年が明け、受験真っ只中の空気がいっそう密度を増した。昼休みは大半の生徒が机に向かうようになり、僕もその中の一人だった。
 寒さに手をこすり合わせながら自習のため早めに登校すると、教室の席は既に半分ほど埋まっていた。自分の席に着いて鞄の中身を移していると、席替えで離れた席にいたはずの俊輔がやって来て、勝手に僕の隣に座った。
「なあ、七季。ちょっと聞きたいことがあんだけど」
 やつは何故か声を潜めている。聞き取り辛くて、「なに」と僕は素っ気なく返事をする。
「椎名さんとは、進展ないの?」
「しつこいなあ。いつも言ってるだろ、何もないってば」
 ノートと筆箱を机に置き、ため息交じりに返した。朝っぱらから、からかいに来たのか。
 そう思ったけど、俊輔はいつものように笑わず、尚も僕に耳打ちする。
「新谷、今日の昼休み、椎名さんに告るって」
 カシャンと音を立てて、僕が手にしたシャーペンが床に落ちた。慌てて拾い俊輔を見ると、やつはいたって真剣な顔をで僕の顔を見ていた。アホな冗談ではなさそうだった。
「それ、マジ……?」
「マジだよ。だから、七季に最後に確認してほしいって頼まれたんだ。もし二人が付き合ってるなら、やめとくって」
 でも、違うんだろ。俊輔が続ける言葉に、僕は何も言えない。黙っていると、それを肯定と解釈した俊輔は、苦い顔をした。
「俺も、どっち応援したらいいのかわかんねえよ。新谷にも成功してほしいし、そんで七季が落ち込むのも嫌だし、その逆もあれだし」
 俊輔はバカだが人の良いやつだ。僕のために新谷に嘘を吐くことも考えているらしい。けど、それも良心がとがめる。椎名は一人きりだからどちらかを選ばざるを得ないし、そもそも彼女の気持ちがどちらかに向くとも限らない。皆仲良くできればいい、そんなことを俊輔は思っているのだ。
「……言っといてくれよ。僕らはただの友だちだって」
 ちらりと席に目をやったが、椎名はまだ来ていない。
「ほんとにいい? それで」
「椎名が何を、誰を選ぶかわからないけど、僕に人の気持ちを止める権利なんかないよ。今まで通りでいるだけだ」
 本当は、とても苦しかった。殊勝な態度を貫きたいものの、僕は上手く笑うことさえできないまま、俊輔に小声で返事をした。彼は少し黙った後、「わかった」と呟いて、教室を出て行った。

 放課後、一緒に図書館で勉強をし、いつも通りに帰路に着く。椎名の様子に変わったところは何もない、ように見える。
「津守、何か隠してない?」
 だから椎名の台詞に、僕は大袈裟なほど肩をびくつかせてしまった。到底、誤魔化し切れないサイズの動揺だ。
「な、なにが?」
「例えば……私との仲を誰かに探られたりとか」
 俊輔とのやり取りが完全にバレている。ということは、新谷が椎名に告白したのを僕が知っていることも。
「……なんて、返事した?」
 僕の台詞に、椎名は目を丸くして笑い出した。呆気にとられる僕の顔を指さす。
「カマかけてみただけなのに。やっぱり知ってたんだ」
「騙したな!」
「騙してなんかないよ、人聞きの悪い。新谷くんが、津守とは付き合ってないって聞いた、って言ってたから。津守が誰かにそう話したってことでしょ。誰? 仲良しの大倉俊輔くん? そういえば、彼も陸上部だったよね」
 やられた。僕は半開きの口をやっとこさ閉じる。なんだか気まずくなってしまい、明後日の方向に視線を飛ばす。
「いや、そういうの聞いてもいいか、わからなかったから……」
「なんでよ。気になったなら聞けばいいじゃん。どうだったって」
 にまにましながら僕に顔を近づけてくる。僕は逃げるように一歩離れ、どうやっても彼女には敵わないことを実感する。ため息を吐いて、絞り出した。
「……どうだった」
「ほんとに知りたいのかなあ」
「そりゃそうだろ。もしオッケーしてたら、こんなの、よくないし」
 自分で言ってはっとした。椎名は、付き合う相手がいるのに、別の男子と二人きりで放課後を過ごす真似をするような子じゃない。
 僕の視線に、彼女は小さく舌を出した。
「私、あんまり知らない男子と付き合う気になんてなれないし。だから、断ったよ。それなら、友だちになってくれって言われたけど。……あ、これ内緒ね」
「そっか……」
「安心した?」
 友だちという言葉に危機感を覚えたが、僕の胸の中は安堵に満ち溢れていた。それでも彼女の得意げなにやにや顔にはムッとする。
「からかうなよ」
「はいはい、ごめんなさい」
 冷え切った二月の木曜日。僕らは互いに白い息を吐きながら、別れ道でまた明日と手を振った。椎名のマフラーの赤色が、薄暗い夕刻の中に映えていた。