私は今日もペンダントに向かっていた。
 ダイニングテーブルに置かれたそれを、私はじっと睨みつける。昨夜の出来事が夢だとは思えなかったのだ。

「和子、昨日はすまなかった」

 隆成(りゅうせい)さんが私に声をかける。ペンダントを見つめている私を心配したらしい。
 隆成(りゅうせい)さんには、昨日見たことを話さなかった。話したところで頭がおかしくなったと言われるだろうし。何より私自身、ペンダントが見せた景色を信じきれなかった。
 だから今日は、私一人で確かめるつもりでいる。

「明日は仕事休みだろ。ゆっくりしてから寝るといいよ」

 隆成(りゅうせい)さんはいつだって優しい。昨日の優しさをふいにして、不愉快なことを言ってしまったことを、申し訳なく思う。

隆成(りゅうせい)さん。昨日はごめんなさい」

「いや、いいんだ。こっちも配慮が足りなかった」

 私は隆成(りゅうせい)さんと見つめ合う。なんだか気恥ずかしくなって、お互いにふふっと笑った。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 隆成(りゅうせい)さんは一足早く寝室へと向かう。私はペンダントに視線を戻してそれを見つめた。
 ペンダントは沈黙している。昨日はあんなに煌めいていたのに。
 昨日は何故煌めいていたのか。私は理由を考える。
 このペンダントは、異世界を覗く道具。だから、条件さえ整えば使えるはず。
 昨日は確か、健一(けんいち)の写真を持っていた。

 そうか。

 私は健一(けんいち)の写真を抱える。そして念じた。

「もう一度、健一(けんいち)が迷い込んだ世界を見せて。お願い」

 ペンダントが煌めく。宝石の中に影が見える。

 私の願いは、健一(けんいち)に会うこと。
 ペンダントは、その願いを聞き入れた。

 目の前に、おどろおどろしい景色が映し出される。
 そこは何処かの城のよう。ゲームに出てくるような、西洋風の城だ。
 健一(けんいち)は、昨日一緒にいた少女とともに、得体の知れない化け物に向かって突進する。昨日、洞窟で抜いた剣をかまえて。

「魔王・ダークマター! お前の野望もここまでだ!」

 健一(けんいち)が剣を振るい、少女がいくつもの矢を放つ。魔王と呼ばれた怪物は、その全ての攻撃を真っ黒なかぎ爪で弾き返した。健一(けんいち)の体が宙を舞い、床に叩きつけられる。
 私は息を飲んだ。
 健一(けんいち)も少女も傷だらけだった。きっと激しい戦いであったに違いない。だけど魔王には、傷一つついていなかった。

「ハッハッハ! 勇者だか何だか知らんが、我に勝とうなど千年早い!」

「くそう……ここで俺が負けたら……この国は……」

 健一(けんいち)は、剣を杖にして立ち上がる。脚はガクガクと震え、息が整わない。でも、健一(けんいち)は戦おうとしている。

「何がお前を突き動かす? お前はこの国どころか、この世界の者でもないのだろう」

 魔王が尋ねる。魔王には、健一(けんいち)が諦めない理由が理解できない。
 私にだって理解できない。何故、自分のことでもない、他所の世界のために戦うの。

「俺は……この世界で色んなものに出会った……」

 健一(けんいち)は語る。その目は虚ろで、声には覇気がない。満身創痍(まんしんそうい)だろうに、それでも健一(けんいち)はこの世界を語るんだ。

「初めてこの世界に来て、右も左もわからなかった俺を、エルフの村長は助けてくれた。
 リーシャは俺の旅に快く着いてきてくれた。
 獣人族の谷では美味しい料理をご馳走してくれた。
 この国の王様は、俺達に魔法奥義の手ほどきをしてくれた。
 みんなが俺を受け入れてくれた。俺は、それに応えたいんだ……!」

 健一(けんいち)。あなたは、素敵な旅をしてきたのね。そして、色んな景色を見て、色んなことを学んできた。
 だけど、魔王は健一(けんいち)から全てを奪おうとしている。

「ああ、素敵だな。笑えるほどに。
 そんな素敵な(アホらしい)旅も、ここで終わりだ」

 魔王は大きく口を開く。そして、その口から巨大な火球を吐き出した。
 禍々しいほどに真っ黒な火球。目を丸くする少女を突き飛ばして、健一(けんいち)はそれを真正面から受けた。

 健一(けんいち)の体が火球に包まれる。
 健一(けんいち)を飲み込んだ火球は、激しく燃え盛る。
 私はそれを見ていることしかできない。

健一(けんいち)ぃーーーー!」

 私は叫ぶ。
 健一(けんいち)がすぐそばにいるのに、声をかけることも、手を伸ばすこともできない。
 こんなの、残酷だ。

 私は頭を抱え、泣き叫びながらその場に屈みこんだ。

「まだ、終わっちゃいないよ」

 魔女の声だ。
 何が「終わっちゃいない」だ。今まさに、目の前で健一(けんいち)が焼き殺されたところを見たばかりではないか。

「死んでないよ。ほら、見てごらん」

 魔女に促され、私は恐々と顔を上げる。
 
 健一(けんいち)は、火球に飲まれてもなお生きていた。
 体は焼けつつあったけど、その目には諦めが灯されていたけど、でもまだ死んでいない。

「太陽はね、自らの光を星に届けているんだ」

 魔女は唐突に不思議なことを言った。意味ありげな言葉を聞き、私は訝しむ。
 魔女は私に手を差し出す。それを握ると乱暴に引っ張られ、私は立ち上がった。

「かけがえのない健一(けんいち)君は、君にとって、美しく煌めく(せかい)のようなものだろう?」

 魔女はなおも語る。
 言わんとすることを理解して、私は目を見開いた。

 健一(けんいち)は目を閉じようとしている。
 だめよ、健一(けんいち)。あなたがここで死んだら、世界はどうなるの。

 あなたは勇者なんでしょう?

健一(けんいち)! 起きなさい!」

 私は叫んだ。
 例え健一(けんいち)に聞こえなくとも。
 いや、聞かせるつもりで、大声で叫ぶ。

「諦めちゃだめ! 頑張りなさい! そんな奴やっつけて、大手を振って元の世界に戻ってくるの!」

 健一(けんいち)が目を開く。

「かあ、さん……?」

 そう呟いたかと思うと、健一(けんいち)の体を光が包んだ。
 焼けただれた肌は瞬時に治り、目には決意の光が灯る。

「そうだ。俺はここで終われない!」

 健一(けんいち)の声に呼応するかのように、光は火球を消し去った。魔王は、光を纏った健一(けんいち)の姿に目を丸くする。
 その姿は、勇者と呼ぶに相応しい凛々しさだった。

「俺は、この世界を守るんだ! 喰らえ、(ホーリー)彗星剣(メテオソード)!」

 星の輝きを纏った剣が、眩い光を発した。健一(けんいち)は地を蹴って走り出し、輝く剣を魔王に振り下ろす。溢れ出た星の煌めきは魔王を切り裂き、魔王の体を消し去った。
 後に残ったのは、健一(けんいち)と少女、そして光の残滓。

「やったのね……」

「あぁ、やったんだ……やったんだ!」

 健一(けんいち)は「うおー!」と声を上げて、両手を拳にして突き上げた。
 
 私の目には涙が浮かんでいた。
 健一(けんいち)が魔王を倒した。健一(けんいち)は、健一(けんいち)が愛する世界を救ったんだ。胸に熱い感情が込み上げ、健一(けんいち)と同じようにガッツポーズをした。
 
 突如、光の残滓が円形に広がった。輝く光の縁取りに、銀河を凝縮したかのような銀色の膜。
 これは……

「これ、光のゲートだよ」

 少女が言う。健一(けんいち)は驚いて少女を見た。

「元の世界に戻れるっていう、あの?」

「うん。村の魔導書に書いてある通りだもん」

「じゃあ、ここを通れば……」

 健一(けんいち)は、元の世界に帰れる。ということは、現実世界の健一(けんいち)は、目を覚ます……?

 健一(けんいち)は、ゲートを見つめる。それに向かおうとするその前に、少女に腕を回した。
 
「え、け、ケン?」

 ドギマギする少女を、健一(けんいち)は強く強く抱きしめる。まるで、離れがたいと言うように。

「リーシャがいたからここまで来れた。ありがとう。俺、君のこと忘れないよ」

「私も、ケンのこと忘れない」

 二人は涙を流す。健一(けんいち)がゲートを通れば、二人はお別れ。
 それでも健一(けんいち)は帰る選択をした。少女から離れて、ゲートへ向かって飛び込む。

「さよなら、元気でな!」

 そう、一言残して。