源次物語〜未来を生きる君へ〜

 右側から倒れてくる木製の電柱の一番近くにいたのは浩くんで、気付いたヒロは浩くんを庇って倒れ込んだ。

バリバリバリバリ………
ズドゥオーーーン!!

 不幸中の幸いで途中で折れて直撃はしなかったが……ヒロは右側にいた浩くんを庇うように覆いかぶさって燃え残りの電柱の下敷きになった。

「ヒロ!! 浩くん! 今、助ける!」

 電柱を持ち上げようとしたが、ものすごい熱で……僕は勢いをつけて背中で体当たりした。

「ぐぁっ」

 左肩の後ろに高熱で焼ける痛みが刺したが、そんな事に構っていられない……
 ヒロの上に乗った電柱が落ちるまで押し続けた。

「光ちゃん! 浩! 源次さん! 大丈夫?」

「あっつ~俺は大丈夫や……右肩の後ろに火傷してもうたみたいやけど源次のおかげで助かったわ~ほんまおおきにやで」

「僕は……全然大丈夫……弘兄ちゃんが庇ってくれたから……」

「源次さんは?」

「だ……大丈夫…………それより早く講堂に行こう!」

 幸いな事に講堂は無事で、既に多くの避難民が逃げ込んでいた。

 被っていた布団はビシャビシャにしたのにカラカラに乾いて焦げていた。
 多分被っていなければ逃げる途中に死んでいただろう……
 顔はススだらけで真っ黒だったが、純子ちゃんと浩くんにケガがなかった事に安堵した。
 自分達の安全が取り敢えず確保された分、静子おばさんの事が心配になった。

「お母ちゃん大丈夫かな?」

「濡れ布団二重にしたし、きっと大丈夫や!」

 そう励ますヒロは名前の通り、純子ちゃん達のヒーローみたいだった。

 講堂の奥に行くと色々な人がいた。
 火傷を負ってうめき声を上げている者、無傷だが死んだ目をしている子供、不安そうに寄り添う親子、煙が目に入って見えないと手探りで歩いている者……
 たまたま看護婦をしているという人もいて、僕とヒロの火傷の応急処置をしてくれた。

 集まった人達は惨状をそれぞれ報告し合っていた。

「神田和泉町の方もやられた……関東大震災の業火の時は町民達が必死に消火して守った奇跡の町と言われとったのに……」

「神田明神の方は燃えてないらしいわよ」

「あそこはウサギの神さんに守られとるからのう」
 
「みんな燃えた……家族も、家も、今まで築いてきた財産も……日本ももうおしまいだよ。こんなことなら俺も一緒に死ねばよかった」

「おいらは地下鉄に逃げようとしたけど入れてもらえなかった……何度頼んでも『防空法で地下鉄への避難は許さぬと決められておる』の一点張りで! そのせいで母ちゃんが……母ちゃんが……クソッ」

 地下鉄への避難を禁止する理由は「空襲の直後は身を挺して消火活動をする義務があるため、安全な地下駅に逃げることは許されない」、「空襲時には軍事・消防目的の輸送が優先されるから、国民一般の避難に使わせることは不可能」というものだった。
 一方のロンドンでは地下鉄への避難が奨励されていたそうで……空襲があると地下鉄の入り口を閉めて人が入れないようにする日本とは真逆だった。

 午前2時37分……B-29の退去が確認され、空襲警報は解除された。

「本当は今日、ここで卒業式をあげるはずだったのに……みんな助かったかしら……知っている顔を全然見かけないの」

「みんな家の近くに逃げたんじゃないかな……そうだ純子ちゃん、卒業おめでとう! これ卒業祝いに渡そうと思ってたんだけど……」

 僕はカバンの中に入れておいたクシを渡した。

「ありがとう! 素敵なクシね」

「喜んでもらえてよかったよ……ク・シにかけて君の苦しみも僕がとかしてあげられたらいいな~と思ってコレにしたんだけど……」

「ありがとう……嬉しい!」

「坂本くんみたいにキザやな~すまんな俺は何にもやれんで」

「光ちゃんは軍粮精あんなに沢山くれたじゃない! 本当は食いしん坊なのに……だから嬉しかった」

「姉ちゃん~お腹すいたよ」

「僕、食べ物も沢山持ってきたんだ! 取り敢えず食べよう!」

 僕達が乾パンを食べていると羨ましそうに人だかりができたので「よかったらどうぞ」と皆に分けていたら、あっという間になくなってしまった。

 空腹が少し満たされて皆が少しでも眠ろうとしていた頃……
 若い母親の腕に抱かれていた赤ちゃんが大きな声で泣き出し、母親が何をしてもずっと泣き続けていた。

「うるせー黙らせろ! 静かにできねえんだったら出ていけ!」

「すみません……すみません……」

「私にも何かできることないかな……そうだ! あの……私、歌好きなんで子守唄、歌います! せ~のっ」

 純子ちゃんは立ち上がって『ゆりかごの唄』を歌いだした。
 その声は講堂の中に響き渡り、天使の歌声が舞い降りたようだった。

~~~~~~~~~~
ゆりかごの唄を カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごのつなを きねずみがゆするよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
~~~~~~~~~~

 いつの間にか赤ちゃんは泣き止んで眠っていて……聞いていたみんなも純子ちゃんの歌声に癒された。

「ありがとうございます……本当に……ありがとうございます」

「……なんだか怒鳴ってすまなかったな……おかげで心がスーっと洗われたわ。おい姉ちゃん、さっき今日が卒業式って言ってなかったか?」

「そうですけど……」

「なあ、みんな! 姉ちゃんへのお礼によう、みんなで『仰げば尊し』を歌わねえか? 禁止なんて話があるが知ったこっちゃねえ! 下町の心意気でい!」

 それから僕達は、みんなで『仰げば尊し』を歌った。

「仰げば尊し、我が師の恩~教えの庭にも、はや幾年(いくとせ)~思えばいと()し、この年月~今こそ~別れめ~~~いざさらば~~」

 おじさんが指揮をしてくれて、息がピッタリで……皆が不安を忘れて一つになった気がした。
 中には歌いながら涙を流す者もいて……きっと大切な誰かとの悲しい別れがあったのだろう。

「ありがとうございます! 忘れられない卒業式になりました!」

「こちらこそ、お姉ちゃんありがとうだよ~私しゃ、おかげで元気が出てきたよ」

「全部燃えちまったけどよう! また一から下町のド根性で見返してやろうぜ!」

「そうだ! それぞれ最大限にやれる事をしよう!」

 すると、勤労学生らしき女の子も立ち上がった。

「私、伝えます! 大阪が地元で、この間から地下鉄の駅員やっとるんですけど……地上が大変な事になっとるのに地下鉄に逃げられへんなんておかしい! すぐに電車を動かせば被害のない所に沢山の人が逃げられたかもしれへんのに……だから、また今度こんな空襲があったら同じ事は絶対繰り返さへんでって」

 火傷を負って横になっていた女性は言った。

「私は治ったら看護婦さんになって、みんなを助けたい……」

 母親を亡くした男の子は言った。

「おいらは消防士さんになって日本中の火事を消しに行きたい!」

 純子ちゃんの歌をきっかけに、皆の中に無くしかけていた希望が生まれた。
 こんな絶望の中でも歌は前に進もうという勇気を与えてくれる、傷つけ合っていた人達を変えてくれる……
 歌でだったら世界中の人の心を一つにすることができるかもしれない、と強く思った。

 火は遠くの方で夜通し燃え続けていたようだったが……幸いなことに僕達の逃げ込んだ講堂は、致命傷となる爆撃も風向きによる延焼もなく無事だった。

 いつの間にか皆で眠ってしまい、夜が明けていたが……静子おばさんは朝になっても来なかった。
 ヒロと僕は純子ちゃん達に講堂にいるようにと伝えて、二人でおばさんを探しに行った。

「静子おばさんも無事でありますように……」
 講堂の外に出ると、何とも言えない嫌な匂いがして……
 逃げてきた方面は見渡す限りの焼け野原でほぼ何もなく、あちこちで火がくすぶって水道の水が噴き出していた。
 電線や都電の架線が垂れ下がり、地面の熱がまだ残っている中を進むと……
 播磨屋に近くなればなるほど被害の状況が酷く、目が染みるような焼けた臭いが強くなった。

 進む中でよく見かけたのは、黒い小さな塊の上に覆い被さった大きな黒い塊……

「なんだアレ……黒いマネキン? じゃない…………人間だ……」

 そこには男女の区別もつかないほど炭のようになった黒焦げの遺体が無数に転がっていた。

「なんじゃあ、こりゃあ!!」

「なんだよ……何なんだよ、これ!!」

 よく見ると大きな黒い塊は四つん這いになっている。
 それはきっと子供を必死に守ろうとした親達だったのだろう……
 ホースを持ったままの消防士など、至る所にまるでマネキン人形のように横たわって亡くなっている人、人、人……
 地獄のような光景に、これは夢なんじゃないかと思った。

 トラックが来て、遺体をどんどん荷台に乗せて運んでゆく……
 防空壕で蒸し焼きや窒息で亡くなった人達の遺体も引き出され、トラックに山積みにされる幼い兄弟の遺体や、手を繋いだままの男の子と女の子の遺体……
 あまりの光景に感情が麻痺し、涙も出なかった。

 なんとか播磨屋の近くに着いたが、最初に逃げようとしたコンクリート建てのアパートが無惨な姿になっていた。
 僕達は助けられなかった人を思い出し、悔しくて苦しくて申し訳なくて……ヒロと一緒にそっと手を合わせた。

 播磨屋の方を見ると建物があった場所は燃えて何もなくなっていた。
 ここにはいませんようにと願いながら防空壕の中を見ると……

 そこには缶を抱えてうずくまり、背中側が炭になった静子おばさんがいた。

「……おばさん? 静子おばさん!!」

 僕達は膝から崩れ落ち、その場にへたり込んだ。

「クソッ! クソーッ!! なんでおばさんが死なんとあかんのや!」

「そんな……そんな……」

 ヒロと僕は現実が受け取められなくて、暫く呆然としていた。
 ふと下を見ると……静子おばさんが抱え込んでいた缶はススだらけだがキレイに焼け残っていた。

「これ、お米が入ってた缶や……」

 丁寧に引き離した缶を開けると、底には少しだけお米が入っていて……
 中には仏壇から持ち出した位牌と駅伝の新聞と、僕が描いた純子ちゃんの絵とヒロがあげたカンザシと……
 僕達が描いた『未来を生きる君へ』が入っていた。
 そしてもう一つ、ドロップの缶が入っていて……中を開けてみると溶けて固まった砂糖の塊が入っていた。
 匂いからして、おそらくそれは僕達があげた軍粮精……

 火が回って外に出られなくなったおばさんは、きっと最後の力を振り絞り……遺しておきたい大切なものをかき集めて缶に入れ、防空壕に戻ってこの缶を守ったのだろう。
 何もない地で僕達が食べ物に困らないように……
 皆の希望を残したいという子供の意志を尊重し、成長と未来の幸せを願うように……
 大好きな旦那さんの想いを守り、「最後まで一緒にいたい」と言っていたかように……

 暫くするとトラックが来て、静子おばさんの遺体は小学校に運ばれて火葬されてしまった。
 火葬の前にせめてもの形見と燃え残った服の一部をもらい、僕達は朦朧としながら帰途についたが……
 講堂に戻った僕達は、純子ちゃん達に缶を渡しながら嘘をついた。

「いや~よかったよかった、おばさん生きとったわ~取りに行ったもんも無事やし缶の中に入れるとは〜さすが静子おばさんやな」

「心配しなくても大丈夫! ちょっと怪我してて今は一緒に来れないけど、治ったら此処に会いに来るって」

「なんだ、よかった~安心したら僕、お腹すいてきちゃったよ……源兄ちゃんコレ見て~みんなが乾パンのお礼にって持ってきてくれたんだよ?」
 
 乾パンを渡した時にお礼を言われたが、お返しまでとは……ありがたいし日本人は律儀な国民性だ。

「あの……コレよかったら配給の粉ミルクなんですけど乾パンのお礼です……少しですけど、お腹の足しになれば……」

「いやいや、こんな貴重なモノ貰えませんよ」

「いいんです! もう必要ないので……」

 その時、気付いた。
 目の前にある貴重な食べ物は、本当は大切な誰かに食べさせたかった物だということに……
 ふと、おばさんが遺した軍粮精のことが浮かんだ。

「あり……がとう……ございます……」

 その途端、今まで我慢していた涙が溢れ出た。

「源兄ちゃん? なんで泣いてるの? ねえ……そんなに嬉しかったの?」

 その時、純子ちゃんが……

「嘘なんでしょ!? お母ちゃんが来るって……源次さん嘘つくの下手すぎ……左肩も火傷してたのに黙ってたし、もう大丈夫だなんて嘘つかないで!」

 僕達が看護婦さんに両手の火傷を応急手当してもらった時、ヒロはすぐに右肩の処置もしてもらったが……僕は朝になるまで隠していた分、火傷が悪化しているとのことだった。

「本当は何があったの? ねえ、教えて!」

「すまん純子……ほんまはな……静子おばさん、死んでもうたんや……」

「ごめん……播磨屋に行ったら防空壕の中で亡くなってた……もう火葬されて、おばさんの形見は洋服の一部しかもらえなくて……」

「え? 嘘……嘘だよ、お母ちゃんが死ぬわけないよ……冗談だよね、弘兄ちゃん?」

「死んだんや!…………すまんのう……俺がもっと戻るのを止めていれば……」

「私のせいだ……私が取りに戻るなんて言わなきゃ、お母ちゃんが戻る事なかったもの…………私が死なせた……私が……」

「違うよ! 純子ちゃんのせいじゃない! おばさんは自分の意志で取りに戻って、この缶を守ったんだ……見て? この中には静子おばさんの願いが込められてる」

「取りに行ったのが全部入ってる……あれ? この缶なに?」

「軍粮精……浩くんが食べたがってたから一緒に入れておいてくれたんじゃないかな? みんなで食べて元気に生きてほしいって……それとコレがおばさんの形見……」

「そ、んな……嫌だよ……食べるの楽しみにしてたけどさ、軍粮精よりお母ちゃんに会いたい! お母ちゃんに会いたい! お母ちゃ~ん!! お母ちゃ~ん!!」

 浩くんはヒロに抱きついて大声で泣き続けた。
 純子ちゃんは形見の布を受け取りながら涙も流さず呆然とした顔で震えていて……僕はただ純子ちゃんの手を、ぎゅっと握り返すことしかできなかった。

 講堂には被害状況を目の当たりにして帰る所のない人々が続々戻ってきた。
 耳にするのは酷い話ばかりで……

 至る所で巨大な火災旋風が発生し、主な通りは軒並み「火の粉の川」と化して炎に巻かれて焼死、炎に酸素を奪われて窒息死……
 川の水面は焼夷弾の油に引火した「燃える川」と化して焼死・溺死・詰めかけた人々が群衆雪崩で圧死……
 隅田川・荒川放水路等は焼死・溺死・冷たい水による凍死者が川面にあふれていたそうだ。

 両国橋の被害も凄かったが、言問橋(ことといばし)では人が殺到して身動きがとれず……怒声と悲鳴が飛び交う人達の上に炎がどんどん燃え広がり、橋の一帯で約7000人が亡くなった。
 関東大震災の教訓を活かして作られた幅の広い鉄の橋だったのに、大震災で起きた時と同じ悲劇が繰り返されてしまった。

 中には銀行に逃げ込み、煙は下にいくからと地下室ではなく1階に留まって燃えやすいカーテンをはずし、皆で協力して消火しながら助かった人もいたそうだが……
 避難場所に指定されたあるビルの地下に詰めかけた人々は群衆雪崩で圧死、お寺に逃げこんで念仏をあげる者もいたが木造なので全焼……

 防火用水に潜って助かった者、沸騰した防火用水に飛び込み命を失った者……
 折り重なる焼け焦げた遺体の下で偶然生き残った者、川に飛び込み多くの人が飛び込んできたことにより溺死した者……
 都内には色々な川があり川に逃げた人の大半は亡くなったが、たまたま通った船に引き上げられて助かった者もいて、全てが紙一重だった。

 隅田川には毎日のように遺体が流れ、公園や小学校や動物園など広い場所には遺体の山ができた。
 一箇所に山積みされて火葬され、通常の埋葬ができないので公園や寺院の境内などに穴を掘って仮埋葬がされた。

 焼け野原の中でも銀座の和光ビルは焼け残り……下町からも見えたという時計塔は「戦火を乗り越えた希望の象徴」になったという。

 「東京大空襲」では一夜にして10万人以上の命が失われた。
 東京の3分の1以上が焼けて、負傷者は15万人以上、損害家屋は27万戸以上にのぼり100万人もの人が家を失った。

 疎開で地方にいた者も卒業式のためなどで東京にいた者も多く……
 空襲警報が遅れたこと、北風や西風の強風による延焼、小学校・地下室・公園などの避難所も火災に襲われたこと、踏み留まって消火しろとの指導で逃げ遅れたことなど様々な要因があるが……
 単独の空襲による犠牲者数が歴史上過去最大で、まるで「東京大虐殺」だった。

 米軍の中には「民間人の被害が多く出るのでは」と意義を唱える者もいたが、司令官は「軍事産業の労働者だからよい」と一蹴し断行されたそうだ。

 3月10日の夜の首相ラジオ演説は「空襲に耐えることこそ勝利の近道、一時の不幸に屈することなく聖戦の達成への邁進を切望する」とのことで……
 「敵のビラを届け出ずに所持した者は最大で懲役2ヵ月に処する」という命令を定めた。
 空襲による悲惨な本当の被害実態はラジオや新聞で報道されず……「被害は僅少」という大本営発表が報じられた。
 皆が何も言えない中で「消防は二の次で、逃げるのが一番よいと思う!」と反論する議員がいたのが唯一の希望だった。

 地獄のような惨状の中でも一部の人々は助け合い……食べ物を求める人と貴重な食糧を分け合ったり、寒い中で服や靴を失った人に服や靴を手渡す姿も見られた。
 
 落ち着いた頃に皆で僕のアパートの方に行ってみると……幸いにもなんとか焼け残っていた。
 近くの大学病院で火傷を診てもらったら、ヒロが全治3週間で僕が全治1ヶ月位とのことで……
 それをヒロが百里原に連絡したところ、火傷の療養を行い治った後に合流するようにとのことだった。

「あのさ……火傷が治るまで暫く僕の実家にみんなで住まない? アパートじゃ狭いし、妹に似てる純子ちゃんや気に入ってるヒロ達が来たら母さんも喜ぶだろうし」

「ありがたい話だけど、ご迷惑じゃない? でも妹さんもいらしたのね、私もお会いしたいわ」

「妹は西埼玉地震の時に亡くなったんだ……」

「えっ? そんな……ごめんなさい……」

「いいよいいよ、僕が言ってなかったんだし。ねえ浩くん……軍艦大和と同じ地名だし、東京より安全な場所だよ? ヒロもそれが一番いいと思うだろ?」

「せやな……早う敵を取りたいとこやけど、こんな手じゃ操縦管が握られへんし……すんまへんがお世話になります! それにしても、な~んにもなくなってもうたな~」

「なんにもじゃないよ? 姉ちゃんも僕も、弘兄ちゃんも源兄ちゃんも生き残ってる……お母ちゃんは、お父ちゃんや姉ちゃんや僕の思いを守ってくれたんだよね? だったらこれからは僕が姉ちゃんを守るよ!」

 浩くんは泣き腫らした目で両手を広げ、9歳とは思えない強い眼差しをしていた。

「浩ちゃんはすごいね……昔から甘えたがりで、私が子守唄歌わないと泣いてばかりだったのに……私より何倍も強い」

 純子ちゃんは静かに涙を流しながら、缶を大事そうに抱き締めて立ち上がった。

「行こう、みんなで! 源次さん、お世話になります!」

 そう言ってお辞儀し、無理やり笑顔を見せようとする純子ちゃんの姿は……
 痛々しくて見ていられなかった。
 僕達は埼玉の実家に移る前に焼け残った神田明神に行き、最後のお参りをした。

「みんな何てお願いしたの?」

「俺は秘密や」

「私はね、みんなでお守り持ってまた此処に来れますようにって……お揃いのウサギの人形、ちゃんと持ってる?」

 僕達が隊服のポケットからウサギの人形を出すと、純子ちゃんもモンペのポケットから取り出して……3羽揃ったウサギを見つめて嬉しそうに笑った。

「ずるい~僕のお守りは~?」

「浩ちゃんにはコレがあるでしょ〜」

 純子ちゃんは位牌の中から浩一おじさんが託した軍帽の星を取り出した。

「あと、お母ちゃんの服は防空頭巾の中に縫い付けておいたから、これでお母ちゃんともいつでも一緒よ?」

 浩くんは「わ~い、わ~い」と飛び上がって喜んでいた。
 それからみんなで缶の中の軍粮精を分けて舐めた。
 少し焦げていたが砂糖が溶けた香ばしい匂いがして……
 それは今まで食べたどんなものよりも美味しかった。

「姉ちゃん、なんか歌ってよ~」

「じゃあ『椰子の実』は? 私、好きなんだ~どんなに遠くにいても心が繋がっている気がして……せ~のっ」

~~~~~~~~~~
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
(なれ)はそも波に幾月(いくつき)

(もと)()は ()いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
(あらた)なり 流離(りゅうり)(うれい)
海の日の 沈むを見れば
(たぎ)り落つ 異郷の涙
 
思いやる八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
~~~~~~~~~~

 純子ちゃんの歌声は澄み渡る空に溶けて、浩一おじさんと静子おばさんがいる天国まで届いているような気がした。

 地元の最寄りの駅に着くと……純子ちゃんが「氏神様にご挨拶に行きたいから、初詣に行ってる場所に連れて行って」というので寄り道をした。

「浩くんも知ってる先生のうちと僕のうちが毎年待ち合わせしてお参りをしてたから隣町のお寺なんだけど……」

「わ~素敵な所……源次さんは何をお願いするの?」

「僕は大和に乗ってる父さんが無事に帰ってきますように~かな」

「僕はね~新しい学校で友達が沢山できますように~」

「私はね~……ちょっと待って……このお寺、成田山シン……ゴジ?」

「そうだけど、どうしたの?」

「なんでもないわ……行きましょう」

「急にどないしたんや、俺はまだ……」

 純子ちゃんの様子に違和感を抱きつつも、僕達は家に向かった。

「いらっしゃい、みんな待ってたわよ~二人の怪我が治るまでとは言わず、みんないつまでも、いつまでもいてくれていいんだからね?」

 母さんは温かい笑顔で出迎えてくれた。
 きっと関東大震災の時もこんな感じだったのだろう。

 僕達は久し振りにお風呂に入り、母さんの用意してくれた温かいものを食べ、男女別々の部屋で温かい布団で寝て幸せを噛み締めた。

 翌朝、ヒロに変な事を言われた。

「源次の部屋に、使わないノートあったりせえへん?」

 ノートを渡した時に何に使うか聞いてみたが……「秘密じゃ」と教えてくれなかった。

 浩くんは4月から僕が昔、通っていた小学校に通うことになった。
 僕達の火傷が回復するのと比例するように、純子ちゃん達も元気を取り戻していった。
 純子ちゃんはお風呂に入ると、いつも色んな童謡を歌っていて……本当に歌が好きなんだなと思った。
 そんなある日、庭にいた僕は偶然、部屋にいたヒロと純子ちゃん達の会話を盗み聞きしてしまった。

「ほんまに風呂まで入れさしてもろて、ありがたいのう……思い出したけど初めて風呂に入る前のお前……頭くさいし真っ黒でヤマンバみたいやったわ」

「アハハハハハもう光ちゃんてば、やだ~ひどいわ、でも本当に何もかもありがたい……それに、こんなに笑ったのは久し振り」

「ほんまやな、久し振りにお前の笑顔見たけど……やっぱりキレイや」

「やめてよ……からかわないで?」

「そうやって笑っててくれ! その笑顔のためなら、俺はいくらだって頑張れる! お前らが幸せに生きられる世の中になるんなら……命をかける甲斐があるわ」

「……光ちゃん、お願い……百里原にはもう行かないで」

「そないなわけには、いかへんやろ~無断脱走は銃殺刑やで? 源次に言うといてくれ〜『あいつは火傷が悪化した』とか俺が上官にうまい事言うとくから、治っても戻ってくるなって」

「もし行ったとしても必ず帰ってきて! 帰ってくるって約束してくれないなら……『行ってらっしゃい』は言えないわ」

 あっという間に3月末になり、先に火傷が回復したヒロが百里原に戻る日になった。
 最寄りの駅から出発する電車に乗り込む前……

「いや~幸せな時間はあっという間に過ぎるっちゅうんわ、ほんまやったわ~えろう世話になって、源次ほんまおおきにな! それから純子、俺が必ず静子おばさんの敵とったるからな!」

「そんなの……いいよ……」

「こちらこそ色々手伝ってもらってありがとね……僕も後から行くから、また向こうでな」

「弘兄ちゃん、行かないで……」

「浩も元気でな……あと純子、コレ……なんと初めて書いたラブレターや~誕生日まで絶対開けるんやないで~ほな、行ってくる!」

「…………」

 ヒロの乗った電車は出発しようとしていた。

「純子ちゃん? 純子ちゃん! ヒロに何も言わなくていいの?」

「ほなな~」

ガタンガタンガタンガタン……

 ヒロが完全に去ってしまった後に振り返ると、純子ちゃんはポロポロ泣いていた。

「どうしよう源次さん……光ちゃんに何も言えなかった……本当は言いたい事、沢山あったのに……もっと行かないでって言えばよかったのに……全然伝えられなかった……」

「大丈夫! 僕が合流したら上手い事やって絶対あいつを連れて帰ってくるから!」

 やっぱり純子ちゃんはヒロの事が好きなのだろう……冗談で誤魔化していたがヒロの手紙には多分プロポーズの言葉が書いてあるのでは……
 こんな両思いの二人を戦争のせいで引き離してはいけない、と強く思った。

「ありがとう……私、源次さんといるとなんか安心する……なんていうかこう、心の中があったかくなるの……なぜだか分からないけれど私…………ううん、何でもない」

 浩くんとお風呂に入っている時、ヒロが先に行った寂しさと自分の不甲斐なさに落ち込み、「こんな僕だけ残ってごめん」と溜息をついた。

「源兄ちゃんてさ、本当にニブイよな……あと兄ちゃん達ってさ、お揃い多いよね? お揃いのペン、お揃いのウサギ、お揃いのマフラー、それから背中も……」

「背中?」

「弘兄ちゃんは右に火傷の跡があって、源兄ちゃんは左に火傷の跡がある……僕にはそれが翼に見えるよ? どんなピンチも助けてくれるヒーローの翼……二人合わせると大きな翼になるでしょ? だから僕にとっては、二人ともヒーローだよ?」

 僕は浩くんの言葉に感動して……お風呂の中で少し泣いた。

 4月1日になり、小学校に通い始めた浩くんは……

「源兄ちゃんありがとう! 源兄ちゃんに貰った誕生日祝いの長門のメンコのおかげで友達が沢山できたんだ! 女の子の友達もできたよ? 安子(やすこ)ちゃんていうの!」

 4月2日にはもう、「友達と約束をしているから」と下校後に学校に遊びに行った。
 夕方、純子ちゃんと一緒に迎えに行った帰り道……

「今日ね、安子ちゃんと約束したんだ! 校庭の桜、寒いからまだ咲いてないけど咲いたらお花見しようねって」

「よかったね! 楽しみだね」

「姉ちゃ~ん、『夕焼け小焼け』歌って~姉ちゃんの歌、聞きたいんだ」

「も~しょうがないな~」

 僕達は純子ちゃんの『夕焼け小焼け』を聞きながら、浩くんを真ん中に三人で手を繋いで家に帰った。
 三人で見上げた夕日は、今まで見た中で一番キレイで……
 本当に、本当にキレイな夕焼けだった。

 その日の夜、浩くんが布団に入りながら言った。

「今日も寒いね……桜の木、大丈夫かな~古い木みたいだけど枯れちゃわないかな?」

「そっか~あの桜、まだ残ってるのか~懐かしいな……枯れないで早く咲くようにって昔、布を巻いたな」

「布を巻くと枯れないの? じゃあ、巻きに行こうよ!」

「今日はもう遅いから、明日学校が始まる前にな……おやすみ」

 4月3日の早朝、浩くんと出掛けようとしたら純子ちゃんも起きたので三人で小学校に行った。

「よし! これで大丈夫!」

「やった~これで桜が咲くね! わ~い、わ~い!」

 校庭の向こうで純子ちゃんと嬉しそうに跳ね回る浩くん……
 その時だった。

ブーーーーーーーーン

「なんだろ? こんな朝早く……」

「この音は……姉ちゃん、危ない!!」

ヒューーーードゥオーーーン

 校庭に爆弾が落とされ、すり鉢状の大きい穴が開いていた……
 こんな田舎に爆弾が落ちるなんて夢にも思わなかった。

「純子ちゃんは? 無事か……浩くん、大丈…………両足が……ない……」

 純子ちゃんを庇った浩くんは、足に爆撃を受けて両下肢がなく……太ももから大量に出血していた。
 幸い意識はあるようで、急いでカバンの中の紫のマフラーで止血した。

「線路の向こうに陸軍病院があるんだ! 急いで行こう!」

 僕は浩くんを背負って純子ちゃんと一緒に走った。

「浩くん……浩くん? 大丈夫だからな! 絶対助かるから!」

「相変わらず源兄ちゃん……嘘が……下手だなあ……僕の足……もう、ないんでしょ? ケンケンパ、もう……できないね……そういえば昔……一緒にやったよね……」

「喋ると余計に出血するぞ!」

「源兄ちゃんの背中……お父ちゃんに似てるや……まるでお父ちゃんに……おんぶしてもらってるみたいだ……」

 腰に生暖かい液体の感触が広がっていく……

「お母ちゃんを……守れなかったからさ……せめて姉ちゃんだけは……絶対守るって決めてたから……これでいいんだ」

「もうすぐ……もうすぐ病院に着くから!」

「源……兄ちゃん?」

「何?」

「お姉……ちゃんを……お願い……ね?」

 その途端、ずっしりと浩くんの身体の重さが背中にのしかかった。
 その後、病院に着いてすぐ診てもらったが……

「先生、浩ちゃんを助けて下さい! 輸血が必要なら私の血、全部あげます! 浩ちゃんが助かるなら何でもします!!」

「残念だが……この子は、もう……手遅れだ」

「そんな……」

 その時、奇跡的に浩くんが意識を取り戻した。

「お……姉ちゃん……どこ? お姉ちゃん……」

「浩ちゃん? お姉ちゃん、ここにいるよ?」

 純子ちゃんは浩くんの手を握った。

「お姉ちゃんに……星のお守りあげる……僕はもう……大丈夫だから」

「お守りはいいから、何もいらないから、お願いだから死なないで! 姉ちゃんを一人にしないで!」

 純子ちゃんは浩くんに抱きついて号泣していた。

「大、丈、夫……これからもずっと……一緒……だよ?……」

 その時、純子ちゃんの頭を撫でていた浩くんの手がパタリと落ちた。

「浩ーーー!!! 嫌よ……いやぁああ!!!」

 僕は涙が止まらなかった。

 純子ちゃんは過呼吸状態になり……
 人は想定できない程つらい事が起きた時、息が出来なくなるのだと初めて知った。
 僕は純子ちゃんの名前を呼びながら、少しでも落ち着かせるために強く抱き締めることしかできなくて……
 抱き締めた純子ちゃんの身体は折れそうな位、細くて弱々しかった。

 落ち着いた頃、病院では火葬ができないと言われ……お寺に浩くんの遺体を運ぶ事になった。
 朦朧としながらお寺に着いた時、あの嫌な音が聞こえた。

ゴォォォォォォォォォォ
シャーーーシャーーー
ヒューーーードゥオーーーン

 爆弾が30発以上も落ちてきて、隣町は地獄絵図になった。

 僕達はお寺にあるお堂に隠れたが……
 昨日までは何の変哲もない日常や笑顔に溢れていた町が、炎の中に消えていく様をただ呆然と見ていることしかできなかった。

 見慣れた町が、見慣れた景色が一瞬で破壊されていく……
 家族や恋人や友人、大切な人が……
 ただ毎日を一生懸命に慎ましく生活し、昨日まで笑っていた人達が……
 一瞬で火の海に飲まれていった。
 
 僕はショックで動けなかった。
 何も出来ない自分が悔しくて堪らなかった。

 敵機の集団が近くを通り過ぎる音がしたので、急いで純子ちゃんの頭を守ろうとしたその時……
 お堂を飛び出した純子ちゃんが焼夷弾の雨が降る空に向かって叫んだ。

「もうやめて! もう誰も殺さないで!」

「純子ちゃん、敵機に見つかる! 隠れて!」

 必死に手招きしたが純子ちゃんは、お堂に横たわっている浩くんを指差して……

「この子が何をしたって言うんですか? あなた達に恨まれなきゃいけないことをしましたか? 親を失くして本当はつらくて堪らなかったはずなのに……それでも笑顔で小さな楽しみ見つけて一生懸命に生きていた……ただそれだけなのに、なぜ殺されなきゃいけないんでしょうか?」

「純子ちゃん!……危ないよ?……」

「返して下さい……この子の笑顔を返して下さい! ねえ、返してよ!!」

 その時、集団の中の一機が戻ってきて残っていた爆弾をお寺の近くに落とした。

「純子ちゃん、危ない!!」

ヒューーーードゥオーーーン

「キャーーー!!!」

 僕は必死に引き寄せようと純子ちゃんの左手を引いたが……結局、純子ちゃんは右目上と右前腕に大怪我をして病院に入院することになってしまった。

「何が安全な場所だよ……こんな所に連れてきてごめん……せっかく浩くんが守ってくれたのに……守れなくて…………本当にごめん」

「私がもっと早く気付けばよかったの……浩ちゃんは音で気付いてた……戦闘機が米軍か友軍かを聞き分ける『爆音聴音』……女学校の音楽の授業でも習ってたはずなのに、全然真面目に聞いてなかった……だから私のせい」

 包帯を巻いた純子ちゃんの姿は痛々しかった。

「君のせいじゃないよ……」

「いいえ、私のせいよ……『音楽なんだから音を楽しまなきゃ』なんて言って、友達とのん気に童謡なんか歌って……浩ちゃんごめん、馬鹿なお姉ちゃんで……本当にごめん……」

 それからと言うもの、純子ちゃんは歌を歌わなくなってしまった。
 まるで浩くんがいないのなら歌っても仕方がないというように……
 純子ちゃんは頭の包帯はすぐに取れたが、爆風を受けて倒れ込む時に右腕を骨折しており……数日入院したのちに退院し、完治するのは2、3ヶ月後になるとのことで右腕を固定した三角巾の包帯と眼帯姿で一緒に家に帰った。

 家に着くと……

「源次! 大変だよ……お父さんが……」

 ラジオから流れていたのは大和の沈没のニュースだった。

「そんな……大和が……沈んだ?」

「大和が沈むなんて……日本も終わりだよ」

 母さんは涙も流さず呆然と畳にへたり込んだ。

 僕は父さんとの思い出が走馬灯のように浮かんでは消えた。
 小さい時の肩車や小学校の入学式……出征する前に一緒に歌った『あした』という先生が作った歌……
 父さんはどんな思いで海に沈んでいったのか……僕は何とも言えない怒りが込み上げてきた。

「クソッ! 今すぐにでも百里原行って特攻を志願して父さんの敵をとってやる!」

 僕は家を飛び出した。
 あの時、ヒロが言っていた気持ちが分かった気がした。

「源次さん、待って!」

 純子ちゃんは痛みを我慢して僕の後を追い、僕の着物の裾を掴んだ。

「光ちゃんが言ってたの……うまい事言っとくから、お前は戻って来るなって……だから……」

「いいや、僕は行くよ……必ず敵をとる!」

「お母さんのそばにいてあげて! 私は結局光ちゃんしか家族がいなくなっちゃったのに行ってしまった……それがどんなにつらいことか……お母さんには源次さんしかいないの!」

「今度こそ君を守りたいんだ! 父さんや母さんの無念を晴らしたいんだ! 空襲で死んだ静子おばさんや浩くんの無念も…………何より君を……お願いだから君を……守らせてくれ」

 そして、あっという間に僕が百里原に戻ると伝えていた日になった。
 純子ちゃんは無理が祟ったのか具合が悪くなり寝込んでしまった。
 駅での見送りは断っていたので、家を出る時は近所の人も沢山見送りに来てくれた。

 家を出る前の母さんの最後の言葉は「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」だった。
 これが母さんと交わす最後の言葉かと思うと何だか虚しくて……純子ちゃんとも話せないまま別れるのが苦しくて……僕は駅に行く前に小学校に向かった。
 少しでも懐かしい景色を目に焼き付けたかった。

 校門の外から校庭を見ると、浩くんが守ろうとした桜が満開で……本当にキレイに咲いていた。

「父さんは昔、僕が入学式の時に、あの桜の下で笑ってたっけ……」

 そんな事を思い出しながら眺めていたが……よく見ると、桜の木の下に一人で寂しそうに桜を見上げている女の子がいた。

 それは迎えに行った時に紹介された、安子ちゃんだった。
 浩くんは「一緒にお花見をしよう」……そんなささやかな願いも叶わなかった。
 そう思ったら、今まで我慢していた涙が溢れて……
 浩くんとの思い出や、父さんの優しかった笑顔や声も浮かんできて……
 校門の影で号泣した。

 純子ちゃんや母さんの前では絶対、泣くわけにはいかなかったから……
 誰もいなかったのが不幸中の幸いだ。
 僕は一人、涙を拭いて歩きだした。

 駅に着くと、居るはずのない純子ちゃんが待っていた。

「よかった……間に合った……」

「なんで……純子ちゃん? 具合は?」

「そんなの全然大丈夫……源次さん、私……」

「最後に会えてよかったよ……母さんの事、お願いします。安心して? あいつを此処に戻すまで死なないから……必ずあいつを純子ちゃんの所に帰すから…………って最後にちゃんと、言っておきたかったんだ……じゃあ、行ってきます」

「待って……行かないで……私は……あなたのことが……」

 純子ちゃんが何か言っていた気がしたが……電車の発車音にかき消されてよく聞こえなかった。

 父さんの乗っていた『戦艦大和』は、日本海軍が建造した世界最大の戦艦だった。
 大和が沈んだのは4月7日……
 沖縄で激しい攻撃を受けていた日本軍は、5日に「海上特攻隊として沖縄に突入せよ」という命令を大和に下し、6日に出撃した。
 翌7日、大和は鹿児島県の沖合で米軍艦と航空機からの激しい攻撃を受けて甲板は血の海になり……
 必死の抵抗が続くも魚雷が決定的な打撃となり、大和は大きく傾いて沈没……海中で爆発し、深い海へと沈んだ。
 重油が漂う海にかろうじて浮かんでいた者も機銃掃射にさらされ、駆逐艦『雪風』『冬月』などに救助された者もいたが……乗員3332人のうちの9割以上の3056人が亡くなってしまった。

 百里原に着くと、ヒロは驚いて……僕が4月に入って起きた事を報告すると、頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
 そして泣き腫らした後に、東京大空襲の後にも各地で空襲があったことを教えてくれた。

 3月12日には名古屋、3月13日には大阪、3月17日には神戸、3月19日には広島・呉軍港、4月12日には福島・郡山、4月15日には神奈川・川崎……
 色々な県出身の者から聞いたとのことだが、大阪出身の隊員から聞いた大阪空襲では地下鉄に逃げて被害のない地域に脱出できた者もいたそうで……
 その話を聞いた時、避難所にいた勤労学生の女の子が尽力したのかもしれないと思った。

 その子から聞いた話だが、地下鉄は駅構内が崩壊したり、火災やガス漏れ、水が流入しない限り安全で……豪雨や津波などによる浸水もある程度時間がかかるそうだ。
 最も心配なのは人が出入口に押しかける群衆雪崩の圧死で、誰かがパニックになっても我先にと追従せず冷静になった方がいい……とも言っていた。

 「菊水作戦」は4月6日から始まっていて、百里原海軍航空隊では4月10日に『正気隊』という部隊名で特攻作戦に参加することになった旨の訓示が上官からあったそうで……
 鹿児島の串良(くしら)基地から出撃する4月28日・5月4日の出撃に間に合うように出発していく仲間を見送ったが……
 最後の想いを日記や手紙に残して飛び立っていく仲間を見送るのは心苦しかった。
 僕達は療養明けということもあって、すぐには編成に組み込まれず、飛行訓練に励んでいた。

 5月5日……十一連空が解散され、第十航空艦隊直卒に改編し、解散した名古屋海軍航空隊・姫路海軍航空隊・宇佐海軍航空隊隊員が百里原海軍航空隊に編入された。

「宇佐空編入ってことは……さ、坂本くん? し、島田くん?」

「よう、高田~篠田~また会ったな! だから言っただろ?」

 約7ヶ月振りの再会だったが、相変わらず坂本くんは爽やかで……ヒロは感動のあまり、固まっていた。

「す、すごいよ……奇跡だよ、また会えるなんて……」

「相変わらず高田は純粋だな……篠田は…………驚き過ぎだ」

 島田くんは相変わらずクールだった。
 僕達は久し振りの再会に肩を寄せ合って喜びを分かち合い、昔話に花を咲かせた。
 興奮気味だった気持ちが落ち着いてきた頃、坂本くんが……

「東京の方は酷い空襲があったと聞いたが、貴様達の所は大丈夫だったか?」

「それが……」

 僕達が今まであった事を話すと、二人とも自分事のように悲しんでくれた。

「俺達の地元の千葉には、まだ大規模な空襲はないが……いよいよ危ないかもしれないな」

「まあ、家の下に防空壕があるから大丈夫だろ」

「その防空壕はあかん! みんな蒸し焼きになったんや……静子おばさんもそこで死んだ。もし家族もそれで油断しとるんなら、手紙で連絡しといた方がええ! 軍事郵便は検閲があるから、少し離れた所にある郵便局からならこっそり出せるから」

「わ、分かったよ……」

「坂本くんは? お正月に涼子さんとかに会えた?」

「じ、実はな…………俺達……結婚して子供ができたんだ」

「え~!? いつの間に?」

「しょ、正月に色々あってバタバタとな……」

「おめでとう〜生まれるの楽しみだね! 男の子かな? 女の子かな?」

「赤ちゃん、女の子でもお前に似たら足が早うなるやろな~大っきくなったら競争や!」

「こいつに似た男だったら絶対キザになりそうだよな……」

「アッハッハ貴様ら気が早すぎだぞ! 男の子でも女の子でも涼子に似て美人な優しい子になるに決まってるじゃないか~」

「それは、それは……ごちそうさまで~す」

 僕達は久し振りに大笑いした。
 自分達が特攻隊に編成されるかもしれないということを、その瞬間は完全に忘れていた……

 しばらく談笑していたら、総員集合がかけられた。

「え~ただ今より5月12日に出撃する事になった『第三正気隊』の編成を発表する! まずは坂本亘! 貴様は優秀だからな、期待しているぞ!」

「待って下さい! 坂本くんは……」

「高田!…………いいんだ……いつかは来る事だから」

「でも!」

「ここにいる者は皆、大切な家族を残して来ているんだ……俺だけ特別、というわけにはいかないよ」

 その後も発表は続いたが、僕達四人の中で呼ばれたのは坂本くんだけだった。

「なんで坂本なんや…………俺が代わってやりたい気分や……」

「坂本くんは、生まれる赤ちゃんを見られないってこと?」

「クソッ、あいつに先を越されるなんて……」

「おい貴様ら、出発はまだ先だが……四人で写真を撮らないか? この奇跡の出会いに感謝して……」

 百里原基地にはカメラがあって、各基地に出発する前に写真を撮るのが恒例になっていた。
 四人で撮るのは初めてで、発表のショックが大きくて三人とも中々笑えなかったが……
 坂本くんがみんなを笑わそうと僕達の脇の下を小突いた。
 
 そうして撮った四人の写真は、みんな最高の笑顔だった。
 特に坂本くんは……全く悲壮感を感じさせない、とても綺麗な笑顔だった。
 その笑顔の奥に本当はどんな思いを抱えていたのか……
 僕達は全く分かっていなかった。
 あっという間に5月12日の出撃に向けて坂本くんが串良に旅立つ日になり……
 出発の日の朝、僕は坂本くんから「手紙と詩集を涼子に送って欲しい」と頼まれた。
 ヒロと島田くん、それぞれとの別れの挨拶を済ませた坂本くんは……最後に僕の所に来て、こっそり耳打ちをした。

「手紙と詩集、頼んだぞ! 貴様らへの思いも書いてあるから、読んだ後に出してもらえると助かる……じゃ! 行ってくる!」

「坂本くん、待って……」

 僕は坂本くんに色々教えてもらったり助けてもらったお礼を言いたかったが、坂本くんは颯爽と機体に乗り込んで飛び立ってしまった。
 僕達の呼びかけに振り向きもせずに……

 僕は落ち着いた場所でヒロ達に坂本くんの手紙の事を話し、一緒に手紙を開いた。
 そこには綺麗な文字で沢山の文章が書かれていた。

~~~~~~~~~~
(この手紙は百里原で再会した
親愛なる仲間に託す事ができます故、
今までとは違い本心を書きます)

涼子……元気にしてるか?
お腹の子も無事か?
君がくれた手作りの詩集、何度も読んだよ。
君の想いが沢山つまっていた。
仲間も感動して泣いていたよ。
君が書いたと知ったら驚くだろうな……

俺は海軍に入って本当によかった。
飛行機乗りを志願して、本当は不安で不安でたまらなかったはずなのに……
その先で最高の仲間に出会えた。

そして何より、君を好きになって本当によかった。

俺は君の思い出の中で、笑っていられたらそれでいい。

子供の名前を決めてくれと言われて考えたんだが……
俺は音楽が好きだから音楽に因んだ名前か、二人が好きな文学に因んだ名前か……と考えていて浮かんだことがある。

名前は君が決めてくれ。
君は自由だ。
死にに行く俺に縛られることなんてない。
これからの未来は全部、君次第だ。

俺はこの世で一番尊い音楽は、
人の心臓の音だと思っている。
君の中で小さな鼓動が繰り返し鳴って、
小さな命が生きている事が
たまらなく嬉しい。

初めてのお産は不安だろうに……
そばにいてやれなくて本当にすまない。

涼子……その子をお願いな。
出来ることなら生まれた子供を肩車して、色々な景色を見せてやりたかったが……
新しい伴侶でも見つけて、そうしてやって欲しい。

子供が無事に生まれて、君たちがいつまでも幸せに暮らせますように……
土浦で出会った大切な仲間が、みんな無事に家に帰れますように……
それが俺の、最後の願いだ。

俺のもう一つの想いは、二人の思い出の中に封じ込めて俺は行きます。

愛すべき君と母上と、まだ見ぬ我が子の幸せを、いつまでもいつまでも願っている。
それと最高の仲間の幸せも……

追伸
仲間と撮った写真を同封します。
いつか会いに行くことがあったら、丁重に持て成してやって下さい。
~~~~~~~~~~

 僕はそれを読んで涙が止まらなかった。

「あいつは、ほっんまにキザやなあ……おかしいわ、前が見えへん」

「本当にあいつは……昔からバカな奴だよ……」

 坂本くんは特攻に行くとはどういうことなのか身を持って教えてくれた。
 まるで「貴様らは来るな」、「お前達には同じ思いをして欲しくない」と言ってくれているかのようで……僕達は三人で背中を寄せ合って泣いた。
 落ち着いてきた頃に、ふと疑問が湧いた。

「二人の思い出の中に封じ込めた、もう一つの想いって何だろう?」

 ふと一緒に渡された詩集を開いてみると、中の文字に所々○が付いていた。

「この『笑う』って漢字だけ半分の丸になっている…………ってもしかして……」

「どないしたんや、源次?」

「暗号だよ! この詩集の文にある頭の丸の部分を読んでいくと、文章になる!」

 一文字ずつ辿って読んでみると……

「サカモト、ワタルハ、リヨウコヲ、イツマデモ、アイシテル……ズツト、イツシヨニ、イタカツタ……」

 それを読み上げた途端、今までどんな時も冷静だった島田くんが声を上げて泣いた。

「バッカヤロウ! こんな暗号残して、自分の気持ち押し殺して……飛び立つ直前まで泣くの我慢して、最後までカッコつけてんじゃねーよ!」

「坂本くんが……泣いてた?」

「ああ……飛び立つ直前にクシャクシャな顔して泣いてたよ……俺はあいつに何もしてやれなかった……ずっと、あいつに救われてたのに……」

 暴れる島田くんをヒロが泣きながら抱え込んで……落ち着いた頃に島田くんがポツリと言った。

「俺……ずっと出してなかったけど、母ちゃんに手紙書くよ……あいつの嫁さんが無事に赤ちゃん産めるように、絶対守ってやってくれって」

「そうだね……それがいい」

「防空壕のこと書くのも……忘れんなや?」

 僕はその夜、坂本くんの手紙に背中を押され……純子ちゃんとの約束を守るために、ある計画を実行することにした。

 僕にはずっと考えていた作戦があった。
 航空隊員の命は目だ……目が悪かったら飛ぶこともできない。
 つまり目に怪我をすれば、「お前は使い物にならないから仕方ない」と違う部署に異動になるか、ひいては家に帰れるかもしれない。
 ヒロを傷つける事をしたくはないが、背に腹は代えられない。
 眼球を傷つけないように瞼の上に傷をつければ、必然と眼帯をすることになって飛べなくなるだろう……

 隊服の短剣は錆びているので、僕は部屋にあった純子ちゃんに貰ったGペンを先が下を向くようにして持ち……寝ているヒロにそっと近付いた。

「源次? 何しとるんや?」

 ヒロは目を瞑ったままだか何もかもお見通しといった感じで……僕は驚いた。

「何をしとるって聞いてるんや!」
 
「ご、ごめん……僕はただ、ヒロは純子ちゃんの所に帰って欲しくて……」

 目を開けたヒロは今まで見たことがない怒りの表情をしていた。
 僕達は周りに聞こえないように小さな声で大げんかした。

「俺は耳もええから、お前がやろうとした事は大体分かる……けどな? 俺は空が好きなんや……俺から飛ぶことを奪うな!」

「ヒロ、お前……純子ちゃん残して死ねんのかよ! あの坂本くんだって泣いてたんだぞ!」

「俺の覚悟はもう決まっとるんや……こんな事、二度とすんなや? また同じ事したら絶交や……俺は、お前を、絶対に許さへん!!」

 初めて聞いた本気で怒った声だった。

「それに、このペンはお前の宝物やないかドアホウ! ペンは、こんな事するためにあるんやない……色んな人に、大切な人に、大事な事を伝えるためにあるんやで?」

 ヒロは僕の頭に手を置いて、優しく諭すように言った。

「ごめん…………ごめんね、ヒロ」

 僕はヒロに泣きついて……そのまま泣き疲れて眠ってしまった。

 5月12日……坂本くんは空に旅立った。
 そして、これをもって『正気隊』としての特攻作戦は……終了することとなった。

 東京では4月13日・14日にも空襲があったが……
 5月24日・25日の「山の手空襲」ではB-29が5月24日未明に558機、5月25日の夜間に498機が襲来し、2日間で落とされた焼夷弾は3月10日に投下された時の4倍に近い量で……
 皇居のほか広い範囲が焼け、赤坂や原宿・表参道などは火の海で4000人以上が亡くなった。
 坂本くんが通っていた三田にある慶應義塾大学もこの空襲で被災し……
 慶應は普通部校舎の全焼など全国最大の空襲罹災大学といわれるようになってしまった。

 5月29日の横浜空襲では死者が8000人~1万人にのぼり、市内人口の約3分の1である31万人が被災した。

 全国で空襲が日常のようになってしまっていた6月10日……
 ヒロがバタバタと部屋に駆け込んできた。

「大変や! さっき上官に聞いたんやけど、土浦の海軍基地が攻撃されて、周辺一体が火の海だそうや!」

「嘘でしょ!?」「嘘だろ!?」

「土浦の平井くんや食堂のみんなが心配だ、今すぐ助けに行こう!」

「せやな!」「おうよ!」

 僕達は急いで上官の元に行き、ヒロが代表で訴えた。

「お願いです! 土浦に行かして下さい! 土浦には昔の仲間がおるんです!」

「分かった……人手が必要な今、慣れている者が向かった方が心強いだろう。お前達、行ってこい!」

「「「はい!!」」」

 僕達は急いで土浦海軍航空隊の基地に向かった。

「平井くん……みんな……どうか無事でいて……」

「平井……お前まで死んだら承知しないからな!」

「平井くん! みんな! 死ぬんやないで!」
 6月10日……阿見町にある土浦海軍航空隊とその周辺地区が大規模な空襲に見舞われた。
 「阿見大空襲」とも呼ばれたその日は丁度日曜日で……
 面会人で賑わっていた兵舎周辺は500キロ爆弾の雨で火災となり、土浦海軍航空隊のうち生き残ったのは約3分の1で練習生182名が死亡した。 
 予科練生や教官、近隣住民など合わせて370人以上が亡くなり、周辺の地域を含めた茨城の「日立空襲」としては死者約1200人の大空襲となった。

 僕達が急いで土浦に着くと、以前見た景色と全く違う本当に酷い状況で……
 基地の方に向かう道中、性別が分からないが座っている状態で全身が黒くなった方が必死に手を伸ばしていた。

「あっあの人、生きてるかも……」

「み、み……ず……みず、を、下、さい……」

 僕は直ぐに近くの水道管から吹き出していた水を、落ちていた茶碗に溜めて手渡した。

「ハイ、どうぞ」

「あんた! 水をあげちゃ駄目だ!」

「え?」

 後ろからした、おじさんの声に振り向いた後に視線を戻すと……
 その方は既に息絶えていた。
 おじさんによると、水を飲んだ事によって安心して生きる気力が途絶えるらしかった。

「ごめんなさい……僕のせいで……」

「お前のせいちゃう! お前は『水が飲みたい』っちゅう、この人の最後の願いを叶えたんや! こりゃあ基地の方も、えらいことになっとるかもしれん……先に行くぞ!」

 僕達は手を合わせてから先へ進んだ。
 僕は走りながら、いつの間にか叫んでいた。

「人が……人の上に……爆弾を落とすな!! もうこれ以上……人の……命を奪うな!!」

 先に食堂に着くと、一部被弾していたものの焼け残っていて安堵したが……中には誰もいなかった。
 土浦の基地に着くと、本当に酷い状態で……あちこちに凄まじい爆撃の跡があった。

 予科練の象徴だった雌雄の松も被弾して激しく損傷し、手術室は大勢の予科練生などが運び込まれている様子で南側の病棟も被災していた。
 平井くんを探して走り回っていたら、焼け残った病棟の中に右腕の先を包帯でグルグル巻きにされた平井くんと、由香里ちゃん達がいた。

「平井! よかった……お前、生きてたんだな!」

「平井くんも由香里ちゃん達も無事でよかった……」

「平井は怪我して辛いやろうけど、取り敢えずみんな生きててよかったわ……この有り様……一体、何があったんや?」

「今は聞かないであげて下さい!」

「いいんだ、由香里さん。僕には伝えなきゃいけない義務がある…………朝の8時少し前位かな……突然、空襲警報のサイレンが鳴って『空襲! 総員退避!」って誰かの声がして……ズシーンていう爆発音と地響きがしてからは本当に地獄のような有り様だったよ……」

「防空壕が集中的に狙われてね……中にはキチンと椅子に座ったまま上半身が真っ黒に焦げた子や顔が真っ赤に倍に膨れ上がった子……本当に多くの焼け焦げた予科練生の子達がいた……」

「平井さん、無理しないで……」

「みんなが鹿島に移ってからね、整備部の仲野くんていう友達ができたんだ……落ち込んでた僕に声を掛けてくれて、面白くて優しくて……いつもふざけて、みんなを笑わせてた……」

「平井さん!」

「今朝は抜けるような青空で、日曜日だから面会やらで賑やかで……いつものように門で待ち合わせて仲野くんと食堂に行こうとしてたら警報が鳴って…………僕は食堂の由香里さん達が心配で門を飛び出したけど、仲野くんはみんなが心配だから戻るって……」

「平井さん、もうやめましょう?」

「食堂から戻ったら仲野くん、頭に爆弾の破片が刺さった状態で仰向けで死んでた…………最後の瞬間、どんな思いで空を見上げたんだろう……痛いよね? 苦しいよね? 怖かったよね? なのに一人で置き去りにして…………本当にごめん……僕は何にもできなかった」

「平井さんは母ちゃんを助けてくれたじゃないか! 母ちゃん庇って右手無くなるような怪我してるのに……必死に僕達を守ってくれたじゃないか! 出血してるのに治療を受けてからも走り回って倒れて…………ありがとう、母ちゃんを守ってくれて……お願いだから、もう無理しないでよ!」

 由香里ちゃんの弟の和男くんが泣きながら言った。

「それは、僕と違ってトミさんはみんなに必要とされてる『土浦のお母さん』だからね……特攻のニュースを聞く度に、自分は出撃しない安全な所にいて若い子達を送り出してるのがつらくて……16、17歳の少年達が訓練を受けて頑張ってるのに自分は何やってんだろうってずっと苦しかったから、少しでも救援にまわりたくて…………倒れるなんて本当に不甲斐ないよな」

「まだ出血してるのに無理するからですよ……」

「そういえばトミさんは?」

「平井さんのおかげで無事で、今はみんなのために炊き出しやってます。手伝いたいけど、それより平井さんが心配で……」

「僕の事はいいよ、これからも気に病むことはない。君達の重荷になりたくないんだ……僕の姿を見ると気を使うだろうから、もう食堂にも行かないから安心して?」

「なにそれ……勝手に決めて、勝手にいなくならないでよ! 僕と違って必要? あんた自分の事、いらないとでも思ってんの? 私はあんたが好きなの! あんたが誰より必要なの!」

「ほえっ!?……でも、それは恩を感じるとか同情の気持ちからですよね? だったら……」

「あんたを好きになったのは今日よりずっと前よ、バカ! 篠田さんが好きって言ってんのに、毎週毎週バカみたい通ってくだらない話して……寒い時期になったら急に来なくなって、どうしたのかと思ったら『風邪引いて、うつしたくなかったから』って笑って店、手伝って……」

「由香里さん、落ち着いて……」

「私が『何でそんなに助けてくれるの?』って聞いたら、『僕は君を守ると決めたんです。多分あなたが生まれるずっと前から』って…………あんたみたいな奴タイプじゃないって思ってたのに、そんな事言われたら好きになっちゃうじゃない!……男が一度守ると決めたんなら、最後まで責任取りなさいよ!」

「そ、それは結婚? という事でよろしいんでしょ……」

「それはまだ早い!」

「ですよね~まだお付き合いもしてないのに結婚だなんて、バカだな僕……」

「ほんと鈍感なんだから……で、どうするの?」

「由香里さん! 僕の恋人になって下さい!!」

「…………はい……」

 由香里ちゃんは真っ赤に照れてそう言うと、泣きながら平井くんの胸に飛び込んだ。

「いや~最悪な事態を覚悟して土浦に来たが……本当に……本当によかったわ~」

 僕達は平井くんの無事と思わぬ展開を喜び合った。

「平井が落ち着いたらさ……みんなでホタル見に行かへん? 去年約束したやろ?」

「篠田さん! 覚えててくれたんですね!」

「ああ……本当は去年、土浦に行こうとしたんやけど、隊の車に隠れて行こうとしたら見つかって上陸禁止になってもうて……」

「なんだ、それで~相変わらず篠田さんは豪快だわ。そういえば篠田さん……この間は弟に、ありがとうございました」

「え? ヒロって、この間も来たの?」

「ああ、百里原に戻る前にちょっと用があってな……」

 平井くんは幸い早く落ち着いて、右腕に包帯を巻いた状態で外出を許可された。
 僕達は今まであった色々な事を報告し合い……
 頃合いを見て、鹿島の後に別々になったものの百里原で再会した坂本くんが散華した事や、手紙や詩集で伝えたかった想いの事を話すと、平井くんは号泣して暫く寝込んでしまった。
 しかし約束を守ろうと思い直したようで……「やっぱりホタルを見に行こう?」と涙を拭いて起き上がった。

 ホタルを見に行く日の昼、島田くんが意外な事を言った。

「平井……ちょっと写真撮らせてくれ。お前だけ写真を撮れてなかったから、お前の写真を丸く切り取って右上に貼ろうと思って」

「え……それってなんか縁起悪くない?」

「…………冗談だ」

「アッハッハ~お前の冗談、初めて聞いたわ」

「ほんと、写真撮ろうとかも意外だし……」

「うるせえ……」

「ねえ、ちゃんと並んで五人で撮ろうよ! 坂本くんが真ん中で、右側が僕と島田くんで、左が高田くんと篠田くん……っていうのはどうかな?」

「平井お前、ええこと言うがな~よっしゃ」

「ハイ~みんな並んだね?……って表情固くない? 笑って笑って~坂本くんが笑いながら困ってるよ~」

「じゃあさ、掛け声を『ハイ、同期!』ってするのはどう? そしたら自然に笑顔になるよ?」

「源次~ナイスアイデアや!」

「それじゃ、いくよ~? ハイ、同期!!」

 写真に写るみんなは、今までで一番の最高の笑顔だった。

 暗くなる時間に合わせて、僕達は由香里ちゃんおすすめのホタルが見える場所に行った。

「うわ~ゲンジがいっぱいや~」

「源氏ボタルね……ゲンジだと僕がいっぱいいるみたいになっちゃうから」

「ここら辺は空襲の被害がなくて本当によかったです」

「だいぶ基地から離れとるからのう」

「俺はこんなに沢山のホタルを見たのは初めてだ……なかなかキレイなもんだな」

「ね~すごいでしょ? 僕も去年、由香里さんと来た時に驚いて……絶対みんなと一緒に見たかったんだ」

「ほ~去年は二人で見たとは、その頃から好きやったんやないん?」

「篠田さん達が来なかったから仕方なくです~」 

「そんな~」

「あれ? あのホタルだけ光るの早くないか?」

「へ~珍しいな、同時に見られるなんて……あれは平家ボタルだよ。源氏ボタルは大きくゆっくりで、平家ボタルは小さな光で素早く光るんだ~ちなみに生息地が源氏は流れがある川で、平家は流れがない溜め池って鹿島で坂本くんに聞いたけど……ここでは同時に見られるんだね」

「そういえば僕も坂本くんから聞きました! ホタルが光るのは求愛の為なんだって……『俺はここにいるよ』って」

「じゃあ、あの一番よく光っているのが生まれ変わった坂本かもな」

「ほんまや……めっちゃピカピカしとる~あいつ涼子さんがいるんやから、これ以上モテようとすんなっちゅうねん」

「僕、気付いたんですけど…………人って亡くなって見えなくなっても、ちゃんといるんですね……坂本くんが、みんなの心の中で笑ってます」

「そっか…………そうやな……坂本も空襲で死んだ家族も、心の中におるんかもな……」

「3月の大空襲も酷かったですよね……東京の方が真っ赤な空で東京にいる父が心配だったけど、何もできなくて悔しくて涙が出て……」

「こっちの方まで見えてたんか……」

「実は、僕の父は小説家で……爆風がすごくて土浦まで色々なものが飛んで来た時に、目の前に落ちてきたのが父さんの本で……」

「幸い父は無事だったけど、今度空襲があった時は……今度こそは、誰か一人でもいいから助けたかったから……だからね? 後悔はないんですけど……」

 平井くんの目には薄っすら涙が浮かんでいた。

「僕も小説家になりたいと思って小説を書いてたから……こんな腕じゃもう二度と小説が書けないな~って…………もっとも戦争中でそれどころじゃないし、これを機にきっぱり諦めます」

 由香里ちゃんが堪らず声を掛けようとした時、ヒロが言った。

「諦めるな!! まだ左手があるやないか! お前には立派な想像力がある! 他人の痛みを自分の事のように感じる力があり……死んでもうた奴も、まるでそこにおるかのように見える力がある……お前のおかげで久し振りに坂本に会えた気がしたわ…………お前にはお前にしか書けない物語がある! だから絶対、諦めんな!」

「…………分かったよ……ありがとう、篠田くん。君の事、最初は正直嫌いだったけど……今では、大好きだ!」

「やっぱり篠田さんカッコいい……」

「由香里さん、そんな~」

「冗談よ! 今度弱音吐いたらバッターだからね?」

「「「あちゃーありゃ痛いんだよな~」」」

 僕達は、みんな揃って大笑いした。

 その翌日……百里原に戻ることにした僕とヒロと島田くんを、平井くん達は駅まで見送りに来てくれた。

「土浦に来てくれてありがとう! またみんなに会えて本当に嬉しかったよ!」

「僕も一緒にホタル見に行きたかった~来年は一緒に行こうね?」

「和男が寝てたからでしょ! 皆さんお元気で……絶対また来てくださいね!」

「必ず皆さんで、また食堂に食べに来てくださいね。いつでも待っているわ」

「ハイッ」

 電車が出発してからも、平井くんとトミさん達は、いつまでも手を振ってくれていた。

 空襲の被害は各地に広がっていて、6月17日には鹿児島、6月18日には浜松、6月19日には福岡と静岡で大空襲があり、6月22日には広島・呉軍港空襲があった。

 沖縄では6月23日に司令官と長参謀長が自決し、組織的戦闘が終結……
 6月29日には長崎・佐世保と岡山で空襲、7月1日は熊本大空襲と広島・呉市街空襲があり……呉出身の者の話によると、炎と煙が迫る防空壕の中で誰かが『海行かば』を歌おうと声を掛け、皆で泣きながら歌ったそうだ。
 最初は小声だったけれど、これがこの世の最後の歌だからと大合唱で……
 苦しい最期の時を励ましてくれたのも、また『歌』だった。

 沖縄戦もだが、7月に僕達の親族が住んでいる場所が空襲の被害に遭った。
 そして8月に原子力爆弾が落ち、日本が世界唯一の戦争被爆国になるなんて……
 6月の僕は夢にも思っていなかった。
 沖縄では米軍が3月26日に慶良間列島に上陸、4月1日に沖縄本島に約50万人の米軍が上陸し、約3ヶ月に渡り「鉄の暴風」とも呼ばれた凄まじい砲爆撃を受けた。
 宮古島などの離島は空襲や艦砲射撃を受け、補給を絶たれて飢餓やマラリアなどの伝染病に苦しんだ。

 沖縄守備軍は少しでも長く沖縄での戦いで「本土決戦」を遅らせようと、洞窟陣地に立てこもる持久戦を行ったが……
 5月下旬に首里の司令部を捨てて南部へ撤退し、野戦病院などにいた重傷者は置き去りにされた。

 日本軍は兵力不足を補うために中等学校などの10代の生徒まで戦場に動員……
 14歳以上の男子学徒による『鉄血勤皇隊』などの少年兵部隊が組織されたり、女学校や師範学校の生徒も看護要員の『女子学徒隊』として戦場に駆り出され、多くの少年少女が亡くなった。

 米軍は、艦砲射撃・爆撃・火炎放射器などを使って攻撃……
 隠れ場所になった壕では、日本軍によって住民が壕から追い出されたり、泣き声を立てる子どもが殺されたりする痛ましい事件も起こったという。
 米兵による日本兵捕虜の殺害・婦女暴行、それを戒めて民間人を保護しようとする米兵……

 「壕を爆破する前に出てきなさい」というカタコトの米兵の問いかけに、「捕虜は恥だ」「捕虜になるより死を選べ」と教えられていた人たちは壕の中から出て行くことができず……
 壕に爆弾が投げ込まれて、『ひめゆり学徒隊』などの女子学徒隊を含む多くの方が亡くなった。

 他の壕や山や海岸に逃げ込んでも、助けてくれると思っていた日本軍の兵から手榴弾を渡されて集団自決を迫られる絶望……
 人命軽視に疑問を持たず命令を守ることのみに忠実になった者や、未来を諦めた者たちが次々に爆死……
 家族を手に掛ける者、崖から身を投げる者、縄で首を括る者、刃物による出血死……
 追い詰められて絶望した人が次々に自死を選び、家族の名を呼びながら死んでいく……
 本当は誰も、そんな事をしたくなかっただろう。

 6月23日……司令官達の自決によって約3か月に及ぶ日本軍の組織的戦闘は終了したものの、その後も「各自戦え」との命令で個人の戦いは続き、住民の犠牲は9万4000人以上……
 沖縄県民の4人に1人が命を落とし、軍民合わせて約18万人以上の方が亡くなってしまった。

 軍国主義は自国の民間人をも殺し、前途ある若者の未来も奪っていく……
 教育はいかに大事か、身に沁みて分かった。

 7月に入っても全国各地で空襲が続き、7月4日に高知・高松・徳島、七夕である7月7日に千葉・甲府、7月9日に和歌山、7月10日に大阪・仙台……

 7月12日に宇都宮、7月14日に岩手、7月15日に青森・北海道、7月17日に茨城・日立、7月19日に福井で空襲があり、7月25日の大分では小学校に爆弾が投下され児童や教師など127人が死亡した。

 7月26日に日本に無条件降伏を求める「ポツダム宣言」が発表されたが、内閣は「黙殺」……
 同7月26日に山口・松山大空襲、7月28日には愛知・青森……
 そんな日本各地で数えきれない回数の空襲があった7月中旬の事だった。

 ヒロ宛に手紙が届き、それを読んだヒロは膝から崩れ落ちた。

「ヒロ!? どうしたの?」

「高知市の大空襲で、明希子おばさんと下の弟も死んでもうたって、知り合いの人がくれた手紙に…………前の空襲で数寄屋橋商店街で働いてた店の2階に移っとったんやけど……全部燃えて、一緒に死んでしもたって…………どうしよ源次……俺、生みの親も育ての親も、みんな亡くしてしもた……」

 呆然とするヒロを抱き締めようとしたその時……手紙を持った島田くんが飛び込んできた。

「おい、篠田! 本当にありがとう! お前のおかげだよ! 七夕に千葉で空襲があったと聞いてから心配で夜も眠れなかったんだが……母ちゃんも坂本の奥さんも無事だって! 防空壕を出て助かったって……ありがとう……本当にお前のおかげだ! これで心置き無く飛び立てる……」

「えっ?……飛び立てるって?」

「沖縄から出撃する隊に、つてがあってな! 宮古島で合流して7月29日の出撃に飛び入り参加できる事になったんだ!」

「まさか……沖縄で敵とるんか?」

「ああ! 前にお前に話した『龍虎隊』だよ! ここじゃあ暫く編成はなさそうだし、前から決めてたんだ」

「島田……その話、俺に譲ってくれ……お前にはまだ母ちゃんがおるやろ? 俺にはもう家族がおらんくなったから、俺の方が適任じゃ」

「どういう事だ?」

「ヒロの育ての親代わりだったおばさんが、この間の高知の空襲で死んだんだ……」

「そ、んな……」

「島田くんも、沖縄で敵をとるってどういう事?」

「こいつの親父と従兄弟……沖縄戦に巻き込まれて死んだんや」

「えっ?」

「なあ、島田お願いじゃ……分かるやろ? 俺も敵がとりたいんじゃ……」

「悪いがこれは譲れない……これは俺の戦いだ! それに…………何でもない」

 島田くんの決意は固く、7月29日の出撃に間に合うように単独で百里原基地を出発してしまった。
 坂本くんと同じように「読んでから送って欲しい」と手紙を残して……
 坂本くんとは違って相変わらずぶっきらぼうで、初めて見るような清々しい笑顔で……

 渡された封筒には何枚にも渡る手紙が入っていた。
 僕達は一文字一文字確かめるように読んだが……不思議と島田くんの声で再生された。
~~~~~~~~~~
この手紙は俺の最後の手紙だ。
今まで思っていた事が全部書いてあるから、長くなってすまない……

〈母ちゃんへ〉
七夕の空襲で生き残って坂本の奥さんも無事だと聞いて安心した。
本当に嬉しかったよ……生きていてくれてありがとう。

母ちゃんに報告があるんだ。
実は『龍虎隊』の一員として宮古島から出撃する事にした。
俺は「龍」という字が大好きだから、志願した『龍虎隊』になれて嬉しいよ。

なぜ龍が好きかというと……
「龍」は「飛」から成長した、将棋の中で一番強い駒だから。
父ちゃんが好きだった将棋の駒に書かれた「龍」……
他にも理由があるが、それが最初のきっかけだ。

母ちゃんに暴力をふるう父ちゃんは許せないけど、沖縄戦で父ちゃんと従兄弟が死んだ事を知らせる手紙を読んだ時に気付いたよ。
俺は心のどこかで父ちゃんとまた笑って会える日を、待っていたのかもしれない……

昔の俺だったら信じられないが、俺がこんな穏やかな気持ちで出撃できるのは、
土浦で再会したり新しく出会った同期の仲間達のおかげだ。
物好きな奴らでな……嫌われ者だった俺とずっと一緒にいてくれた。

俺がどんな奴らと一緒にいたか、母ちゃんにも知って欲しいから……そいつらへの思いもこの手紙に書きます。


〈篠田へ〉
お前とは不思議と気が合って……俺の余計な事まで話しちまったが、ずっと言えなかったことがある。

実は俺も坂本龍馬が好きなんだ。
お前が何度も「似てるだろ?」って聞いてくるから癪に障って言えなくなった。
言ったら、お前の事が好きみたいな話になるからな。
因みに龍虎隊の出撃日は、俺の誕生日だ。
誕生日が命日だなんて、坂本龍馬みたいで羨ましいだろ?

お前の明るさは、みんなで見上げた夜空の北極星みたいだった……
高田は指し詰め、その周りを回ってる北斗七星だな。
お前らどんだけ仲が良いんだよ!
きっと、どれだけ時が経っても……心は一緒なんだろうな。


〈高田へ〉
お前はバカみたいに純粋で、自分の事より他人の事にいつも一生懸命で……
俺とは正反対の面白い奴だったよ。
俺はお前に色々な事を教わった。
知識だけじゃなく、人として最も大切なことを……

お前の優しさは、知らず知らずのうちに周りを救っている。
俺もそのうちの一人だ……
円の外に行こうとする俺を、円の内側に入れて「希望の星」の一員にしてくれた。

これは篠田も言っていた話だが……
お前は、もっと自信を持て!
自分の凄さに……いい加減、気付け!
大切な人を幸せにする力が、お前にはあるんだから。

俺の最後の機体は「赤トンボ」らしいから、
お前の下手くそな歌を思い出して笑って逝くとするよ。


〈平井へ〉
最後は平井……いや、リュウ……
この名前で呼ぶのは久し振りだな。
ずっとお前が羨ましかった。
その名前も、父親から愛されていることも、屈託のない笑顔も……

俺の事をずっと覚えていてくれてありがとう。
「離れてる間ずっと友達だと思ってた」と聞いた時、涙が出そうなくらい嬉しかったよ。
本当は俺も……ずっと忘れてなかった。
忘れるわけないだろ?
お前は嫌われ者の、こんな俺の事を庇って
「こいつは僕の親友だ」と言ってくれたんだから……

土浦で再会した時、思ったよ。
やっぱりお前は、すごい奴だって……
俺もお前みたいに無我夢中で人を守りたいと思った。

これが最後だから、ずっと言いたかったのに言えなかった言葉を言うよ。

「お前は俺の親友だ」

お前の笑顔には、人を幸せにする力がある。
お前の未来は明るい……絶対、大丈夫だ!
いつか必ず夢を叶えてくれ。

もう一人ずっと伝えたいことがあった奴がいたが……
坂本へのメッセージは向こうで伝えることにするよ。
あいつと一緒にホタルに生まれ変わるのも悪くないと思ってな……


最後に〈母ちゃんへ〉
約束して欲しい事があるんだ。

「絶対幸せになって、100歳まで生きてくれ!」

みんな、お国のためにって言うけれど……
本当は母ちゃんと仲間さえ無事でいてくれたら、日本なんてどうでもいい!
俺もできる事なら母ちゃんや仲間と、ずっと一緒にいたかった!

でも俺より若くて弱っちいのが沖縄で命かけたのに、俺が行かなくてどうするって思った。
大切な人を守れずに死ぬのは絶対に嫌だから、俺は行きます。

坂本の奥さんのこと、よろしくな。
最高のライバルの大切な子供が、絶対無事に生まれますように……
子供が大きくなって絶対幸せになれるように、俺の代わりに助けてやってくれ。

最後の想いを暗号に隠したり、飛び立つ前に辞世の句を読む奴もいるらしいが……
俺は文才がないからやめておくよ。

母ちゃん……たくさん迷惑かけてごめんな。
こんな息子で、ごめん。
本当は坂本のように嫁さんでももらって、母ちゃんを安心させたかったが……
生憎そんな相手はいなくてな。
でも、俺は幸せだったよ。
母ちゃんの息子として生まれて、最高の仲間に出会えた。

誕生日の日に旅立つ不幸を、お許しください。
それにしても不思議な縁だ……
父ちゃんと母ちゃんの旅先だった宮古島で二人が出会わなければ、
俺が生まれることはなかったんだからな。


〈同期へ〉
みんなで見上げた星も、桜色の空も、一面のホタルも、信じられない位キレイだった……
ずっと一緒にいてくれて、ありがとな!
皆の幸せを願っています。

追伸
これが俺の最高の仲間だ!
俺も含めて、みんなアホみたいな顔してるだろ?
~~~~~~~~~~

 封筒の中には、百里原と土浦で撮った写真2枚が同封されていた。
 写真を撮ろうと言ったあの時にはもう、覚悟を決めていたのだろうか……

「島田のアホう! あいつ手紙では、めっちゃ雄弁やんけ……そんなに色々考えとったんなら直接言えや……平井がトミさん守った話聞いて、何や考え込んでんな~と思うたら……どんだけ負けず嫌いやねん」

 僕はヒロと肩を寄せ合って泣いた。

「ほんと、最後まで島田くんらしいよね…………ねえヒロ……この手紙、一緒に平井くんに届けに行こうよ。それで土浦の郵便局からみんなで手紙、一緒に出そうよ」

「すまん、源次……それは一人で行ってくれ……俺ちょっと上官の所、行ってくる……」

 ヒロの言葉を聞いて、僕は言いたいことが山程あったが……つらいこと続きなので控えた。

 7月29日、島田くんは宮古島から綺麗な空へ旅立った。
 その日は島田くんの……22歳の誕生日だった。
 8月に入っても空襲は続き、8月1日に新潟の長岡・富山、8月5日に群馬の前橋・高崎で空襲があり、九死に一生を得た人もいた。

 そして1945年8月6日午前8時15分……
 朝から晴れ間が広がっていたその日、人類史上初の原子爆弾が広島に落とされた。
 原子爆弾は目も眩む閃光を放って中心温度100万度の火球を作り、秒速440mの灼熱の爆風が爆心地周辺の全てを吹き飛ばした。

 直後に巨大なキノコ雲が発生……
 爆心地周辺の地表の温度は鉄が溶ける1500度を遥かに越した3000~4000度にも達し、熱線による自然発火と倒壊した建物からの発火で大火災が発生して爆心地から半径2km以内は完全に焼失……

 爆心地にいた方達は一瞬で炭化して黒焦げの塊となり、周辺地域の屋内にいた者は熱線は免れても爆風で吹き飛んだ大量のガラス片を浴びて重傷、倒壊した建物の下敷きで圧死や延焼で焼死……
 強烈な熱線で皮膚は焼けただれ、周辺地域では指の先に皮膚が垂れ下がった状態の人々が水を求めて彷徨い歩き、川は大勢の遺体で埋め尽くされた。
 「水が飲みたい」という最後の願いは、ほとんど叶わなかった。

 亡くなった乳飲み児を胸に抱き締めた女性、親兄弟を泣きながら探し歩く子供、水道の蛇口近くで息絶えた老人……
 全身やけど状態で一生懸命近付いて来る人物が自分の家族だと分からず、逃げた後でそれが家族だったと知った者もいたそうだ。

 原子爆弾から放出された大量の放射線は、長期間にわたり人体に深刻な影響を引き起こした。
 直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた人や家族を助けに行って放射線を浴びた人の中にも、放射線障害により胎児に影響が出たり白血病やがんを発症して亡くなる方が続出し……

 結局、年末までに広島では35万人のうち約14万人が死亡してしまった。

 8月7日には愛知・豊川空襲、8月8日には福岡・八幡大空襲……
 同日8月8日にソ連対日宣戦布告があり、翌9日に150万の軍が一斉に国境を越えて侵攻……

 そして1945年8月9日午前11時2分……
 長崎に2つ目の原子爆弾が投下され、人類史上最悪な悲劇が繰り返されてしまった。
 長崎では爆心地から1km以内の地域の家屋が原型をとどめないほど破壊され、年末までに24万人のうち約7万4000人が死亡してしまった。
 黒焦げとなった少年や赤ん坊を背負った黒焦げの女性……爆風、熱線、放射線が襲う想像を絶する地獄……
 直前まで慎ましくただ一生懸命に暮らしていた人達が、一瞬にして生きたまま焼かれた。

 焼け野原となった長崎は、この先70年草木は生えないだろうと言われていたが……約1ヶ月後には草木が芽吹き、人々は生きる希望を見出したという。

 広島では原爆投下後の夜、大勢の負傷者たちが避難した死臭や血の匂いが漂う地下室で、「赤ちゃんが生まれる」との声を聞いた人々が自分の痛みを忘れて妊婦を気遣い……
 大やけどをしてうめき声をあげていた助産師が自らの命を顧みず、赤子を無事に取り上げたそうだ。

 助けたくても助けられなかった沢山の命が失われた地獄で生まれた新しい命……
 どんな状況でも生き物には生命力があり、人は人を助けようとする。
 人の優しさこそ未来の命を救う希望なのではと思った。

 百里原海軍航空隊では8月3日に第十航空艦隊第十五連合航空隊が新編、転入され決戦体制に移行していた。
 百里原で再編成された第六〇一海軍航空隊は『第四御盾隊』と命名され、百里原基地から直接8月9日、13日、15日に出撃することとなり……
 僕は8月15日の編成メンバーになった。

 ヒロが僕を出撃させないよう上官にお願いしに行ったところ、「そんな腑抜けな事を言う奴に飛ぶ資格はない」と自身の出撃は禁じられ、僕が出撃することが決まったらしい。
 ヒロは何度も僕に謝ってきたが、元々ヒロに決まったら代わろうと思っていたので純子ちゃんとの約束を守れそうで安堵した。

 最後の機体は「彗星」……後方の偵察員とともに出撃する二人乗りの艦上爆撃機だった。

 あっという間に8月14日の夜になり……
 ヒロと過ごせる最後の晩に何を話そうか悩んでいると、ヒロがふと呟いた。

「今年は1945年で昭和20年か……今はこんな時代でも、いつかは平和な世の中になるんかのう……今日の21時のニュースで明日の正午に天皇陛下が自らラジオ放送して下さるって言っとったけど、何じゃろうのう……」

「昭和か……本当は『国民の平和や世界各国の共存繁栄を願う』という意味が込められた名前なのにな……」

「そうなんか? それは知らんかった……源次は時々、先生みたいなことを言いよるのう……こんな時代やなかったら、先生になってそうじゃ……大学の教授にもなれそうやな」

「先生なんて……僕には無理だよ」

「せや、俺の秘密、今のうちに話しとくな……お前、初めての授業で俺の鉛筆拾ってくれたやろ? あの時わざと落としたんや……思い出すかな思て」

「なんで? 何を?」

「お前は覚えてへんかもしれんけど、受験の時お前と俺は偶然、隣の席でな……試験が始まる前に消しゴムを忘れて慌てている俺に、自分の消しゴムを半分に折って渡してくれたんや」

「全然、覚えてない……」

「お前は試験中に自分の消しゴム途中で落として、俺はこっそりお前に返そうとしたけど……ごっつ集中して試験に取り組んで、一回も消しゴム使いたそうな素振りせえへんかった…………そして二人とも合格した」

「そうだったんだ……」

「ありがとうな源次……俺はお前に恩返しがしたいって、ずっと思ってたんや……だから俺が言ったくだらない冗談でお前が笑ってくれるのか本当に嬉しかった。実はな、源次…………やっぱ何でもない……」

「ヒロ……こちらこそ、今までありがとね……」

 僕は伝えたいことがありすぎて、布団の中で涙が止まらなくて……その日の夜は一睡もできなかった。

「そうか……僕は明日、死ぬのか……」

 深い絶望と色んな想いが込み上げてきて、母さんや純子ちゃん、ヒロや平井くんへの最後の手紙を書いていたら、あっという間に夜が明けてしまったが……

 8月15日の朝になって驚いた。
 掲示板の下に僕の名前入りの編成表が落ちていて、壁の編成表の中にヒロの名前があったから……

 僕は急いで上官に会いに行き、落ちていた紙を見せながら尋ねた。

「これってどういう事ですか? 本当の事を教えてください!」

「実はな、高田……先月、篠田が『絶対に高田を出撃させないで下さい』と頭を下げに来たんだ……『もう二度と仲間を失いたくないから』と…………お前だけは『絶対に失いたくないからお願いします』と懇願されたよ」

「自分一人が編成メンバーになると、あいつはどんな手を使っても自分と代わろうとするから……高田を編成メンバーとして発表して、当日入れ替えにしてくれって」

 通常だったらそんなお願いは聞き入れてもらえないが、人の懐に入るのがうまいヒロの人柄によるものだろう……

「そ、んな…………何だよそれ!」

 僕は急いで部屋に戻り、紙を見せながらヒロを問い詰めた。

「これってどういうこと?」

「おはよう源次……ってなんや気付いてしもたんか……やっぱり俺に出さしてくれって頼んどいたんや! 俺にはもう家族がいないから俺が行った方がええんじゃ!」

「何だよそれ……俺にはもう家族がいない? ずっと言うのを我慢してたんだけどさ……純子ちゃんという血を分けた従兄妹がいるだろ! お前の未来の嫁さんになるかもしれない、大切な家族がいるだろ!」

「純子ちゃんだって家族を失ったけど諦めずに一生懸命生きてる! 親も弟も亡くして、なぜあんな細い身体でもう一度立てたか分かるか? お前がいたからだよ! お前の事が好きだからだよ! お前は生きてあの子の元に戻らなきゃいけないんだよ!」

「お前は、ほっんまにニブイ奴やな! 純子が男として好いとるのは源次……お前や! お前が純子の隣におらんとあかんねん」

「でも駅伝の時も卒業式の前日も、二人は熱い抱擁をしてたじゃないか!」

「アレは俺の最後の悪あがきじゃって見とったんか、恥ずかし……あいつの性格はよう分かっとる。恥ずかしがり屋の純子が人前で抱きついてきた時も卒業式前日に泣いてた時も思い知らされたわ……異性として意識されてへん兄弟のような存在なんやって」

「昨日も言ったやろ……俺はお前に恩がある……今こそ、その恩を返したいんや……実はな、受験に落ちたら俺は戦地に行く話になっとんたんや……兵役法では志願によって17歳からやから」

「そんなの志願しなければいいじゃないか!」

「生みの親がいない俺は、学生っちゅう肩書きがなかったら志願しないとあかんって近所の人から店に嫌がらせされてな……落ちてたら前線に送られてもっと早く死んどったかもやけど、源次のおかげで大学受かって楽しい思い出沢山できたわ……俺が今日まで生きてこれたのは、お前のおかげなんだよ……だから源次、お前には生きてて欲しいんだ!」

「そ、んな……」

 ヒロは僕の手紙を持ってきて読んだ。

「それに何やこれ! 僕はずっとヒロと一緒にいたかった? 純子ちゃんと一緒に生きていたかった? どうかヒロと幸せになって下さいって? こんな手紙書いて、勝手に諦めて……純子が本当に好きなのはお前だ! 待ってるのはお前だ! お前が純子を幸せにするんだよ!」

 一晩悩んで書いた手紙はビリビリに破かれた。

「残念だったな……この手紙の言葉は全部、自分で直接伝えろ」

 僕はカッとなって咄嗟にペンを探した。

「お前と俺のペンは隠した! お前、そんなに俺と絶交したいんか?」

「違うよ! 僕だって同じなんだよ! ヒロに……たった一人の親友に、ただ生きてて欲しいだけなんだ!」

「お前から、そんな言葉が聞けると……は……なっ」

 僕はヒロに思いきり左目の上を殴られた。
 みるみる腫れていき視界が遮られる。
 きっと今、上官に会ったら出撃を止められるだろう……

「いつかのお返しや……これでお前は出撃でけへん。代わりに俺が行く!」

「お前には純子を幸せにする義務があんねん……ずっと好きやったんやろ? なのに俺に気を使うて自分の気持ち隠して…………これからはもっと正直に、素直に生きなあかんで? ほな行ってくるわ」

「待ってよヒロ……行かないでくれ」

「今までおおきにな源次……お前の言葉……めっちゃ嬉しかったわ」

「待っ……て…………」

 僕は殴られた事による目眩と過度の興奮と寝不足がたたって、その場に倒れてしまった。
 医務室に運ばれた僕は、しばらくして気が付いたが……
 出撃前の別盃式には「邪魔をするかもしれないから」と看護員に見張られて参加させてもらえなかった。
 篠田の強烈な右パンチをくらった左目の上は腫れ、手当てと眼帯をされながら旅立ちの準備を遠くから右目で見ている事しかできなかった。

 しかし午前10時半頃、ヒロが「彗星」に乗り込む前……何とかして見張りの目を欺いて僕は走り出した。
 そしてヒロが「彗星」に乗り込むギリギリの時間に間に合った。

「ヒロー! やっぱり僕が代わる! だから乗るのは待ってくれ~」

「アホ~そんな目じゃ飛べへんやろが~っ、ヨイショっと……やっぱ、お前に渡してから行くことにするわ。殴ってごめんな源次……お詫びにコレ、お前にやるわ……」

 ヒロは乗り込もうとした機体を降りて、自分がつけていた紫のマフラーを僕に巻いてくれた。

「あと……やっぱりコレは純子に返しといてくれ。写真とウサギの人形……一緒に連れてくのは、なんやかわいそうで……もし打ち所が悪かったら可愛らしいウサギが真っ赤に染まってまうかもしれんしな」

「だから僕が代わりに!」

「それは絶対にアカン言うたやろ! でも最後にお前に会えて、ほんまによかったわ~渡したかったもんも渡せるし……まあ、すでに手垢で汚れてもうてるけど、純子に似てるこいつには真っ白なまんまでいて欲しいんや……だからこれは返して?」

 ヒロがポケットの中から出した写真とウサギの人形を渡そうとしてきた時……
 僕を見る真剣な眼差しや今まで見たことない表情から強い意志と決意が伝わってきて……それ以上何も言えなくなった。

 僕は泣きながら写真とウサギの人形を受け取って飛行服のポケットに大切にしまい、ヒロに最後の敬礼をした。

 そしてヒロが乗り込む前に、僕達は「これが最後の抱擁だ」と固く強く抱き締め合った。

「今日は一段とキレイな空じゃのう……どこまでも純粋で……純子みたいに透き通った、キレイな空じゃ……」 

 空を見上げるヒロの横顔は、今まで見た中で一番カッコよくて……
 本当に空を飛ぶのが好きなんだと思った。

「篠田少尉、時間です!」 

「おうよ! ほな、ちょっくら行ってくる!」

 後ろの偵察員の声に応えるヒロは爽やかな笑顔で……僕は邪魔にならない位置まで後ずさり、手と帽を振ることしかできなかった。
 ヒロはこっちを見て頷いた後にエンジンをかけ、ゆっくり滑走路を進んだ。

 その時だった……

「源次さ~ん」

 忘れもしない純子ちゃんの声……
 基地に来るはずのない純子ちゃんが走ってきた。

「純子ちゃん!? なんで?」

「源次さんがいよいよ出撃するって光ちゃんの手紙に書いてあったから、居ても立ってもいられなくて……」

「ヒロが!?」

 息を弾ませ、一心不乱な状態で駆け寄ってきた。

「純子ちゃんごめん! 本当は僕が行くはずだったんだけど、ヒロに目を殴られて出れなくなって……あいつが行くことになって、あの飛行機に乗ってるんだ! でも腫れも引いてきたし今なら交代が間に合うかもしれない……急ごう!」

「そ、んな……光ちゃんが? 交代ってどういうこと?」

「伝えたいことがあったんだろ! 駅で何も言えなかったんだろ! 早くしないと間に合わない! いいから行くぞ!」

 僕は純子ちゃんの手を引いて、全速力で滑走路を走った。
 出撃が一番最後の順番だったヒロは、飛び立つために加速の準備を始めている。

「ヒロー! 待ってくれー! 純子ちゃんが、来てくれたんだーー!! あっ……」

 僕は眼帯に視界が遮られて転んでしまった。

「クソッ何でこんな時に……」

 離陸する前の助走のスピードが段々早くなっていく……
 間に合わないかと思ったその時……
 滑走路に純子ちゃんの大声が響き渡った。

「光ちゃーーん! 大好きだよーー!! 私もずっと……ずーっと! 大好きだよーーー!!!」

 透き通ったいつもの声とは違う、魂の叫びだった。

「お願いだ……届いてくれ……ヒロ!!」

 機体が浮かび、伝わらずに飛び立ってしまったかと思ったその時……
 操縦席からヒロの左腕が伸びて、ハンドサインが見えた。

 力強くピースしたそのサインは、最後の最後まで、あいつらしかった。
 そのピースの先に五人で作った「希望の星」が見えて……僕は涙が止まらなかった。

 純子ちゃんの最後の想いは伝わったが……僕は最愛の二人を引き離してしまった罪悪感でいっぱいだった。

「ごめん純子ちゃん、約束守れなくて……本当は僕が行くはずだったのに何もできなかった……死ぬべきは僕だったのに……」
バチンッ
 全部言い終わる前に僕は純子ちゃんにビンタされた。

「そんな事言わないで! 私は光ちゃんに生きてて欲しかった! 光ちゃんともっと一緒にいたかった! 身を引き裂かれる思いって、こういうことかって思う位つらくて悲しい……でも源次さんが生きていてくれて嬉しい! お願いだから死ぬなんて絶対言わないで!!」

 僕達は滑走路の上で泣きながら抱き締め合った。

 僕はウサギの人形を純子ちゃんに渡せなかった。
 せめてウサギの人形だけでも一緒に旅立ったと思っている純子ちゃんに返すのは、酷な気がしたから……

 正午の玉音放送は、雑音が多くてよく聞き取れなかったが……
 戦争が終わったことは理解でき、僕は絶望して人目も憚らず号泣した。

 「あと数時間早かったら、ヒロが飛び立つことはなかったのに」と思うと……
 本当に悔しくて悔しくて堪らなかった。

 『篠田弘光』……あいつは日本で最後の特攻隊員になった。

 軍の命令によるものとは別に、大分海軍から玉音放送後に「先に逝った仲間との約束だから」と飛び立った隊もいたが……

 命令を受けて出撃した特攻隊の中で、最初の特攻と最後の特攻に両方とも高知出身の若者がいたことを、知っている者は少ないだろう……
 
 紫のマフラー、それは端を結ぶと駅伝のタスキのようだった。
 あいつから受け取った紫のタスキは、何としても次へ繋がなければと強く思った。

 探していたお揃いのペンは、ヒロのカバンの一番奥に隠されていて……
 その下には「源次へ」と書かれた手紙が入っていた。

「もしかしてヒロ……純子ちゃんにも手紙を書いてたのは、本当は最後に会いたかったからなんじゃないのかな……」

「いいえ、一番の理由は多分違うわ……きっと源次さんを一人にしたくなかったのよ。光ちゃん源次さんのこと大好きだから……これ見て?」

 純子ちゃんの手に握られていたのは、以前駅でラブレターと言いながら渡していた方の手紙だった。

「開けるの誕生日って言われてたのに……」

「先月の七夕の日に読んじゃった……7月7日はね。光ちゃんが初めてうちに来た日なの……私達が一緒に暮らす始まりの日で、ある意味誕生日だし、いいかなと思って……」

 僕達は背中合わせになって、ヒロからの手紙を読んだ。
~~~~~~~~~~

〈源次へ〉

最初の日にも嘘ついとったが、最後の日にまで嘘ついてごめんな。

俺は本当は、お前が絵が上手いことも、
お前の誕生日が11月15日だってことも、
問題用紙の落書きや受験票の生年月日を見て知ってたんや。

ちなみに「彗星」は1940年11月に完成して11月15日に初飛行に成功したそうや……
尊敬する坂本龍馬と、俺にとって一番の親友のお前と同じ誕生日の機体で飛べるなんて、こんなに幸せなことはない。

だからこれは俺の選んだ道で、
俺の願いだから、
お前達が気に病む必要はない。

お前は、俺の願いを叶えてくれた。

昔、小さい時に流れ星に願ったんや。
母ちゃんを返して下さい……
流された父ちゃんが見つかりますように……
もしそれが無理なら、
一生の友達ができますようにって……

お前が俺の一生の友達……運命の親友やった。

それぞれの道を進んだ先で出会うって、ごっつすごい事なんやで?
お前には本当に感謝してる。

源次……お前はいつだって自分の事より誰かを思って行動できる、凄い奴やった。
お前みたいな奴が沢山おったら、戦争なんか起きてへんかもな~って何度も思った。
お前はいつも自分に自信がないような事言うとるけど……
お前みたいな奴こそ、これからの時代に必要なんやで?

せやからな源次……
お前には生きていて欲しいんだ。
俺は、お前達に幸せになって欲しいんだ。

だからこれは、俺からの最後のお願いだ。
絶対に生きて帰れ!
そんで早う結婚しろ!

純子のこと頼んだぞ。
あいつはお前が好きなんだ。
お前じゃなきゃ駄目なんだ。

俺は明日を信じてる。
お前達が幸せになって、
この世界の誰もが平等で、
笑って暮らせる未来が必ずくる!
お前達が、そう変えてくれることを信じて……俺は行きます。

追伸
坂本と島田にもろた、一緒に撮った写真を同封します。
俺と源次は、どこまで行っても親友や!
100年後の天国で待っとるで!

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〈純子へ〉

ずっと素直になれなくて、ごめんな。
お前が作ってくれた料理、あんま褒めたことないけど……本当は全部、美味しかった。
里芋の煮物なんか母ちゃんが昔作ってくれた味に似てて、涙が出る程うまかった。
源次みたいに素直に褒められなくて、すまん。

俺は、お前達に出会えてラッキーだ。
親を亡くして悲しくて寂しかったけど……
その先で純子たちと一緒に暮らせて、めっちゃ幸せやった。

本当はお前を、源次に取られたくなかった。
でも源次と一緒にいる時のお前が一番、幸せそうで好きやった。
お前らウブ過ぎて、見てるこっちが恥ずかしゅうなるわ。

源次のこと頼むな……
最後まで世話かけてすまんのう。
俺はお前のこと、大好きだった!
お前らのことが、ずっとずっと大好きだ!

出撃前に辞世の句を読むらしいから、俺も作ってみたわ。
これでも立教の文学部やからな!

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澄み渡る 空に願いし 幸せを
その(みなもと)を 永遠(とわ)に 護らむ
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お前らの幸せが、俺の新しい夢だ!
お前らが結婚する日を楽しみにしとるで……
俺は空が好きやから、もし二人に子供が生まれたら、
名前は「空」がええな~なんてな。

二人の幸せだけを願って、
俺は行きます。

追伸
俺が死んだらツバメになって、
お前らの家に毎年会いに行くわ!
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 ヒロの最後の手紙は、幸せを願う言葉ばかり残されていた。

 何も持たず、たった一人で飛び立って……
 本当はお揃いのペンだけでもヒロに渡したかったが、返したい相手はもうこの世にいない。
 だからあいつの使っていたペンは、純子ちゃんにあげることにした。

「ヒロ……マフラーをくれてありがとう……僕のは血だらけでそのまま焼かれてしまったから、コレがヒロと僕を繋ぐ形見になったよ。紫だから結ぶと立教のタスキみたいだろ?……お前から貰ったタスキ、必ず、繋いでいくからな」

「私ね……光ちゃんの笑顔や声が大好きだったの……だから、これからもきっと大丈夫……ちゃんとココに残ってるから」

 純子ちゃんは胸に手を当てながら、ヒロが使っていたペンを大事そうに抱き締めた。

 1945年8月15日の正午、玉音放送が流れて太平洋戦争は終わった。
 その全文には、戦争への苦悩と平和への願いが込められていた。

 前日の8月14日に山口・岩国大空襲、8月14日深夜から15日にかけても空襲があり、埼玉・熊谷空襲、群馬・伊勢崎空襲、秋田・土崎空襲が最後の空襲だが……

 戦争中の本土空襲の回数は約2000回……投下された焼夷弾は約2040万発、撃ち込まれた銃弾は約850万発……
 犠牲者は確実な数字で45万9564人だという。

 太平洋戦争での日本の死者は、軍人・軍属・准軍属合わせて約230万人、外地の一般邦人死者数約30万人、内地での戦災死亡者約50万人……
 合わせて約310万人の方が戦争で亡くなってしまった。

 特攻隊の戦没者は、陸・海軍あわせて約6000人……17歳から32歳までの平均年齢21.6歳の若者が、沢山の想いを抱えて空に飛び立った。

 特攻作戦を進めた「特攻の父」と言われていた中将は、終戦直後に死んで責任をとると割腹自殺……「死ぬ時は出来るだけ長く苦しんで死ぬ」と介錯を拒否し、長時間苦しみながら亡くなった。
 生き残った若い人たちに「諸子は国の宝なり」と呼びかけ、世界平和を願った遺書を残して……