「行ってきまーす!」

元気よく挨拶をして家を出ると、冷たい空気が体を包む。
ふぅ、今日も寒いなあ。

昨日で冬休みが終わって、今日から3学期。
3年生の私は春には卒業だから、中学生でいられるのは後3ヶ月もないのかあ。
しかも今はみんな受験でピリピリしているだろうから、残りの中学校生活をエンジョイって気分でもないだろう。
だけど私は残り少なくても、高校受験があろうとも、みんなと過ごせる今を大事にしたい。
そんなことを思いながら、真っ白な霧の中を歩いていく。

ここは朝霧の町。
地方にある、映画館やショッピングセンターも無いような田舎町で、毎年冬になると朝は辺り一面濃い霧に覆われる。
視界が悪くて寒くて、冷たい空気に冷やされた耳が痛くなる。
霧が晴れるまでは洗濯物を外に干せないから大変だって、お母さんが言っていた。

昔はどこだって冬はこんなものだって思っていたけど、どうやらこの町は盆地にあるせいで特別霧が発生しやすいみたい。
冬でも霧がかからない場所もあるなんて、ビックリだよ。
きっとそういう所だと、洗濯もまだしやすいんだろうなあ。

だけど不便な事はあっても、私はそんな霧の町が大好き。
霧に包まれた景色は幻想的で、これを見ないと冬がきたという気がしないもんね。

田んぼの間の湿った畦道を通り抜け、霜の降りた畑を横切って、通い慣れた田舎道を歩いていく。
すると不意に、後ろから声が聞こえてきた。

「おはよう、彩」

名前を呼ばれて立ち止まる。
この声はアイツだ。

「おはよー、辰喜ー」

振り返ると、そこには思った通り同級生の男子、辰喜の姿が。
彼はニコッと笑いながら、こっちに歩いてくる。

「何だかやけにキョロキョロしてたけど、どうしたの?」
「え、私そんなことしてた?」
「してたしてた。あまりに挙動不審だったから、何があったんだろうって思ったよ」
「ちょっと、なにさ挙動不審って!」

文句を言いながらも、軽口を叩き合える辰喜に、親しみを感じる。
小学校入学と同時にこの町に越してきた彼とは、9年の付き合い。お互い気が根無しに話すことのできる、親友だ。

「景色を見てただけだって。この景色を見られるのも、後少しなんだから」
「そっか……春にはもう卒業だもんね」

言いながら、霜の降りた畑に目を向ける辰喜。
そう、卒業して高校に通うようになったら、もう中学校には来なくなるわけで。
来年の冬が来ても、この通学路を通ることはないんだよね。
そして……。

「でも、信じられないなあ。俺達がうちの中学の、最後の卒業生になるなんてさあ」

……ああ、うん。そうだね。
辰喜が言った瞬間、ズキンと胸が痛くなった。
最後の卒業生……。そう、私達の通う中学校は本年度をもって、廃校になってしまうの。

ド田舎にあるこの町の中学校は、年々生徒数が減少していってたからねえ。仕方がないと言えばそれまで。
だけどそれでも思い出の詰まった学び舎が無くなるというのは、やっぱり寂しいよ。

だけど私まで沈んでしまっていると辰喜のやつが、明るい声を出す。

「まあ卒業までもう少しあるんだし、残りの中学生生活を満喫しようよ」
「うん、そうだね……」

そう言って私は再び歩き出し、辰喜も隣を歩く。
でも私はさっきまでのように、景色を楽しむことができなかった。

──辰喜のやつ、分かってるのかなあ。
卒業したら、辰喜はこの町から出て行かなきゃならないんだよ。

隣を歩く彼の顔を見ると、モヤモヤしてくる。
……彼の家はこの春に県外へと引っ越して、この朝霧の町からいなくなることが決まっているの。

私はいいよ。卒業しようと母校がなくなろうと、この町に住んでいれば思い出はなくならないもの。
けど、遠く離れてしまったら? 徐々に記憶は色褪せていって、中学校で過ごした日々も、この霧の風景も、忘れ去ってしまうんじゃないか。
そして、私のことも……。

そう考えたとたん再びズキンと、さっきよりも大きな痛みが、胸に走った。

ねえ辰喜、どうしてそんな笑っているの?
もう仕方がないって、諦めているのか。それともそもそも忘れても別にいいやって、思ってるんじゃないよね?

ああ、もう! どうして私がこんなに悩まなくちゃいけないのさ!
もう会えなくなるんだからさあ。辰喜ももっと、悲しそうにしたらどうなの?
……私のこと、好きだって言ってたくせに

辰喜を見ていると、胸がザワザワする。
よみがえってくるのは、去年のバレンタインの時の記憶。
あの日私は、辰喜から言われたの。
「彩のことが好きだ」って。