梨衣(りえ)襲撃事件から数日後。亮は相も変わらず談話室に足を運んでいた。
 彼が数独をもう一度挑戦したいと言い出したので、今日もまた三人で同じ机を囲み、数独を解くことになったのだが。15分も経たないうちに当の本人が喉渇いたと騒ぎまくるのでは、一旦お開きにしなければならなくなった。

――全く、最初からこう仰っていただければ、お嬢様の鼓膜を汚さずに済んだものの。
 雅代は完全に呆気に取られた顔で、みおと一緒にはしゃいでいる亮を眺めている。

「……変な企みを考えてないわよね、雅代」

「ハッ、滅相もございません」

 彼女の答えにますます顔を不審にしかめる姫。
 だけど、最愛の主人に問い詰められているこの状態なのに、雅代は少しも悪びれた様子がない。

「……正直に白状なさい」

「ハッ、あんなうるさいのと毎日一緒にいて、お嬢様の大切な鼓膜が汚れていないのでしょうか、と心配しているところでございます。
 もしよろしければ、ワタクシめが耳かきをして差し上げましょうか? フフフ、仕上げにはワタクシめの浄化ブレスで、お嬢様のお耳元でフーフーとして差し上げたく……」

「……相変わらず、変なこと考えてるわね、雅代は。でもまあ、うるさいのは、いつものことだから」

 眼前でじゃれ合う二人の姿に姫は目を細めて、少しばかり口角を持ち上げる。
 ここ最近の彼女は明るくなって、口数も多くなった。これは紛れもない事実だ。これは部外者である亮が姫に歩み寄ったからこそ、初めて成し遂げたもの。
 例え雅代(まさよ)が彼と同じようなことをしたとしても、同じ結果にはならないだろう。彼女自身でもそう思った。この件に関しては彼に感謝しているが、憎たらしく思うのは相変わらずだ。

「ところで、その、お嬢様。先程のお耳をかきかきする件でございますが……」

「……遠慮しておくわ」

「誠に遺憾でございます」

 肩を落とす雅代に小さく笑う姫。その様子に、雅代は内心でホッと一息。
 まだまだぎこちなさが残っているが、ここ数年ぶりに彼女の笑いが聞こえたから、それすらもどうでもよくなる。

――これで少しずつ良くなっていけば。
 姫の斜め後ろに歩いて痩せ細った背中を眺めていると、そんな淡い期待を雅代の脳裏にかすめた。だからと言って、彼に最愛のお嬢様をあげるのかどうかは、また別の話。