白昼夢のような一瞬からわれに返り、わたしはぱちぱちと瞬きをした。
 いつのまにか日が落ちて、公園の桜の木がさわさわと風に揺れている。気の早い花はぽつぽつと咲いていた。
今日はあたたかかったから、明日はもっと咲くかもしれない。
公園を探すまでもなく、御坂くんはベンチに座っていた。わたしと同様に、呆けた顔だ。

「御坂くん。……だよね?」
「あ、ああ。終わった?」

 それだけで、御坂くんの言いたいことはわかった。
 亘さんと話ができたか、という意味だ。わたしはうんとうなずいた。御坂くんは最初から、知っていたのだ。

「御坂くんは、その……亘さんとはどんなご関係で」
「おれの伯父さん。役者になりたいって十五で東京に出て、それからずっと独身のまま役者ひと筋。で……今は意識不明の重体で、東京の病院に入院してる」
「うそっ!?」

 それから御坂くんは、亘さんについて話してくれた。
 交通事故に遭って病院に運びこまれたときには意識がなかったこと。手術をしたものの、今も目が覚めないこと。

「最初から、二、三日が峠で、持って一週間だろうって言われてた。だから持ったほうだと思う。でも話が終わって出ていったってことは、たぶん、もう……」

 御坂くんはその先を濁した。
 それがすべての答えで、わたしもその先は怖くて訊けなかった。

 見舞いに訪れた病院で、御坂くんは看護師から亘さんが事故の際にファンレターを握りしめていたと聞いたという。
 わたしは手元のファンレターに目を落とした。
 あらためて見れば、ファンレターはしわくちゃになったものを伸ばした跡だらけだった。

「ちょうど劇団に退団届を出した日だったらしい」
「退団……って」
「いつまでも売れなくて生活が苦しくて、才能のなさに悩んでたって。後輩がどんどん大役をつかむのに自分は端役ばかりだ、って。三十五っていう年齢は転職できるギリギリの年齢だぞって、父さんは伯父さんに言ってたらしい。それで退団を決めた日に……、そのファンレターが届いた」

 大きく息を吸ったわたしに、御坂くんはあえて茶化す風に伸びをして言った。

「その日に事故に遭ったんだから世話ないよな、伯父さん。ツイてなさ過ぎ。病室で頭ん中に伯父さんの声が聞こえてきたときは、おれもおかしくなったかと思ったけど」
「ありがとう、御坂くん。……おかげで推しと直接話せた」

 わたしも御坂くんを真似て、ちょっと茶目っ気を含ませた。
 でないと、たぶんみっともなく泣いてしまうから。
 わたしがファンレターで顔を隠して目尻を手で拭うと、御坂くんが「そういや」とつけ足した。

「伯父さんさ、おれに入ってないときは、あのぶち猫に入ってた」
「えっ!?」
「おれだって、ずっと伯父さんに身体を貸してられないって。なにされるかわかんねえもん」
「じゃあ、御坂くんが亘さんだったのは最初の日と……」
「謝りにいったとき、舞台を観たとき。それと、今日」

 御坂くんが指を折って数える。合計、四回。
 それ以外は、御坂くんと猫の亘さんだったんだ。ふたりの名コンビっぷりを思いだして、わたしはいるはずもないぶち猫を目で探す。
 御坂くんもおなじことを考えたらしい。

「あの猫、どこ行ったかな。伯父さんが言うには死期が近い者同士だったらしいけど」
「え、じゃあぶち猫くんも今ごろ……」
「かもな」

 そっけない返事だったけど、御坂くんの声には慈しみが感じられた。
 猫は自分の死期が近くなると姿を隠すとどこかで聞いたことがあるけれど、ぶち猫くんももう会えないのかもしれない。そう思うと胸がぎゅっとする。
 ふと、疑問が浮かんだ。

「あれ? 待って、チェキをくれたのは?」
「……あれは、おれ」

 御坂くんがそっぽを向いた。

「そうなんだ」
「……ん」

 なんだか、胸が痛いのにむずがゆい。さっきから感情がせわしない。

「ありがとう、大切にするね」
「それはもう聞いた」
「亘さん、ちゃんと元の身体に戻ってるよね? さまよってないよね?」
「ぶち猫に入ってなけりゃ、ちゃんと戻ってると思う」

 思わず祈ってしまう。どうか神様、これが亘さんの最後だなんて言わないで。戻ってきて。才能なんて関係なく、また舞台に立って。

 好きなら、もっと好きなことに打ちこむ姿を見せてほしい。まるでわたしがそう祈っていることを読み取ったかのように、御坂くんが口を開いた。

「伯父さん言ってた。僕の好きなものは、僕に力をくれた、って。……なあ、徳山は? 徳山の『好き』って気持ちは、徳山の力にならねえの?」
「あ……」
 はっと顔を上げたら、真剣な顔と目が合った。
 御坂くんが「頑張れよ」と背中を押してくれた気がした。