「ぴぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! あんのクソ猫! ふざけんなぁぁぁぁ!」

 戦場の空白地帯。 光線や轟音が飛び交う荒れ地に、偶然産まれた安全地帯に柏木 智子は放り出された。
 塹壕のように砲撃でくり貫かれた浅いクレバスを見つけると、智子はすかさず滑り込むように逃げ込む。
 はぁはぁと荒い呼吸を整え、一時の安全を確認すると智子は体育座りで途方に暮れ俯いた。
 戦場の真っただ中、それは変わらない。遠いところでは砲撃や銃撃音、そして耳を覆いたくなるような甲高く不気味な鳴き声。
 その轟音が響くたびに赤茶けた髪にはぽろぽろと砂粒が降りかかる。
 それを払うこともせず、クレバスの隙間から覗く上空に浮かんだ紫色の球体を眺める智子は半泣きだった。
 その中で智子はこの戦場の真っただ中に放りだされた元凶に呪詛を呟く。

「死ぬ! 絶対死ぬ! なによこの数! なぁにが相手も追い詰められてるよ! あの大嘘つきの精霊め!」

 猫の顔に二本足。その顔に耳まである笑顔を張り付けた、異世界から来た胡散臭い精霊チェシャの顔が脳裏に浮かぶ。
 智子はここに連れてこられた経緯を思い出していた。

 ――「やぁやぁ、トモちゃん。 君、最終決戦だというのに《《まさか》》、逃げられると思ってる?」

 黒猫の顔に笑顔の張り付いた気味の悪い二足歩行の男――チェシャはトモと呼ばれた赤髪の女子高生が部屋でがたがたと震えていると急に現れた。
 世界は異世界エーレンゼルからの侵攻に対し最終局面を迎えていた。

「ぴぇ、ごべん゛な゛ざい。 でもほんと勘弁してください!」

 赤髪の女子高生――トモはその瞳に恐怖を映し、その小柄な体格で全力でノーを表現する。
 いやいやと首を振る姿は激しく。その気持ちを雄弁に語っていた。
 その姿に黒猫は裂けそうなほど大きな口を更に釣り上げる。

「別に僕はね。お願いにきたわけじゃないんだ。 なぁに簡単なことさ、高度な連携も、作戦もいらない。いつも通り大剣振り回して大暴れしてきてっていうだけさ! なに簡単だろ?」

 その顔をトモにぐいっと近づけ黒猫はいう。
 簡単だ。そんなの嘘に決まっている。いままで簡単なことなど一度もなかったのだ。半ばいままで押し付けられてきて、痛いのも辛いのも十二分にしてきた。
 その経験の中でも特に今回は嫌な予感がしている。

「だって、エーレンゼルの神が降臨するって……。そんなん人が戦うもんじゃないんじゃ?」

「じゃあ、このまま滅びるかい? まぁいいやどうせ君は戦う羽目になる」

 そういうとパチン!と指を鳴らすチェシャ。その瞬間トモの世界は一変する。
 どんよりとした雲に覆われた荒れ地の上空に彼女は放り出されたのだ。
 自由落下を始める体。その不快な感覚と恐怖心、そしてチェシャへの恨み、すべてを込めてトモは叫んだ!

「ぴぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! あんのクソ猫! ふざけんなぁぁぁぁ!」

 甲高い心から叫んだ鳴き声を、だれかが聞くこともなかった。
 
 ――そして今に至る。
 嫌な顔を思い出していると、一際大きな轟音が近くで響いた。 どうやら砲撃がこの近くに着弾したらしい。 クレバス内が激しく揺れる。
 ごつごつとした石と硬い砂粒がトモの頭部を襲う。

「あだ! あだ! あだだだっあだ!」

 トモは頭部をさすり涙を目に並々と湛えながら、首に掛けた黒い水晶に話しかける。

「ちょっと! クーリガー! なんで防御障壁張ってないの?」

「マイスター。 うるさいです。 潜伏中なんですから静かに。現在は魔力の温存中です。大して使いもしない頭部が多少傷つくぐらいで障壁を張る余裕はありません」

 すると、機械の合成音声のような男性的な声が水晶から聞こえる。
 その言いざまは辛辣だった。
 その水晶の名は魔導生物|《クーリガー》、チェシャが作り与えたトモの相棒。
 それは産みの親に負けず劣らず口が悪く陰険であった。

「あんた、主人に対して礼儀がなってないんじゃないの? いっつもいっつもいっつも! 私だって頑張ってるんだから!」

「頑張って、いつもビルを切り落としたり、橋を落としたり、アスファルトを剥がして土を剥き出しにしたりしてますね。 力技がいいとこです。 はぁ」

 そういって呆れ果てた様子のクーリガー、表情はわからないが顔があればさぞ落胆した顔を見せていることだろう。

 ――戦いはそれから三日三晩続いた。ここに無理やりで放り出されて、もう三日だ。
 普段着のまま連れてこられて着替えもなく、砂に塗れブロック食料と水だけで三日。
 普段はただの女子高生のトモには限界だった。 
 なぜ私がこんな目に……。 彼女は己の不幸を嘆く。
 戦いはまだ始まっても居ないというのにもう心が折れかかっている。
 元来トモはそれほど、忍耐強くも我慢強くもない。どちらかといえば飽き性で怠惰だ。

 そんな彼女がなぜこの戦場に来る羽目になったかと言えばチェシャと契約し魔法少女になったためだ。
 その契約は一方的で、理不尽なものだった。
 家の周辺にたまたまエーレンゼルの侵攻兵器が現れ、たまたまトモが巻き込まれ、そして死の間際、チェシャが彼女の前に現れ、命と戦いの天秤を提示したのだ。
 そんなもの、選ぶ余地もない。死の間際の強引な契約など認められるわけがない。
 しかし、魔法による契約は絶対だ。魔術にクーリングオフや違法契約の概念はないらしい。

「あーもうむかついてきた! あのクソ猫絶対契約破棄させてやる! なんでこんな酷い目に合わなきゃなんないんだ!」

「まぁ、一応は最後の大仕事ですから、チェシャ様も聞き届けてくれるかもしれませんよ? ちゃんと交渉できればですが」

 含みをもたせて言うクーリガー、その言い方はどうせトモが言い含められて続ける羽目になるだろうと予想していた。

 トモが交わしたのは魔法(ミリタリー)少女(マジックキャスター)の契約。 異世界の侵略者がこの地球に侵攻を初めて10年、世界防衛の花形は彼女たち魔法(ミリタリー)少女(マジックキャスター)だった。
 各地に唐突に現れる侵略部隊を彼女達通称MMCは、単騎で殲滅する人類の防人だである。
 その身軽さもさることながら、軍隊とは違い単騎での戦闘行為が可能という戦闘能力は人々の安寧を守ることに多大な貢献をしていたのだ。
 彼女らは時に雄々しく、時に可憐に笑顔でみんなを助ける。そんな愛されるヒロインたちなのであった。

 そして先ほどから、砲撃に怯え、みすぼらしく、頭を抱えた少女。
 柏木 智子もそんな魔法少女の一人なのだ。
 ただし、政府非公認の非正規(イリーガル)の魔法少女だが……。

 彼女が非正規と呼ばれる理由は簡単だ。
 彼女が契約した精霊の陣営と、政府が一括で契約している精霊の陣営が異なるのだ。
 そんなことは露とも知らず、彼女は精霊チェシャと契約し相棒であるクーリガーを授かった。

 その後の彼女は謎の魔法少女として、世界を股に掛け奮戦した。
 しかし非正規の魔法少女である彼女は他の魔法少女と折り合いが悪くいつも一人だった。
 そしておおざっぱで強い魔力は人々を守るのと同時に、被害も増える。
 非正規《イリーガル》となじられ、責められこともあった。
 それでも彼女は戦いを重ねるごとにその強大な魔力を開花させこれまで生き残ったのだった。

 そして、この最終決戦の地にて、彼女の役割は侵略者の親玉を討滅することだった。どうやらチェシャが上手く?交渉したらしい。

 空白地帯の前方では指揮官級の魔人と正規魔法少女《ミリタリーマジカルキャスター》が高速戦闘を行い、後方では大小さまざまな魔獣と混成軍が戦っている。
 非正規の彼女が彼らといきなり連携して共闘というのは、無理な話だ。
 ならば、相手の最強の戦力に対してぶつける戦力としての役割をトモは与えられたいう訳だ。勝手に。
 どうやら政府も面子にこだわるほど余裕がないようだ。

 そのため砂に塗れながら、親玉が転移するまで彼女はじっと変身もせず待ち続けたというわけだ。
 いつ流れ弾が飛んでくるともわからない危険な戦場で、だ。

「マイスター。 来ます。 マジカルコートの準備を」 

 精神がくじけるまであともう少し、といったところで相棒のクーリガーから合図があった。
 親玉が現れる前兆か、上空に浮かんでいた紫の球体に力が集まるのが感じられた。
 やっと来た。来てしまった。意を決すると彼女は変身するための魔法の言葉を紡ぐ。

魔導生命体(クーリガー)起動開始(ゲシュタルレット)!」

 その言葉と共にクーリガーよりピンクの光があふれだした。
 二秒ほどでその光が収まると、先ほどのみすぼらしい格好の女子高生はいなかった。

 その光の中から出てきたのは12歳ぐらいの美少女だった。透き通るような肌に、ほんのりとチークが頬に載っている。
 ぼさぼさだった赤茶けた髪はピンクの髪に巻いたツーサイドアップに、薄汚れた服はきらきらと光るフリルのついたスカートや身体のラインが出たドレスに、更にシュシュが両手と右足に巻かれている。
 そしてそのかわいらしい格好に不釣り合いな身の丈ほどある大剣を右手で地面に突き立てあらわれたのだ。
 先ほどとはまったく違う姿。その姿は別人にしか見えないが、

「やっぱり、私一人でやんなきゃだめ? 親玉って神とか言ってるやつでしょ? 勝てるわけないよ。死んじゃうよ!」

 この期に及んで情けないことをいうのは紛れもなく柏木 智子その人で間違いなかった。

 泣き言を吐きつつも、彼女は理解していた。
 ここが、死に場所だ。
 いやいややり始めた魔法少女、最初はそんな気持ちだった。
 非正規だと、馬鹿にされ、邪険にもされたがこの手で救えた命はたしかに、ある。
 ここで命を燃やし尽くすことで救われる命があるなら……。

 そう強く願うと、とめどなく力があふれてくる。
 この魔法の才能と、土壇場に見せる博愛の精神。
 この精神性は紛れもなく魔法少女、人類の守り手。
 弱音を吐くこともあるけれど、彼女はこの瞬間、まぎれもなく魔法少女であった。 
 彼女は大剣の柄を強く握ると、駆け出した。

 ――これより彼女の記憶は曖昧となる。
 神を見つけ、戦い、切り裂いた。
 その感触は残っている。
 そして暗転する世界。
 その世界に光が灯り物語の幕は上がる。