昇降口は、帰宅する生徒たちでごった返していた。
中学と高校がおなじ校舎内にあるのだから、しかたがない。
わたしたちの通う東陽中学は県立の中高一貫校で、生徒の八割がそのまま東陽高校に内部進学する。
その分、ほかの公立中学とはちがって、卒業式を目前にしたこの時期でも通常授業だ。しかも高校での学習内容を先取りした授業になるので気を抜けない。
ほかの中学では、この時期は自由登校になるところもあるらしいのに。ついつい、受験の必要がなかった恩恵も忘れて、文句を言いたくなる。
「徳山莉子ちゃん、だよね?」
考えにふけっていたわたしはびっくりして、脱いだ上靴を下駄箱に入れる手を止めた。
先に靴を履き終えていた美結ちゃんが「御坂じゃん」と意外そうな声を出す。
その声を聞きつけて、反対側の列の下駄箱から奈々香ちゃんも顔を出した。
「3―1の御坂だよ、御坂翔。莉子、知らない? うちらの学年一のイケメン枠」
知らない。わたしは小さく首を振った。
一度もおなじクラスになったことがない。
「御坂、莉子に用事? 莉子、あたしたちと行くとこあるんだけど」
「時間はそんなに取らないから。話があるんだけど、いい?」
「あ……うん」
うなずいてみるものの、どうしたらいいのかわからない。だって話したのだって、これが初めてだ。
目を泳がせると、美結ちゃんたちがにやにやした。
「じゃあ莉子、あたしたち先いってるね! いつものとこでQuicheの全曲メドレー歌って待ってる。あ、莉子の推し曲は取っておいてあげる!」
あっというまにふたりに置いていかれてしまった。
美結ちゃんたちがいなくなると、御坂くんは無言で靴を履いた。
奈々香ちゃんは女子の中では背が高いほうだけど、御坂くんも背が高い。
すっと切れ込みの入ったような目元が冷たく見えて、怯んでしまう。わたしもぎくしゃくと靴を履いた。
御坂くんが向かったのは、校門ではなく校舎裏の職員駐車場だった。
下校時刻にここにひとが来ることはないからだろう。
初対面の同級生となにを話していいかわからない。内心、早く終わらないかなと思いながら歩いていると、御坂くんが歩きながらふり向いた。
「莉子ちゃんはQuicheのファンなんだ?」
ぎょっとした。
口調こそ穏やかなものの、きれいな顔がクールに見えるからか、警戒してしまう。
「莉子ちゃんって……」
「あっ、ごめん。怖がらせたよね。いきなりなれなれしかった」
御坂くんはびゅんっと髪で風をきる勢いで頭を下げたから、わたしは慌てて首を横に振った。
「別に、駄目じゃないから。えっと……ちゃん付けでもいいよ。Quicheは、うん。大空担なの」
わたしはQuiche推し。学校用に、あらかじめ用意してある答えを言葉に乗せた。
「そうなんだ。……驚いたな」
「え、なんで?」
「だよね、ごめん。ついでに、話があるって言ったのナシにしてもらえる?」
「えっ?」
「こんなところまで呼び出して、ごめんね。じゃあ」
御坂くんはさっき怖いなと思ったのが嘘のようににこやかに笑うと、くるりと背を返した。
たぶんわたし今、鳩が豆鉄砲を食った顔っていうやつをしてると思う。
ノリノリで歌っていた美結ちゃんが、間奏に入るなり持参のサイリウムを乱暴に振りまわした。
「それで御坂はさっさと帰ったわけぇ? なにそれ意味不明!」
画面では、ブレザーを着たQuicheのメンバーが間奏に合わせて踊っている。「離れても 君は僕の永遠」と画面下に次の歌詞が流れた。
「人違いだったんだと思う」
正直に言えば、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、告られるのかもって思ってた。三月に入ったし、もうすぐ卒業式だし。
ほんとうに告られたらどうしよう、御坂くんは恋人としてアリ? ナシ? なんて自分の心に質問したりして。
「恥ずかし……」
そんな可能性を一瞬でも考えた自分が間抜けだ。
わたしはテーブル上のタンバリンを手に取ると、美結ちゃんの歌声に合わせて派手に打ち鳴らした。
美結ちゃんはサビを情感たっぷりに歌い上げると、ソファに深く腰かけた。すごい、出たばかりの新曲なのに完璧な仕上がりだ。
「でもさあ、なんかわかるかも」
美結ちゃんはメロンソーダを、ちゅうっと吸いながら足を組んだ。
制服のスカートの裾が太もものきわどい場所まで上がって、女同士なのにどきっとする。
「莉子って、そういう感じあるじゃん? 真面目すぎて存在が薄いっていうか、ひとの陰に埋もれてそう」
「前にも似たようなことあったよね? あのときは、江国と間違われて生徒会の顧問に連れ去られてたよね。ウケる」
去年、生徒会会計の生徒と間違われた一件を持ち出して、美結ちゃんがサイリウムをばしばしと手のあいだで叩く。わたしはまぶしさに目を細めた。
わかってる、美結ちゃんに悪気はない。
「あっ、次、莉子の推し曲だよ! はい、マイク持って!」
早く家に帰りたい。
繰り返し観た亘さんの舞台DVDを観て、心穏やかになりたい。
このときのわたしは、御坂くんとの一件はすっかり終わったことだと思っていた。
中学と高校がおなじ校舎内にあるのだから、しかたがない。
わたしたちの通う東陽中学は県立の中高一貫校で、生徒の八割がそのまま東陽高校に内部進学する。
その分、ほかの公立中学とはちがって、卒業式を目前にしたこの時期でも通常授業だ。しかも高校での学習内容を先取りした授業になるので気を抜けない。
ほかの中学では、この時期は自由登校になるところもあるらしいのに。ついつい、受験の必要がなかった恩恵も忘れて、文句を言いたくなる。
「徳山莉子ちゃん、だよね?」
考えにふけっていたわたしはびっくりして、脱いだ上靴を下駄箱に入れる手を止めた。
先に靴を履き終えていた美結ちゃんが「御坂じゃん」と意外そうな声を出す。
その声を聞きつけて、反対側の列の下駄箱から奈々香ちゃんも顔を出した。
「3―1の御坂だよ、御坂翔。莉子、知らない? うちらの学年一のイケメン枠」
知らない。わたしは小さく首を振った。
一度もおなじクラスになったことがない。
「御坂、莉子に用事? 莉子、あたしたちと行くとこあるんだけど」
「時間はそんなに取らないから。話があるんだけど、いい?」
「あ……うん」
うなずいてみるものの、どうしたらいいのかわからない。だって話したのだって、これが初めてだ。
目を泳がせると、美結ちゃんたちがにやにやした。
「じゃあ莉子、あたしたち先いってるね! いつものとこでQuicheの全曲メドレー歌って待ってる。あ、莉子の推し曲は取っておいてあげる!」
あっというまにふたりに置いていかれてしまった。
美結ちゃんたちがいなくなると、御坂くんは無言で靴を履いた。
奈々香ちゃんは女子の中では背が高いほうだけど、御坂くんも背が高い。
すっと切れ込みの入ったような目元が冷たく見えて、怯んでしまう。わたしもぎくしゃくと靴を履いた。
御坂くんが向かったのは、校門ではなく校舎裏の職員駐車場だった。
下校時刻にここにひとが来ることはないからだろう。
初対面の同級生となにを話していいかわからない。内心、早く終わらないかなと思いながら歩いていると、御坂くんが歩きながらふり向いた。
「莉子ちゃんはQuicheのファンなんだ?」
ぎょっとした。
口調こそ穏やかなものの、きれいな顔がクールに見えるからか、警戒してしまう。
「莉子ちゃんって……」
「あっ、ごめん。怖がらせたよね。いきなりなれなれしかった」
御坂くんはびゅんっと髪で風をきる勢いで頭を下げたから、わたしは慌てて首を横に振った。
「別に、駄目じゃないから。えっと……ちゃん付けでもいいよ。Quicheは、うん。大空担なの」
わたしはQuiche推し。学校用に、あらかじめ用意してある答えを言葉に乗せた。
「そうなんだ。……驚いたな」
「え、なんで?」
「だよね、ごめん。ついでに、話があるって言ったのナシにしてもらえる?」
「えっ?」
「こんなところまで呼び出して、ごめんね。じゃあ」
御坂くんはさっき怖いなと思ったのが嘘のようににこやかに笑うと、くるりと背を返した。
たぶんわたし今、鳩が豆鉄砲を食った顔っていうやつをしてると思う。
ノリノリで歌っていた美結ちゃんが、間奏に入るなり持参のサイリウムを乱暴に振りまわした。
「それで御坂はさっさと帰ったわけぇ? なにそれ意味不明!」
画面では、ブレザーを着たQuicheのメンバーが間奏に合わせて踊っている。「離れても 君は僕の永遠」と画面下に次の歌詞が流れた。
「人違いだったんだと思う」
正直に言えば、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、告られるのかもって思ってた。三月に入ったし、もうすぐ卒業式だし。
ほんとうに告られたらどうしよう、御坂くんは恋人としてアリ? ナシ? なんて自分の心に質問したりして。
「恥ずかし……」
そんな可能性を一瞬でも考えた自分が間抜けだ。
わたしはテーブル上のタンバリンを手に取ると、美結ちゃんの歌声に合わせて派手に打ち鳴らした。
美結ちゃんはサビを情感たっぷりに歌い上げると、ソファに深く腰かけた。すごい、出たばかりの新曲なのに完璧な仕上がりだ。
「でもさあ、なんかわかるかも」
美結ちゃんはメロンソーダを、ちゅうっと吸いながら足を組んだ。
制服のスカートの裾が太もものきわどい場所まで上がって、女同士なのにどきっとする。
「莉子って、そういう感じあるじゃん? 真面目すぎて存在が薄いっていうか、ひとの陰に埋もれてそう」
「前にも似たようなことあったよね? あのときは、江国と間違われて生徒会の顧問に連れ去られてたよね。ウケる」
去年、生徒会会計の生徒と間違われた一件を持ち出して、美結ちゃんがサイリウムをばしばしと手のあいだで叩く。わたしはまぶしさに目を細めた。
わかってる、美結ちゃんに悪気はない。
「あっ、次、莉子の推し曲だよ! はい、マイク持って!」
早く家に帰りたい。
繰り返し観た亘さんの舞台DVDを観て、心穏やかになりたい。
このときのわたしは、御坂くんとの一件はすっかり終わったことだと思っていた。