翌日。亮がいつものように待ち合わせ場所でみおを待っていると、木村(きむら)さんが息を切らしながら向かい側からやってきた。

「どうしたんですか、綾乃(あやの)さん。そんな息を切らして。ハッ、もしかしてこれから何かいかがわしいコトをしようとしてるんじゃ――」

「今はそれどころじゃないのッ!」

 木村(きむら)さんの剣幕ですっかり遊び心が削がれたが、彼がこんな真面目な顔をする彼女を見るのが初めてだ。もしかして何かがあったのでは。そんな嫌な予感が胸中に膨らんでいく中、彼女に車椅子を押されていった。

 彼が連れられてきた場所は、西棟にある病室の前。目的地の前でボーっと立ち尽くしている姫が視界に入って、心がざわつく。ふと、彼はそこに入院する部屋番号と患者の名前が書かれたプレートを見やる。
 『409号室 芹澤(せりざわ)みお』――三人と同じく、個室だ。まさかと思い、彼はゆっくりとドアを開ける。

「あ、れ……?」

 間抜けた声と共に、室内を見回す。人のいた形跡が綺麗さっぱり片付けられた、酷く寂しい部屋。次の患者を迎えるための、ピンと張られたまっさらなシーツが余計に目立つ。

「こ、れは……一体……」

「これは担当看護師に聞いた話だけど。今朝方、みおちゃんの容態が急変してて、それでそのまま……」

 木村(きむら)さんが状況説明するも最後の方で喉が詰まってしまい、嗚咽が漏れた。だけど、無人の部屋が全てを物語ったから、これ以上の説明は余計だと言えよう。けれど、そんな木村(きむら)さんの代わりに、姫は惨い現実を突き詰める。

「……死んじゃった」

「え……?」

「……死んじゃったの」

 二度目に紡がれたその「死」という響きは、一度目よりも随分と軽く感じた。あまりにも唐突で噛み砕くことができなかった彼は、「そ、そんな……」と呟き、力なく背もたれに倒れ込む。長い沈黙を経て、亮の肘掛けを叩く音が破く。
 
「なんでだよ……。昨日はあんなに元気だったじゃないか……! あんなに……はしゃいでたじゃないかッ!」
 
 悔し涙を流し、理不尽な憤りを晴らすように叫んでも、内なる黒いものが消えるわけがない。
 思えば、今まで何度かヒントがあった。しかし、彼は姫のことばかり気に捉われていて、無意識にみおのことを無視していた。
 どうしてみおのことをもっと知ろうとしなかったとか、彼女が寝込んだ時にどうしてお見舞いに行かなかったとか。そんな悔恨ばかりが心中に渦巻く。一番親しい友人の最期の立ち会いにすら間に合わず、最後に「クソ」と車椅子の肘掛けに拳を叩いた。
 しかし、いくら言葉を吐いても虚しさは拭えず。それどころか、みおの死を口にしただけで、認めたくもない現実がより現実味を帯びてきて余計に惨めな気持ちになる。亮は後悔に歪んだ顔で、再び肘掛けを叩きつける。それが二度、三度、四度も続き、やがて歯軋り音だけが残る。

 そんな亮とは対照的に、先程とは何らと変わらず、ただ立ち尽くしている姫。俯くその姿は彼女なりに友人の死を悔やんでいると解釈しても良いが、生憎白い髪の毛の間から覗き込んだ表情は『無』そのまま。他人の死に慣れ過ぎていた故に、いつしかそれに何とも思わなくなったのだ。例えそれが親友の死であるとしても。
 感傷的な空気が流れる中、ふと姫の口からこんな言葉が零れた。

「……仕方ないよね」

 酷くあっさりとした台詞を聞いて、亮は耳をピクリとさせて「仕方、ない?」と言う。鼻声で紡がれた言と共に姫に振り向くのは、激昂の顔であった。

「みお、みおが死んだんだぞ! 人の死をそう簡単に片付けられるなッ!」

「……簡単に片付けるも何も、どうしようもないことは諦めるしかないんだし」

「ふざけんな!」

 亮の怒号が鼓膜に突き刺さり、廊下中に響き渡る。

「ほぼ毎日のように一緒に遊んでた友達が死んだんだぞ! 悲しいと思わないのか! 悔しいと思わないのか! 
 なんで、なんでさあ……親友の死をそう簡単に受け入れるのかよ! どうして……みおが『生きている』ことにそう簡単に諦められるんだよッ!!」

「そこまでです、お二人共」

 彼の八つ当たりを止めるために、二人の間に割って入る雅代(まさよ)。それぞれの顔を交互に一瞥をして言葉を続ける。

「もしみお様が今のお二人の姿を見たら、きっと悲しむでしょう。それに、ここは病院でございますよ」

 雅代(まさよ)は気丈に振る舞っているように見えるが、彼女もまた鼻声で。よく見ると、頬に慌てて涙を拭いた形跡が残り、目尻にはまだ雫が浮かんでいる。まるで、『悲しいと感じたのは別に亮だけではない』、『時と場所を弁えるように』と強く訴えているように見えた。それを受けて、亮はクッと奥歯を噛み締める。

木村(きむら)さん、彼のことをお願いします」

 急に話題に名前が上げられて、木村(きむら)さんは慌てて手で涙を拭きつつも首肯する。

「わ、分かりました。ほら、鶴喜クン、部屋に戻るよ」

「……クソッ」

 担当看護師に強制的に現場を離された亮は、苦し紛れにそんなことを吐き捨て、最後に掌底で肘掛けを叩きつける。二人が去った後、廊下には重苦しい暗雲が立ち込めたかのような空気が漂う。まるで冷たい雨に打たれているかのように、姫はただ俯いて黙り込むだけだった。