秘密の生活が始まって5ヶ月だった頃。
冬の寒さが消え去り、春らしい暖かさと薄ピンク色の桜の花弁が舞っていた季節。
進級した景は、入学してきた後輩と出かける用事ができた。その後輩は千紗と同じ幼馴染の仲。まるで兄妹みたいな関係だった。
千紗は、小柄で可愛いその後輩を姿見に被せられた布の隙間から見ていた。
(あんな可愛い子が景とデート?もったいなくない?)
どこか見覚えがある子だったが、記憶が欠落している千紗には分からなかった。
景と親しそうに話す姿に千紗はどこかヤキモキした気持ちを抱いた。
(私といる時より楽しそうじゃない?なによ)
「優里。そろそろ行こうか?」
「うん♪私あの映画すごく観たかったの!!景くんと一緒に見られるなんて嬉しい♪」
優里と呼ばれたその後輩は嬉しそうに景と映画デートに出かけようとしている。
姿見から出られない千紗はその様子に指をくわえるしかなかった。もしかしたら、自分があの後輩の立ち位置だった筈だと。
(……賭けだけど、もしかしたら鏡がある所なら…)
居ても立っても居られなくなった千紗はある事を思いつく。ヤキモチという気持ちを知らず知らずに移した行動。
(もし、移動が成功して記憶を思い出せたら私の家に帰れるかもだし。モノは試しね!!!)
そうとは知らない景は、後輩の子と共に映画館に向かっていた。
少し姿見の中にいる千紗が気がかりだが、ちゃんと布を被せてきたから家族に見られることはないだろうと無理に自分を安心させようとした。
だが、実際は千紗の姿は景にしか見えていない。もしも為の策だった。
けれど、どうして自分にしか見えないのか、何故景の部屋の姿見に閉じ込められているのか、千紗の記憶の欠落と姿見から出られない理由が分からないままだ。
(いつか優里ちゃんに話すべきかも…)
そう悩んでいると隣にいる後輩の優里は心配そうに景の顔を覗く。
「景くん?どうしたの?調子悪い?」
「あ、ううん!!ごめん、考え事してて。ほら、これから見るの楽しみにしてやつだったからさ」
「なーんだ!よかったぁ。なんか思い詰めてる様な顔してたから心配しちゃった。でも、元気そうでよかった」
「それは優里ちゃんもでしょ?どう?大分叔母さんちでの生活は落ち着いた?」
「うん!!少しずつ慣れてきたし、叔母さん達も優しいから!!」
「そっか」
元気そうな後輩の姿を見て景は少し安心していた。だが、2人は同じ心の傷を負っているのは承知している。それがすぐに癒えないことも。
映画館に着いた2人は、チケットとポップコーンとジュースを買い案内された劇場内へ向かう。
「ごめん、優里ちゃん。ちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん分かった。それじゃあ先に席に着いてるね」
優里を先に席の方へ向かわせ、景はトイレへと急ぐ。
男子トイレには景しか入って来ずとても静かだった。用を出し、手を洗おうとしたい時。
「景くん?だっけ?アンタの呼び名?」
「うぉ?!!」
「気になって付いて来ちゃった。よかった。景だけで」
「おま、か、帰れよ!!誰かに見られたら…!!!」
「大丈夫でしょ?どーせ、今の私の姿はアンタにしか見えない訳だし。それより、あの後輩の子となんか良い雰囲気だけど…?何?彼女?」
「え…」
景は千紗のその言葉に驚愕する。彼女と指摘されたからではない根本的な意味でだ。
まさかここまで千紗の記憶が欠落していたことに景は愕然とした。
「そ、そんな、嘘だろ?覚えてないのか?本当に?」
「はぁ〜?覚えてないわよ。あんな可愛い子私初めて見たし。アンタには勿体無いくらい優しくて良い子みたいじゃないの」
「……」
「あんなに良い子そうそういないよ?逃さない様にしなきゃ。大好きなんでしょ?」
「……どう…かな?まだ分かんない」
「分かんないって…。あんなに親しそうにしてたのにない言ってるのよ。早くしないと別の奴に…」
景はショックを隠せないまま右腕に付けていた腕時計を見る。そろそろ戻らないと優里に迷惑をかけてしまう。
一刻も早くここから離れたかった。千紗の記憶の欠落がここまで酷くなっているという事実は景を傷つけるのには十分だった。
「ごめん、千紗、俺そろそろ行かなきゃ。また後で話そう」
「あれ?もう上映時間なの?」
「まだ少しあるけど、人来るかもだから。ごめん、もう行くよ」
「変な景。まぁ、デート楽しんでよ。優里ちゃん悲しませちゃダメだからね」
胸を締め付けられる思いをしながら景は首を縦に振る。
景は急いで優里の元へ戻った。千紗はそんな彼の背中を切なげに見つめていた。
一人鏡の中に取り残された千紗は、景が自分から離れてゆく現実を受け入れられずにいた。
「こんな事なら…外の世界にいる時に言えば良かった…どうして私こんな所にいるの?」
千紗の目から涙が流れ落ちる。千紗が忘れずに済んだ大事な記憶の一つが彼女を悲しみへと誘ってゆく。
(どうしよう…景があの女の子に取られちゃうよ…!!!)
景と優里が楽しそうに話していた姿は恋人そのものだった。その光景は千紗をさらに追い詰めてゆく。
鏡の世界に閉じ込められた少女に得るモノはない。大事なモノを失うばかりだと思い知らされたのだった。
冬の寒さが消え去り、春らしい暖かさと薄ピンク色の桜の花弁が舞っていた季節。
進級した景は、入学してきた後輩と出かける用事ができた。その後輩は千紗と同じ幼馴染の仲。まるで兄妹みたいな関係だった。
千紗は、小柄で可愛いその後輩を姿見に被せられた布の隙間から見ていた。
(あんな可愛い子が景とデート?もったいなくない?)
どこか見覚えがある子だったが、記憶が欠落している千紗には分からなかった。
景と親しそうに話す姿に千紗はどこかヤキモキした気持ちを抱いた。
(私といる時より楽しそうじゃない?なによ)
「優里。そろそろ行こうか?」
「うん♪私あの映画すごく観たかったの!!景くんと一緒に見られるなんて嬉しい♪」
優里と呼ばれたその後輩は嬉しそうに景と映画デートに出かけようとしている。
姿見から出られない千紗はその様子に指をくわえるしかなかった。もしかしたら、自分があの後輩の立ち位置だった筈だと。
(……賭けだけど、もしかしたら鏡がある所なら…)
居ても立っても居られなくなった千紗はある事を思いつく。ヤキモチという気持ちを知らず知らずに移した行動。
(もし、移動が成功して記憶を思い出せたら私の家に帰れるかもだし。モノは試しね!!!)
そうとは知らない景は、後輩の子と共に映画館に向かっていた。
少し姿見の中にいる千紗が気がかりだが、ちゃんと布を被せてきたから家族に見られることはないだろうと無理に自分を安心させようとした。
だが、実際は千紗の姿は景にしか見えていない。もしも為の策だった。
けれど、どうして自分にしか見えないのか、何故景の部屋の姿見に閉じ込められているのか、千紗の記憶の欠落と姿見から出られない理由が分からないままだ。
(いつか優里ちゃんに話すべきかも…)
そう悩んでいると隣にいる後輩の優里は心配そうに景の顔を覗く。
「景くん?どうしたの?調子悪い?」
「あ、ううん!!ごめん、考え事してて。ほら、これから見るの楽しみにしてやつだったからさ」
「なーんだ!よかったぁ。なんか思い詰めてる様な顔してたから心配しちゃった。でも、元気そうでよかった」
「それは優里ちゃんもでしょ?どう?大分叔母さんちでの生活は落ち着いた?」
「うん!!少しずつ慣れてきたし、叔母さん達も優しいから!!」
「そっか」
元気そうな後輩の姿を見て景は少し安心していた。だが、2人は同じ心の傷を負っているのは承知している。それがすぐに癒えないことも。
映画館に着いた2人は、チケットとポップコーンとジュースを買い案内された劇場内へ向かう。
「ごめん、優里ちゃん。ちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん分かった。それじゃあ先に席に着いてるね」
優里を先に席の方へ向かわせ、景はトイレへと急ぐ。
男子トイレには景しか入って来ずとても静かだった。用を出し、手を洗おうとしたい時。
「景くん?だっけ?アンタの呼び名?」
「うぉ?!!」
「気になって付いて来ちゃった。よかった。景だけで」
「おま、か、帰れよ!!誰かに見られたら…!!!」
「大丈夫でしょ?どーせ、今の私の姿はアンタにしか見えない訳だし。それより、あの後輩の子となんか良い雰囲気だけど…?何?彼女?」
「え…」
景は千紗のその言葉に驚愕する。彼女と指摘されたからではない根本的な意味でだ。
まさかここまで千紗の記憶が欠落していたことに景は愕然とした。
「そ、そんな、嘘だろ?覚えてないのか?本当に?」
「はぁ〜?覚えてないわよ。あんな可愛い子私初めて見たし。アンタには勿体無いくらい優しくて良い子みたいじゃないの」
「……」
「あんなに良い子そうそういないよ?逃さない様にしなきゃ。大好きなんでしょ?」
「……どう…かな?まだ分かんない」
「分かんないって…。あんなに親しそうにしてたのにない言ってるのよ。早くしないと別の奴に…」
景はショックを隠せないまま右腕に付けていた腕時計を見る。そろそろ戻らないと優里に迷惑をかけてしまう。
一刻も早くここから離れたかった。千紗の記憶の欠落がここまで酷くなっているという事実は景を傷つけるのには十分だった。
「ごめん、千紗、俺そろそろ行かなきゃ。また後で話そう」
「あれ?もう上映時間なの?」
「まだ少しあるけど、人来るかもだから。ごめん、もう行くよ」
「変な景。まぁ、デート楽しんでよ。優里ちゃん悲しませちゃダメだからね」
胸を締め付けられる思いをしながら景は首を縦に振る。
景は急いで優里の元へ戻った。千紗はそんな彼の背中を切なげに見つめていた。
一人鏡の中に取り残された千紗は、景が自分から離れてゆく現実を受け入れられずにいた。
「こんな事なら…外の世界にいる時に言えば良かった…どうして私こんな所にいるの?」
千紗の目から涙が流れ落ちる。千紗が忘れずに済んだ大事な記憶の一つが彼女を悲しみへと誘ってゆく。
(どうしよう…景があの女の子に取られちゃうよ…!!!)
景と優里が楽しそうに話していた姿は恋人そのものだった。その光景は千紗をさらに追い詰めてゆく。
鏡の世界に閉じ込められた少女に得るモノはない。大事なモノを失うばかりだと思い知らされたのだった。