弾き終われば達成感に胸がいっぱいで、自分自身で大きな拍手をしたくなった。幽霊は現れなかったけど……。図書室に向かいながら、先生に何を話そうか、考える。居ませんでしたよ、で良いかな。そういえば、先生は音楽を聴くのだろうか?
図書室の扉を開ければ、いつものカビくさい匂いがして、先生に会いに来た実感が湧く。
「せ、ん、せー!」
「また来たのか」
「あと少しなんだから邪険に扱わないでください!」
「はいはい、飲んでく?」
「もちろん!」
頷いて先生の後ろをついて、秘密の部屋に向かう。最初はミネラルウォーターだけだったのに、今では私のためにフレーバーティーや、緑茶が常備されている。なんだかんだ先生も私を待ってくれてるんだと思うと、胸がいっぱいになる。
いつものパイプ椅子に座って、目の前の先生がコーヒーを飲む喉を見つめる。喉の動き一つすら愛おしい。触れられたら、どれだけいいのだろう。
「見過ぎですよ」
何回も会話を繰り返して、何回も会うのに、私たちはいまだに仲のいい先生と生徒のままだ。
「ごめんなさーい、あ」
「なんですか」
「近況報告!」
ピアノが弾けるようになったよ。急にそう言いたくなって、机をピアノに見立てて、人差し指だけで弾く真似をする。
「ピアノ、ですか?」
驚いたような、少し困ったような顔で先生が呟く。今までにない表情に、私の方が困惑してしまう。
「ピアノ、弾けるようになったんですよ! 先生の好きな曲教えてください」
「カノン……」
先生が口にしたのは、私も知ってる曲だった。
「ててててーてーてててーてってやつですよね」
「あ、いや、うん、そうそれ」
否定しかけて先生が頷く。変な先生。元々変な言動は多かったけど、ピアノの話をしてからますます変だ。
「練習したら聞かせますね!」
「楽しみにしてるよ」
そう言って笑ってくれてるのに、目の奥はどこか遠くを見つめている。私の姿が映っていない。先生の心ここに在らずな姿に、胸がちくんっと痛む。
カノンは、私にとっても馴染みのある曲だった。家の時計が毎日00分になるとカノンを奏でて、時間を教えてくれる。お母さんが、カノンが好きで買ったと聞いた気がする。確かに、いい曲だもんね。
「先生は近況報告ないんですか?」
「ないね、大人になるとそんなもんだよ」
はっとため息混じりに笑って、いつもの先生の表情に戻る。だから、意地悪したくなって、つい聞きたくもない質問を口にする。
「結婚とかもしないんですか」
「しないよ」
「なんで?」
「ずっと、好きな人がいるから」
ごくんっと唾を飲み込んだ音だけが、確かに耳に響いて時間が止まる。聞きたくなかった。ただ、冗談のつもりで口にしたのに。あまりにも優しい瞳で、あまりにも愛しそうに言葉にするから、吐き気がする。