【490PV突破しました!ありがとうございます!】52ヘルツ 〜世界一孤独な鯨たち〜

「楓」
 声をかけると、楓はびくりと身を震わせた。
「お、はよ」
 どぎまぎしながら此方を見る楓に、俺は首を傾げた。
「どした?なんかあった?」
「へ?」
 楓が驚いたように目を見開いた。
「え、先週のさ、あれ、えっと」
 困ったように目を伏せる楓を見て、俺もやっと先週の出来事を思い出した。
「あ」
「あー、あれ、ごめんね」
「いや、良いよ、なんていうか、嬉しかったし」
「え、...ふーん、そっか、なら良かった」
 居心地の悪い沈黙が俺たちの間に流れていく。それを堪え切れずに口を開いたのは俺の方だった。
「そういや、圦里達に殴られたの大丈夫だったか?」
「あ、うん、大丈夫、大したことなかったから」
 柔らかく笑った楓を見て、俺は無意識のうちにふぅと息を吐き出した。
「あれ、珍しい、心配してくれたの?」
 楓が茶化してきたが、俺は困って目を逸らした。
「心配しちゃ駄目なのか?」
「お、マジか、ありがとね」
 楓が珍しく素直に言った。
「なぁ、楓、お前真面目に何かあった?」
「なんで?」
「いや、今日はやけに素直だから」
「なに、あんた、普段私が天邪鬼って言いたいの?」
「違うよ、ただ妙に素直だからなんかあったのかなって」
「ふーん、別に。特に何もないよ」
「そうか?」
「そうそう」
 楓が無邪気に笑った。

 教室に入っても、誰も此方を見ることは無かった。最初はなかなかショックだったのだが、良くも悪くも人は慣れるもので、俺は平然と席に座った。
「瑠衣ちゃん」 
 隣に座っている女の子が、内緒話でもするかのように俺に声を掛けた。
「ん?」
 俺が其方を向くと、女の子が口を開いた。
「その、瑠衣ちゃん、が、二重人格者って、ほんと?」
 恐る恐るといった調子で俺の方を見た。
「違うよ。 二重人格って私の中に別人格があるってことだよね?」
「うん」
「自分でも違うと思うし、周りからそんな風に言われたことも一度もないよ」
「葵ちゃんにも?」
「うん、ないよ」
「そうなんだ」
 その子は少し驚いたような、安心したような、複雑な笑みを浮かべた。

     *     *     *

「楓ちゃん」
 数日後の放課後、教室の席に座っていると、葵ちゃんが声を掛けてきた。
「なに?」
 私はなんてことないように返そうとしたのだけど、無意識のうちに身構えていたようだ。声が少し上ずっていた。
「瑠衣ちゃん、何処にいるか知らない?」
 珍しく瑠衣に用があるらしい。いつも突っかかってくるのは私の方だったのに。
「瑠衣なら今、職員室まで日誌届けに行ってるよ、ちょっとすれば来ると思う」
「そっか、じゃあ待ってようかな」
 葵ちゃんが廊下に出ていくのが見えた。
 はぁ、と息を吐いて机に突っ伏したら、ガタンと大きな音が空っぽの教室に響いた。
 西日が美しく差し込んでいる。それを私は、虚ろな目で眺めていた。

「ごめん、遅くなった」
 瑠衣が勢い良く教室に飛び込んできて、私ははたと顔をあげた。
「ううん、大丈夫、あれ」
 私は頭を巡らせて辺りを見回してから言った。
「葵ちゃんと会った?」
「さっき?」
「うん」
「会ってないけど」
「ふーん、なんか用事あるみたいだったから」
「え、圦里が、......私に?」
「うん」
 ふーん、と軽く流してから、瑠衣も辺りを見回した。
「いないな、帰るか」
 かなりあっさりと決定し、瑠衣がさっさと歩き出した。私も慌てて後を追った。

 校門を出ようとした私たちに、少し遠くから声が聞こえてきた。葵ちゃんのようだ。
「瑠衣ちゃーん」
 瑠衣が戸惑ったように振り返った。
「ちょっと話したいんだけどさ、良い?」
 葵ちゃんが珍しく目を泳がせながら言った。
「...うん」
 瑠衣がゆっくりと葵ちゃんの後を追う。
 あれ?これ、なんか...此間と立場が逆転してない?
 あー、瑠衣ー、と私は声を張り上げた。
「この辺で待ってるよ」
「了解」
 瑠衣と葵ちゃんが校舎の方に逆戻りしていった。

 待ってる、とは言ったものの、私はどうも落ち着かない気分だった。
 瑠衣も殴られたりするのだろうか。私は慣れているから良いけど、瑠衣は––––
 私はゆっくりと寄り掛かっていた塀から身体を起こすと、2人が歩いていった方向に足速に歩いていった。