■
池袋北口。
歳三は駅から地上に向けて階段を昇り、適当な壁にもたれながら権太を待っていた。
右手には大きな白い塔が見える。
歳三は大変異の前からそれが何なのか、今度調べようと思いつつもいまだに調べていない。
権太は10分程遅れてやってきた。
「やあ~、佐古さん。待ちました?」
権太の問いに"いえ"と言いながら首を横に振る。 歳三は例え何時間待たされても"いえ"というだろう。
「いえねぇ、先日雑司ヶ谷のダンジョンで若い子のチームが消息不明になっちゃってね。あそこもほら、ウチの管轄だから。親族の方が怒鳴り込んできたわけでしてね。でもまあダンジョン探索中の事故は全て自己責任ってことになってるでしょう?その辺を説明したんだけれどどうにも興奮しちゃってねぇ。最初は怒っていたんだけれど、ついには泣き出しちゃって、もう参っちゃいました。とりあえずウチの方でも救出依頼を出すということでね、でもじゃあ報酬はどうするんだって話になるじゃないですか。ウチも慈善事業じゃあないんだから…」
権太は到着と同時に怒涛の勢いでまくし立てた。歳三は大変そうだな、とは思いながらもそれ以上の感想は持たなかった。
"若い子のチーム" など、歳三にとっては南アフリカだかどこかの錫の埋蔵量と同じ程度の興味しかない。世界が違いすぎるのだ。
「ああ、すみませんね。じゃあいきましょうか。といってもすぐそこですけど」
権太は北口出口から歩いて15秒、まさにすぐ前の居酒屋を指さす。
居酒屋「超都会」
センスの欠片もない名称のその居酒屋は、営業時間が24時間というアル中御用達の名店である。
ただしつまみは余り美味しくないし、店内は汚いし、浮浪者じみた連中も多い。
ただ、そういう人生の落後者の様な連中はなんというか…まぶしくないのだ。
前途有望な若者を視界に入れるだけで陰鬱な気分になる歳三だが、自身と同じ様に小汚い、何か前科的な意味で瑕の一つや二つはついていて当然という様なツラをした中年オヤジに対してはそこまで圧力を感じずに済む。
彼がそう感じるのは、彼等に仲間意識を抱いているからだ。店内の薄みっともない中年オヤジたちもかつては成功を追求していたのかもしれない。
しかし熾烈な競争の中で挫折し、年齢と共に希望が失われていったのだろう。
そんなオヤジ共は歳三にとって痛みを伴う鏡像ではあるが、しかしどこか慰めや安らぎに似た何かを与えてもくれる。
「あ、佐古さん、あっちに空きがありますよ」
権太は、居酒屋の奥に目を向ける。
歳三はうなずき、カウンターの方へ歩いていく。自分と同じ道を辿ったであろう中年男性たちが、酒を飲みながら無言の慰めを求めている様子が見えた。
歳三は権太の隣に座り、取りあえずとばかりにビールを注文した。権太もビールだ。
「や、や、や。まあお疲れ様でした」
権太がビールのジョッキを両手に持ち、歳三のジョッキの下半分と合わせようとする。
しかし歳三もまた権太のジョッキの下半分に合わせようとするため、中々乾杯が出来ない。
やがてどちらともなく笑いだし、ガチンとジョッキをあわせて黄金色の液体を飲み下した。
「そうそう、さっきの話。救出隊なんですが、報酬は結局その親族が出すことになってね。まあ、今依頼を出してる最中ってわけですわ。でもねえ、多分無理でしょうなあ。場所がちょっと悪いです。お気の毒様ですけどねぇ」
権太がそういうと、歳三は端末を取り出していじくりまわす。これはスマートフォンに似ているが、それより更に高機能だ。
探索者専用端末、Stermである。
Searcher's terminalを省略した名称のそれは、ダンジョンから産出された特殊な素材を使ってつくられている。この素材はStermが非常に高い耐久性と耐磁性を持つことを可能にしており、一般的な電子機器が壊れやすい厳しいダンジョン環境でも、このStermは常に探索者たちの信頼できる相棒となる。
さらに、Stermには多機能性が備わっている。
通常の通信機能に加えて、ダンジョン内の精密な地図を作成したり、探索者同士の位置情報を共有したりすることができる。さらに、ダンジョン内で遭遇する可能性のある生物や罠のデータベースを内蔵しており、探索者たちはStermを使ってリアルタイムでこれらの情報にアクセスできる。
特筆すべきはStermが持つ自己修復機能だ。ダンジョンから採掘された特殊素材は、損傷したStermの一部を修復する能力を持つ。これにより、Stermは探索者たちが遭遇する厳しい条件にも対応し、長期間にわたって使用できるのだ。
歳三がアクセスしたのは探索者協会の依頼掲示板である。依頼は探索者協会が随時発布しており、協会所属の全探索者たちに開放されている。
掲示板には探索依頼、アイテム収集、特定のモンスターの討伐、さらにはダンジョン内部の詳細な探査や救出依頼など、多種多様なものがあり、探索者は自身の能力と相談してこれを受ける事が出来る。
また、依頼掲示板はリアルタイムで更新され、新たな依頼が発生するたびに探索者たちはその情報を瞬時に得ることができる。依頼の詳細な説明、期限、報酬等の具体的な情報も掲示されているため、探索者たちは自分の能力と時間を考慮して最適な依頼を選択することが可能である。
歳三が依頼掲示板に目を走らせると、確かに権太の言う救出依頼が掲載されていた。
場所は雑司ヶ谷ダンジョン。
救出対象は三名の探索者で、皆20代前半の若者たちだった。
掲示板によれば、彼らが雑司ヶ谷ダンジョンへ進入したのは約一週間前のことで、それ以来一度もダンジョンから出てきていないとのことだ。ダンジョンの中で数日間過ごすのは探索者にとっては珍しいことではないが、一週間も音沙汰がないとなると、何らかの事故が発生した可能性が高くなる。
彼らが携帯していたStermからの通信が途絶えて以降、何度も連絡を試みたものの全く返答がないという。それは彼らがダンジョン内部で何らかの問題に遭遇したことを示唆している。それが単なる通信トラブルなのか、それとも彼らがダンジョン内部の怪物や罠によって危機に瀕しているのかは不明だ。
この依頼は、ダンジョン内部に侵入し彼らを探し出すことを求めている。そして彼らが無事であれば安全に外へと連れ出すことが要求されている。
■
難しいだろうな、と歳三は思った。
雑司ヶ谷ダンジョンは比較的新しいダンジョンだ。
住所としては東京都豊島区南池袋四丁目で、広さは約10ヘクタール。これは10万平方メートルで、東京ドーム1個分の建築面積が、約47000平方メートルである事を考えるとそれなりに広い。
ダンジョンのタイプとしては、平面タイプのものだ。これは要するに、階層が分かれていると言った事はなく、平面上にダンジョンが展開されているという事である。
元はといえば雑司ヶ谷霊園という広大な霊園であり、大変異後もその形状を変化させたりはしなかったのだが、つい最近になってついに変化してしまった。
元々ダンジョンでない建築物、広場などが、ある日突然ダンジョンに変化してしまうというのは大変異以後はままあることであった。
ともかくも、新しいダンジョンには未知の素材が眠っている可能性があり、そういったものは莫大な財となる事も珍しくはない。だから新しいダンジョンが見つかってもすぐに探索者の手が入るのだが、雑司ヶ谷ダンジョンについては調査が遅々として進まない。
というのも、このダンジョンには元が霊園だからであろうか、不気味なモンスターが数多く出没するのだ。
不気味な囁き声が耳元で囁き、腐った死体がヒタヒタと背後から迫り、白骨死体が立ち上がり、刃物を振るってくる。
ダンジョン全体の雰囲気も、元霊園らしく不気味で陰鬱だ。こんな場所を好んで探索しようという者は余りいない。
・
・
・
「まあ御察しの通りなんですけどねえ。ま、仕事は仕事ですから」
権太はビールを煽り、面倒そうに言う。
仕事は仕事か、と歳三は何かを感得した様に頷いた。
面倒な事、理不尽な事であっても、仕事は仕事だと割り切って淡々とやるという姿勢は歳三にとって好ましいものであった。
自身がまともな社会人ではない事を自覚している歳三は、しかしそれゆえに "まとも" というものに憧れている部分がある。
権太がタバコを咥えると、歳三は右手の人差し指と親指を合わせて権太のタバコの先へ近づけ、強くこすり合わせた。
バチンという音と共にタバコに火がつく。
どうも、と権太は頭を軽く下げ、一服しながら歳三にもタバコの箱を差し出した。
歳三もまた、どうも、と頭をさげて一本貰い、指ぱっちんで着火して深く深く紫煙を吸い込んだ。
アルコールとニコチンが体内を巡り、ふわりといい気持ちになっていく。
薄汚い店内の天井に向けて煙がたちのぼるのを見ていると、地を這うような人生にやや飽きたらなさを感じる。嗚呼、俺もあんな風に昇っていけたらいいのにと思う歳三であった。
・
・
・
翌朝。
歳三の元に一本の通信が入った。
電話ではない。通信である。
Stermは特殊な方式で通信を行う。
電話回線を使わず、専用の信号塔から送出される特殊な波長を利用する。これにより、ダンジョン内部のような電波が届かない場所でも問題なく通信が可能となっている。
「やあ、やあ、歳三さん。寝起きですか?すみませんねぇ、ちょっと急用がね。ありましてね。もしお時間があるようでしたら、センターまでご足労願えませんか?どぉ~~しても!歳三さんに会いたい、会って話がしたいという人がいるんですよぉ…。直接連絡すればいいのかもしれませんが、ほら、歳三さんの個人通信先を知っている人は少ないでしょう?ウチも規則でそういうのは教えるわけにはいきませんから。まあほら、個人依頼っていうやつです。正直ね、面倒な話だとは思います。だからアレでしたら断ってくださってもいいんですよ。でもねぇ…」
歳三は権太の話はもうしばらく続きそうだと感じ、ともかくそちらまでいくと答えた。
歳三にとって権太という男は悪い男ではないが、何かのスイッチが入ってしまうととにかく話が長くなるのだ。そしてねちっこい。
急用だというので押っ取り刀で準備を済ませ、センターへと向かう。
・
・
・
「やあやあやあ、歳三さん、わざわざすみませんねぇ、それで用事というのは…」
「は、はじめましてっ…!私は四宮由衣と言います。佐古歳三さんですよね、お噂はかねがね…。佐古さん、お、お願いがあります。雑司ヶ谷ダンジョンで消息を絶った私の妹の救出依頼を受けてくださらないでしょうか。わ、私が行ければいいのですが、私は雑司ヶ谷ダンジョンへの入場を許可されていないのです…。救出依頼は出してもらったのですが、いまだに受注してくださる人もいなくて…。佐古さんがこんな依頼を普段は受けない事を知っております。モンスターとの死闘にしか興味がない方だというのも。ですが、それを押してなおお願い致します…妹は私にとって…」
権太の言葉に被せるようにまくしたててきたのは、歳三の知らない娘であった。
パープルのボディスーツの腰には大振りのナイフが佩かれており、頭髪は黒髪のポニーテールと言った具合で、探索者の姉の様だった。
容姿の良し悪しは歳三には分からない。
一定以上の容姿の女性は、歳三の目には全員同じに見えるのだ。
ワァワァと言い募る彼女の話を要約すると、探索者の妹が仲間達と共に雑司ヶ谷で消息を絶った。
救出依頼を出したが誰も受けてはくれない。
お前の噂は聞いている、強いんだって?
だから助けてくれないか。
と言った所だろうか。
歳三は唸り声をあげた。
悩みの発露としての唸り声で、怒っているとかそういう意味ではない
受けるべきかどうか悩んでいるのだ。
雑司ヶ谷ダンジョンは余りデータがない。
データが無ければどうなのか?
そう、危険である。
だが歳三が悩んでいる理由は危険だからではない。
助けるのはいいにしても、間に合わなかった場合、失敗した場合が怖いのだ。
無事救出できればいいが、出来なければ?
大なり小なりバッシングされるだろう。
依頼という形で受けるのだから、全探索者に結果の情報が公開される。
歳三は炎上の恐ろしさをよく知っている。
故に即断できかねた。
しかし、断るというのもどうにも気分が良くない。
歳三は "まとも"に、"真っ当に" 生きられればいいなと常々思っている。人助けとはそれらを為す大きな一助足りえるのではないか?
だが失敗すれば…?
歳三は延々と悩み、ようやく結論を出した。
「さ、佐古さんっ!お願いします!お願いします…どうか…」
背を向けて立ち去る歳三の背に、由衣の嗚咽めいた声がぶつかり、弾ける。
・
・
・
1時間後。
歳三は雑司ヶ谷ダンジョンの入場口の前に立っていた。
歳三は一つの策を巡らせたのである。
あの場では受けずに、黙って救出に赴き、無事ならそのまま救出、しかし間に合わなければそれはそれで仕方ないと撤退…この策の最大のメリットは、仮に失敗したとしても責任を負う事がない、
つまり炎上しないという点にある。
デメリットは報酬が出ない事だろうか。
しかし、それは仕方がないと歳三は割り切っていた。大体、金ならあるのだ。
そう、唸るほどある。
歳三はダンジョンに入る前に、ヤニを補充しておくことにした。彼は喫煙歴ン十年というヤニ中毒者である。
鯉の様にパクパクと口を開閉すると、不細工な煙の輪がいくつかできて歳三は嬉しくなった。
輪は〇の意味を持つ。
そして〇は合格、及第点という意味だ。
歳三はこの形が好きだった。
×ばかりの人生だったからかもしれない。
池袋北口。
歳三は駅から地上に向けて階段を昇り、適当な壁にもたれながら権太を待っていた。
右手には大きな白い塔が見える。
歳三は大変異の前からそれが何なのか、今度調べようと思いつつもいまだに調べていない。
権太は10分程遅れてやってきた。
「やあ~、佐古さん。待ちました?」
権太の問いに"いえ"と言いながら首を横に振る。 歳三は例え何時間待たされても"いえ"というだろう。
「いえねぇ、先日雑司ヶ谷のダンジョンで若い子のチームが消息不明になっちゃってね。あそこもほら、ウチの管轄だから。親族の方が怒鳴り込んできたわけでしてね。でもまあダンジョン探索中の事故は全て自己責任ってことになってるでしょう?その辺を説明したんだけれどどうにも興奮しちゃってねぇ。最初は怒っていたんだけれど、ついには泣き出しちゃって、もう参っちゃいました。とりあえずウチの方でも救出依頼を出すということでね、でもじゃあ報酬はどうするんだって話になるじゃないですか。ウチも慈善事業じゃあないんだから…」
権太は到着と同時に怒涛の勢いでまくし立てた。歳三は大変そうだな、とは思いながらもそれ以上の感想は持たなかった。
"若い子のチーム" など、歳三にとっては南アフリカだかどこかの錫の埋蔵量と同じ程度の興味しかない。世界が違いすぎるのだ。
「ああ、すみませんね。じゃあいきましょうか。といってもすぐそこですけど」
権太は北口出口から歩いて15秒、まさにすぐ前の居酒屋を指さす。
居酒屋「超都会」
センスの欠片もない名称のその居酒屋は、営業時間が24時間というアル中御用達の名店である。
ただしつまみは余り美味しくないし、店内は汚いし、浮浪者じみた連中も多い。
ただ、そういう人生の落後者の様な連中はなんというか…まぶしくないのだ。
前途有望な若者を視界に入れるだけで陰鬱な気分になる歳三だが、自身と同じ様に小汚い、何か前科的な意味で瑕の一つや二つはついていて当然という様なツラをした中年オヤジに対してはそこまで圧力を感じずに済む。
彼がそう感じるのは、彼等に仲間意識を抱いているからだ。店内の薄みっともない中年オヤジたちもかつては成功を追求していたのかもしれない。
しかし熾烈な競争の中で挫折し、年齢と共に希望が失われていったのだろう。
そんなオヤジ共は歳三にとって痛みを伴う鏡像ではあるが、しかしどこか慰めや安らぎに似た何かを与えてもくれる。
「あ、佐古さん、あっちに空きがありますよ」
権太は、居酒屋の奥に目を向ける。
歳三はうなずき、カウンターの方へ歩いていく。自分と同じ道を辿ったであろう中年男性たちが、酒を飲みながら無言の慰めを求めている様子が見えた。
歳三は権太の隣に座り、取りあえずとばかりにビールを注文した。権太もビールだ。
「や、や、や。まあお疲れ様でした」
権太がビールのジョッキを両手に持ち、歳三のジョッキの下半分と合わせようとする。
しかし歳三もまた権太のジョッキの下半分に合わせようとするため、中々乾杯が出来ない。
やがてどちらともなく笑いだし、ガチンとジョッキをあわせて黄金色の液体を飲み下した。
「そうそう、さっきの話。救出隊なんですが、報酬は結局その親族が出すことになってね。まあ、今依頼を出してる最中ってわけですわ。でもねえ、多分無理でしょうなあ。場所がちょっと悪いです。お気の毒様ですけどねぇ」
権太がそういうと、歳三は端末を取り出していじくりまわす。これはスマートフォンに似ているが、それより更に高機能だ。
探索者専用端末、Stermである。
Searcher's terminalを省略した名称のそれは、ダンジョンから産出された特殊な素材を使ってつくられている。この素材はStermが非常に高い耐久性と耐磁性を持つことを可能にしており、一般的な電子機器が壊れやすい厳しいダンジョン環境でも、このStermは常に探索者たちの信頼できる相棒となる。
さらに、Stermには多機能性が備わっている。
通常の通信機能に加えて、ダンジョン内の精密な地図を作成したり、探索者同士の位置情報を共有したりすることができる。さらに、ダンジョン内で遭遇する可能性のある生物や罠のデータベースを内蔵しており、探索者たちはStermを使ってリアルタイムでこれらの情報にアクセスできる。
特筆すべきはStermが持つ自己修復機能だ。ダンジョンから採掘された特殊素材は、損傷したStermの一部を修復する能力を持つ。これにより、Stermは探索者たちが遭遇する厳しい条件にも対応し、長期間にわたって使用できるのだ。
歳三がアクセスしたのは探索者協会の依頼掲示板である。依頼は探索者協会が随時発布しており、協会所属の全探索者たちに開放されている。
掲示板には探索依頼、アイテム収集、特定のモンスターの討伐、さらにはダンジョン内部の詳細な探査や救出依頼など、多種多様なものがあり、探索者は自身の能力と相談してこれを受ける事が出来る。
また、依頼掲示板はリアルタイムで更新され、新たな依頼が発生するたびに探索者たちはその情報を瞬時に得ることができる。依頼の詳細な説明、期限、報酬等の具体的な情報も掲示されているため、探索者たちは自分の能力と時間を考慮して最適な依頼を選択することが可能である。
歳三が依頼掲示板に目を走らせると、確かに権太の言う救出依頼が掲載されていた。
場所は雑司ヶ谷ダンジョン。
救出対象は三名の探索者で、皆20代前半の若者たちだった。
掲示板によれば、彼らが雑司ヶ谷ダンジョンへ進入したのは約一週間前のことで、それ以来一度もダンジョンから出てきていないとのことだ。ダンジョンの中で数日間過ごすのは探索者にとっては珍しいことではないが、一週間も音沙汰がないとなると、何らかの事故が発生した可能性が高くなる。
彼らが携帯していたStermからの通信が途絶えて以降、何度も連絡を試みたものの全く返答がないという。それは彼らがダンジョン内部で何らかの問題に遭遇したことを示唆している。それが単なる通信トラブルなのか、それとも彼らがダンジョン内部の怪物や罠によって危機に瀕しているのかは不明だ。
この依頼は、ダンジョン内部に侵入し彼らを探し出すことを求めている。そして彼らが無事であれば安全に外へと連れ出すことが要求されている。
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難しいだろうな、と歳三は思った。
雑司ヶ谷ダンジョンは比較的新しいダンジョンだ。
住所としては東京都豊島区南池袋四丁目で、広さは約10ヘクタール。これは10万平方メートルで、東京ドーム1個分の建築面積が、約47000平方メートルである事を考えるとそれなりに広い。
ダンジョンのタイプとしては、平面タイプのものだ。これは要するに、階層が分かれていると言った事はなく、平面上にダンジョンが展開されているという事である。
元はといえば雑司ヶ谷霊園という広大な霊園であり、大変異後もその形状を変化させたりはしなかったのだが、つい最近になってついに変化してしまった。
元々ダンジョンでない建築物、広場などが、ある日突然ダンジョンに変化してしまうというのは大変異以後はままあることであった。
ともかくも、新しいダンジョンには未知の素材が眠っている可能性があり、そういったものは莫大な財となる事も珍しくはない。だから新しいダンジョンが見つかってもすぐに探索者の手が入るのだが、雑司ヶ谷ダンジョンについては調査が遅々として進まない。
というのも、このダンジョンには元が霊園だからであろうか、不気味なモンスターが数多く出没するのだ。
不気味な囁き声が耳元で囁き、腐った死体がヒタヒタと背後から迫り、白骨死体が立ち上がり、刃物を振るってくる。
ダンジョン全体の雰囲気も、元霊園らしく不気味で陰鬱だ。こんな場所を好んで探索しようという者は余りいない。
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「まあ御察しの通りなんですけどねえ。ま、仕事は仕事ですから」
権太はビールを煽り、面倒そうに言う。
仕事は仕事か、と歳三は何かを感得した様に頷いた。
面倒な事、理不尽な事であっても、仕事は仕事だと割り切って淡々とやるという姿勢は歳三にとって好ましいものであった。
自身がまともな社会人ではない事を自覚している歳三は、しかしそれゆえに "まとも" というものに憧れている部分がある。
権太がタバコを咥えると、歳三は右手の人差し指と親指を合わせて権太のタバコの先へ近づけ、強くこすり合わせた。
バチンという音と共にタバコに火がつく。
どうも、と権太は頭を軽く下げ、一服しながら歳三にもタバコの箱を差し出した。
歳三もまた、どうも、と頭をさげて一本貰い、指ぱっちんで着火して深く深く紫煙を吸い込んだ。
アルコールとニコチンが体内を巡り、ふわりといい気持ちになっていく。
薄汚い店内の天井に向けて煙がたちのぼるのを見ていると、地を這うような人生にやや飽きたらなさを感じる。嗚呼、俺もあんな風に昇っていけたらいいのにと思う歳三であった。
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歳三の元に一本の通信が入った。
電話ではない。通信である。
Stermは特殊な方式で通信を行う。
電話回線を使わず、専用の信号塔から送出される特殊な波長を利用する。これにより、ダンジョン内部のような電波が届かない場所でも問題なく通信が可能となっている。
「やあ、やあ、歳三さん。寝起きですか?すみませんねぇ、ちょっと急用がね。ありましてね。もしお時間があるようでしたら、センターまでご足労願えませんか?どぉ~~しても!歳三さんに会いたい、会って話がしたいという人がいるんですよぉ…。直接連絡すればいいのかもしれませんが、ほら、歳三さんの個人通信先を知っている人は少ないでしょう?ウチも規則でそういうのは教えるわけにはいきませんから。まあほら、個人依頼っていうやつです。正直ね、面倒な話だとは思います。だからアレでしたら断ってくださってもいいんですよ。でもねぇ…」
歳三は権太の話はもうしばらく続きそうだと感じ、ともかくそちらまでいくと答えた。
歳三にとって権太という男は悪い男ではないが、何かのスイッチが入ってしまうととにかく話が長くなるのだ。そしてねちっこい。
急用だというので押っ取り刀で準備を済ませ、センターへと向かう。
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「は、はじめましてっ…!私は四宮由衣と言います。佐古歳三さんですよね、お噂はかねがね…。佐古さん、お、お願いがあります。雑司ヶ谷ダンジョンで消息を絶った私の妹の救出依頼を受けてくださらないでしょうか。わ、私が行ければいいのですが、私は雑司ヶ谷ダンジョンへの入場を許可されていないのです…。救出依頼は出してもらったのですが、いまだに受注してくださる人もいなくて…。佐古さんがこんな依頼を普段は受けない事を知っております。モンスターとの死闘にしか興味がない方だというのも。ですが、それを押してなおお願い致します…妹は私にとって…」
権太の言葉に被せるようにまくしたててきたのは、歳三の知らない娘であった。
パープルのボディスーツの腰には大振りのナイフが佩かれており、頭髪は黒髪のポニーテールと言った具合で、探索者の姉の様だった。
容姿の良し悪しは歳三には分からない。
一定以上の容姿の女性は、歳三の目には全員同じに見えるのだ。
ワァワァと言い募る彼女の話を要約すると、探索者の妹が仲間達と共に雑司ヶ谷で消息を絶った。
救出依頼を出したが誰も受けてはくれない。
お前の噂は聞いている、強いんだって?
だから助けてくれないか。
と言った所だろうか。
歳三は唸り声をあげた。
悩みの発露としての唸り声で、怒っているとかそういう意味ではない
受けるべきかどうか悩んでいるのだ。
雑司ヶ谷ダンジョンは余りデータがない。
データが無ければどうなのか?
そう、危険である。
だが歳三が悩んでいる理由は危険だからではない。
助けるのはいいにしても、間に合わなかった場合、失敗した場合が怖いのだ。
無事救出できればいいが、出来なければ?
大なり小なりバッシングされるだろう。
依頼という形で受けるのだから、全探索者に結果の情報が公開される。
歳三は炎上の恐ろしさをよく知っている。
故に即断できかねた。
しかし、断るというのもどうにも気分が良くない。
歳三は "まとも"に、"真っ当に" 生きられればいいなと常々思っている。人助けとはそれらを為す大きな一助足りえるのではないか?
だが失敗すれば…?
歳三は延々と悩み、ようやく結論を出した。
「さ、佐古さんっ!お願いします!お願いします…どうか…」
背を向けて立ち去る歳三の背に、由衣の嗚咽めいた声がぶつかり、弾ける。
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歳三は雑司ヶ谷ダンジョンの入場口の前に立っていた。
歳三は一つの策を巡らせたのである。
あの場では受けずに、黙って救出に赴き、無事ならそのまま救出、しかし間に合わなければそれはそれで仕方ないと撤退…この策の最大のメリットは、仮に失敗したとしても責任を負う事がない、
つまり炎上しないという点にある。
デメリットは報酬が出ない事だろうか。
しかし、それは仕方がないと歳三は割り切っていた。大体、金ならあるのだ。
そう、唸るほどある。
歳三はダンジョンに入る前に、ヤニを補充しておくことにした。彼は喫煙歴ン十年というヤニ中毒者である。
鯉の様にパクパクと口を開閉すると、不細工な煙の輪がいくつかできて歳三は嬉しくなった。
輪は〇の意味を持つ。
そして〇は合格、及第点という意味だ。
歳三はこの形が好きだった。
×ばかりの人生だったからかもしれない。