共感性羞恥。言葉としてだけ知っていたことを今まさに体験している。
「新入生の皆さん、高校ご入学おめでとうございます。えー、本日はお日柄も良く、皆様におかれましては、……えっと、なんだっけ」
新生徒会長である水谷慎之介のふわふわとしたスピーチを聞いて、清野杏実は衝撃を受けた。水谷の後頭部の髪の毛があちこちに跳ねている。セットしているようにも見えないから寝癖なのだろう。それがますます彼の情けなさを助長していた。切れ長の目を細め、眉尻を下げている。ついでに寝癖付き。せっかくのイケメンが台無しだ。
「えーっと、緊張、みなさん緊張していると思いますが、この学校に入ったからには大丈夫です。違う。あー。僕、変なこと言ってますよね、緊張しているのは僕ですよね、あはは」
水谷の空笑いの声が静かな体育館に響いた。
「今日に限って原稿を家に忘れてしまって。えっと、あー……」
言いよどんだまま、水谷が舞台袖をちらりと見た。その視線をたどっていくと、水谷と同じく三年生で副会長の桧山歌恋がいた。足を肩幅に広げて立っており、スケッチブックを持った両手を上げ始めた。大きな目をさらに開き、口を真一文字に引き結んでいる。美人にその表情をされると、余計に恐ろしく見える。プラカードのようにスケッチブックを頭上で掲げると、桧山はぴたりと止まった。
『落ち着いて』
スケッチブックには黒マジックで大きくそう書いてあった。
体育館後方に座っている杏実たちに見えているということは、ステージに一番近い席に座っている新入生には丸見えだろう。生徒会長が慌てている様子を目の当たりにして、不安げな表情を浮かべる人、にやにやと馬鹿にするような笑みを浮かべる人、心配そうに見上げる人、反応は様々だった。
「やっぱり、会長に水谷先輩を選んだのは間違いだったんじゃない?」
隣に座る友人、さくらに耳打ちされ、深く頷いてしまった。
杏実は、去年の生徒会役員の選挙を思い出していた。生徒会長選は、野球部キャプテン奥田と水谷の一騎打ちだった。水谷はそれまで部活などで目立った活躍はなく、生徒会役員でもなかったから、杏実たち後輩にはその存在が知られていなかった。当然、奥田が勝つものと誰もが思っていた。
「えーっと、クラスメイトにお前が適任だって言われて、断り切れず、いつの間にかこんなところに立ってしまっています。へへ……」
最後の演説で、水谷は頭を掻きながら力なく笑った。イケメンが困っている様子にきゅんときてしまったのは杏実だけではなかったらしい。もしくは、やりたくない人にやらせる方が面白いという考えの人が多かったのかもしれない。立候補は自分の意志ではないと主張する、消極的で歯切れの悪い演説だったにもかかわらず、奥田に大差をつけて勝ってしまった。
開票後、水谷が口をあんぐりと開けて奥田を見た。奥田は「頑張れよ」と笑顔で声をかけ、水谷の背中を叩いていた。奥田は負けてもさわやかだった。あの先輩だったら今頃完璧な祝辞を述べていただろうと思うと、杏実は水谷に票を入れたことを後悔した。
「あー。あわわわわ」
水谷が意味をなさない言葉を発し始め、杏実は目を丸くした。桧山がスケッチブックをめくる。
『深呼吸!』
指示通りに水谷がその場で深呼吸を始めると、体育館の中がざわつき始めた。
ありのままの自分でいい、というのが昨今の風潮だが、これはありのまますぎではないだろうか。
『練習通りに』
桧山が掲げるスケッチブックに向かって、水谷が何度も頷いた。
――練習した上で、本番こんなに喋れないの!?
あの場に立っているのが自分だったら、と想像して、杏実は瞬時に体が熱くなった。
同時に、こんな状態でもこの場から逃げ出さない水谷を尊敬もしていた。
――私だったら絶対に無理。あんなにみっともないこと、できない。
「新入生の皆さん、高校ご入学おめでとうございます。えー、本日はお日柄も良く、皆様におかれましては、……えっと、なんだっけ」
新生徒会長である水谷慎之介のふわふわとしたスピーチを聞いて、清野杏実は衝撃を受けた。水谷の後頭部の髪の毛があちこちに跳ねている。セットしているようにも見えないから寝癖なのだろう。それがますます彼の情けなさを助長していた。切れ長の目を細め、眉尻を下げている。ついでに寝癖付き。せっかくのイケメンが台無しだ。
「えーっと、緊張、みなさん緊張していると思いますが、この学校に入ったからには大丈夫です。違う。あー。僕、変なこと言ってますよね、緊張しているのは僕ですよね、あはは」
水谷の空笑いの声が静かな体育館に響いた。
「今日に限って原稿を家に忘れてしまって。えっと、あー……」
言いよどんだまま、水谷が舞台袖をちらりと見た。その視線をたどっていくと、水谷と同じく三年生で副会長の桧山歌恋がいた。足を肩幅に広げて立っており、スケッチブックを持った両手を上げ始めた。大きな目をさらに開き、口を真一文字に引き結んでいる。美人にその表情をされると、余計に恐ろしく見える。プラカードのようにスケッチブックを頭上で掲げると、桧山はぴたりと止まった。
『落ち着いて』
スケッチブックには黒マジックで大きくそう書いてあった。
体育館後方に座っている杏実たちに見えているということは、ステージに一番近い席に座っている新入生には丸見えだろう。生徒会長が慌てている様子を目の当たりにして、不安げな表情を浮かべる人、にやにやと馬鹿にするような笑みを浮かべる人、心配そうに見上げる人、反応は様々だった。
「やっぱり、会長に水谷先輩を選んだのは間違いだったんじゃない?」
隣に座る友人、さくらに耳打ちされ、深く頷いてしまった。
杏実は、去年の生徒会役員の選挙を思い出していた。生徒会長選は、野球部キャプテン奥田と水谷の一騎打ちだった。水谷はそれまで部活などで目立った活躍はなく、生徒会役員でもなかったから、杏実たち後輩にはその存在が知られていなかった。当然、奥田が勝つものと誰もが思っていた。
「えーっと、クラスメイトにお前が適任だって言われて、断り切れず、いつの間にかこんなところに立ってしまっています。へへ……」
最後の演説で、水谷は頭を掻きながら力なく笑った。イケメンが困っている様子にきゅんときてしまったのは杏実だけではなかったらしい。もしくは、やりたくない人にやらせる方が面白いという考えの人が多かったのかもしれない。立候補は自分の意志ではないと主張する、消極的で歯切れの悪い演説だったにもかかわらず、奥田に大差をつけて勝ってしまった。
開票後、水谷が口をあんぐりと開けて奥田を見た。奥田は「頑張れよ」と笑顔で声をかけ、水谷の背中を叩いていた。奥田は負けてもさわやかだった。あの先輩だったら今頃完璧な祝辞を述べていただろうと思うと、杏実は水谷に票を入れたことを後悔した。
「あー。あわわわわ」
水谷が意味をなさない言葉を発し始め、杏実は目を丸くした。桧山がスケッチブックをめくる。
『深呼吸!』
指示通りに水谷がその場で深呼吸を始めると、体育館の中がざわつき始めた。
ありのままの自分でいい、というのが昨今の風潮だが、これはありのまますぎではないだろうか。
『練習通りに』
桧山が掲げるスケッチブックに向かって、水谷が何度も頷いた。
――練習した上で、本番こんなに喋れないの!?
あの場に立っているのが自分だったら、と想像して、杏実は瞬時に体が熱くなった。
同時に、こんな状態でもこの場から逃げ出さない水谷を尊敬もしていた。
――私だったら絶対に無理。あんなにみっともないこと、できない。