休憩時間にいきなり近くの席の女の子に声を掛けられて、放課後、わざわざ屋上まで連れて行かれたことに納得していない俺がいた。
「ねぇ、なんで屋上まで来る必要があるの」
「まあ、ちょっと」
 相手ははぐらかすだけでちっとも目的を教えてくれない。
 校舎は西日を浴びて、オレンジ色に染まっていた。
 それを眺めながら、女の子が口を開いた。
「あのさ」
「ん」
「えーっと、私、の名前、」
坂巻(さかまき) (かえで)、知ってる」
「そっか」
 坂巻が、何が目的で俺をこんなところまで連れてきてたのかが未だ全く分からない。
 此奴は何がしたいんだろうか。俺は困って坂巻に訊いた。
「なんの用事?」
 一瞬坂巻は驚いたような顔をした後、ふう、と息を吐いた。
「えっと、ちょっと聞きたいことがあってね」
「うん、良いよ」
 そこから少し間があいた。
「男の子なの?」
「はぁ?」
 単刀直入すぎる質問に思わず俺は素っ頓狂な声を上げた。
 そして、俺は別の意味でもびっくりしていた。
 この子、デリカシーがなさすぎる。
「え、嘘、違った?ごめん、ごめん、忘れて」
 坂巻は一人で慌てて、答えてないのに一人で謝っている。
「いや、あの、あまりにも単刀直入すぎてびっくりしているだけ」
 坂巻が少し安堵したような顔になった。まだ肯定も否定もしていないのに。俺は心の中で少し笑って、
「LGBTQ+って知ってる?」
と問いかけた。
「えるじーびーてぃーきゅーぷらす?」
 坂巻は聞いたこともないようだ。漫画のような平仮名発音とハテナ顔に思わず笑ってしまった。
「うん、LGBTQ+。性的マイノリティ(少数者)って意味。」
「ふうん、それでなんでアルファベットなの?」
と聞かれたので、続けて説明する。
 Lはレズビアン(女性同性愛者)の頭文字で、Gはゲイ(男性同性愛者)、Bはバイセクシュアル(両性愛者)、Tはトランスジェンダー(生まれた時の性別と自認する性別が一致しない人)、Qはクエスチョニング(自分自身のセクシュアリティを決められない、分からない、または決めない人)の頭文字をそれぞれ取っている。それでLGBTQ。その他にも様々な種類の性的マイノリティの人がいる為、それを考慮して最後に+を付けられている。そして俺はトランスジェンダーである、などなど。
 俺が色々と説明している間も、坂巻は此方に顔を向け、黙って聞いてくれた。こういう所では空気を読める奴らしい。
 話終わると、坂巻は暫く考え込むような素振りをみせた。もう少し噛み砕いて説明した方が良かっただろうか。俺があれこれと考え始め、不安になりかけたそのとき、坂巻が口を開いた。
「じゃあ、さ、瑠衣ちゃんは、」
 躊躇うように一瞬俯いた後、坂巻ははっきりと俺の目を見て訊いた。
「心は男の子ってこと?」
 うわ。やっぱりこの子恐ろしくデリカシーがない。
 俺は坂巻の視線から目を逸らした。
 頭がくらくらしてきた。もちろん、そうだと言ってしまえばそれまでなのだ。でも、どこかでそれを認めたくない自分がいるのだ、認めたら、酷い目に遭うんじゃないかって。
 俺は、 怖いのだ。
 もう一度、あんな目に遭うのが。

    *     *     *   

 究極の質問を思い切ってしてしまってから、瑠衣ちゃんは分かりやすく目を泳がせた後、黙り込んでしまった。
 直球で質問して、怒らせてしまっただろうか。
「俺は...」
 声が微かに震えていた。
 私が瑠衣ちゃんの方を見ると、瑠衣ちゃんは頭を垂れて、俯いていた。
「俺は、自分が普通じゃないことを認めたくない」
「そう、だよね」
「ん」
「ごめん」
 居心地の悪い沈黙が流れていく。
「あ、それから」
 思い出したように瑠衣ちゃんが急に声を上げた。
「さっきの質問、あれについてだけど」
 瑠衣ちゃんが息を吸い込むのが分かった。
「大正解」
 瑠衣ちゃんが悪戯っぽく笑った。
 瑠衣ちゃんが笑ったのには少し驚いたけど、私もつられて笑ってしまった。
 瑠衣ちゃんが勇気を振り絞って話してくれたことは、なんだか私にとって凄く嬉しいことだったのだ。
「じゃあさ、これから瑠衣ちゃんのこと、なんて呼べば良い?」
 瑠衣ちゃんは少し驚いたような顔で此方を見た後、
「なんでも良いよ」
と、ぶっきらぼうに返してきた。
 でも、その声の中に微かに嬉しそうな響きが混じっているのを、私は夕焼けの中で聴いていた。