桜のせいで君に恋をした。
桜舞う春、中学3年生になった初日。
教室に入った私は、一瞬彼に見とれた。
指定された私の席の、隣の席に座っていた男子は、退屈そうに頬杖をついて桜が散る外を眺めている。
茶色っぽい髪に色白の横顔、遠くを見ているような色素の薄い澄んだ瞳。
彼のガラス細工のような冷たく儚い美しさを、薄ピンクに染まる背景の桜が引き立たせていて、あまりにも綺麗だった。

だからきっと桜のせいだ。
私が彼、川瀬要(かわせかなめ)に恋をしたのは。





1章 タイムカプセル。 
美桜(みお)side.1

昼休みになると、親友の遥に手をひかれて私は教室を出た。
そして、私と(はるか)は空っぽの視聴覚室で向かい合って座った。

同性の私から見ても可愛い遥が、腕を組んでニヤニヤしながら言う。
「美桜、要のことチラチラ見すぎ。後ろの席からでもわかったよ。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい」
「うっそ、私ヤバい人みたいじゃん」
クラスでは私の後ろの席が遥、遥の隣、川瀬君の後ろの席が幼馴染の夏輝(なつき)だ。


「でもまぁ目立つよね、川瀬要。要ってずっと入院してたから、今までほとんど学校来てなかったんだよ」
「そうなんだ、知らなかった。あんな綺麗な男子がうちの学校にいたなんて」
「美桜ってあんなのがタイプなんだ。神田君みたいな優しい感じの人が好きなのかと思ってた」
「夏輝はただの幼馴染だよ、恋愛とかそんなんじゃない」
「ふぅん、でもさ、要狙うのはやめたほうがいいよ」
「狙うって……私が川瀬君と釣り合うわけ無いし、見てるだけで幸福度あがるから良いの。推しだよ推し!」
「じゃあ、そんな推しと週末デートしてみる?」
「無理無理! 心臓もたない!」
まるで、人に抱かれたうさぎのように、私は震えはじめた。

「そう? そしたら週末私の家で勉強会しようよ、美桜センセイが教えてくれないと新学期そうそうテストがやばい」
「オッケー」
私がそう言うと、遥は右手でグッドサインを出してきた。



「美桜! どうぞー」
インターホンから遥の声がした。
インターホンが切れ、私は少しの間、ドアの前で待っていた。すると、玄関のドアのカギを開いた音がしたあと、どうぞーってもう一度、声をかけられた。私がドアノブに手を添えたとき、ドアノブが私の力ではない、反対側からの力が加わり下がったと思ったら、玄関のドアが内側からゆっくり開いた。
「桜井さん、いらっしゃい」
そこにいたのは笑顔の川瀬君だった。
「あ……なんで」
なんで? なんで川瀬君が遥の家にいるの?
川瀬君はそんな私の動揺なんて感じてなさそうに微笑んでくれた。

「遥に勉強会するって聞いたから、僕も参加させてもらおうと思ってきちゃった」
「そう、なんだ」
なんで、こんなに普段の雰囲気とはちがうくらい、爽やかに見えるんだろう――。
私服姿の川瀬君は、学校にいるときと全然違っていた。細身のデニムにオーバーサイズ気味のゆるいニット。なんというか、あざとい。オフの川瀬君、かわいすぎる。私は、耳がはえてきそうなくらい後頭部がむず痒くなった。

「美桜、入って入って」
川瀬君の後ろから、遥が顔を出してウインクしてくる。
もぅ、先に言ってよ遥。テキトーな格好で来ちゃったじゃん。私はため息をついたあと、おじゃましまーすと言って、玄関に入り、ブーツを脱ぎはじめた。



「美桜ちゃんのノートめちゃくちゃ見やすい!」
「でしょ? 美桜は天才なの」
「別に普通だよ。」

ガチャガチャとカギを開ける音がしたあと、玄関のドアが開く音がした。
「お姉ちゃん帰ってきたかも」
「挨拶していい?」
そう言って立ち上がろうとした私の腕を、遥がつかんだ。
「いいよ、挨拶なんて」
「そうなんだ」と私はそのことに対して腑に落ちないまま、遥に言われた通り、お姉さんへ挨拶するのを諦め、再び座り込んだ。

「それより……お腹すいた。要、お菓子買ってきてよ」
「しょうがないなぁ」
 川瀬君と遥がそんなやり取りをしている間に遥のお姉ちゃんらしき人の足音が、遥の部屋の前を通り過ぎていった。持ったカギを揺らしているのか金属がこすれる音と、足音にあわせて、ビニール袋がこすれる音がした。
 じゃあ、行ってくるわと唐突に川瀬君はそう言ったあと、川瀬君がスマホと財布を持って、遥の部屋をすっと出ていった。
なんだろう――。
言葉とは裏腹に、川瀬君の声色はなんだか明るくなったような気がする。
川瀬君ってもしかして……遥のことが好きなのかな。

遥の部屋の外で、川瀬君が遥のお姉さんらしき人と話している声が聞こえる。やっぱり、このタイミングで遥の部屋を出たら、普通に遥のお姉ちゃんと鉢合わせて、挨拶するに決まってるじゃん。なんだか、私だけ、挨拶していない感じになって、私は余計、その状況が嫌になった。
男女のくぐもった声がするだけで、会話の内容まではわからない。だからきっと、部屋の中の会話も、今なら川瀬君に聞かれないだろう。

「ねぇ、遥と川瀬君ってどんな関係? 付き合ってるの?」
「ないない」
「じゃあ、なんでこんなに仲いいの?」
「えっとね、私のお姉ちゃんが入院してるときに病院でお姉ちゃんと要が友達になって、私もお見舞行くうちに3人で仲良くなった感じかな」
「そう……なんだ。」
なんだ、そういうことか。遥のお姉ちゃんと、川瀬君は面識があったんだ。

遥はすごく可愛いから、遥の方は川瀬君を友達だと思ってても、もしかしたら川瀬君の方は遥をそう思っていないかもしれない。そんなことが私の頭の中をよぎった。


「私たちって受験ないからさ、幼馴染ばっかりで大学卒業までずっとこのまま一緒なのかな」
「そうだね、中高一貫校で大学もたぶんエスカレーターだもん。なんのための大学付属校だと思ってるの?」
 そう言って、遥は私の背中をぼんと軽く叩いてきた。
「痛ったー」
 わざとらしくリアクションを取ると、私の背中を叩いた罪悪感なんて全く感じていないように遥はゲラゲラと笑いはじめた。
「だから、私たちの腐れ縁は22歳まで続くよ」
「7年後なんてわからないよ」
 
「だよね。そう言えば、今、思い出したんだけどさ、西中の友達がタイムカプセル埋めたって言ってた。『一年後の自分宛てに』手紙書いて、それを卒業式の日に読むんだって」
「面白そう!」
「だけどさ、一年ってタイムカプセルの意味あるのかな。一年後って大して変わってなさそうな気がするし、書いた手紙の内容もきっと覚えてるよね」
「確かに」
 タイムカプセルって、人の記憶が曖昧になる頃に過去の自分や仲間からメッセージを受け取るものなのに、そんなまだ、記憶が明確で曖昧じゃないときに開けて、感動するのかな。って遥の言い分を聞いて、私も疑問に思った。

「しかも、仮に私たちがタイムカプセルをするにしても、同じ高校に行くのはほぼ確定しているわけだから、余計、一年後に開封する意味がわからなくなるよね」
「じゃあ、私たちがやるとしたら、22歳に開封する感じかな」
「それだったら、キリよく20歳の方がいいかな。なんか、20歳になった私達へのほうが、雰囲気出るよね」
「ねえ、だったら、私たちもやろっか、タイムカプセル」
「いいね! 西中の子たち、神社に埋めてるらしいよ。だから、私たちも学校近くの神社じゃない? 埋めるなら」
 そう言ったあと、遥は床に置いてあったスマホを手にとって、なにかを操作したあと、スマホの画面を私に見せてきた。スマホの画面には、学校の近所にあるらしい、こじんまりとした神社の画像が表示されていた。
「こんなところに神社あったんだ。良いと思う! 川瀬君も誘ってみようよ」
 私がなんとなく、この人の名前を出したのは、もちろん、遥と縁が深い男の子がいたほうが楽しくなりそうだと思ったからだし、私としても、こういうイベントを川瀬君と一緒にやってみたいなって思ったから、あざとく、そう提案することにした。
 
「じゃあさ、神田君も誘わなきゃね」
「なんで夏輝まで?」
「神田君は美桜の騎士だから。きっと5年後も美桜のそばにいるんじゃないかなぁって思って」
 えー、と言って私は右手で遥の背中を軽く叩いた。
「痛ったー」
「さっきのお返し」
 そう言ったあと、私と遥は川瀬君が部屋に戻ってくるまでのあいだ、簡単にタイムカプセル計画を立てた。

5年後の自分宛てに手紙を書いて神社に埋める。そして5年後に四人でタイムカプセルを掘り起こす。決行は5月の晴れた日に。
丸い筒状のクッキー缶に四人分の封筒を入れて、缶の口をテープで止め、それを3重の袋に包んで土に埋めることにした。





2章 恋の呪い。 
夏輝side.1

週末のマックは午前中から混んでいる。

タイムカプセルを4人で埋めてから半年近く経っていた。俺はなるべく落ち着いて話せそうな奥のシートに座る。店に入ってきた美桜に軽く手を上げると、彼女は一瞬、驚いた顔をしてこちらに歩いてきた。

学校にいる時より、美桜は華やかな雰囲気に思えた。最近の美桜にとってはこれが普通の休日スタイルなのかもしれない、こんなふうに約束をして休日に会うのなんて久しぶりだ。セットした髪、大人っぽい化粧、丈の短いスカート、これが俺のためにしたオシャレじゃないことくらいわかっている。
これはきっと川瀬に会うときのための予行練習だ。
川瀬と話しているときの美桜は、俺や佐々木さんと話すときの雰囲気と全然ちがう。正面に座ってスマホをいじる美桜に、川瀬の姿が透けて見えた気がした。

「話ってなに?」
「髪、どうした?」
「ん? この髪型可愛い?」
美桜が上目遣いで聞いてくる。
いっきに顔が熱くなる。勘違いしそうだ。
「……なんかあったのか?」
「別に、染めて巻いただけじゃん。要君が好きな髪型にしただけだよ」
「化粧も?」
「要君、小動物っぽい顔の女子が好きみたいなんだよね。この前、青みピンク系のメイクしたら可愛いって褒められちゃった」
「川瀬と付き合ってんの?」
「夏輝に関係ないでしょ」
「見ればわかるよ、どうせ付き合ってないんだろ」
「わかってるなら聞かないでよ」
美桜は川瀬を追いかけている。精一杯背伸びをして。美桜が努力をしているのは、川瀬が他の誰かを見ているからなんだろう。だから美桜は「他の誰か」になろうとして必死なんだ。

こんなの美桜らしくない。
俺が見てきた美桜は、誰かの顔色を伺って自分を変えていくような子じゃなかった。引っ込み思案だけど優しくて、いつもにこにこしている素朴な子だ。つい守ってあげたくなる、そんな子だったのに。

「なに食べる? 奢るよ」
俺が聞くと、美桜は首を振った。
「ダイエット中だからいらない」
俺は一度席を立って、レジで氷水をもらい、それを美桜の前に置いた、
「美桜、細いじゃん。これ以上痩せたら倒れよ」
「痩せると要君が褒めてくれるの、それに倒れたら倒れたで私のこと心配してくれるかも」
「川瀬が心配してくれなかったらどうする?」
「なんで、そんな意地悪言うかなぁ」
美桜はうつむいて、つまらなそうにストローで氷をかき混ぜた。俺もテーブルに置いた自分の手に視線を落とす。昨日つくった指の付け根の痣が濃い紫色に変色していた。

昨日の川瀬とのやりとりを思い出す。
「美桜ちゃん、今週末なら貸してあげてもいいよ」
教室の窓から外を見て、俺に背中を向けたまま川瀬は言った。
「所有物みたいな言い方するんじゃねぇよ」
そんな俺の言葉を、川瀬は軽く笑って受け流した。
「僕は別にいいけどさ、でも同じ日に僕が美桜ちゃん誘ったら夏輝がふられちゃうでしょ?」
振り返った川瀬は、いつもの涼しい微笑みで俺を見た。
「川瀬って本当にむかつくな」
「ごめんね。僕はただみんなと仲良くしたいだけなのに、なんかこんな感じになっちゃって」
なんかこんな感じになっちゃって……って、渦の中心にいるあいつは他人事みたいに言っていた。川瀬の中心には一体誰がいるんだろうか。 
川瀬にとって俺たちは脇役で、あいつが休日に俺たちのことを思い出す時間なんて、きっと一秒もない。
それなのに、今みたいに目の前に川瀬がいなくても、俺と美桜は川瀬のことばかり考えている。

これはもう、【川瀬要の呪い】だ。

そんなことを虚しく考えて顔をあげると、美桜と目が合った。
美桜と、ある女子の姿が微かに重なる。
「美桜、気づいてる? 今の美桜、佐々木さんに雰囲気が似てきてる。あぁ川瀬って好みわかりやすいわ。あいつ佐々木さんみたいな子が好きなんだね」
美桜の表情が固まって、俺たちの間に一瞬沈黙が流れた。

「うるさい! なにも知らないくせに! 夏輝には関係ないんだから黙っててよ!」
美桜は泣きそうな顔をして俺に怒鳴った。そして走って店を出て行ってしまった。

美桜の怒った姿を初めて見て、俺は自分が美桜の地雷を踏んでしまったことを知った。

たぶん川瀬は佐々木さんが好きで、それを知ったうえで美桜は川瀬を振り向かせようとしているんだ。
そうだとしたら、俺は美桜にひどいことを言ってしまった。



「神田君、いま外に出れる?」
「いま?」
「美桜が泣きながら電話してきたの、神田君にいじめられたって。親友として復讐しに来たよ」
部屋のカーテンを開けて下を見下ろすと、確かにスマホを持った佐々木さんがいた。
復讐と言ったわりには清々しい表情でこちらを見上げて手を振っている。

俺たちは、公園の自販機でココアとカフェオレを買ってベンチに座った。誰かから見た俺たちは、普通にデートしているカップルに見えるかもしれない。そんな和やかな雰囲気だ。
「神田君の私服ってそんな感じなんだ、意外とおしゃれだね」
褒められているのか、けなされているのか、わからないけど正直どうでもいい。
「どうも」
適当に返事をして、佐々木さんの次の言葉を待つ。
「神田君、美桜が好きでしょ?」
「……」
「見てればわかるよ。私は神田君と美桜のことを応援してるから。美桜には、神田君みたいにまっすぐ美桜を大事に思ってくれる人を選んでほしい」
「……今日、美桜のこと傷つけた」
「そうだね。だけど美桜と同じくらいかそれ以上に、神田君も傷ついてるように私には見えるよ」
佐々木さんの言葉が、考えすぎて疲れ切った俺のこころの柔らかいところに刺さる。そんなことお構いなしに、佐々木さんはココアを一口飲んで続けた。

「美桜は自分の本当の気持ちに気づいてないだけなんだよ。今は神田君の存在が近すぎて見えてないだけなの。今の美桜には価値観が違う要が新鮮に見えてるだけで、あれは本当の恋愛感情じゃないと思うよ、私は」
佐々木さんの言葉が、まるで細くて長い針みたいに、まっすぐに俺の心を深く深く進んでいくけど、不思議とそれが嫌じゃなかった。
気づいたら俺の頬を涙が伝っていた。

佐々木さんの少し冷えた細い指先が、下を向いた俺の頬に優しく触れる。俺の頭の中は美桜と川瀬でいっぱいだ。佐々木さんの小さい両手が、俺の頬を包み込んだ。
俺の頭の中は美桜と川瀬でいっぱいだ。
佐々木さんが俺の顔を前に向かせる。
目が合った彼女は、優しく微笑んで言った。

「神田君、私と付き合わない?」





3章 恋をしたのは。 
遥side.1

「神田君、私と付き合わない? 色々考えたんだけど、それが早いと思うんだ」
神田君て、泣いてても美形なんだなぁ。自分がかっこいいことに自分で気づいてないなんて本当にもったいないと思う。美桜もそうだ、メイクも髪もなにもしない方が一番可愛い。
雰囲気イケメンの要とは純度がちがう。

「えっと……これって俺、佐々木さんに告白されてるの?」
「交渉かな。平和協定結びませんか? っていう提案。夏輝君が私に取られると思ったら美桜も夏輝君の有難みに気づくよ。美桜の見た目だって、夏輝君が好きな美桜に戻る」
「それなら……いいけど。そもそも佐々木さん、俺のこと好きなの?」
「嫌いじゃない」
「なんだよ、それ。人生で初めてされる告白がこれかよ」
「大丈夫、大丈夫。恋愛は上書きだから!」
私が神田君の肩を軽くぽんぽん叩くと、神田君は笑いつつ、私から距離を取った。
ボディタッチは逆効果になりそうだ、残念。



「え、遥と夏輝、付き合ってるの?」
美桜にはショックが大きかったのか、美桜はポテトを持ったままフリーズした。マックの店内ではポテトが揚がったことを知らせるメロディーが鳴っている。
「うん、昨日から」
私がそう答えると、美桜は引きつった笑顔で言った。
「あー……、そうなんだ。おめでとう」

それだけ? 
もっとさ、「私の夏輝が取られちゃった」とか、「なんで今まで相談してくれなかったの」とか言わないのかな。
「ありがとう美桜。それより要とは進んでる?」
「うーん、要君がSF小説が好きだって教えてくれたから、いまSF小説買い込んで読んでるところ」
「そっか、また共通の話題が増えるね。買わないで要から貸してもらえばいいのに」
「そんな図々しいことできないよ」
見た目が変わっても、中身は真面目でおとなしい美桜のままだ。臆病さと流されやすさで言ったら、要のせいでどんどんひどくなってる気がする。自然体の方が絶対魅力的なのに、美桜は要の好みのタイプに合わせれば合わせるほど、もともと持っていた自信をなくしてしまっているように見えた。

「美桜、つらくない?」
「どうしたの? 急に」
「ちゃんとご飯食べてる?」
「大丈夫だよ。夏輝になにか言われた?」
「そうじゃなくて……」
「あーあ。遥はよく食べるのに全然太らなくて羨ましい。顔が小さくて目が大きくて、鼻は小さいし声まで可愛い。髪だって、なにもしなくてもゆるふわなんだもん。神様って不公平だよ」
「美桜……」
要の秘密、そろそろ美桜に話したほうがいいかもしれない。
「あのね、美桜。要って実は……」
パンドラの箱を開きかけたとき、私のスマホが鳴った。



『彩さんが倒れて病院に運ばれた……!』電話をかけてきた要の声は震えていた。
病室のベッドの上に座っているお姉ちゃんの顔色は青白かったけど、すっぴんなのに相変わらず美人で、話してみたら意外と元気そうだった。
「遥、友達と遊んでたんでしょ? ごめんね、心配かけて」
「ううん、お姉ちゃんこそ大変だったね。病気のこともあるから一応検査入院した方が良いってお医者さんが言ってたよ」
「そっか、また入院かぁ。」
お姉ちゃんが寂しそうに言うと、カラカラと音をたてて病室のドアが開いた。売店の袋を手に下げた要が入ってくる。
「要、いろいろありがとう」
私がお礼を言うと、要は冷蔵庫にゼリーを入れながら答えた。
「いいよ、慣れてるから」
前に、姉と要が入院していた時期に姉の具合が悪くなると要がすぐに看護師さんを呼んでくれていたらしい。そんな要を姉は可愛がり、年下の要も姉になついていた。
「じゃあ私、家に帰って着替えもってくるから」
「ありがとう、お願いね」

病室を出て立ち止まると、閉じたドアの向こう側から二人の声が聞こえてきた。
「要が来てくれなかったら私死んじゃってたかも。すごい奇跡だね。やっぱり私と要って魂で繋がっているんだよ」
そうやって思わせぶりなことを言う。しかも悪気がないんだから余計にたちが悪い。
「なんとなく嫌な予感がしたんだ。彩さんがいなくならなくて本当によかった」
要の涙声が聞こえてきて胸が痛んだ。

要はたぶん、お姉ちゃんに彼氏がいることを知らない。
もし知ったら相手を殺しに行くかもしれない。
そのくらい、要はお姉ちゃんのこととなると情緒不安定になってしまう。

ふとスマホを見ると、夏輝君から着信がきていた。



「美桜から聞いたんだけど、お姉さんの体調、大丈夫?」
「うん。ケガはしてなさそうだけど、念のため入院することになった」
「そっか、大変だな。ご両親は?」
「二人とも出張中」
「え……、誰か大人はいるの?」
「ううん、私だけ。まぁ、お姉ちゃんの入院準備とか慣れてるから大丈夫」
「俺にできることある?」
そんなこと、初めて言われて、私はなんて答えればいいのかわからなくなった。
「……」
「まだ状況良くわかんないけど、佐々木さんは十分頑張ってるよ」
「――遥って呼んでよ」
「頑張ってるよ。――遥」
 男の子から下の名前で呼ばれて、初めて心が震えたような気がした。そのあと、いっきに私の心臓は激しく鼓動を打ちはじめた。

お姉ちゃんは子供の頃から身体が弱くて、周りの大人達はいつもお姉ちゃんのことばっかり心配してた。やっと、私のことを見てくれる人と出会えた。

優しい夏輝君のために、私ができることってなんだろう。



荷物をもって、お姉ちゃんの病室に戻ると、要の姿はなかった。
「要帰ったの? せっかくお礼のお菓子持ってきたのに」
「さっき帰ったよ、急に用事思い出したって」
「そう……」
要らしくない。いつもなら忠犬みたいにお姉ちゃんの側を離れないくせに。

「要にね、間宮さんと結婚すること話したの。お腹に赤ちゃんがいることも」
「え?」
「そしたら要、なんて言ったと思う?」
「えー、なんだろう……」
「おめでとう。僕はもういらなくなったんだねって、どういう意味かなぁ?」
嫌な予感がした。

「ちょっと電話してくるね」
そう言うと、私は病室を飛び出した。

要に電話をかけてみたけど繋がらない。
もう一度かけようとしたとき、美桜からメッセージが届いた。

『どうしよう。要君に呼び出されちゃった』





4章 転落。 
夏輝side.2

佐々木さんに教えてもらった公園に行くと、雨の中で地べたに座っている美桜の姿が見えた。
美桜! 名前を呼んで駆け寄ると、泣いている美桜が俺の腕にしがみついてきた。
「夏輝、どうしよう。私、要君に嫌われちゃった。もう、こんな私消えてなくなればいい」
「ちょっと待って、なにがあったんだよ。川瀬は?」
「要君に言われたの。お前なんてニセモノだって。ニセモノは惨めなだけだって。」
美桜をニセモノと言うなら、ニセモノにしたのは紛れもなく要だ。悔しくて、俺も涙が出てとまらくなくなった。

「美桜はニセモノなんかじゃないよ。俺はずっと美桜だけ見てきたから、だから俺の言葉を信じて」
俺は思わず、泣きじゃくる美桜を抱きしめた。
俺の腕の中で、美桜は自分を責める言葉を呪文のようにぶつぶつ唱えている。
そんな彼女の背中を俺はさすり続けた。

きっと美桜の頭の中は川瀬でいっぱいだ。
それでも、俺にしがみつく美桜の体温が温かくて、美桜が俺を必要としていることがひしひしと伝わってきた。





5章 失恋の先。 
遥side.2

「遥、お見舞い持ってきたよ」
玄関を開けると、マックの袋を持った要が捨てられた子犬みたいな表情で立っていた。傘をさしていなかったのか、要はずぶ濡れている。
「要……風邪ひくよ、とりあえず中に入って」
私がタオルを取りに洗面所に向かおうとしたら、後ろから強く抱きしめられた。

「ちょっと、風邪ひくって……」
「遥ってかわいそう。僕といっしょだね、好きな人に捨てられて」
「いっしょにしないでよ、離して!」
突き放そうとして腕に力を込めたけど、要の身体はびくともしなかった。
「さっき、美桜ちゃんと夏樹が公園で抱き合ってるの見ちゃった。雨の中で二人が泣きながら抱き合っててさ、感動すら覚えたよ」
要から滴り落ちた雨の滴が、私の頬を流れる。そうなるだろうと思っていた。きっと夏輝君なら美桜を幸せにできる、と。
だけど、やっと出会えたと思った私の心の居場所は、すぐになくなってしまった。そんな喪失感が私の体温を奪っていく。
「可哀想な遥、僕がずっと側にいてあげる」
耳元で囁いた要の声は、ぞっとするほど優しかった。
「姉妹なのにあんまり似てないと思ってたけど、最近急に彩さんに似てきたね」
私は必死で要の腕に噛み付いた。一瞬ひるんだ要を全力で突き飛ばす。どすんと音をたてて、要は床に尻もちをついた。驚いたように口を半開きにして、私の顔を見上げている。

私は傘立てから一本の傘を抜いて要に突きつけて言った。
「私はこれから本当の自分の居場所を探すの。だからあなたも、彩の呪縛からいい加減に離れなさい! うちから出て行って!」
私が怒鳴って傘を上げると、要は顔をひきつらせて外に出て行った。

すぐに家のカギを閉めてチェーンまでかけ終えると、急に足の力が抜けて、私はその場にへたりこんだ。
そして、ポケットからスマホを取り出すと、震える指で夏輝君にお別れの挨拶を送った。





最終章 卒業。 
美桜side.2

要君、遥、夏輝、そして私。
私のせいで四人の関係は壊れた。

あの日を堺に、要君に近づけなくなって、夏輝と目が合わせられなくなって、遥とも別々のグループで行動するようになった。
そして、そのまま私達は学校を卒業した。

神社の桜は今年も見事に咲いている。
『5年後の今日、また四人でタイムカプセルを開けようね』
そんな約束、きっと私以外、誰も覚えていない。


カプセルを埋めた桜の木の下に、人が立っていて、彼は眩しそうに目を細めて桜を見上げていた。私は歩み寄って声をかける。
「覚えてたんだね……」
「忘れないよ、忘れられなかった」
「ありがとう、夏輝」



夕方まで待ったけど遥と要君は結局こなくて、でも私達は彼女たちにわざわざ連絡する気になれなかった。
「ねぇ、要君と遥の手紙も読んじゃう?」
「いやぁ、それはちょっと……」
「じゃあ私ひとりで読んじゃお」
私が要君の手紙を広げると、よこから夏輝が覗いてきた。



『5年後の僕へ、


今の僕は退院したばかりで戸惑うことも多いけど、未来の僕は人生楽しんでますか?

調べてみたら、この神社には縁結びの神様が祀られているんだって。
だから、僕と彩さんの恋愛成就を願ってこの手紙を書くことにするよ。
今はまだ中学生だけど、5年後には二十歳になってるから、さすがにもう彩さんに子供扱いされてないと思う。

だからもし、5年後に彩さんと僕が付き合っているなら、隣にいる彩さんのことを大切にしてください。
ときには、喧嘩をしたり、誤解ですれ違うこともあるかもしれない。
そういうことがあったら思い出してほしい、入院していたあの日、病院のカフェで彩さんと出会って、彩さんに頑張らなくてもいいよって言われたことを。

最初は年下の僕のことをからかっているかと思っていたけど、彩さんはぜんぜん、そんなこと思ってないように接してくれて、そして、身体を壊した僕のことを励ましてくれたんだ。

だから、あのとき元気をくれた彩さんに感謝を伝えるためにも、彩さんを大切にしてほしい。

15歳になる僕は、中学を卒業するまでに彩さんに告白することを決めたよ。



彩さんと付き合っているはずの20歳になった僕へ。






要君の好きな相手は遥じゃなかったのか――。

真実を知った私は、肩の力がぬけてしまった。
絡まった糸がほどけるように、黒い塊になって眠っていた要君への執着がほぐれていく。

桜のせいで君に恋をした。

私にとってあの恋は、【呪い】だった。

隣を見ると、昔と変わらない温かい眼差しで夏樹が私を見つめてくれている。
目を逸らさずに夏輝と見つめ合った。

忘れられない恋から、私はようやく卒業できた気がする。