目の前に金星が輝いている。この時期に見える、日没後に見える金星は、宵の明星と言うらしい。
それを眺めながら、俺は隣にいる楓に向かって口を開いた。
「なぁ、ずっと気になってたんだけど」
楓がこちらに顔を向けた。
「なんでわざわざ俺と関わるんだ?」
「え?」
「圦里に聞いたんだけど。今日楓がボコボコにされたのも、俺と関わるのをやめないからだって」
何言ってるんだとでもと言いたげに楓が眉を顰めた。
「ぼこぼこにはなってないよ」
物理的にぼこぼこになってないと言いたいのだろうか。
「例えだよ、いっぱい殴られること、ボコボコにされるって言うだろ」
「ほぉ」
「俺と関わらなけりゃ、圦里達に目をつけられることだってなかったじゃねぇか」
「うーん、それもそうなんだけどね、私が居なかったら瑠衣1人になっちゃうでしょ」
「いつも1人だったからそれは慣れてるぞ」
「嘘だぁ、いっつも悲しそーな顔してた癖に」
「うーわ、バレてる...」
俺は苦笑いした。
確かに、誰かと関わりたいと思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。
でも、演じるのは1人でいることよりもずっと嫌だったし、普通を演じてまで人と関わりたいとは思わなかった。
ただ、俺は。俺を、そのまま受け入れて欲しかっただけなのだ。こんな社会で、無理に等しいと分かっていても。その《無理に等しい》ことをサラリとやってのけた人間が、考えてみれば楓だったのだ。でも、俺は、楓に傷ついてまで側に居てほしい訳じゃない。
「だからさ、言っちゃうけど、俺と楓は関わらない方が良いと思うんだ」
楓はくるりと俺の方に顔を向けた。そのまま、理解できないと言うような顔で此方を見ている。
俺は続けた。
「このままだと、楓はこれからも圦里、だけじゃないけど、みんなに白い目で見られ続けるわけだろ、それは、なんて言うか、俺が嫌だ」
楓が顔を前に向けた。
はぁ、と息を吐いて、楓は真っ直ぐに此方を見た。
「ヤだ」
「え、なんで」
うーん、と1秒ぐらい考え込む素振りをしてから、楓はニッコリと笑って答えた。
「好きだから?私が、瑠衣のこと」
じゃ、と楓が手を上げて、路地に素早く入っていった。
俺はというと、その場に立ち尽くしているだけだった。
「...は...?」
体温が一気に2度ぐらい上がった気がする。
楓が去っていった路地裏に、目が覚めるように鮮やかなケシの花が2輪、寄り添うように咲いていた。
家の中、自分の部屋で今日の課題を開いたものの、全然集中できない。
頬杖をついてあれやこれやと考えを巡らせていると、いきなり真後ろから妹の声が飛んできた。
「姉ちゃん」
「え、わ、わーっ!びっくりした」
「何回も外から声かけてるのに、ちっとも反応しないから入ってきたんだけど。どうしたの?」
「いや、別に。で、沙羅は?なんか言いにきたんじゃないの?」
どうしたのと聞かれて答えられるわけがないので、俺は軽くはぐらかした。
「うん、母さんが、そろそろご飯って。それよりも姉ちゃん、なんかあった?」
なんかバレている。
「え、いや、なんで?」
平静を保とうとしたのだが、慌てるやら驚くやらで声が裏返ってしまった。
妹がニヤリと笑った。
「ははーん、さては姉ちゃん、彼氏でもできたな?」
「んな訳ないじゃん」
「なに?誰?同じ学校の人?私知ってる?」
これだからこの話題は苦手なんだ。どう否定しても、必ず肯定の裏返しなんじゃないかという疑いが追いかけてくる。
「違うって言ってるじゃん、課題だよ、レポートのテーマ考えてたんだ」
本当はレポートの課題なんて出ていないのだけど、適当に言って誤魔化した。
なんだぁ、つまんないの、と言いながら部屋を出て行く妹を、俺は少し複雑な気持ちを抱えて見送っていた。
* * *
家に帰ると、私は敷きっぱなしの布団の上に身を投げ出した。
あああぁぁ、何で私、あんなこと言っちゃったんだろう。あまりにも一方的で、自分勝手なことしちゃったな。
週明け、謝るか、瑠衣に。
いやいやいや。まず、声かけさせてもらえるかな?怒っちゃったかなぁ。恥ずかしくなってすぐ路地に入って帰ってきちゃったから、瑠衣の反応全然見てなかった。どうしよ。いや、マジで、どうしよう。
悶々と考えながら寝返りを打つと、不意に学校で殴られた傷がずきりと痛んだ。
そうだった。治療してなかったな。
救急箱を取りに行こうと、ゆっくり立ち上がって台所の方に向かった。
布団の上に座って、鳩尾や肋の辺りの赤黒く腫れ上がった傷痕に湿布をぺたぺたと貼りながら、私はすっきりしない思いを抱えていた。
(勢いに任せて)告白はした。
でも、付き合ってくれとも気持ちだけ伝えさせてくれとも言っていない。
もしも瑠衣が、アレを告白と受け取らずにスルーした場合、私の勇気がぱあになる訳だ。
「...え、それはヤだ」
思わず声が洩れる。暗闇に私の想いが溶けていく。考えれば考えるほど、ずぶずぶと底なし沼に嵌っていくような気持ちになる。
「とりあえず、週明けは普通に接してみよう」
わざと明るい声を出してみても、虚しさに似た感情が頭の中を通り過ぎていくだけだった。
人間関係って、恋って、難しい。面倒くさい。「だからこそ面白い」という人もそりゃあ居るんだろうけど、私はそうは思えない。
「...でも自業自得なんだよなぁ」
救急箱をぱたんと閉じて、布団にごろりと寝転がる。
そのままぼんやりと暗闇を眺めながら、私はいつの間にか泥のように眠ってしまった。
それを眺めながら、俺は隣にいる楓に向かって口を開いた。
「なぁ、ずっと気になってたんだけど」
楓がこちらに顔を向けた。
「なんでわざわざ俺と関わるんだ?」
「え?」
「圦里に聞いたんだけど。今日楓がボコボコにされたのも、俺と関わるのをやめないからだって」
何言ってるんだとでもと言いたげに楓が眉を顰めた。
「ぼこぼこにはなってないよ」
物理的にぼこぼこになってないと言いたいのだろうか。
「例えだよ、いっぱい殴られること、ボコボコにされるって言うだろ」
「ほぉ」
「俺と関わらなけりゃ、圦里達に目をつけられることだってなかったじゃねぇか」
「うーん、それもそうなんだけどね、私が居なかったら瑠衣1人になっちゃうでしょ」
「いつも1人だったからそれは慣れてるぞ」
「嘘だぁ、いっつも悲しそーな顔してた癖に」
「うーわ、バレてる...」
俺は苦笑いした。
確かに、誰かと関わりたいと思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。
でも、演じるのは1人でいることよりもずっと嫌だったし、普通を演じてまで人と関わりたいとは思わなかった。
ただ、俺は。俺を、そのまま受け入れて欲しかっただけなのだ。こんな社会で、無理に等しいと分かっていても。その《無理に等しい》ことをサラリとやってのけた人間が、考えてみれば楓だったのだ。でも、俺は、楓に傷ついてまで側に居てほしい訳じゃない。
「だからさ、言っちゃうけど、俺と楓は関わらない方が良いと思うんだ」
楓はくるりと俺の方に顔を向けた。そのまま、理解できないと言うような顔で此方を見ている。
俺は続けた。
「このままだと、楓はこれからも圦里、だけじゃないけど、みんなに白い目で見られ続けるわけだろ、それは、なんて言うか、俺が嫌だ」
楓が顔を前に向けた。
はぁ、と息を吐いて、楓は真っ直ぐに此方を見た。
「ヤだ」
「え、なんで」
うーん、と1秒ぐらい考え込む素振りをしてから、楓はニッコリと笑って答えた。
「好きだから?私が、瑠衣のこと」
じゃ、と楓が手を上げて、路地に素早く入っていった。
俺はというと、その場に立ち尽くしているだけだった。
「...は...?」
体温が一気に2度ぐらい上がった気がする。
楓が去っていった路地裏に、目が覚めるように鮮やかなケシの花が2輪、寄り添うように咲いていた。
家の中、自分の部屋で今日の課題を開いたものの、全然集中できない。
頬杖をついてあれやこれやと考えを巡らせていると、いきなり真後ろから妹の声が飛んできた。
「姉ちゃん」
「え、わ、わーっ!びっくりした」
「何回も外から声かけてるのに、ちっとも反応しないから入ってきたんだけど。どうしたの?」
「いや、別に。で、沙羅は?なんか言いにきたんじゃないの?」
どうしたのと聞かれて答えられるわけがないので、俺は軽くはぐらかした。
「うん、母さんが、そろそろご飯って。それよりも姉ちゃん、なんかあった?」
なんかバレている。
「え、いや、なんで?」
平静を保とうとしたのだが、慌てるやら驚くやらで声が裏返ってしまった。
妹がニヤリと笑った。
「ははーん、さては姉ちゃん、彼氏でもできたな?」
「んな訳ないじゃん」
「なに?誰?同じ学校の人?私知ってる?」
これだからこの話題は苦手なんだ。どう否定しても、必ず肯定の裏返しなんじゃないかという疑いが追いかけてくる。
「違うって言ってるじゃん、課題だよ、レポートのテーマ考えてたんだ」
本当はレポートの課題なんて出ていないのだけど、適当に言って誤魔化した。
なんだぁ、つまんないの、と言いながら部屋を出て行く妹を、俺は少し複雑な気持ちを抱えて見送っていた。
* * *
家に帰ると、私は敷きっぱなしの布団の上に身を投げ出した。
あああぁぁ、何で私、あんなこと言っちゃったんだろう。あまりにも一方的で、自分勝手なことしちゃったな。
週明け、謝るか、瑠衣に。
いやいやいや。まず、声かけさせてもらえるかな?怒っちゃったかなぁ。恥ずかしくなってすぐ路地に入って帰ってきちゃったから、瑠衣の反応全然見てなかった。どうしよ。いや、マジで、どうしよう。
悶々と考えながら寝返りを打つと、不意に学校で殴られた傷がずきりと痛んだ。
そうだった。治療してなかったな。
救急箱を取りに行こうと、ゆっくり立ち上がって台所の方に向かった。
布団の上に座って、鳩尾や肋の辺りの赤黒く腫れ上がった傷痕に湿布をぺたぺたと貼りながら、私はすっきりしない思いを抱えていた。
(勢いに任せて)告白はした。
でも、付き合ってくれとも気持ちだけ伝えさせてくれとも言っていない。
もしも瑠衣が、アレを告白と受け取らずにスルーした場合、私の勇気がぱあになる訳だ。
「...え、それはヤだ」
思わず声が洩れる。暗闇に私の想いが溶けていく。考えれば考えるほど、ずぶずぶと底なし沼に嵌っていくような気持ちになる。
「とりあえず、週明けは普通に接してみよう」
わざと明るい声を出してみても、虚しさに似た感情が頭の中を通り過ぎていくだけだった。
人間関係って、恋って、難しい。面倒くさい。「だからこそ面白い」という人もそりゃあ居るんだろうけど、私はそうは思えない。
「...でも自業自得なんだよなぁ」
救急箱をぱたんと閉じて、布団にごろりと寝転がる。
そのままぼんやりと暗闇を眺めながら、私はいつの間にか泥のように眠ってしまった。