聖女の力を失った私は用無しですか?~呪われた公爵様に嫁ぎましたが、彼は私を溺愛しているそうです~

 選ばれた数人の精鋭たちが教えるのだ。

「もしかして、なぜ私が教えているのか、気になりますか?」
「──っ!」

 コルネリアの考えや疑問を見抜いたように、テレーゼはふっと微笑み、そして真っすぐにコルネリアを見つめて語り始めた──


「もともと私は子爵家の娘でした」
「え……?」

 テレーゼの口から放たれた真実はコルネリアに予想だにしない内容であり、思わず瞬きを一つしてその後の動きを忘れるほど驚いた。

「没落したんです。両親がある貴族に騙されて事情に失敗し、そして両親は多額の借金を背負いました」
「……」
「家業である貿易業はすぐに立ち行かなくなりました。船の組員に払う賃金はなく、そして船を売り払い、そして何もなくなりました」

 コルネリアは淡々と語る彼女の話にじっと耳を傾けて、そして目を閉じた。
 そして、彼女は口を開いた。

「それで、ご両親は……?」

 少し聞くのが怖かった言葉をコルネリアは勇気を振り絞って聞いた。
 しかし、その次に聞こえてきた言葉は彼女の中で何パターンか考えた彼女の答えで最も悲惨なものだった。

「死にました」
「……っ!」

 テレーゼは特に涙を流すでもなく、表情を変えるでもなくただ淡々と両親の死を伝えた。

「もう爵位を返上して田舎暮らしをしようというときでした。私が今までお世話になった学友たちに挨拶を兼ねて最後のお茶会に参加した日に、両親は自宅で自殺していたそうです」
「テレーゼ……」
「当時のメイドたちが気を遣ってその現場は見せないようにと、計らってくれました。最後に見た両親の顔はなんとも忘れられません」

 コルネリアはその話を聞き、ゆっくりとテレーゼに歩み寄ると、そのまま彼女の背中に両腕を回した。

「コルネリア様?」
「テレーゼ、ごめんなさい。ひどいことを思い出させてしまった。ごめんなさい……」

 目をぎゅっとつぶりながら彼女の胸元に顔をうずめて謝るコルネリアに、テレーゼは優しい顔で微笑んで、そしてコルネリアの背中に自らの手を当てた。

「大丈夫です、私はそれからこの家に拾われて、救われました。レオンハルト様たち、この屋敷の皆様に救われました。だから、コルネリア様がレオンハルト様のために、というお気持ちも痛いほどわかります」
「テレーゼ、一緒に、私と一緒にこの家のために、レオンハルト様のためにお願いできないかしら?」
「もちろんです。私にできることであれば、精いっぱい努めさせていただきます! 私は、ドジでのろまなメイドですが、あなた様のことを尊敬して、支えたいですっ!」

 そんな風に言われたことがなかったコルネリアは大きく感情が揺さぶられ、そして唇がわずかに震える。
 つらい過去があってもくじけずに誰かのために、自分を守ってくれた人たちのために心を尽くす。
 当たり前のように見えてそうではなく、それはテレーゼだからこそできるのではないか、とコルネリアは思った。

 日が差し込む窓の近くで彼女らはこの屋敷、そしてレオンハルトへの恩に報いる決意を新たにして、微笑み合った。
 コルネリアとテレーゼの二人三脚のマナー習得への道が始まる──

 ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう──

 テレーゼ・フィードルはお茶会用におめかしをしたドレスを床につけながら、そして膝から崩れ落ちる。
 自邸に着いたすぐ後、そのまま何か騒がしい様子に気づいてメイドに声をかけるが、慌てた様子で彼女はテレーゼの背中を押して近くの応接室へと向かわせる。

「どうしたの? ミア」
「テレーゼ様、落ち着いて聞いてください」
「ええ、なに?」
「旦那様と奥様が……亡くなりました」
「…………え?」


 彼女が両親の死を伝えられたのは18歳の時。
 もうメイドや執事たち使用人にもわずかに残った給金だけを渡して雇用契約を解除し、皆それぞれの場所へと散っていった。

 古参の執事や一部の使用人だけがテレーゼの両親とテレーゼの世話をするために屋敷に残っていたが、もう皆次の日に解散というところであった。
 そんな前日にテレーゼの両親は自殺し、そしてテレーゼはショックのあまり自室で一晩うずくまって過ごした。

(いけないわ、私が皆を守らなければ)

 両親から場所を密かに聞いていた地下室へと向かうと、何か金目になるものはないかと手当たり次第に探す。

「ないっ! これも、これもお金にならないわっ!」

 皆両親が財政難に陥った今年の春に屋敷のほとんどの骨董品や美術品などを売り払っており、今更空っぽの屋敷で金になるようなものが見つかるはずもない。

「ん……?」

 そんな時、ワインセラーの奥のほうに一本だけいかにも高級そうなワインが置かれており、テレーゼは不思議に思ってそれを手に取る。
 特に何の変哲もない、いや、売れば非常に高価そうなワインなのだが、なぜこれだけが残されていたのか。

「──っ!!」

 深い色をした赤ワインをしばらく眺めていると、テレーゼはあることに気づいた。

「私の……誕生日……」

 そう、何もないこの地下室でただ一つだけ残されたそのワインのラベルには、テレーゼの誕生日が刻印されていた。
 愛する娘の生まれた瞬間を忘れないように、そしてもしかしたらそれはテレーゼの20歳の時の贈り物として渡される予定だったのかもしれない。

「ふぇ……んぐ……ふっ……」

 テレーゼの小さな涙声が地下室に響き渡り、わずかに頬を流れた雫がワインへとポタリと落ちる。
 彼女は少しの間涙を流したあと、ドレスの袖で目をこすると、ワインを大事に胸の前に抱えて走り出した。



「テレーゼ様っ?!」

 メイドのミアがテレーゼを見つけた時には、彼女は雨の降りしきる外から走って帰ってきたところであり、その綺麗なドレスは泥にまみれていた。
 その手には何かを握り締めており、息をはぁはぁと大きく吐きながら肩を揺らす。
 いつの間にかミアの声を聞きつけて屋敷にいた使用人が集まってきており、テレーゼを取り囲み、各々心配の声を寄せる。

 テレーゼは息を整えて背筋を伸ばすと、残っていた使用人三人の手に握り締めていた”それ”を三等分して手渡す。

「テレーゼ様、これは……?」
「ごめんなさい。本当はみんなの生活を保障できるだけのお給金を渡したいのだけれど、今私に渡せるのはそれだけなの」

 渡された給金を眺めながら、ミアは彼女がこの給金のために売り払ってきたであろうもの、そしてそれが地下室にあって屋敷の主人たちがテレーゼの20歳の誕生日に渡してほしいと遺言書で書いていたものだと気づいた。
 亡くなった主人たちと、そしてそれを近くでワインを好んで飲む年配の男性に売ってきたテレーゼの思いを受け取り、唇を噛みしめる。

「本当はみんなと一緒にいたいけど、でも、私はみんなのことを雇うお金がない」
「私は、私はテレーゼ様と一緒ならお金がなくてもっ!」

 ミアがそう叫ぶが、テレーゼは首を静かに振って微笑んだ。

「あなたたちにまで死んでほしくない」
「──っ!!」
「だから、ここでお別れ。私は大丈夫だから、必ず生きるから。だから、お願い、みんなもどうか生きて」

 そう言い残してテレーゼはゆっくりと夜の闇に消えていった──


◇◆◇



 テレーゼはふとヴァイス公爵で与えられている自室で窓の外に輝く月を眺めながら昔を思い出す。

「あれから、もう7年ですね……」

 没落して一人となったテレーゼは屋敷を後にしたのち、何も食べるものも飲むものもなくひたすらに数日彷徨い続けた。
 自分がどちらに向かっているのか、これからどうするのか、何もわからずあてもなく。

 そんな時に偶々社交パーティーの帰りだったレオンハルトの乗る馬車に見つけられ、彼に拾われた。
 テレーゼは数日で動けるようになったが、また迷惑をかけてしまうと思い、テレーゼはヴァイス家を去ろうとした。

 だが、レオンハルトはそれを止めた。

『君の奥底からは生きたいという思いが伝わってくる。本当は生きたい、そうじゃないのか?』

 そう言われてテレーゼはドキリとした。
 両親の死を知り、後を追って死のうとしていた時もあったが、彼女の中に眠る生きたいという欲望が消えなかった。
 それは死んだ家族のためにかもしれないし、最後まで残っていたあの三人の使用人たちのためかもしれない。

「あの時のレオンハルト様の言葉がなければ、私は屋敷を出て野垂れ死んでいたでしょうね」

 月に手をかざして掴もうとするが、当然それは掴めはしない。

(あの時から私は生きると決めました。生きて、生きて、そしてこの屋敷のために働く。私の新しい居場所、今度こそ守りたい)

 ふとテレーゼの脳内にコルネリアの顔が思い浮かんだ。
 自分の過去を打ち明けた時の慈愛に満ちたあの表情が忘れられない。
 そう、彼女もきっと私と同じ、いえ、私以上に辛い経験をしてきた。

 だからこそ幸せになってほしい。

 窓の横にあるテーブルに目を移すと、そこには古い手紙が置かれていた。
 テレーゼはそれをゆっくり手に取ると、悔しそうに唇を噛みしめた。

「あいつさえ、いなければ、いなければっ!」

 テレーゼは、自分の家業を乗っ取り、そして両親を死に追いやった”ある貴族”の名前が書かれた手紙を見つめて、そしてぐしゃりと潰して部屋を後にした──




『親愛なる フィードル伯爵
 
 あなたのその貿易における才は見事でございます。
 今晩のディナーも非常に有意義で楽しい時間が過ごせました。
 またぜひ、今度は娘のテレーゼ様もご一緒に……。
 
 
             あなたの友人 ビスト・ルセック』