俺は激しく混乱しながらも、自然といつもの公園に足が向いた。
崩れ落ちるようにベンチに座って、俺は頭を抱えた。
「マジでどうしよ...」
独り言のように呟いた。いや独り言か。
圦里に本当のことを言う?いやでも...うーん...
悶々と考え込むこと数分、突然前に気配を感じて、俺ははたと顔を上げた。
「あ...」
考えることが多すぎて、上手く頭が回らずに言葉が出てこない俺を、楓が少し困ったように見下ろしていた。
「ごめん、さっきは。帰るか」
重い腰を上げて立ち上がった俺の背中に、楓の声が飛んできた。
「瑠衣」
「ん?」
「葵ちゃんが、ね、さっきの状況を知りたがってたから、瑠衣がトランスジェンダーだって...話したんだけど、大丈夫...だよね?」
どくんと心臓が鳴った。
「...は?」
「あ、だからね、えーっと、変な意味じゃなくて、同じLGBTQ+の当事者だったら分かり合えるんじゃないかなぁ、と」
脈拍が一気に速くなった。額に冷汗が浮かんだ。
「...笑わせるなよ」
「え?」
俺は楓の方に顔を向けた。楓がひゅっと息を吸い込むのが分かった。
「勝手な偏見で、言うだけ言って!後は俺たち任せだと、笑わせるな!お前がどんなに重大なことしでかしたか、わからないだろ、なぁ⁉︎」
一気に捲し立てた。楓が目を見開いた。その瞳に涙が浮かんだ。楓がへたりと座り込んだ。だらだらと冷汗を掻きながら、必死に何かと戦っているような雰囲気だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お願いだから、叩かないで、殴らないで、良い子にするから...ごめんなさい...」
ぼろぼろと泣きながらこんなことを呟くものだから、俺は毒気を抜かれた。今度は俺が戸惑う番だった。
俺が黙り込んでも、楓の静かな暴走は止まらなかった。ごめんなさい、と呟きながら、楓は自分の腕に思い切り噛み付いたのだ。
「楓...⁉︎」
俺は慌てて、楓の前にしゃがみ込んだ。
楓、よせ、落ち着け、と声を掛けても、俺と楓の目が合うことはなかった。
楓の腕から血が流れた。
「楓、やめろ」
きっと、俺がパニックになると楓はもっと混乱するだろう。俺は静かに楓の腕を此方側に引っ張った。ひゅうと楓の喉が音を立てて、ぱちりと俺と楓の視線が合う。
「大丈夫、じゃないだろうけど...大丈夫か?」
はぁと楓が息を吐いた。
「うん、ごめんね、大丈夫。ありがと」
「なら良いけど」
俺もようやく安心して息を吐いた。
* * *
地べたに座るのもなんだからと、私は瑠衣に引っ張られてベンチに腰を下ろした。
「ほんとに大丈夫か?」
瑠衣が私の顔を覗き込むように聞いてきた。
「うん、大丈夫。ちょっと昔のこと思い出しちゃってね」
「ふぅん」
自然に振る舞おうとしているけど、明らかに瑠衣の目が泳いでいる。
「...ごめん」
驚いて隣を見ると、瑠衣は俯いて唇を噛み締めていた。
「...なんで?」
「え?」
「なんで瑠衣が謝るの?」
さっきのは私が勝手に暴走しただけだし、瑠衣に謝られるのはなんだか違う気がした。
「...俺が怒鳴ったのが引き金だろ」
「うーん、まぁ、そうだけど...最初に暴走したのは私だし...」
もごもごと口の中で呟いてから、腕の痛みに我に返った。私が顔を顰めたのを知ってか知らずか、瑠衣が口を開く。
「楓、さっきから思ってたんだけど、取り敢えずソレ洗ってきたらどうだ?」
「うん、そうする」
公園の隅にある水道の蛇口を捻った。
気温が高い夏特有の、生暖かい水が腕から手を伝って落ちていく。それと一緒に、先程まで私の心を掻き乱していたものも、少し顔を引っ込めてくれた。
ベンチに戻ると、ガサゴソと音を立てて、瑠衣が鞄から絆創膏を取り出していた。
「はい、これ。気休め程度だろうけど」
「あ、ありがと」
「ん」
腕の傷に貰った絆創膏を貼ると、私は瑠衣に顔を向けた。
「で、さっきの話だけどさ」
「ん?」
「ちょっと、ていうかかなり、私、LGBTQ+に関する知識が乏しいからよく分からないんだけど、解説、を、頼んでも良いかな?」
私がつかえながら瑠衣に頼むと、俺も特別詳しいわけじゃないけど、と前置きしてから説明してくれた。
私がさっき葵ちゃんにやった行為は、「アウティング」と言うやつらしい。
アウティングというのは、ある人のセクシュアリティを許可なく第三者に言いふらすこと。
悪意があって行われてしまう場合もあるけど、私のように良かれと思ってアウティングをしてしまうことも多いらしい。
「何かまずいことがあるの?悪意があるのはもちろん良くないけどさ、周りが理解してくれるんだったら良いことじゃん」
「自分に置き換えて考えてみろ、LGBTQ+に関係あろうが無かろうが、自分の秘密を信頼してる人だけに打ち明けたのに、それが広まってたら嫌じゃないか」
私の喉がひゅっと音を立てた。
それに、と瑠衣が続ける。
LGBTQ+に関しては、まだまだ理解してくれる人が少なく、アウティングが行われたことによっていじめなどに発展するケースや、最悪当事者の自死に繋がることもある。また、カミングアウトであっても、周りの人がカミングアウトを強制したり、そうするように囃し立てたりするのも当事者の意思が尊重されているとは言えない。
更に、LGBTQ+と一口に言っても多様なセクシュアリティがある為、憶測に基づいて行動してしまうと当事者を深く傷付けてしまう場合もある。
「え、じゃあ」
私は瑠衣と最初に話した時のことを思い出していた。
「最初の私、瑠衣の意思を尊重しないやばい奴じゃん、駄目じゃん私」
瑠衣は私に追い討ちをかけないように言葉を選びながら言った。
「別にそこまでは思わなかったよ、デリカシーない子だなぁとは思ったけど」
「...デリカシーないのか私」
「はは、やっと自覚が芽生えたようで良かった」
まぁ、と瑠衣がにっこりと笑って言った。
「もし次にカミングアウトされるようなことがあったら、本人が伝えてある範囲、自分が伝えても良い範囲を聞いとくのが良いかもしれないな」
「私、瑠衣に最初おっそろしい対応してたけどさ、カミングアウトされた時ってどういう反応すれば良いの?」
「別に特別なことしなくて良いよ、『そうなんだね、話してくれてありがとう』ぐらいで十分だと思う」
「そうなんだ」
私は少し拍子抜けして瑠衣の答えを聞いていた。もう少し、何か特別なことを言わないといけないのかと思っていたけど、あんまり難しく考えなくて良いのかもしれない。
「ところで楓、なんで俺と圦里が話してる時あんなところに居たの?」
一瞬私の表情が凍りつくのが分かった。
「あんたもなかなか直球で質問してくるよね...」
「あ、うん、えー、なんかごめん」
「私があそこに居たのは...えーっと、瑠衣が此間の私みたいに殴られやしないかと...」
「殴られてないこと確認してすぐに戻れば良かったのに。でもまぁ心配してくれたのはありがとう」
私の表情が少し明るくなったのを見逃さずに、瑠衣がもう一度言った。
「殴られてないことを確認してすぐに戻れば良かったのに」
「ゔ」
私は小さく呻き声をあげた。
「結構傷ついたんだけど...」
「ごめんごめん、でも圦里はもっと傷ついたと思うぞ」
「うわぁ、申し訳ない。来週葵ちゃんと話してみようかな...」
「うん、それが良い」
「あんたもだよ」
「え?」
「せっかく伝えてくれたのにさ、逃げてそのまま無かったことにするのは酷いよ、私も葵ちゃんも」
「ゔ...」
瑠衣の表情がピシリと音を立てそうに凍りついた。でも、と瑠衣が文句ありげに此方を見る。
「楓の時は逃げたのお前の方だろ」
「私は逃げたんじゃなくて帰ったんだよ」
「一緒だろ。ま、そろそろ帰ろうぜ」
瑠衣が伸びをしながら立ち上がる。
「うん、帰ろ。瑠衣はちゃんと回答考えといてよ、2人分」
「......へいへい」
瑠衣が明らかに乗り気じゃなさそうに答えた。
崩れ落ちるようにベンチに座って、俺は頭を抱えた。
「マジでどうしよ...」
独り言のように呟いた。いや独り言か。
圦里に本当のことを言う?いやでも...うーん...
悶々と考え込むこと数分、突然前に気配を感じて、俺ははたと顔を上げた。
「あ...」
考えることが多すぎて、上手く頭が回らずに言葉が出てこない俺を、楓が少し困ったように見下ろしていた。
「ごめん、さっきは。帰るか」
重い腰を上げて立ち上がった俺の背中に、楓の声が飛んできた。
「瑠衣」
「ん?」
「葵ちゃんが、ね、さっきの状況を知りたがってたから、瑠衣がトランスジェンダーだって...話したんだけど、大丈夫...だよね?」
どくんと心臓が鳴った。
「...は?」
「あ、だからね、えーっと、変な意味じゃなくて、同じLGBTQ+の当事者だったら分かり合えるんじゃないかなぁ、と」
脈拍が一気に速くなった。額に冷汗が浮かんだ。
「...笑わせるなよ」
「え?」
俺は楓の方に顔を向けた。楓がひゅっと息を吸い込むのが分かった。
「勝手な偏見で、言うだけ言って!後は俺たち任せだと、笑わせるな!お前がどんなに重大なことしでかしたか、わからないだろ、なぁ⁉︎」
一気に捲し立てた。楓が目を見開いた。その瞳に涙が浮かんだ。楓がへたりと座り込んだ。だらだらと冷汗を掻きながら、必死に何かと戦っているような雰囲気だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お願いだから、叩かないで、殴らないで、良い子にするから...ごめんなさい...」
ぼろぼろと泣きながらこんなことを呟くものだから、俺は毒気を抜かれた。今度は俺が戸惑う番だった。
俺が黙り込んでも、楓の静かな暴走は止まらなかった。ごめんなさい、と呟きながら、楓は自分の腕に思い切り噛み付いたのだ。
「楓...⁉︎」
俺は慌てて、楓の前にしゃがみ込んだ。
楓、よせ、落ち着け、と声を掛けても、俺と楓の目が合うことはなかった。
楓の腕から血が流れた。
「楓、やめろ」
きっと、俺がパニックになると楓はもっと混乱するだろう。俺は静かに楓の腕を此方側に引っ張った。ひゅうと楓の喉が音を立てて、ぱちりと俺と楓の視線が合う。
「大丈夫、じゃないだろうけど...大丈夫か?」
はぁと楓が息を吐いた。
「うん、ごめんね、大丈夫。ありがと」
「なら良いけど」
俺もようやく安心して息を吐いた。
* * *
地べたに座るのもなんだからと、私は瑠衣に引っ張られてベンチに腰を下ろした。
「ほんとに大丈夫か?」
瑠衣が私の顔を覗き込むように聞いてきた。
「うん、大丈夫。ちょっと昔のこと思い出しちゃってね」
「ふぅん」
自然に振る舞おうとしているけど、明らかに瑠衣の目が泳いでいる。
「...ごめん」
驚いて隣を見ると、瑠衣は俯いて唇を噛み締めていた。
「...なんで?」
「え?」
「なんで瑠衣が謝るの?」
さっきのは私が勝手に暴走しただけだし、瑠衣に謝られるのはなんだか違う気がした。
「...俺が怒鳴ったのが引き金だろ」
「うーん、まぁ、そうだけど...最初に暴走したのは私だし...」
もごもごと口の中で呟いてから、腕の痛みに我に返った。私が顔を顰めたのを知ってか知らずか、瑠衣が口を開く。
「楓、さっきから思ってたんだけど、取り敢えずソレ洗ってきたらどうだ?」
「うん、そうする」
公園の隅にある水道の蛇口を捻った。
気温が高い夏特有の、生暖かい水が腕から手を伝って落ちていく。それと一緒に、先程まで私の心を掻き乱していたものも、少し顔を引っ込めてくれた。
ベンチに戻ると、ガサゴソと音を立てて、瑠衣が鞄から絆創膏を取り出していた。
「はい、これ。気休め程度だろうけど」
「あ、ありがと」
「ん」
腕の傷に貰った絆創膏を貼ると、私は瑠衣に顔を向けた。
「で、さっきの話だけどさ」
「ん?」
「ちょっと、ていうかかなり、私、LGBTQ+に関する知識が乏しいからよく分からないんだけど、解説、を、頼んでも良いかな?」
私がつかえながら瑠衣に頼むと、俺も特別詳しいわけじゃないけど、と前置きしてから説明してくれた。
私がさっき葵ちゃんにやった行為は、「アウティング」と言うやつらしい。
アウティングというのは、ある人のセクシュアリティを許可なく第三者に言いふらすこと。
悪意があって行われてしまう場合もあるけど、私のように良かれと思ってアウティングをしてしまうことも多いらしい。
「何かまずいことがあるの?悪意があるのはもちろん良くないけどさ、周りが理解してくれるんだったら良いことじゃん」
「自分に置き換えて考えてみろ、LGBTQ+に関係あろうが無かろうが、自分の秘密を信頼してる人だけに打ち明けたのに、それが広まってたら嫌じゃないか」
私の喉がひゅっと音を立てた。
それに、と瑠衣が続ける。
LGBTQ+に関しては、まだまだ理解してくれる人が少なく、アウティングが行われたことによっていじめなどに発展するケースや、最悪当事者の自死に繋がることもある。また、カミングアウトであっても、周りの人がカミングアウトを強制したり、そうするように囃し立てたりするのも当事者の意思が尊重されているとは言えない。
更に、LGBTQ+と一口に言っても多様なセクシュアリティがある為、憶測に基づいて行動してしまうと当事者を深く傷付けてしまう場合もある。
「え、じゃあ」
私は瑠衣と最初に話した時のことを思い出していた。
「最初の私、瑠衣の意思を尊重しないやばい奴じゃん、駄目じゃん私」
瑠衣は私に追い討ちをかけないように言葉を選びながら言った。
「別にそこまでは思わなかったよ、デリカシーない子だなぁとは思ったけど」
「...デリカシーないのか私」
「はは、やっと自覚が芽生えたようで良かった」
まぁ、と瑠衣がにっこりと笑って言った。
「もし次にカミングアウトされるようなことがあったら、本人が伝えてある範囲、自分が伝えても良い範囲を聞いとくのが良いかもしれないな」
「私、瑠衣に最初おっそろしい対応してたけどさ、カミングアウトされた時ってどういう反応すれば良いの?」
「別に特別なことしなくて良いよ、『そうなんだね、話してくれてありがとう』ぐらいで十分だと思う」
「そうなんだ」
私は少し拍子抜けして瑠衣の答えを聞いていた。もう少し、何か特別なことを言わないといけないのかと思っていたけど、あんまり難しく考えなくて良いのかもしれない。
「ところで楓、なんで俺と圦里が話してる時あんなところに居たの?」
一瞬私の表情が凍りつくのが分かった。
「あんたもなかなか直球で質問してくるよね...」
「あ、うん、えー、なんかごめん」
「私があそこに居たのは...えーっと、瑠衣が此間の私みたいに殴られやしないかと...」
「殴られてないこと確認してすぐに戻れば良かったのに。でもまぁ心配してくれたのはありがとう」
私の表情が少し明るくなったのを見逃さずに、瑠衣がもう一度言った。
「殴られてないことを確認してすぐに戻れば良かったのに」
「ゔ」
私は小さく呻き声をあげた。
「結構傷ついたんだけど...」
「ごめんごめん、でも圦里はもっと傷ついたと思うぞ」
「うわぁ、申し訳ない。来週葵ちゃんと話してみようかな...」
「うん、それが良い」
「あんたもだよ」
「え?」
「せっかく伝えてくれたのにさ、逃げてそのまま無かったことにするのは酷いよ、私も葵ちゃんも」
「ゔ...」
瑠衣の表情がピシリと音を立てそうに凍りついた。でも、と瑠衣が文句ありげに此方を見る。
「楓の時は逃げたのお前の方だろ」
「私は逃げたんじゃなくて帰ったんだよ」
「一緒だろ。ま、そろそろ帰ろうぜ」
瑠衣が伸びをしながら立ち上がる。
「うん、帰ろ。瑠衣はちゃんと回答考えといてよ、2人分」
「......へいへい」
瑠衣が明らかに乗り気じゃなさそうに答えた。