学校までの坂道を、駆けあがる。
卒業式の朝は、快晴だった。どことなしに浮ついた気分で制服をまとう生徒たちのあいだを、わたしは縫うようにして前へ進む。
教室に飛びこむと、案の定、美結ちゃんも奈々香ちゃんもすでに来ていた。わたしは息を吸ってふたりの前に立つ。
膝が震えたけれど、踏ん張った。
「あの! ふたりに大事な話があるの! 卒業式の前に、時間をください!」
わたしは眉をひそめた美結ちゃんと奈々香ちゃんの手を強引に引っ張り、階段を上がってくる生徒の波に逆らって外に連れだした。
向かうは、職員駐車場だ。
今日はすでにどの先生も出勤済みらしく、駐車場は満車だった。わたしは校舎と車のあいだまでふたりを引っ張った。
「この前のこと、ごめんなさい! わたし、実はずっとQuicheとは違う推しがいたの。今までずっと、言えなくて……ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げる。
美結ちゃんも奈々香ちゃんもしばらく無言だった。それでも、わたしはずっと頭を下げ続けた。
やがて美結ちゃんが、低い声でぽつりと言った。
「……誰よ?」
「……舞台俳優の、佐藤亘さん。六ペンス座っていう小さな劇団のひとで、テレビとかには出てなくて、三十五歳で、転落人生を演じたら天才かもっていうくらい輝くひと」
「なにそれ、ウケる」
奈々香ちゃんの笑いは、馬鹿にする笑いじゃなかった。呆れまじりの優しい声だった。
わたしは顔を上げた。
「演じることに人生をかけてきたひとなの。ずっと好きで、でもQuicheみたいに華やかじゃなくて……若くも、なくて。だから、言ったらキモがられると思って、言えなかったの、ごめん」
「趣味わる」
美結ちゃんの言葉に、喉がつまった。わたしはうつむいた。
「……でも、なんだ。もっと早く言ってよ! それならあたしたちもグッズ集めるの手伝ったのに!」
「え? あ、でもグッズとかあんまり出回ってなくて……舞台のひとだし……」
「じゃあ舞台一緒に行くのに! なんで言わないのよ!」
「うぅ……ごめん、Quicheが好きって言わないとハブられるかもしれないと思って……あっ、Quicheだって、ほかのグループよりは親近感あるし好きなんだよ? 美結ちゃんたちの好きなひとの話を聞くのは、楽しかったんだよ! 馬鹿にしたことなんて、一回もないよ」
「わかったって。そんな必死にならないでよ、わかったから。ねぇ、奈々香」
「ほんと莉子ってそう。超がつく真面目なんだから」
美結ちゃんと奈々香ちゃんが顔を合わせてくすくす笑い、わたしの肩をぽんと叩いた。
わたしの中学生活が、いまやっと終われるんだと思った。これで、ちゃんと卒業できる。
ふと、Quicheの卒業ソングが頭のなかによみがえった。
『離れても 君は僕の永遠』
そうだよ、離れても。会えなくなっても、みんなわたしの、永遠。大好き。
わたしも笑うと、美結ちゃんがパン、と手を叩いた。
「ねえ、式のあとカラオケいかない? ふたりとも、生徒手帳持ってきなさいよね。あと莉子が持ってるQuicheのステッカーは、全部没収だから。あたしたちの生徒手帳に貼るから」
「……わかった」
「あと今日はQuicheのメドレーだからね!」
「それいつもとおなじ……」
「なによ」
「ううん! でもひとつだけいい? 実は、一曲だけ亘さんがPVに出演してる曲があるの。それ、歌ってもいい?」
おずおずと尋ねると、美結ちゃんと奈々香ちゃんの両方から腕を組まれた。
「あったり前でしょ! どんなジジイか見てあげる」
「ジジイじゃないよ。亘さんだよ」
「はいはい、カラオケでたっぷり聞いてあげるから。とりあえず卒業しようよ! 美結も莉子も」
奈々香ちゃんの声に合わせたかのように、始業のベルが鳴る。
わたしたちは大急ぎで昇降口まで戻ると、五階までの階段を一気に駆けあがった。
最近の桜は、入学式まで待ってくれない。
春休みのあいだに葉桜になってしまった木の下を通り過ぎ、わたしは高等部の下駄箱へ向かう。
新鮮味があるようなないような。でもやっぱり気持ちは違う。
高等部所属を示すグリーンのリボンに変わったブレザーの襟を直して、室内履きに履き替える。
ふと見ると、自分の靴箱の場所を確認する生徒たちの中に御坂くんもまじっていた。
今では、彼のことは人混みの中でもぱっと見つけられる。
「御坂くん、久しぶり」
「久しぶり。いろいろお疲れだったな、徳山」
「御坂くんも。少しは落ち着いた?」
「ん」
春休みのあいだに切ったのか、御坂くんの髪はすっきりしていた。会うのは、卒業式以来だ。
卒業式の日、わたしは例のファンレターを御坂くんに託した。そして、連絡先を交換した。
亘さんが息を引き取ったと電話がきたのは、それからまもなくのことだった。
わたしはファンレターを棺に入れてほしいと頼み、御坂くんは聞き入れてくれた。元よりそのつもりだった、と言い添えて。
美結ちゃんと奈々香ちゃんが、わたしの推し喪失に駆けつけて一緒に泣いてくれたのは先週のことだ。
御坂くんが、入学式の行われる体育館へと足を進める。わたしも自然と横に並ぶ格好になった。
「そうだ、御坂くんはクラス発表見た?」
クラス発表の掲示板は、昇降口の手前、ちょうど桜の木の下に立てかけられていたのだ。
御坂くんがふり返る。その笑顔になぜか胸が跳ねて首をかしげるわたしに、御坂くんはにやっと笑みを深めた。
「見た。一年間よろしく、徳山」
「……うん! よろしく」
ともすれば緩みそうになる頬を引きしめ、御坂くんの隣を歩く。
どこか近くで、みゃあ、とからかうような猫の鳴き声が聞こえた気がした。
卒業式の朝は、快晴だった。どことなしに浮ついた気分で制服をまとう生徒たちのあいだを、わたしは縫うようにして前へ進む。
教室に飛びこむと、案の定、美結ちゃんも奈々香ちゃんもすでに来ていた。わたしは息を吸ってふたりの前に立つ。
膝が震えたけれど、踏ん張った。
「あの! ふたりに大事な話があるの! 卒業式の前に、時間をください!」
わたしは眉をひそめた美結ちゃんと奈々香ちゃんの手を強引に引っ張り、階段を上がってくる生徒の波に逆らって外に連れだした。
向かうは、職員駐車場だ。
今日はすでにどの先生も出勤済みらしく、駐車場は満車だった。わたしは校舎と車のあいだまでふたりを引っ張った。
「この前のこと、ごめんなさい! わたし、実はずっとQuicheとは違う推しがいたの。今までずっと、言えなくて……ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げる。
美結ちゃんも奈々香ちゃんもしばらく無言だった。それでも、わたしはずっと頭を下げ続けた。
やがて美結ちゃんが、低い声でぽつりと言った。
「……誰よ?」
「……舞台俳優の、佐藤亘さん。六ペンス座っていう小さな劇団のひとで、テレビとかには出てなくて、三十五歳で、転落人生を演じたら天才かもっていうくらい輝くひと」
「なにそれ、ウケる」
奈々香ちゃんの笑いは、馬鹿にする笑いじゃなかった。呆れまじりの優しい声だった。
わたしは顔を上げた。
「演じることに人生をかけてきたひとなの。ずっと好きで、でもQuicheみたいに華やかじゃなくて……若くも、なくて。だから、言ったらキモがられると思って、言えなかったの、ごめん」
「趣味わる」
美結ちゃんの言葉に、喉がつまった。わたしはうつむいた。
「……でも、なんだ。もっと早く言ってよ! それならあたしたちもグッズ集めるの手伝ったのに!」
「え? あ、でもグッズとかあんまり出回ってなくて……舞台のひとだし……」
「じゃあ舞台一緒に行くのに! なんで言わないのよ!」
「うぅ……ごめん、Quicheが好きって言わないとハブられるかもしれないと思って……あっ、Quicheだって、ほかのグループよりは親近感あるし好きなんだよ? 美結ちゃんたちの好きなひとの話を聞くのは、楽しかったんだよ! 馬鹿にしたことなんて、一回もないよ」
「わかったって。そんな必死にならないでよ、わかったから。ねぇ、奈々香」
「ほんと莉子ってそう。超がつく真面目なんだから」
美結ちゃんと奈々香ちゃんが顔を合わせてくすくす笑い、わたしの肩をぽんと叩いた。
わたしの中学生活が、いまやっと終われるんだと思った。これで、ちゃんと卒業できる。
ふと、Quicheの卒業ソングが頭のなかによみがえった。
『離れても 君は僕の永遠』
そうだよ、離れても。会えなくなっても、みんなわたしの、永遠。大好き。
わたしも笑うと、美結ちゃんがパン、と手を叩いた。
「ねえ、式のあとカラオケいかない? ふたりとも、生徒手帳持ってきなさいよね。あと莉子が持ってるQuicheのステッカーは、全部没収だから。あたしたちの生徒手帳に貼るから」
「……わかった」
「あと今日はQuicheのメドレーだからね!」
「それいつもとおなじ……」
「なによ」
「ううん! でもひとつだけいい? 実は、一曲だけ亘さんがPVに出演してる曲があるの。それ、歌ってもいい?」
おずおずと尋ねると、美結ちゃんと奈々香ちゃんの両方から腕を組まれた。
「あったり前でしょ! どんなジジイか見てあげる」
「ジジイじゃないよ。亘さんだよ」
「はいはい、カラオケでたっぷり聞いてあげるから。とりあえず卒業しようよ! 美結も莉子も」
奈々香ちゃんの声に合わせたかのように、始業のベルが鳴る。
わたしたちは大急ぎで昇降口まで戻ると、五階までの階段を一気に駆けあがった。
最近の桜は、入学式まで待ってくれない。
春休みのあいだに葉桜になってしまった木の下を通り過ぎ、わたしは高等部の下駄箱へ向かう。
新鮮味があるようなないような。でもやっぱり気持ちは違う。
高等部所属を示すグリーンのリボンに変わったブレザーの襟を直して、室内履きに履き替える。
ふと見ると、自分の靴箱の場所を確認する生徒たちの中に御坂くんもまじっていた。
今では、彼のことは人混みの中でもぱっと見つけられる。
「御坂くん、久しぶり」
「久しぶり。いろいろお疲れだったな、徳山」
「御坂くんも。少しは落ち着いた?」
「ん」
春休みのあいだに切ったのか、御坂くんの髪はすっきりしていた。会うのは、卒業式以来だ。
卒業式の日、わたしは例のファンレターを御坂くんに託した。そして、連絡先を交換した。
亘さんが息を引き取ったと電話がきたのは、それからまもなくのことだった。
わたしはファンレターを棺に入れてほしいと頼み、御坂くんは聞き入れてくれた。元よりそのつもりだった、と言い添えて。
美結ちゃんと奈々香ちゃんが、わたしの推し喪失に駆けつけて一緒に泣いてくれたのは先週のことだ。
御坂くんが、入学式の行われる体育館へと足を進める。わたしも自然と横に並ぶ格好になった。
「そうだ、御坂くんはクラス発表見た?」
クラス発表の掲示板は、昇降口の手前、ちょうど桜の木の下に立てかけられていたのだ。
御坂くんがふり返る。その笑顔になぜか胸が跳ねて首をかしげるわたしに、御坂くんはにやっと笑みを深めた。
「見た。一年間よろしく、徳山」
「……うん! よろしく」
ともすれば緩みそうになる頬を引きしめ、御坂くんの隣を歩く。
どこか近くで、みゃあ、とからかうような猫の鳴き声が聞こえた気がした。

