張り込みから四日目、フェレットのシロちゃんが見つかった。
 だがそれは僕らの手柄ではなく、みいちゃんの話では、朝に伯母さんが窓を開けると庭にシロちゃんがいたそうだ。自力で戻って来たシロちゃんは、毛皮こそ汚れていたものの怪我もなく、もりもりと餌を食べたらしい。みいちゃんは、中学生のお友だちにも伝えておいてと言伝を頼まれたのだという。
 僕らはその日も、川原に向かった。
 ごろごろ転がる石の上に僕は腰掛け、椎名は拾った小石を思い切り川に投げ込んだ。石は水を切ることもなく、どぽんと音を立てて水中に沈んでいった。
 さぞがっかりしているだろうと思ったが、振り返って歩いてくる椎名の表情はさっぱりしていた。
「ま、見つかってよかったよ」
 それは強がりには見えなかった。
「僕らで手柄を立てたかったなあ。結局、野良猫に餌をやってただけだったし」
「しゃーないね。でも、一つでもシロちゃんが食べてるかもしれない。そんなら助けになったんじゃない?」
 うまい棒代とソーセージ代を足すと明らかに赤字なのに、椎名は全く気にしていない様子だ。
「悔しくなさそうだね」
 訝しげな僕の視線に気付くと、椎名はいたずらっぽく口角を上げて微笑んで、草地に腰を下ろした。
「確かに悔しいけど、見つかったんなら本望だよ。私もペット飼ってたことあるから」
「へえ、知らなかった。まさかフェレット?」
「違う違う。インコ。セキセイインコのハルちゃん」
 鞄から出したスマホを操作して僕に見せる。水色の毛色をしたインコが、差し出された人差し指に行儀よく止まっている。
「可愛いね」
「うん。間違いなく、世界一可愛いインコ」
 嬉しそうに、椎名は指先でその頭を撫でる。しかし実際には、画面の中の画像が上下に揺れるだけだ。それでも彼女にとっては可愛くて仕方のない子なんだろう。
 僕はインコの寿命を知らないけど、椎名の話し方から、もうハルちゃんがいないことはわかる。ペットを飼ったこともないし、掘り下げていい話題なのかもわからない。そんな僕の葛藤を読んだのか、椎名は「もういないよ」と言った。
「寿命?」
 僕の疑問に、椎名は黙ってかぶりを振った。微笑んだまま、スマホの写真をじっと見つめている。
「殺されたの」
「こっ……」
 物騒な言葉に、僕の思考が一瞬フリーズする。人間でなく、ペットが殺される? インコ目当ての殺人鬼(もしくは殺鳥鬼)なんて、聞いたことがない。
 仮説として、僕は椎名がふざけているのだと思った。
 しかし、十秒が経っても二十秒が経っても、椎名は「なんちゃって」とは言わない。興味と沈黙に耐えきれず、僕は「どういうこと」と問いかけた。
 彼女はじっとスマホの画面に視線を落としている。その表情は、いつの間にか硬く強張っていた。ほんのわずかな変化だけど、いつも一緒にいる僕は、難なく察することができた。
 もし辛いなら言わなくていい。僕がそう言いかける直前に、椎名はようやく口を開いた。
「小六の時、当時の友だちが遊びに来たの。三人。それで一階で遊んでたんだけど、一人がトイレ貸してって言い出して、部屋を出た。でもなんか嫌な予感がして……二階で足音が聞こえた気がして……トイレは一階だったから。私も廊下に出たら、その子が階段から下りてきた。それではっとして二階の部屋に上がったら、ハルちゃんの鳥かごと、窓が開いてたんだ。ハルちゃんはいなかった」
「それって、その子が逃がしたってこと」
 椎名は大きく頷いた。
「でも、その子、何もしてないって言ったんだよ。迷って二階に上がっただけだって。私の部屋になんか入ってないって。嘘だ、絶対嘘なんだ。私は取り乱しちゃったけど、その子が笑いながら言ったのを覚えてる。青い鳥なのに、幸せ運ばないんだって。私、その子にハルちゃんの話なんてしたことないから、青い鳥だなんて知ってるはずがないのに」
 椎名は少し声が大きくなっていたのに気付き、自分を落ち着かせるように息を吐いた。いつの間にか暗転していた画面を操作する。スマホには再びハルちゃんの写真が浮かぶ。
「私、あちこちに貼り紙して、ずっと探したよ。ハルちゃんは部屋から出たことのない箱入り娘だったから、野生でなんて生きられないから。……でも、見つかったのは一枚の羽だけだった。ある日、私の部屋に、青い羽根が一枚だけ風に流れて入ってきて、私にはわかった。ハルちゃんは、死んじゃったんだって」
 声を震わせる椎名に、僕はポケットティッシュを取り出して差し出した。彼女はスカートの膝にスマホを置いて、受け取ったティッシュで目元を拭う。僕はその隣に腰を下ろした。
「いたずらにしては、あんまりだね」
「いたずらなんかじゃない!」
 濡れた目できっと僕を見て、椎名は言い切る。
「あいつが、ハルちゃんを殺したんだ。ハルちゃんはなんにもしてないのに、私をいじめたいからって、犠牲にしたんだ」
「椎名をいじめるため?」
「うん」こっくりと頷き、きっぱりと言った。「私、前の学校でいじめられてたの」
 僕は驚いた。彼女は確かに変わった女子だけど、それは決していじめに至るものではない。多少浮いていても、必要とあらば普通に周囲と会話をし、授業も生活もそつなくこなす。
 だが、転校前は小学生の頃からいじめられていたらしい。親友へのいじめに加担しなかったのがきっかけだという。それでもお人好しだった椎名は、自分をいじめる嘗ての友人をまだ友だちだと認識していた。一度は、ずっと友だちだよと約束した友人たちだった。だから、珍しく彼女たちの遊びに誘われたのに喜び、家に上げてしまったのだ。そして、大事な家族を失ってしまった。
「一生友だちなんて台詞、信じた私が馬鹿だった。結局私は転校して逃げたから、負けなんだよね」
「別に、負けなんかじゃないよ」
 僕の台詞に、気休めなんて言うなと彼女は視線で訴える。けど、気休めを言っているつもりは、僕には全くない。
「それは、椎名が負けだと思ってるからだ。それに、これからそいつらを見返してやればいいじゃん。関わる必要もないけど、そいつらが悔しがるような立派な人間でいればいいと思う。僕にはそもそも椎名が負けてるようにも見えないし」
 椎名が僕に友だち契約を結ばせた理由がわかった。期間限定で、絶対に約束を破らない契約上の「友だち」。一生友だちという紙のように軽い口約束で結ばれることなど、彼女は懲り懲りなのだ。
 椎名は僕を見て、薄く微笑んだ。西日に頬が照らされている。悲しそうな、なのに嬉しそうで幸せそうな、不思議な表情だ。
「ありがと。津守と契約してよかったよ」
 照れ隠しなのか口元を擦り、おまけのようにわざと口を尖らせる。
「もし破ったら、罰金五十万だからね。覚えといてよ」
「破らないって。ていうか高いなあ。五十万あったら余裕でグッズ買えるし」
「津守が規約違反をしたら、私はグッズ買い放題ってわけだね」
「破ってほしいのかほしくないのか、どっちだよ」
 可笑しそうに白い歯を見せて笑い、「冗談冗談」と椎名は立ち上がった。「じゃ、帰ろっか」
 僕も立ち上がり、椎名に続いて土手の斜面を上った。並んで歩くことは、今はもう少しも恥ずかしくはなかった。