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名前を呼ばれただけでドキリとする、それどころか名前を呼ぶと同時に腕を掴まれて余計に心拍数が上がる。
顔が赤くなって、顔を逸らしてしまうコルネリアを見て、レオンハルトは確信した。
(これは嫌で避けているんじゃない、きっとこれは……)
レオンハルトはそこまで考えると、目を少しの間閉じて覚悟をすると、瞼を再び開いてコルネリアの目を見つめて言った。
「コルネリア、僕は君のことが好きだ」
「──っ!!」
「僕はずっと待つよ。だから、君は君の思うように行動すればいい。そして僕はこれから遠慮しない、覚悟して?」
コルネリアはその言葉に少しきょとんとしながら、黙って頷いた。
レオンハルトはいつものようにそっと彼女の頭にポンと手を置くと、優しく微笑んだ。
(コルネリア、恋はね。自分で気づかないと意味がないんだ。だからね、僕は今から君に意地悪をする。君が気づくまで、僕はそっと傍で見守る。ただ、君に真っ直ぐな愛を注ぎ続けながら……)
レオンハルトは自分の気持ちを押し付けたり、感情を無理矢理に教えることはしたくないと思った。
あくまで彼女が自分の気持ちに気づいて、そしてそれに気づいて混乱が収まるまで待つことにしたのだ。
(まあ、君を愛することは待ってって言っても待たないけどね)
夜の闇で美しく月が輝き、そしてその月明かりに二人は照らされていた──
レオンハルトに連れられてコルネリアは10数年ぶりに教会と孤児院にやってきていた。
「……」
懐かしいようなそうでないような、小さい頃の記憶がほとんどないコルネリアは不思議な感覚に陥る。
王国で一番有名で神聖な場所と言われているこの教会は、建物の大きさや敷地はそれほど大きくはない。
ここのシスターと王国の「贅沢は神聖さを失う」という方針の上で成り立っており、皆質素な生活を心がけている。
ただし、劣悪な環境というわけではなく、無駄に浪費をしないことを心がけて清い心を保ち続けるというもの。
コルネリアもその精神を知らず知らずのうちに引き継いでいた──
「おかえりなさい、コルネリア」
「……シスター?」
自分を呼ぶ声のほうへと身体を向けると、そこには自分がおぼろげにしか記憶がない、それでも聞き覚えがあって優しい雰囲気をまとったシスターがいた。
もう腰が曲がり始めており、立つのもかなり一苦労と言った様子のシスターは、それでもゆっくりとコルネリアのほうに歩みを進める。
コルネリアは直感的に彼女が自分を育ててくれた人だ、と気づいた。
「行っておいで」
「……はい」
レオンハルトに促されてコルネリアは、涙を流しながらこちらを向いて手を広げているシスターの元へと駆けだす。
再会を喜ぶ二人は十数年ぶりに会ったことでぎこちなさはあるものの、本能的に覚えている雰囲気が彼女ら時を昔に戻させる。
「コルネリア、会いたかったわ」
「私を育ててくださったシスターさんですよね、またお会いできてよかった」
「あなたが死んだと聞いた時、生きた心地がしなかったわ」
「心配をおかけしてしまい、申し訳ございません」
「いいのよ、こうしてまた会えたんだから」
皺の増えた目元に滲む涙を拭いながら、シスターはコルネリアの背中をポンポンとあやすように叩く。
それはコルネリアが幼い頃によくシスターにしてもらっていた動作で、意識として覚えてはいないが、身体はしっかり覚えていた。
ほっとして懐かしい心地を得たコルネリアは、自分よりも小さくなってしまったシスターの背中をさする。
そんな様子を少し離れた場所からレオンハルトは見つめている。
すると、そんな彼に近づき話し始めるもう一人のシスターがいた。
「レオンハルト様、お久しぶりでございます」
「おや、ニア様。コルネリアを連れてくるのが遅くなり、申し訳ございません」
「いえ、シスター長も喜んでおります」
コルネリアを育てていたシスターは、シスター長というここの責任者であり、子供たちの一番の「母」である。
そしてそんなシスター長を支えるシスターが、ニアであった。
ニアは30代後半に差し掛かっているが、ここではまだ若手の部類。
実際コルネリアがいた少し前にこの教会にやってきていた。
そんなニアはレオンハルトに声をかける。
「コルネリア……いえ、もうコルネリア様と呼んだほうがよいですね」
「いや、私は気にしないし、特にここ周辺で呼び名を咎める者はいないでしょう。それに彼女おそらく敬称はよしてほしいというはずですよ」
そうでしょうか、では……、とまだ少し遠慮がちに話を続けた。
「先日のお話通り、コルネリアには週に一度ほど孤児院の子供たちの面倒をみていただこうかと思っているのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、シスター長やニア、それからコルネリアで話し合って決めてもらって構わないよ」
「かしこまりました。ちょうど小さな子供たちが孤児院に来たばかりで手が回っておらず……」
「今日もぜひコルネリアを案内していただけると助かります」
「ええ、もちろんです!」
そう言って軽くお辞儀をすると、ニアはコルネリアのほうへと向かった。
コルネリアに同じように話をしているようで、孤児院の場所やそこにいる子供たちについて軽く説明をしていた。
いつになく真剣な面持ちで、それでもシスター長やニアと再会できた喜びもあって、ふんふんとうなずきながら時折笑顔を見せている。
「よかった」
思わず、レオンハルトはそう呟いて交流を深めるコルネリアを眺めていた。
しかし、その様子を小さな影が礼拝堂の建物に隠れながら、にらみつけるように見つけていた──
礼拝堂からコルネリアとシスターたちをにらみつけている気配に気づいたのは、見られていたコルネリア自身であった。
その小さな影を見つけると、近寄るでもなく、話しかけるでもなくぺこりという感じで深くお辞儀をする。
「──っ!!」
そんなコルネリアの意外な反応を見て、その小さな影は目を丸くしながらも、ふん、と言った様子でそっぽを向く。
何か良くないことをしてしまったのか、とコルネリアは思ったが、彼女のお辞儀とその視線の先にいた小さな影を見て納得がいったようにニアが声をかけた。
「ヒルダ、あなたの先輩なのよ、きちんとご挨拶しなさい」
「ふん、しないわよ、バーカ」
「こらっ! そんな言葉を使っては……っ! 待ちなさいっ!!」
小さな影──子供のヒルダを追いかけるようにしてニアがコルネリアから離れていく。
ニアと入れ替わるようにコルネリアの傍にはレオンハルトがゆっくりと近づいて来る。
そんな彼女にコルネリアは少しため息を吐いてから、申し訳なさそうな表情を浮かべて呟いた。
「何か嫌われるようなことをしてしまったのでしょうか」
「いいや、そうじゃないと思うよ。ここに来る子はたくさん事情を抱えているからね。何か理由があるんだと思うよ」
「そうなのかもしれません」
コルネリアはレオンハルトの言葉を聞くと、意志の強い目をして一つ頷き、ヒルダのほうへと向かって行った。
ニアに注意されてもコルネリアのことをにらむことを止めず、ヒルダは木の陰から近づいて来る彼女を見つめる。
威勢のよさとは反対に常に隠れて相手の動向を確認している。
(何かに不安を抱えているのかも)
そんな風に感じたコルネリアは、ヒルダを怖がらせないようにと、ある程度の距離を取りながら彼女に話しかける。
「ヒルダさん、こんにちは。コルネリアと申します。よろしくお願いします」
「ふんっ! 知ってるわよ、死んだことにされてた落ちぶれ聖女さま」
「ヒルダっ!!」
「ニアさん、本当のことですから、いいんです」
コルネリアはしゃがんでヒルダに目線を合わせると、そっと語り掛ける。
「あなたのこと、少し伺っていました。私のせいで悲しい思いをさせてしまい、すみません」
──そう、コルネリアは事前にこのヒルダのことについて事情を聞いていた。
というのも、このヒルダという勝気な少女が今この教会で預かっている子供の中で最も強い力を持つ聖女だったからだ。
彼女は幼い頃のコルネリアほどではないにしろ、近年稀に見るほどの強い力を持った子であったが、貴族や王都の富裕層たちは彼女のことを冷たい目で見ていた。
それはルセック伯爵がコルネリアのことを「災いをもたらした聖女」として強く批判をして、噂を流したから。
散々コルネリアの神聖な聖女の力を利用して、そして力尽きたら用済みとして死んだことにしただけでなく、彼女の評判までを落とした。
その評判を信じた貴族たちや商人などは教会の聖女たち、特に一際力の強かったヒルダの聖女としての素質を疑って、陰口を言うようになった。
もちろん、王族の息のかかった教会や孤児院であるがゆえに、おおっぴらには非難しないが……。
つまり、ヒルダとしては自分たちが苦しい思いや批判を向けられるようになったのは、コルネリアのせいだといっていたのだ。
コルネリアもその事情、そして自分自身が突然聖女の力を失ってしまったことに対して、そしてそれが理由で子供たちに非難の声が向けられることに心を痛めた。