翌朝、わたしが教室に入ると、いつもは真っ先に挨拶してくれるはずの美結ちゃんたちが露骨に目を逸らした。
「おはよう」
「……」
隣の奈々香ちゃんの席でしゃべっていたふたりは、一瞬わたしをにらんで、またおしゃべりに戻る。
わたしは唇を引き結んで、鞄から黙々と教科書を出した。
『へらへら笑って、さもあたしたちと一緒ですーみたいな顔しちゃってさ。陰で、あたしたちのこと馬鹿にしてたってことでしょ。そういうのムカつく。もう莉子とは話したくない』
美結ちゃんに言われた言葉が、胸の底のほうでぐるぐるととぐろを巻いている。
へらへらしてたわけじゃない、馬鹿になんかしてない、って喉から出かかった言葉はつっかえて言えなかった。
小学校卒業と同時に引っ越して、誰も知り合いがいなかった中一の春に声をかけてくれたのが、美結ちゃんだった。
それからずっと、美結ちゃんたちのシュミから外れないようにしてきたのに。
話題についていけるように。ふたりとひとりにならないように。三人でいられるように。
わたしは授業中もそのことばかり考えていて、先生の話なんてこれっぽっちも頭に残らなかった。
昼休みのベルが鳴って、教室がざわつく。
「あの、奈々香ちゃん……」
わたしは思いきって隣の奈々香ちゃんに話しかけたけれど、言い終わらないうちに美結ちゃんがやってきた。
「奈々香、あたし今日購買なの。ついてきてよ!」
「オッケー、私もパン買う」
美結ちゃんの誘いに奈々香ちゃんも立ちあがり、ふたりで教室を出ていってしまった。
わたしたちが仲違いしたのは雰囲気でわかるようで、クラスの子の視線が突き刺さる。
わたしはお弁当箱を抱えると、視線から逃げるようにして教室をあとにした。
でも、ひとりでお弁当を食べられる場所のアテなんてない。
どこへ行こう。図書室? 体育館? 保健室にしようか。中庭なんておしゃれなものは、うちの学校にはないし。
通りがけに、なにげなく3-1の教室を見たわたしは、友達と昼食を食べる御坂くんを発見した。
「——翔、最近3-5の徳山さんといい感じじゃん。付き合ってんの?」
どきっとして、廊下を歩く足が止まった。
左耳が、教室の喧騒から御坂くんの声を正確に選り分ける。
「んなわけあるか。おれ今、ボランティア中なの」
またおれって言ってる。仲のいい友達の前では、ぶっきらぼうな口調が素なのかも。
なんて思いかけて、ボランティアという単語に硬直した。
「ボランティアってなんだよ?」
「好きでやってるわけじゃないし」
「なんだそれ? けど、翔にしては愛想がいいじゃん。付き合っちゃえよ」
「だからそんなんじゃないって」
わたしはたまらず、駆け出していた。
どこでもいい。ただ、誰もいない場所に行きたい。
ひとりでお弁当を食べる日が続いた。
味はよくわからなかったけれど、お母さんが作ってくれたお弁当箱を捨てるのだけは避けたくて、毎日むりやり喉に押しこんだ。
生徒手帳をアルバム代わりにする話は、当然立ち消えになった。少なくとも、わたしの生徒手帳は真っ白だ。
あの日、美結ちゃんたちと喧嘩したあと、わたしは亘さんのチェキを生徒手帳から引き抜いた。
今は、わたしの部屋の机の引き出しに眠っている。
自分が無敵に感じるほど嬉しかったはずなのに、見るのがつらかったのだ。
ほんとうなら、春休みとその先の高校生活を楽しみにして、あとはちょっぴり中学生活との別れを寂しがって過ごすはずだった日々は、今や色がなくなったみたいだった。
そして今日も勇気を出して挨拶したけれど、スルーされて終わった。
いよいよ明日で中学生活が終わるという、特有の緊張感と興奮に満ちた空気の中、わたしはとぼとぼと昇降口へ下りる。
下駄箱の前でもたついていたら、誰かが背中にぶつかった。ぶつかった相手は、「ごめーん」と軽やかに言って昇降口を出ていく。
わたしも靴を履く。昇降口を出ると数歩先を歩く御坂くんの背中が目に入った。
「御坂く……」
ん、と続けかけてわたしは止めた。ボランティア、という言葉を思い出したのだ。
御坂くんは友達に話しかけられて、一緒に帰っていく。この前、わたしとの仲を冷やかしていた男子だ。
このままだと帰り道が一緒になってしまう。気づかれませんように。
わたしはうつむいて、ゆっくり歩く。前を行く御坂くんたちは友達と楽しそうに話している。
ときどき笑い声が弾けるのが、うしろを歩くわたしにまで届く。いいな、と羨望の目で見てしまう。
望んだわけじゃないのに後をつけるみたいにしてひっそり歩いていたとき、わたしは突然どんっとお腹に衝撃を受けた。
「わぁっ?」
飛びこんできたものを、反射的に受け止める。ぶちくんだった。
「ぶちくん? どうしたの」
返事はもちろんないけれど。
わたしの腕の中で、ぶちくんが満足そうにくるりと丸まる。
間の悪いことに、そのとき御坂くんがふり返った。
「あ……」
なにを言おうか迷うわたしより先に。
「あのさ、ちょっと話あるんだけど、あとで家出られる?」
御坂くんはわたしの腕の中のぶちくんをじっと見たまま、言った。
「おはよう」
「……」
隣の奈々香ちゃんの席でしゃべっていたふたりは、一瞬わたしをにらんで、またおしゃべりに戻る。
わたしは唇を引き結んで、鞄から黙々と教科書を出した。
『へらへら笑って、さもあたしたちと一緒ですーみたいな顔しちゃってさ。陰で、あたしたちのこと馬鹿にしてたってことでしょ。そういうのムカつく。もう莉子とは話したくない』
美結ちゃんに言われた言葉が、胸の底のほうでぐるぐるととぐろを巻いている。
へらへらしてたわけじゃない、馬鹿になんかしてない、って喉から出かかった言葉はつっかえて言えなかった。
小学校卒業と同時に引っ越して、誰も知り合いがいなかった中一の春に声をかけてくれたのが、美結ちゃんだった。
それからずっと、美結ちゃんたちのシュミから外れないようにしてきたのに。
話題についていけるように。ふたりとひとりにならないように。三人でいられるように。
わたしは授業中もそのことばかり考えていて、先生の話なんてこれっぽっちも頭に残らなかった。
昼休みのベルが鳴って、教室がざわつく。
「あの、奈々香ちゃん……」
わたしは思いきって隣の奈々香ちゃんに話しかけたけれど、言い終わらないうちに美結ちゃんがやってきた。
「奈々香、あたし今日購買なの。ついてきてよ!」
「オッケー、私もパン買う」
美結ちゃんの誘いに奈々香ちゃんも立ちあがり、ふたりで教室を出ていってしまった。
わたしたちが仲違いしたのは雰囲気でわかるようで、クラスの子の視線が突き刺さる。
わたしはお弁当箱を抱えると、視線から逃げるようにして教室をあとにした。
でも、ひとりでお弁当を食べられる場所のアテなんてない。
どこへ行こう。図書室? 体育館? 保健室にしようか。中庭なんておしゃれなものは、うちの学校にはないし。
通りがけに、なにげなく3-1の教室を見たわたしは、友達と昼食を食べる御坂くんを発見した。
「——翔、最近3-5の徳山さんといい感じじゃん。付き合ってんの?」
どきっとして、廊下を歩く足が止まった。
左耳が、教室の喧騒から御坂くんの声を正確に選り分ける。
「んなわけあるか。おれ今、ボランティア中なの」
またおれって言ってる。仲のいい友達の前では、ぶっきらぼうな口調が素なのかも。
なんて思いかけて、ボランティアという単語に硬直した。
「ボランティアってなんだよ?」
「好きでやってるわけじゃないし」
「なんだそれ? けど、翔にしては愛想がいいじゃん。付き合っちゃえよ」
「だからそんなんじゃないって」
わたしはたまらず、駆け出していた。
どこでもいい。ただ、誰もいない場所に行きたい。
ひとりでお弁当を食べる日が続いた。
味はよくわからなかったけれど、お母さんが作ってくれたお弁当箱を捨てるのだけは避けたくて、毎日むりやり喉に押しこんだ。
生徒手帳をアルバム代わりにする話は、当然立ち消えになった。少なくとも、わたしの生徒手帳は真っ白だ。
あの日、美結ちゃんたちと喧嘩したあと、わたしは亘さんのチェキを生徒手帳から引き抜いた。
今は、わたしの部屋の机の引き出しに眠っている。
自分が無敵に感じるほど嬉しかったはずなのに、見るのがつらかったのだ。
ほんとうなら、春休みとその先の高校生活を楽しみにして、あとはちょっぴり中学生活との別れを寂しがって過ごすはずだった日々は、今や色がなくなったみたいだった。
そして今日も勇気を出して挨拶したけれど、スルーされて終わった。
いよいよ明日で中学生活が終わるという、特有の緊張感と興奮に満ちた空気の中、わたしはとぼとぼと昇降口へ下りる。
下駄箱の前でもたついていたら、誰かが背中にぶつかった。ぶつかった相手は、「ごめーん」と軽やかに言って昇降口を出ていく。
わたしも靴を履く。昇降口を出ると数歩先を歩く御坂くんの背中が目に入った。
「御坂く……」
ん、と続けかけてわたしは止めた。ボランティア、という言葉を思い出したのだ。
御坂くんは友達に話しかけられて、一緒に帰っていく。この前、わたしとの仲を冷やかしていた男子だ。
このままだと帰り道が一緒になってしまう。気づかれませんように。
わたしはうつむいて、ゆっくり歩く。前を行く御坂くんたちは友達と楽しそうに話している。
ときどき笑い声が弾けるのが、うしろを歩くわたしにまで届く。いいな、と羨望の目で見てしまう。
望んだわけじゃないのに後をつけるみたいにしてひっそり歩いていたとき、わたしは突然どんっとお腹に衝撃を受けた。
「わぁっ?」
飛びこんできたものを、反射的に受け止める。ぶちくんだった。
「ぶちくん? どうしたの」
返事はもちろんないけれど。
わたしの腕の中で、ぶちくんが満足そうにくるりと丸まる。
間の悪いことに、そのとき御坂くんがふり返った。
「あ……」
なにを言おうか迷うわたしより先に。
「あのさ、ちょっと話あるんだけど、あとで家出られる?」
御坂くんはわたしの腕の中のぶちくんをじっと見たまま、言った。