立ち上がったかと思うと、私に立つようにジェスチャーをする。ゲームの司令官のように手で私を招きながら、カウンターの中に進んでいく。
「入って良いんですか」
「僕の秘密の部屋ですよ、内緒にしてくださいね」
カウンターの奥の扉を開ければ、小部屋になっていてあちこちに紙の束が積まれている。恐る恐る、足を踏み入れれば、カビくさいにおいがこの部屋はしなかった。
どちらかといえば、コーヒーの匂いがする。
「コーヒーは、飲めますか? あ、カフェオレもできますよ。生徒を入れることはあんまりないので、コーヒー以外置いてないんですよね、もしくは、水?」
「水でいいです」
「緑茶のパックでも買っておけばよかったな。あ、適当にそこらへんのパイプ椅子座ってください」
促されるままに座れば、テーブルをズズッと音を立てながら引っ張ってくる。そして、そのままテーブルの上に、水を置いた。
「あ、水道水じゃなくてミネラルウォーターです、安心してください。コーヒー用に買ってあるやつなので」
マグカップに並々注がれた水は、ゆらゆらと揺らいでいて、私の心みたい。先生は自分用のコーヒーを淹れたらしく、ますます部屋の中のコーヒーの匂いが強くなっている。
「それで、どんなお悩みですか?」
「何をやれば良いかなって」
「やりたいことが、ないってことですか?」
先生の質問に、頷きかけて止まる。たとえ、先生だろうと、嘘をつきたくなかった。私は化粧品を作りたい。そのために、研究者になる夢を諦めたとしても。
これ以上、自分の夢に嘘をつくのが嫌だった。
「やりたいことは、ありますけど、私じゃ無理なので」
「無理ってそんなに難しいんですか? 例えば、一兆円ないとできないとか、腕が四本必要とか……あ、もしくは視力が悪いとか?」
先生が言葉にする無理な理由が、あまりにも変わっていて、目を丸くしてしまう。なんでこんな面白いのに、授業はあんなにつまらないんだろう。
「難しい、は難しいですし。友だちも親も、私には無理だって……」
「無理ではないですよ。可能性が薄い場合もありますけど、可能性が薄い、も無理ではないんですよ」
無理ではないんですよ、なんてきっぱりと言い切るから、嬉しくなってしまう。誰も彼も否定ばかりだったから……
「まぁ、僕はただの先生なのであなたの将来に責任は持ちませんから。だから、言えることかもしれませんがね、で、何がしたいんですか?」
この人、嫌いじゃないな、と思ってしまった。あまりのまっすぐさに、心の奥まで言葉が突き刺さっている。
「研究者……化粧品の研究者」
「えっ?」
「えっ、ってなに、えっ? って!」