夏休みに入る直前、ある日の昼食時。
 蝉の声が降り注ぐ中庭のベンチに座る藍の横には、桃真がいた。
「そういやさ、神通力ってなんなの? 天狐になったら与えられるっていうけど」
 それは、ただ好奇心から出た純粋な言葉だった。
 なのに。
「ぶっ」
 盛大に、桃真がお茶を吹きかけてむせた。
「えっあっダメだった? ダメだよね、あ、学校内でこの話は禁止? ごめん!」
 なにか、そういう狐内ルールみたいなものがあるのかもしれない。
「っげほ、はあ。いや、そういう決まりはない。安心して」
「あ、そう?」
 ならいいが。
「え、じゃあ、どーしたの?」
「・・・・・・なんでもない」
 そっと桃真の視線がずれる。やっぱりなにかあるらしい。
「なんでよ! はっ、もしかして神通力ってタブーだった? 一般人の私には教えられないとか!」
「そんなこともないけど・・・・・・」
「えっ、じゃあ・・・・・・なんで?」
 さすがに藍の想像内にあるようなことではなかったらしい。
「俺は・・・・・・今も一応、弱いけど幻覚を見せる、そんな超能力は持ってる」
「えっ、そうなんだ! 天狐は?」
「天狐になったら授かる神通力には六種類ある。それを主に、六神通っていうんだけど」
 桃真がいうには。
 一つ目。いろんな場所に自由に行ける、神足通。
 二つ目。すべてを見通す、天眼通。
 三つ目。すべての音を聞き分ける、天耳通。
 四つ目。前世の状態を知る、宿命通。
 五つ目。煩悩を消し迷いの世界に生まれないことを知る漏尽通。
「うんうん。それで、六つ目は?」
 五つ目は少し難しかったが、まあいいだろう。最後にすごい能力がくるのでは、とわくわくしながら桃真を見つめるが、視線はぶつかることなくそらされてしまう。
「え? これだけ? 『六』神通じゃないの? あっ九州的な? 昔の呼び方が残ってるとか」
「いや・・・・・・今もちゃんと六つある」
「じゃあ、六個目は? ちょっと。なに隠してるの? やましいことでもあるの? はっ、もしかして透視⁉︎ 服の中見えるとか?」
 体を反射的に庇うと、ぱっと桃真が顔を上げた。的外れな妄想を繰り広げる藍に呆れてか、話してくれる気になったらしい。
「目の能力は、天眼通があるだろ。六つ目は、・・・・・・他心通だ」
「たしん?」
「他の心を通すって書く」
「え」
 それって、つまり、それは。
「他人の心の中を覗けるってこと?」
「・・・・・・ああ。引いたか? やめたくなっただろ?」
 ああ、そういうこと。
 桃真の目の中には、はっきりとした恐怖と落胆が浮かんでいた。
「別に? 私あんたみたいにやましいこと抱えてないし。心の中見られようが、全く問題なし。ノープロブレム」
「俺、もうやましいことなんかない」
「ふ〜ん? 本当に言ってる?」
 軽くカマをかけると、桃真がうっと顔を歪めた。まさかまさかのまだ言っていないことがあるとは。
「えっまだあるわけ?」
「・・・・・・ない」
「あるじゃん絶対」
 みるみる桃真の顔が赤く染め上げられていく。
「ん? 真っ赤じゃん。どうしたの?」
 まるでティッシュが色水を吸い込むかのようにじわじわと変わる桃真の顔色が面白くて、藍は桃真の頬をつついた。
「別に・・・・・・違う」
 桃真が唇を引き結んだ。色が引いていく。
「なにが違うのよ」
 ごく、と水筒の水を口に含む。からからと、中に入った氷が音を立てた。冷たい水が喉に流れ込み、熱気にのぼせていた体が程よく冷えていく。
「・・・・・・人の心を覗きたくなることって、あるだろ?」
「それは、・・・・・・そう、だけど」
 思い浮かぶのは蘭のことだった。きゅっと、水筒を握る手に力がこもる。彼の心の中を知れたなら、どれだけ気持ちが楽になるだろう。
 そういうことだよ、と掠れた声で桃真がつぶやいた。
***