翌朝、談話室の扉がバタンと開く音と共に、静寂が一瞬にして崩れた。

「会いに来ましたゾ、ヒメエエェェエエ」
 
 大きな声を響かせながら入室する亮に対し、雅代(まさよ)はうるさいとばかりに睨みつける。

「朝っぱらからうるさいでございます、下郎」

「おふ、メイドさん辛辣ゥ! でも、しゅきいいいぃぃい! もっとやってくださぁーい!」

「一度医者に診てもらった方が良さそうですね。頭の」

「ハハハ、よく言われます」

 肩をすくめて自虐的な笑みを浮かべる亮のことを、ジト目で見下ろす雅代(まさよ)

――生粋の変態というのは、こういうことでございますね。
 ウキウキしながらみおと姫に近付く亮を見て、雅代(まさよ)はそう思った。まさか自分より格の上の変態に遭遇したとは、恐ろしい世の中になったものだ。彼女が小さく嘆息して、三人の様子を眺めることにした。

「あ、お兄ちゃん。えっとね、これからお姉ちゃんと一緒に遊ぶんだけど……お兄ちゃんも一緒にどう?」

「モチの論! あわよくばスキンシッ――げふんげふん、ぜひ参加させてください!」

「このピンク頭下郎め」

「うん? この頭は黄色ですケド?」

「はあ……もういいです」

 とぼける亮に向かって、雅代(まさよ)はため息をついて頭を振る。それから三人は暫くカードゲームに興じていた。
 最初はババア抜きを楽しんでいたが、次第に飽き足らず、UNOやダウトといったゲームに移行。けれど、次第にカードゲームの連続で飽きてきた亮は、かくれんぼをすると提案。
 驚くべきことに、みおもずっとやりたがっていたので、急遽決行することになった。

 ジャンケンで負けた方が鬼になるという決まりになっていて、勝負の幕が開けた。興奮が高まる中、その役割を背負うことになったのは、なんと姫だった。
 
――よりにもよって一番苦手な役になるとは。
 彼女はまだ握りしめているグーの手を見下ろし、心の中でため息。考えなしにグーを出したのが仇になったのだ。
 しかし、まだカウントダウンすら始まっていないのに、二人は既に行動を開始した。

「……まあ、別にどうでもいいけど」

 それだけを呟いて、姫は数え始めた。
 一方、その二人はというと、早速仲間割れが起きた。不満そうに口を尖らせるみおを見て、亮は焦り始める。

「もう、どうしてみおに付いてくるのぉー。お兄ちゃんは他のところに隠れてよぉ~!」

「ハッ! しまった、無意識に付いてきてしまっタ! 閉店ガラガラ、なんつって」

「とにかく、これはかくれんぼだから、一人で隠れてよぉ~」

「そんなぁ! 右も左も分からない私をこのまま放っておくつもりだというの! お兄ちゃん、悲しーヨ!」

 亮の発言は支離滅裂ではあるが、幼い子供の心を揺れ動かすのには十二分だ。みおは少し戸惑いつつも「ええと」と口にし、

「じゃあ、一緒に隠れる?」

「うんうん、隠れる隠れる!」

 自分の提案に飛びつくような勢いで二度も頷いた亮に、ハハハと小さく笑い出す。

「お兄ちゃんって、やっぱり変なのぉ~」

「ハハハ、よく言われます」

 どこに隠れるかを話し合いながら歩いていると、みおが「あれ? マイターお姉ちゃんだ」と小首を傾げる。
 亮もそれに続いて「マイターお姉ちゃん?」と繰り返し、同じ方向に見やると、そこには物陰から激写している雅代(まさよ)の姿があった。

「はあはあ、お嬢様。今日も素敵でございます!」

 賛辞を繰り返しながらも姫の様子を写真に収め、手帳を取り出してペンを走らせた。既に周囲から白い目で見られているのにも関わらず、彼女は暴走し続ける。

「14時24分09秒 まだカウントダウンをしているお嬢様。
 14時24分10秒 ちょっとうんざりして、ワタシにお尻ふりふりするお嬢様」

 あろうことか、内容まで口走っていて、明らかに周囲の目など眼中にない様子。このまま眺めるのも面白いけど、幼いみおの教育にとって、これはよろしくない。現に、みおはきょとんと首を捻っていらっしゃる。
 そう思った亮は、注意するつもりで雅代(まさよ)にそっと近付く。頭がおかしくても、一応ある程度の常識を持ち合わせているようだ。

「14時24分11秒 お嬢様がまだ数えているので、代わりにお嬢様の考えを代弁 『雅代、素敵すぎる。もう好き好き大好き♡』」

「14時24分12秒 『亮くん、かっこいいなぁと思っているお嬢様』(裏声)」

「14時24分12秒 『亮くん、かっこいいなぁ――ハッ、そんなはずが……! ワタシのお嬢様はそんなことを思っているはずがないッ!」

 雅代(まさよ)は亮の言葉に驚いてガバッと身体を振り向かせた。しかし、亮の姿を捉えると、すぐに無遠慮な舌打ちする。
 
「チッ、誰かと思ったら下郎ではございませんか。あわよくばワタシに思考盗聴をするとは。なんて下劣な。あと、ワタシの鼓膜に気持ち悪い裏声をインストールしようとしないでください。気持ち悪いです」

「そんなこと、これっぽちもしてナァイ!」

 雅代(まさよ)は亮の反発を無視し、みおに向かって彼から離れた方がよろしいと提案するも、みおは悩ましい声を上げる。

「う~ん。でもみお、一緒に隠れるってお兄ちゃんと約束しちゃったから……。あ、かくれんぼが終わってからでもいい?」

「ええ、勿論でございます」

「ちょっと、みおちゃん!? 酷すぎませんカ?!」 

「だってお兄ちゃん、うるさいだもん」

「グハッ! みおちゃんの純粋な声が心にグサッと……」

 亮は手を自身の胸に当て、ぐったりと車椅子の背もたれにもたれかかった。そんな演技を見ても、みおは特に気に留めることもなく、雅代(まさよ)に話題を振る。

「ええと、マイターお姉ちゃん」

「マイスターお姉ちゃん、でございますよ、みお様。なんでございましょう?」

「マイスターお姉ちゃんって? まさか、実は何かの道を極めた凄腕のナニかだったり!?」

 亮に邪魔されても、これ見よがしに雅代(まさよ)が胸を張ってフフフと笑ってみせた。

「下郎のくせに、お察しがいいのでございますね」

「おお! では、やはり……!」

「ええ、お嬢様マイスターでございます」

 それを聞いた瞬時、彼の高まった期待が一瞬にして打ち砕かれ、微妙な表情を浮かべた。

「何ですかその顔は。今すぐ止めて頂きたいものです」

「それで、マイスターお姉ちゃん。何してたの?」

「なに、ちょっとお嬢様の日常生活を記録しているだけでございますよ」

「もしもし、警察ですか? ただ今、詐欺の現場に遭遇しました。犯人は子供相手にお上品な声で事実を曲げようとしています!」

 子供相手にしれっと嘘を吐いた雅代(まさよ)と張り合うように、亮が電話するフリをした。
 彼女の表情はニッコリのままではあるが、こめかみに怒りマークみたいなものがクッキリと浮かんでいるところを見ると、恐らく彼女は内心で怒っているのだろう。
 雅代(まさよ)は穏やかな顔を維持するまま、「あら、たまの変態行為も可愛く見えるでございましょう?」と付け加える。

「変態だからと言って、子供に嘘をついてもいいはずがナァーイ!」

「チッ、下郎のくせにやかましいわね」

「私、色々と知っているのデ! 色々と知っているのデ!」

「二回言わなくても結構です。それと、全く関係ありませんので、胸を張っても無駄でございます。……だから、そのドヤ顔をしまいなさいと言っているのです」