ちゃんと安定できたらまた、金髪にすっから」
「黒も、似合ってるよ」
「…まじ?」
「うん、すごくかっこいい」
「惚れなおした?」
「うん……、あぁ、そっか」
「なに?」
「ふふ…、私、顔を覚えられないおかげで、何度も、何度でも聡くんに一目惚れできるんだよ。見るたびに聡くんに見惚れちゃうな」
「お前、シャレたこと言うなぁ」
「…聡くん」
「ん?」
雪が笑う。夕日に照らされて光る瞼の涙が綺麗で、また恋に落ちる。
「この世界から、私を、見つけてくれてありがとう」