一同は本棟にある中央図書室から数独の本を借りるとついでにスタッフから数枚のA5用紙と幾つかの文具を拝借して、同じテーブルを囲んだ。各自が用紙にパズルを書き写している間、みおが亮に数独のルールを教えた。
その後、亮が調子に乗って、誰が一番早く解けるのかを競い合うと提案して、みおもそれに賛同した。彼自身でさえあんまりルールを理解できていないのにもかかわらずに、だ。
本の中にある数独パズルは全部四段階の難易度:ビギナー級、インターミディエート級、エキスパート級、マスター級で形成されている。
だけど、今回の勝負は難易度とかは一切関係なく、ただ一番早く解けた者が勝者となる、という非常にシンプルなルールで試合開始。
開始してから五分が経過。三人はそれぞれ異なる反応でそれぞれのペースで進めていた。姫は硬い動かない顔のままですらすらと空欄を埋めていく。みおは首を捻りながら時折唸りを漏らし、少しずつ解答を進めている様子だ。
一方、まだ一つの空欄すら埋まっていない亮は鉛筆すら握っていないで、終始低い唸り声を上げながら用紙と睨めっこ。
ついに我慢の限界を迎えた彼は、隣のみおに話しかける。
「ええと、みおちゃん」
「う~ん? なぁ~に、お兄ちゃん?」
「これ、本当にみおちゃんがやりたいことなの?」
「うん! そうだよぉ~」
「いや、だってこれ……頭を使うやつではないカ!」
開き直った亮に、「そうだよ~」と軽やかに返すみお。
子供が遊びと言ったら、彼は鬼ごっことかかくれんぼといった活発な遊びを想像していた。けれど、実際に一子供がこんな退屈極まりない数独に興味を示すとは予想外。
もしかして、都会の子供は室内にこもるのが好きなのか、と的外れな感想を抱く亮。
「頭悪いお兄ちゃんに、これは猛毒のようなものだヨ! 目がチカチカする……」
「尚更、これをやらないといけないね、お兄ちゃん」
「なしてェ!?」
「この前、お姉ちゃんから聞いたの! これをやればやるほど頭がよくなるって! みお、お姉ちゃんみたいに頭良くなりたい!」
みおの説明が終わったのとほぼ同時に姫が鉛筆を下ろし、「できた」と呟く。
「お姉ちゃんはや~い! ちゃんとマスターのをやったの?」
「……うん」
どれどれ、と亮は真ん中に置いていた数独の本を手に取り、姫に何ページ目のパズルだったのか確認しながらページをめくる。
「――オマイガ」
亮の目に飛び込んできたのは、ほとんど数字のないページで、空欄が98%も占めていた。絶句する彼の手から本が滑り落ち、ばんっと共に机の上に着地。
ちなみに、みおはインターミディエート級を挑戦したが、半分しか埋まらなかった。歳を考慮すれば、充分に健闘した方だ。
しかし、さも軽々しくマスター級をクリアした姫を前にしたら、対抗心を燃やしてしまうもの。
「むぅ~~。じゃあ、今度はみおたちがスタートしてから五分後にお姉ちゃんが始めるね!」
突然の無茶振りに姫が「分かった」とこくり。
顔にこそ出していないが、その石ころのような無表情は一種の殊勝の態度とも見受けられる。みおは用紙の束から一枚を取り、9×9の正方形のマスを描き始めた。
「お兄ちゃんがやったやつはビギナーのものでしょ~? みおはできるからお兄ちゃんも頑張って!」
「みおちゃんのエールを全身で受け止めて、お兄ちゃん、頑張りまぁース!」
うおおおお、と叫びながら亮も別の用紙を手に取って、次のターンに向けて準備を進める。
それから三人は、暫く数独に夢中になっていた。
かれこれ十試合ほど行ったが、いずれも姫の圧勝で閉幕。次は負けないぞ、と亮とみおが張り切ったところで、やや後方から「みぃ〜つけた♪」という声がした。
なんだろう、と二人が振り返ると、そこには笑っている木村さんの姿があった。
「ふふふ、鶴喜クーン、そこから動かないでくださいね~」
笑っているというより、怒っているの方が正確だ。
黒いヴェールのようなものが彼女の目の下まで覆われているが、口角の方は少し上がっている。看護師らしかぬ、恐ろしげな雰囲気を漂わせながら。一歩、また一歩と着実に近付いていく。
木村さんがあの状態に陥ると、いくら会話を重ねても怒りを鎮めることはできないということを、彼は知っている。
ここは大人しく謝るか、逃げるかの二択のみ。だが、彼が取る選択は……残念ながらいつもは後者の方だ。
「お兄ちゃん、その人はだぁ~れ?」
「お兄ちゃんの天敵だゾ☆」
「うん? てんてき?」と首を傾げるみお。
彼女の質問に答えたいのは山々ではあるが、危機が迫ってきているこの状況ではそれはできない相談だ。
「では、急用を思い出したので、私はこれにて失礼する! アデュー」
亮が格好つけるためのウィンクを残してから、脱兎の如く図書室を出た。
「こら、待ちなさーい!」
そう叫びながら追いかける木村さんの姿をみおが目で追跡しようとしたが、あっという間に消えなくなった。
彼女は暫くポカーンと口を半開きにしたが、急にはハハと小さく笑い出す。
「嵐みたいな人だね、お姉ちゃん」
「……そうね」
いつもつれない返事しかしない姫が、珍しく同意を示した。
それだけで、みおは微笑まずにはいられないのだ。
その後、亮が調子に乗って、誰が一番早く解けるのかを競い合うと提案して、みおもそれに賛同した。彼自身でさえあんまりルールを理解できていないのにもかかわらずに、だ。
本の中にある数独パズルは全部四段階の難易度:ビギナー級、インターミディエート級、エキスパート級、マスター級で形成されている。
だけど、今回の勝負は難易度とかは一切関係なく、ただ一番早く解けた者が勝者となる、という非常にシンプルなルールで試合開始。
開始してから五分が経過。三人はそれぞれ異なる反応でそれぞれのペースで進めていた。姫は硬い動かない顔のままですらすらと空欄を埋めていく。みおは首を捻りながら時折唸りを漏らし、少しずつ解答を進めている様子だ。
一方、まだ一つの空欄すら埋まっていない亮は鉛筆すら握っていないで、終始低い唸り声を上げながら用紙と睨めっこ。
ついに我慢の限界を迎えた彼は、隣のみおに話しかける。
「ええと、みおちゃん」
「う~ん? なぁ~に、お兄ちゃん?」
「これ、本当にみおちゃんがやりたいことなの?」
「うん! そうだよぉ~」
「いや、だってこれ……頭を使うやつではないカ!」
開き直った亮に、「そうだよ~」と軽やかに返すみお。
子供が遊びと言ったら、彼は鬼ごっことかかくれんぼといった活発な遊びを想像していた。けれど、実際に一子供がこんな退屈極まりない数独に興味を示すとは予想外。
もしかして、都会の子供は室内にこもるのが好きなのか、と的外れな感想を抱く亮。
「頭悪いお兄ちゃんに、これは猛毒のようなものだヨ! 目がチカチカする……」
「尚更、これをやらないといけないね、お兄ちゃん」
「なしてェ!?」
「この前、お姉ちゃんから聞いたの! これをやればやるほど頭がよくなるって! みお、お姉ちゃんみたいに頭良くなりたい!」
みおの説明が終わったのとほぼ同時に姫が鉛筆を下ろし、「できた」と呟く。
「お姉ちゃんはや~い! ちゃんとマスターのをやったの?」
「……うん」
どれどれ、と亮は真ん中に置いていた数独の本を手に取り、姫に何ページ目のパズルだったのか確認しながらページをめくる。
「――オマイガ」
亮の目に飛び込んできたのは、ほとんど数字のないページで、空欄が98%も占めていた。絶句する彼の手から本が滑り落ち、ばんっと共に机の上に着地。
ちなみに、みおはインターミディエート級を挑戦したが、半分しか埋まらなかった。歳を考慮すれば、充分に健闘した方だ。
しかし、さも軽々しくマスター級をクリアした姫を前にしたら、対抗心を燃やしてしまうもの。
「むぅ~~。じゃあ、今度はみおたちがスタートしてから五分後にお姉ちゃんが始めるね!」
突然の無茶振りに姫が「分かった」とこくり。
顔にこそ出していないが、その石ころのような無表情は一種の殊勝の態度とも見受けられる。みおは用紙の束から一枚を取り、9×9の正方形のマスを描き始めた。
「お兄ちゃんがやったやつはビギナーのものでしょ~? みおはできるからお兄ちゃんも頑張って!」
「みおちゃんのエールを全身で受け止めて、お兄ちゃん、頑張りまぁース!」
うおおおお、と叫びながら亮も別の用紙を手に取って、次のターンに向けて準備を進める。
それから三人は、暫く数独に夢中になっていた。
かれこれ十試合ほど行ったが、いずれも姫の圧勝で閉幕。次は負けないぞ、と亮とみおが張り切ったところで、やや後方から「みぃ〜つけた♪」という声がした。
なんだろう、と二人が振り返ると、そこには笑っている木村さんの姿があった。
「ふふふ、鶴喜クーン、そこから動かないでくださいね~」
笑っているというより、怒っているの方が正確だ。
黒いヴェールのようなものが彼女の目の下まで覆われているが、口角の方は少し上がっている。看護師らしかぬ、恐ろしげな雰囲気を漂わせながら。一歩、また一歩と着実に近付いていく。
木村さんがあの状態に陥ると、いくら会話を重ねても怒りを鎮めることはできないということを、彼は知っている。
ここは大人しく謝るか、逃げるかの二択のみ。だが、彼が取る選択は……残念ながらいつもは後者の方だ。
「お兄ちゃん、その人はだぁ~れ?」
「お兄ちゃんの天敵だゾ☆」
「うん? てんてき?」と首を傾げるみお。
彼女の質問に答えたいのは山々ではあるが、危機が迫ってきているこの状況ではそれはできない相談だ。
「では、急用を思い出したので、私はこれにて失礼する! アデュー」
亮が格好つけるためのウィンクを残してから、脱兎の如く図書室を出た。
「こら、待ちなさーい!」
そう叫びながら追いかける木村さんの姿をみおが目で追跡しようとしたが、あっという間に消えなくなった。
彼女は暫くポカーンと口を半開きにしたが、急にはハハと小さく笑い出す。
「嵐みたいな人だね、お姉ちゃん」
「……そうね」
いつもつれない返事しかしない姫が、珍しく同意を示した。
それだけで、みおは微笑まずにはいられないのだ。
