俺が圦里に連れて行かれたのは、楓がいる所からは全く見えないであろう、丈の短い雑草が生い茂った校舎裏だった。
「そういえば、今日鈴谷と原中は?」
 いつも圦里と一緒にいる取り巻きの名前を出すと、圦里はつかえながら答えた。
「あ、えーと、今日は2人共用事が、ね、あるみたいで」
 ふーん、と俺は口の中で呟いた。
「で、話、というのは?」
 俺が問いかけると、圦里は余計に慌て始めた。
「えーっと、その、ね」
「うん」
「あたし、好きなんだ、瑠衣ちゃんのこと」
「...はぁ」
 なんで今かな。
 いや、圦里にまっったくもって非はないのだけど、俺が最初に思った感想がそれだった。
「それで、」
 圦里が、みるみる顔を赤らめながら続ける。
「もし良かったら付き合ってほしい、です」
 俺はというと、もうとにかく困っていた。多分、俺は圦里が思っている「瑠衣ちゃん」ではないからだ。
 どうすれば、圦里を傷つけずに済むだろうか?
 俺は残念ながら、圦里に対しての恋愛感情というものは一切抱いていない、と思う。かといってフるのもカミングアウトするのも、たぶん俺は勇気がなくて出来ない。
「うん、ありがと、でも、ごめん、ちょっと」
 嗚呼、ちょっとヤバい。
 頭が追いつかん。

 口の中で、ひたすらもごもごと何か言いながら、俺はよろめきながら後ろに下がった。俺は、反射的にその場から文字通り「逃げ出した」のだ。
「ごめんね、ちょっと」
 思いっ切り愛想笑いをしながら校舎の角を曲がると、危うく人影とぶつかりそうになった。
 すいません、と言いかけて俺は目を剥いた。
「楓...⁉︎」
 楓が校舎の外壁にぴたりと身を寄せて、楓が此方の会話をずっと聞いていたようだった。俺はとりあえず楓の手を引いて、校門の方に走って行った。

     *     *     *

 私はよろめきながら葵ちゃんのところから逃げてきた瑠衣に、思いっ切り引っ張られた。
 なんで、と声を出しそうになって私は口を噤んだ。瑠衣の表情が、今まで見たことないぐらい歪んでいたのだ。
 ちらりと後ろを見ると、葵ちゃんが呆然と佇んでいるのが見えた。
「瑠衣、ごめん、私ちょっと」
 戸惑ったような表情を見せる瑠衣の手を振り払って、私はUターンして葵ちゃんの方に小走りで向かった。

「葵ちゃん」
 声を掛けても、葵ちゃんは殆ど何も反応しない。
「葵ちゃん、ごめんね私、さっきの会話をたまたま聞いちゃって」
 瑠衣が殴られやしないかと後をつけてきたとは、口が裂けても言えない。
 葵ちゃんが潤んだ目を此方に向けた。その顔から、みるみる血の気が失せていく。
 ぱっと葵ちゃんが私の両肩を掴んだ。私は目を見開いた。
「言わないで!誰にも、さっきのこと言わないで!お願い‼︎」
 見たことがないほど必死な葵ちゃんを見て、私は思わずぽかんと口を開けた。
「う、うん、言わないよ、大丈夫。絶対言わないから」
「本当?」
「うん、本当」
 ようやく葵ちゃんが私の肩から手を離した。
「あ、そうそう、瑠衣のことなんだけど」
 私はそっと後ろに視線を走らせた。瑠衣はあのまま逃げて行ったらしく、何処にも見当たらない。
 葵ちゃんが肩を落とした。
「やっぱり、あたし、変だよね。嫌われちゃったかなぁ。もうお話できないかなぁ」
「変じゃないよ。それに瑠衣優しいし、嫌われてはないと思うよ」
「ほんと?」
「うん」
 私はようやく気が付いた。葵ちゃんは、今まで、私たちのことを気に入らなくて虐めているんだと思っていた。でも違う。自分の気持ちを上手く表現できなくて、誰にも秘密を言えなくて、追い込まれて、結果的にああするしかなかったのだろう。まあ、私を殴ったのは嫉妬だろうけど。
「瑠衣のことなんだけどね」
「うん」
「彼奴、トランスジェンダーなんだって」
 葵ちゃんは多分、瑠衣が前に話してくれたレズビアン、もしくはバイセクシクシュアルのどちらかだろう。それならきっと、瑠衣のことも分かってくれるんじゃないかな。葵ちゃんが最初に望んだ関係じゃなくても、お互いに分かり合えるんじゃないかな。そう思ったのだ。
「...え?」
「急に話しちゃってごめん、びっくりしたよね。あー、ごめんね、ちょっと私用事があって」
 くるりと後ろを向いて、私は校門の方に走って行った。途中でふいと葵ちゃんの方を振り返ると、葵ちゃんは数分前と同じように、呆然と突っ立っていた。