「ご談笑中のところ、失礼いたします」
凛とした声が室内に響き渡った後、一人のメイドがカーテンの裏から姿を現す。意外な登場の仕方に、亮は「メ、メイド!?」と目を白黒させたが。姫の方はびくりともせず、むしろ安堵したかのように小さく息を吐き出した。
「お嬢様、今すぐこの下郎から離れることをお勧めします。バカ菌がうつるのでございます」
「……よくもまあ、平然な顔でズバズバと失礼なことを言うわね……初対面の人に」
「ええ。お嬢様の専属メイドとして、当然の責務ですので」
「……好きにして」
肯定とも諦めとも受け取れるその台詞に、メイドが「かしこまりました」と一礼して主人に背を向ける。近付くことを許せないと言わんばかりの圧力を放ちながら、彼女は二歩前に踏み出した。
身のこなしは穏やかで、立ち居振る舞いからしなやかな知性が感じられたけど、同時にその紫黒の両眼からは強固な意志が滲み出ているようだ。
黒いヴィクトリアンのメイド服に長身瘦躯を包んだ女性の強引な態度に内心で驚きつつも、彼は嫌な顔を一つもせずに大人しく引き下がった。
それもそのはず。おとぎ話でしか現れないと思っていた存在が、こうして彼の目の前に現れたんだから。
「黒いワンピース、白いエプロン、黒髪ロング、そして極めつけは白いカチューシャァ!
完璧! パァーフェクトゥ! これぞまさに、理想のメイドじゃないカ! 今までの祈りがついに届けたのか! ヒャッホゥー! ありがとうございます、神様!」
「……神様になんて馬鹿げた祈りを」
車椅子を巧みに操り、軽快な小躍りを披露する亮に姫は淡々とした口調で対応。全く感情が乗っていないツッコミになったのは、無気力さの所以だろう。
「クッ、なんて卑しくて下劣な男なんでしょう。まさしく下郎中オブ下郎ですね。今すぐお嬢様から離れなさい、このケダモノ。この錦雅代が命を代えても、お嬢様をお守りいたします」
小躍りの仕上げとして、亮は車椅子をくるりと回転させて、正面に回ったらピタリと止まり。まるで、有終の美を飾るように、圧倒的なドヤ顔で両腕を広げた。
「私は鶴喜亮。今絶賛、貴女の主人の尻を追いかけている勇敢なる男! よろしくネ☆」
「ほう、それは聞き捨てなりませんね」
その発言を聞いた途端、雅代の目付きが急に鋭くなり、フッと鼻で笑った。
「下郎の分際でお嬢様の尻を追うなんて百年早い。何しろ……このお尻は既にワタシのハンコを押したのでございます!」
ここぞとばかりに彼女が勢いよく手で姫を指差し、
「そう。言わば、このお御尻は、既にワタシの所有物ッ!」
まるでドドンッ!という効果音が聞こえるかのような、自信に満ちた表情で宣言。
「……」
普通なら、ここで何かしらのリアクションを見せるはず。だけど、姫は何の反応もせず、ただ窓の方を見ているだけ。
諦めの一色ドップリと浸かされた横顔を目視した亮は、雅代と合わせるように車椅子を後ろに退かせた。
「クッ、先を越されたのか! このメイド、只者ではない?!」
「フフフ。ワタシに勝とうとするなんてそれこそ千年、いいえ、万年早うでございます。フン、修行してから出直してください」
「さすが尻追っかけマスター、面構えがチガァーウ!」
「ちょっと、なんですか。尻追っかけマスターは。まるで目の前に尻があれば飛びつく変態みたいじゃないですか。いいですか、ワタシはお嬢様のしか愛でません。別に誰でもいいというわけでは――」
雅代が亮を説得している途中で、扉が開けられた。そこから可愛らしい三角帽子を被っている女の子がにょきっと顔を出した。
「あ、お姉ちゃんたち、やっぱりここにいたんだね」
しっかりドアを閉めてとことこ三人のところに接近する百十センチ未満の女の子。支給された病人服ではなく、ピンクのパジャマを身に付けている。
三角帽子の下から髪の毛がはみ出ていないところから見るに、恐らく何かの治療を受けている真っ最中と見受けられる。彼女の出現により、尻談義は自然とうやむやになった。
三人のところに近付くにつれて、亮の存在に気付いた彼女は彼に挨拶もせずに、二人を横切って真っ直ぐ姫のところに向かう。
「お姉ちゃん、この人はだぁれ?」と不安そうに聞きながら、姫の袖を引っ張っる。
「……んと……変質者?」
亮は呆気に取られ、頭を上げて姫に向ける。
「あの姫さん? 確かに私の行動の一部を切り取ってそんな風には見えなくはないですケド……だからと言ってそんなドストレートに子供に言うのは……」
「うわぁ、みおと同じだね!」
「エエェ、なんでェ!?」
予想の斜め上を行った回答に驚愕する亮。
彼ならともかく、こんな可愛らしい子供が同じ変人扱いされたことに納得できるわけがない。
おまけに自分が変だと言われて目を輝かせる子供は極端に少なく、明らかに意味を履き違えているように見えた。
みおと名乗る子供が指をほっぺに添えて言葉を継ぐ。
「変質者って、変な人ってことでしょ? みおも同じこと言われたから、お兄ちゃんと同じだね!」
「へえー、そうなんだ。ちなみに、誰に言われたのか教えてくれるかい? お兄ちゃん、その人をぶん殴ってくるから」
「う~ん? お姉ちゃんだよ?」
「うん、なるほど! 全然殴れないじゃないカ!」
「殴るのはめーだよ。えっとぉ」
みおは姫の袖を引っ張るまま口ごもる。
亮が「ハッ、申し遅れました!」と前置きして、再び両腕を左右に広げた。
「私は鶴喜亮! エンターテイナーを目指している未来のビッグスター!」
「えんたー?」とたどたどしく繰り返すみおに「芸能人ってことよ」と姫が付け加える。すると、みおのぱっちりとした瞳が、無邪気で明るい笑顔と共に輝いた。
「うわああ、芸能人!? お兄ちゃん、芸能人なの!? すごーい!」
「えへへ、いずれ芸能界に名を轟かせるビッグスター、鶴喜亮! よろしくネ!」
言い終わったと同時に右手を差し出すと、みおが「よろしくぅ~」と握り返した。ここぞとばかりに、彼はみおの名前を聞き出そうとしたが、
「どうか君の名前を教えてもらいたい、お嬢さん」
幼い彼女がマドモアゼルの意味が分かるはずもなく、小首を傾げるのみ。
聞き捨てにならないとばかりに、雅代の眼の中にある険しい光が更に険悪なものに転じた。
「下郎、お嬢様に限らず、こんなお子様にまで手を出すつもりですか。不快極まりないというのは、まさにこのことでございますね。みお様、今すぐこの下郎から離れてください」
「ちょちょちょい。これはちょっとしたスキンシップではないカ! みおちゃんだって、きっとかな――」
「はぁーい」
「みおちゃん?!」
ついさっきまで握手を交わした子供から思わぬ裏切りを受けて、亮の口は大きく開いたまま。
子供が興味を湧くのは一瞬のことで、冷めるのも一瞬のことというのは、まさしくこのことだろう。身を以てその残酷さを体験した亮は、しょぼんと肩を落とした。そんな彼の様子を気にすることはなく、みおは姫の方に振り向く。
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼぉ~」
「……いいよ。今日は何して遊ぶ?」
肯定の返答を聞いて、みおの顔にパッと花が咲いた。その明るく純粋な表情を見るに、彼女がいかに姫のことを心から慕っているのかが明らかだ。
「ええとね~。みおはね~、お姉ちゃんが前に言ってたあれをやりたぁーい!」
彼女は優しく姫の手を引き、姫もまたみおの小さな手をぎゅっと握り返してゆっくりと席から離れる。
退室する二人の後ろ姿は、まるで心が通じ合う親しい姉妹のようであった。
凛とした声が室内に響き渡った後、一人のメイドがカーテンの裏から姿を現す。意外な登場の仕方に、亮は「メ、メイド!?」と目を白黒させたが。姫の方はびくりともせず、むしろ安堵したかのように小さく息を吐き出した。
「お嬢様、今すぐこの下郎から離れることをお勧めします。バカ菌がうつるのでございます」
「……よくもまあ、平然な顔でズバズバと失礼なことを言うわね……初対面の人に」
「ええ。お嬢様の専属メイドとして、当然の責務ですので」
「……好きにして」
肯定とも諦めとも受け取れるその台詞に、メイドが「かしこまりました」と一礼して主人に背を向ける。近付くことを許せないと言わんばかりの圧力を放ちながら、彼女は二歩前に踏み出した。
身のこなしは穏やかで、立ち居振る舞いからしなやかな知性が感じられたけど、同時にその紫黒の両眼からは強固な意志が滲み出ているようだ。
黒いヴィクトリアンのメイド服に長身瘦躯を包んだ女性の強引な態度に内心で驚きつつも、彼は嫌な顔を一つもせずに大人しく引き下がった。
それもそのはず。おとぎ話でしか現れないと思っていた存在が、こうして彼の目の前に現れたんだから。
「黒いワンピース、白いエプロン、黒髪ロング、そして極めつけは白いカチューシャァ!
完璧! パァーフェクトゥ! これぞまさに、理想のメイドじゃないカ! 今までの祈りがついに届けたのか! ヒャッホゥー! ありがとうございます、神様!」
「……神様になんて馬鹿げた祈りを」
車椅子を巧みに操り、軽快な小躍りを披露する亮に姫は淡々とした口調で対応。全く感情が乗っていないツッコミになったのは、無気力さの所以だろう。
「クッ、なんて卑しくて下劣な男なんでしょう。まさしく下郎中オブ下郎ですね。今すぐお嬢様から離れなさい、このケダモノ。この錦雅代が命を代えても、お嬢様をお守りいたします」
小躍りの仕上げとして、亮は車椅子をくるりと回転させて、正面に回ったらピタリと止まり。まるで、有終の美を飾るように、圧倒的なドヤ顔で両腕を広げた。
「私は鶴喜亮。今絶賛、貴女の主人の尻を追いかけている勇敢なる男! よろしくネ☆」
「ほう、それは聞き捨てなりませんね」
その発言を聞いた途端、雅代の目付きが急に鋭くなり、フッと鼻で笑った。
「下郎の分際でお嬢様の尻を追うなんて百年早い。何しろ……このお尻は既にワタシのハンコを押したのでございます!」
ここぞとばかりに彼女が勢いよく手で姫を指差し、
「そう。言わば、このお御尻は、既にワタシの所有物ッ!」
まるでドドンッ!という効果音が聞こえるかのような、自信に満ちた表情で宣言。
「……」
普通なら、ここで何かしらのリアクションを見せるはず。だけど、姫は何の反応もせず、ただ窓の方を見ているだけ。
諦めの一色ドップリと浸かされた横顔を目視した亮は、雅代と合わせるように車椅子を後ろに退かせた。
「クッ、先を越されたのか! このメイド、只者ではない?!」
「フフフ。ワタシに勝とうとするなんてそれこそ千年、いいえ、万年早うでございます。フン、修行してから出直してください」
「さすが尻追っかけマスター、面構えがチガァーウ!」
「ちょっと、なんですか。尻追っかけマスターは。まるで目の前に尻があれば飛びつく変態みたいじゃないですか。いいですか、ワタシはお嬢様のしか愛でません。別に誰でもいいというわけでは――」
雅代が亮を説得している途中で、扉が開けられた。そこから可愛らしい三角帽子を被っている女の子がにょきっと顔を出した。
「あ、お姉ちゃんたち、やっぱりここにいたんだね」
しっかりドアを閉めてとことこ三人のところに接近する百十センチ未満の女の子。支給された病人服ではなく、ピンクのパジャマを身に付けている。
三角帽子の下から髪の毛がはみ出ていないところから見るに、恐らく何かの治療を受けている真っ最中と見受けられる。彼女の出現により、尻談義は自然とうやむやになった。
三人のところに近付くにつれて、亮の存在に気付いた彼女は彼に挨拶もせずに、二人を横切って真っ直ぐ姫のところに向かう。
「お姉ちゃん、この人はだぁれ?」と不安そうに聞きながら、姫の袖を引っ張っる。
「……んと……変質者?」
亮は呆気に取られ、頭を上げて姫に向ける。
「あの姫さん? 確かに私の行動の一部を切り取ってそんな風には見えなくはないですケド……だからと言ってそんなドストレートに子供に言うのは……」
「うわぁ、みおと同じだね!」
「エエェ、なんでェ!?」
予想の斜め上を行った回答に驚愕する亮。
彼ならともかく、こんな可愛らしい子供が同じ変人扱いされたことに納得できるわけがない。
おまけに自分が変だと言われて目を輝かせる子供は極端に少なく、明らかに意味を履き違えているように見えた。
みおと名乗る子供が指をほっぺに添えて言葉を継ぐ。
「変質者って、変な人ってことでしょ? みおも同じこと言われたから、お兄ちゃんと同じだね!」
「へえー、そうなんだ。ちなみに、誰に言われたのか教えてくれるかい? お兄ちゃん、その人をぶん殴ってくるから」
「う~ん? お姉ちゃんだよ?」
「うん、なるほど! 全然殴れないじゃないカ!」
「殴るのはめーだよ。えっとぉ」
みおは姫の袖を引っ張るまま口ごもる。
亮が「ハッ、申し遅れました!」と前置きして、再び両腕を左右に広げた。
「私は鶴喜亮! エンターテイナーを目指している未来のビッグスター!」
「えんたー?」とたどたどしく繰り返すみおに「芸能人ってことよ」と姫が付け加える。すると、みおのぱっちりとした瞳が、無邪気で明るい笑顔と共に輝いた。
「うわああ、芸能人!? お兄ちゃん、芸能人なの!? すごーい!」
「えへへ、いずれ芸能界に名を轟かせるビッグスター、鶴喜亮! よろしくネ!」
言い終わったと同時に右手を差し出すと、みおが「よろしくぅ~」と握り返した。ここぞとばかりに、彼はみおの名前を聞き出そうとしたが、
「どうか君の名前を教えてもらいたい、お嬢さん」
幼い彼女がマドモアゼルの意味が分かるはずもなく、小首を傾げるのみ。
聞き捨てにならないとばかりに、雅代の眼の中にある険しい光が更に険悪なものに転じた。
「下郎、お嬢様に限らず、こんなお子様にまで手を出すつもりですか。不快極まりないというのは、まさにこのことでございますね。みお様、今すぐこの下郎から離れてください」
「ちょちょちょい。これはちょっとしたスキンシップではないカ! みおちゃんだって、きっとかな――」
「はぁーい」
「みおちゃん?!」
ついさっきまで握手を交わした子供から思わぬ裏切りを受けて、亮の口は大きく開いたまま。
子供が興味を湧くのは一瞬のことで、冷めるのも一瞬のことというのは、まさしくこのことだろう。身を以てその残酷さを体験した亮は、しょぼんと肩を落とした。そんな彼の様子を気にすることはなく、みおは姫の方に振り向く。
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼぉ~」
「……いいよ。今日は何して遊ぶ?」
肯定の返答を聞いて、みおの顔にパッと花が咲いた。その明るく純粋な表情を見るに、彼女がいかに姫のことを心から慕っているのかが明らかだ。
「ええとね~。みおはね~、お姉ちゃんが前に言ってたあれをやりたぁーい!」
彼女は優しく姫の手を引き、姫もまたみおの小さな手をぎゅっと握り返してゆっくりと席から離れる。
退室する二人の後ろ姿は、まるで心が通じ合う親しい姉妹のようであった。